壱夜
私は、自分が美しい事を知っている。
だって、私の為にお父様は美しい物を集めるのだもの。
父・エレボスは美しい娘を更に磨くのに、何も惜しまなかった。
私は、自分が美しいと・・・父の道具である事を知っている。
「ニュクス」
父の呼び声に振り向く。私とは違う赤い髪が目に入る。父の燃える様な赤は私にとっては恐怖の対象だった。
「お前の嫁ぎ先が決まった」
ニュクスは父の言葉に目を伏せた。返事はしない。エレボスは自分本位な人間だ。
今だって、そうなのだ。勝手に決める。
「・・・お父様、私は既に結婚しております」
ニュクスは事実を無感情に伝えた。彼女は確かに一年程前に結婚している。同じ一族の男性と。
彼女の言葉を聞いたエレボスは鼻で笑う。
「あんな男、お前の相手には相応しくなかった。次の相手は相応しいぞ。心して、用意しておれ」
「・・・分かりました」
ニュクスは落胆した。エレボスは娘さえ顧みない。何時だってそうだったのだ。彼女は自嘲する。
父の立ち去る後ろ姿をニュクスは見送る。そして、エレボスの姿が見えなくなった時、彼女は嗤い声を上げた。
「私の事など考えてはくれないのですね。お父様・・・私は、愛しておりました。優しい夫を」
届かないだろう想い。ニュクスの頬に一筋の涙が伝う。
涙を流している事に彼女は気付かなかった。
ただ、静かに涙は零れる。彼女の心を置き去りにして。
用意されていく物はどれも美しかった。しかし、どれもニュクスの心を弾ませはしない。美しいだけの物達をニュクスは嗤う。
その中に、自身が含まれている事は分かっている。だからこそ、抑えられなかった。
「私は・・・道具。お父様の道具」
彼女の嗤い声を聞いた侍女や奴隷達が怯える。そんな周りの様子さえ、ニュクスは嗤う。
本当はもっと大きな声で嗤いたかった。
真っ白な花嫁衣装を身に纏うのは二度目だ。一度目は愛した人の許へ。そして、二度目の今は決められた相手の許に。
ニュクスは美しく整えられた自身を滑稽だと思う。人形にしかなれない自分がどこまでも、愚かで悲しかった。
「・・・・・・」
せめて、夫となる存在は違っていて欲しい。彼女はただそれだけを願った。
「ニュクス様」
彼女は呼びに来た侍女に目を向ける。侍女はその美しさに息を飲んだ。
赤い髪は完璧に結い上げられ、緑の宝石で彩られている。白い肌は丁寧に手入れされてきた事が窺えた。
美しい花嫁を侍女は主となった若い青年の許へ案内する。
ニュクスは案内された先に居た青年を見た。その姿を見た瞬間になる程と思う。父が好みそうな青年だったのだ。前の夫は優しい人で、一族の中でも弱そうな外見だった。彼女はそんな彼の優しさが好きだったのだが、エレボスは好まない。
目の前に居るのは、屈強な青年・アトラス。父親はエリシオンに智将として君臨していたのだ。将来が期待出来る。
・・・本当に父が好みそうだ。ニュクスは真っ直ぐにアトラスを見つめながら今後を考える。父が好むからと言って、自分まで好む訳では無い。
「・・・・・・」
どう声を掛けるべきなのか、ニュクスは迷う。いや、ここは声を掛けられるまで待つべきだろうか。そんな風に考える間も、彼女は視線をアトラスに向けていた。
ニュクスの視線にアトラスは戸惑う。彼にとって、この結婚にあるのは財を得るという価値。情のある相手では無いのだが、彼女の視線は男を落ち着かせないものだった。
アトラスはクリソテミスを愛している。それは変わる事の無い真実。
だが、ニュクスの美しさはたとえ作られたものだったとしても、他を圧倒するのだ。
「・・・ニュクス殿」
アトラスは自分を見つめる彼女を呼ぶ。変わらぬ視線が返された。
「我らは夫婦となる。支え合い、共に歩もう」
「・・・はい」
凛とした声。流石は長の娘だと彼は思った。だが、違うとも思う。彼が欲しいのは、この声じゃないのだ。