双夜
アトラスは確信した。クリソテミスだけはただ純粋に想えるのだと。皮肉な事だった。望まぬ結婚で望む者を知るなど。
ニュクスは目の前の男が自分じゃない誰かを見ているのが分かる。自分だけを見てくれた夫を知る彼女には分かりやすい。
瞼で彼の姿を隠す。悔しいが、そうしなければ泣き出しそうだった。
ニュクスは自分の世話をする侍女達を見る。誰も赤い髪を持っていない。自分だけが異質なのだと彼女は思う。
周囲の目が気に入らない。
好奇。その視線が・・・不快で仕方が無かった。でも、それも仕方が無いのだ。全て、彼女が異物であるから起こる事。
諦めようと彼女は思った。全て諦めてしまおうと。楽になる術をそれ以外知らなかった。
ニュクスは楽になる為だけに行動する様になる。彼女は自身を守る事に過保護になった。己に対して。
侍女を叱るのは当たり前。奴隷は何をしても、しなくても蔑む。周囲に非情になった。
そんな中でも、アトラスにだけは優しかった。当たり前と言えば、そうなのかもしれない。
だが、ニュクスの態度をアトラスは認めなかった。それが二人の間に決定的な溝を創り出していく。ニュクスが少しでも態度を変えていれば・・・アトラスが理解を示していれば・・・状況は変わったかもしれないのに。
暫くの間、二人は冷たいながらにも夫婦として生活した。夫婦でありながら、二人とも互いを見ない。ある意味では似ていたのかもしれない二人だと気付いたのは、ニュクスがエリシオンを去った後の事。彼女が娘さえも捨て去り、ある男と駆け落ちをした後の事。
今、それを知る者は居ない。
そんな中、アトラスも元に縁談が舞い込む。縁談を持ち込んだのはクレウテからの使者。クレウテの名将・アソポスがアトラスを義理の息子にしたいと言ってきたのだ。
願ってもない良縁にアトラスは悩んだ。アトラスは既に妻を得ている。だが、その妻・ニュクスとの仲は良好とは呼べない。そんな状態でアソポスの娘を妻に加えても良いものだろうか。
それに、クリソテミスをこれ以上悲しませる事はしたくなかった。アトラスは暫しの猶予を貰った。
勿論の事だが、縁談の話はニュクスの耳にも入る。侍女から話を聞いた彼女は美貌の顔立ちを険しくした。見ている侍女達が怯える程に。
「そう・・・縁談・・・」
ニュクスは悟った。クレウテの、アソポスの出した条件さえも。恐らく、自分と同じ使命を持って名将の娘がやって来るのだと。
「・・・哀れな」
小さな呟きを漏らす。その声は侍女達の耳には届かない。
彼女は哀れんだ。自分が既に妻としている男の許に嫁ぐ娘を。エレボスがしたのと同じ命令を父親からされてやって来るだろう娘はどんな顔をしているのか・・・ニュクスは気になった。
「縁談を受けるそうですね」
冷たい声は夜の空気と同じだ。先程まで愛し合っていた男、それも夫に対しての温度では無い。
「・・・・・・」
ニュクスは無言のアトラスに笑い掛ける。優しい微笑みでは無く、嘲笑で。
「・・・哀れな方」
ニュクスは歌う様に呟く。アトラスには誰の事を言っているのか、分からなかった。だが、不快な言葉だった。
眉を寄せるアトラスを見たニュクスは大声で笑いたくなる。
なんて・・・哀れなんだろう。
誰とは言わない。言わないが、それでも思う。
哀れな・・・誰かを。