006
クスクスと笑う声がした。男とも女ともつかない、鈴の鳴るような声。ひどく美しい音色だが、ありありとした悪意と愉悦が満ちている。
そんな声を響かせながら現れた奴を、エルザたちは睨むように見つめた。
ふわりと浮かび上がる姿は、オーロラの如き髪をした黒人風の子供。華奢な体を包む踊り子衣装とアクセサリーは煌びやかで、しかしその輝きを霞ませてしまいそうなほど美しい顔をしている。
「やぁやぁ。灯り石で呼んだってことは、二人と合流できたみたいだねぇ?」
語りかける言葉は砕けているが、纏っているのは王族の気高さ。思わず跪いてしまいそうなほどの、威厳と圧力。
二人が向けてくる敵意の視線を物ともせず、邪神『ナルア・ヤークート・アスファル』はニッコリと言う。
「無様に這いずり惨めに死ななかったことを、賛美してあげるよ」
浩介たちを侮辱するような、傲慢で乾いた笑みを浮かべて。
「そんで浩介、僕に何か言いたいことある? いや、あるに決まってるか」
「……お前の性格の悪さにうんざりだけど、騙される俺も俺だな」
「お?」
青々とした瞳が、意外だとばかりに瞬く。
「ふーん……詐欺師だの嘘つきだの、イチャモンつけないんだ。どころか自分にも非があったと認めるとはね、精神面はちゃんとしてるっぽいね」
感心感心、などと嘯くそいつは、しかしどこかつまらなそうだ。
多分、そういうことを言ったりしたら、浩介に猛毒の言葉を容赦なく浴びせかけるつもりだったんだろう。
天使のような、微笑みと共に。
「まっ、喧しくないなら、それはそれで良いね。そんじゃ二人とも、今回も頑張りたまえよー」
ナルアはジャラジャラと腕輪をつけた手を振り、エルザたちに言う。
すると、白銀の女は邪神を見上げて尋ねた。
「今回は、ルールに変更点はあるか?」
「いや、まだないよ。浩介にはまだ能力つけてないから、彼の選んだ能力次第で変更する恐れはあるけど」
「ルール?」
エルザたちのやり取りに意味が分からず、浩介は首を傾げる。
「君たち異世界人を一人でも元の世界に帰せたら、他の異世界人全員も一緒に帰して、この二人の願いを叶える。そういう約束なんだよ。ルールって言うのは、その上で守って欲しい事項かな」
「こいつがつけた基本事項は『門を勝手に作らない』、『門を破壊してはいけない』、『門の探索者が死んだ場合は、新しい探索志願者が出るのを待つ』、『異世界人でない者に門を潜らせても無効である』の四つだ」
「場合によってルールを足したりするけど、基本はこの四つだけかな」
二人の説明で、浩介はエルザたちの言っていた目的の意味が分かった。二人は自分の願いを叶えてもらう代わりに、異世界人を助けているのだ。
理由が分かったと同時に、また疑問が湧く。
「てか、一人帰れたら他の奴らも帰れるんだ。あれ……? なのに、何で誰も帰れていないんだ?」
「邪魔する奴がいるからだ」
浩介に呟きに反応して、答えたのはシツだった。
「魔法を使って好き勝手してる異世界人・転生者と、そいつらを利用してる連中からすれば、一人でも帰られたら困るんだよ。だから邪魔してくるし、命だって奪ってくる」
「げっ……マジかよ」
「マジだよ。それに異世界人に酷い目に会わされた奴らが、そんなの許せるわけないしな。好き勝手した奴を逃がすくらいなら、この手で仕留めたい、って連中も大勢出てくるんだよ」
「それが原因で、帰還するのを諦めた異世界人は多い」
と、協力者である二人は盛大にため息をついた。
チート無双してる異世界人は元の世界になど戻りたくはないし、彼らを利用する者は異世界人という道具を手放したくない。異世界人による被害者は、加害者が罰せられることなく逃げてしまうことが許せない。
だから妨害し、殺害しようとする。そういうことのようだ。
「それに、途中で心変わりする奴もいるからね~」
落ち込む二人を見下ろし笑いながら、ナルアが語る。
「やっぱ蹂躙される側より、する側になりたいよね。だから、帰還を止めてチート無双しようとする奴もいるよ。まぁ、そう思った奴らは……君の目の前にいる二人に、ザクッと殺されたけどね」
「ひっ」
浩介は身を竦め、二人に「本当なのか」と視線を送る。違うと否定して欲しくて。
だがエルザは視線に肯定を示し、シツは目を逸らしながら言った。
「被害は、少しでも減らしておきたいんだよ。安心しろ。ただ身を隠して、ひっそり暮らしたいってだけなら、俺たちは止めないし殺さない」
「逆に言うと……蹂躙する側に立つというなら、容赦はしないって?」
「そうなるな」
浩介は、今更ながら二人と共に行動して良いものか不安になってきた。
「君にとって僕は味方であり敵である、って感じだけど~。それ、この二人に対しても当てはまるからね~」
邪神はニヤニヤ笑いながら、浩介の頬を撫でる。
一筋縄ではいかない旅になりそうだと、改めて思った。
……この危険な状況で、数少ない味方を変に疑っても無意味だ。例え裏切られると確信を得ても、浩介より実力が上の二人相手に逃げ切れるとは思えないし、どの道殺されてしまうだろう。
ナルアの言葉はどうあれ、今の浩介はエルザたちと行動するしかない。
そう決心した後、これからどうするのかを二人に尋ねた。
エルザが決めた方針は、異世界人の扱いに対して中立の国へ行くことだ。
協力者は、何人いても困らない。だからエルザたちは中立国に腰を据えてから、門を探すのが都合が良いと語った。
「……何で中立なんだ? 擁護してくれる国の方がいいだろ」
「その擁護というのは大抵が建前でね。賄賂といえるものと引換えに、異世界人を利用しようと考えている者が大半なんだ」
今浩介たちがいるのは、弱迫害傾向にあるエルゾレット国。その周辺にあるのは強擁護傾向のジュルジュリアとミリーシャゴ。ここより迫害傾向の強いランケークス、アルスエルナ。そして中立国のサンラエットにルーセイン。
「今から目指すのはサンラエットだ。ルーセインよりも力は強いし、アーベント教団という宗教団体が自主的に保護活動をしている。教団は、私達に協力してくれる数少ない味方だ」
たくさんの用語などが羅列する中、サンラエットの教団で保護してもらう、という重要そうな箇所だけを深く脳に刻み込む。
サンラエットはここから北西の方角で、旅券云々については既に文を飛ばしているから、関所につくころには旅券が発布されるらしい。
「そういうわけで、関所に着くまでは身を潜めつつ進む。鍛錬の類は、進みながら行っていくことになるが、それでも構わないかな?」
「なら、国についてから鍛錬をしたほうが良いんじゃないか?」
関所を早く潜って、国に入ってしまったほうが安全だ。なら鍛錬云々より進んだ方が良いようにも思えた。
だが、それは浅はかというものらしい。
「急ぎ過ぎたら不審に思われる。あの村での騒ぎは、それなりに他所にも広がるだろうからね。それに、途中で獣や盗賊に襲われた時、身を守れないと危険だ。安全性を考慮して、多少歩みが遅くなっても護身術くらいは覚えて欲しいんだ」
「なるほど……分かった」
「エルザちゃん側の説明は、それで終わった?」
相槌を打つ浩介の背後で、ナルアが退屈そうに呟く。実際退屈だったんだろう、奴は説明の間ぷかぷか煙管をふかしていた。
そんなナルアにシツは呆れた顔をし、エルザは渋面を作ってでナルアを一瞥すると、「ああ、好きに話せばいい」とだけ告げる。
「じゃあ次は僕の話といこうか」
「……! あ、あぁ」
「あはっ……そう怖がるなよ、どんな能力が欲しいかって聞くだけだろ?」
浩介の強張る顔を愉快そうにしながら、ナルアは可愛らしく小首を傾げる。
能力とは、チート能力のことだ。
原住民や他の異世界人と互角にやりあうには、強いチート能力が必要になるだろう。たとえルールが増えることになろうと、浩介は強力なチート能力を選ぼうと思っていた。
だがその前に、エルザが『副作用』のことを告げる。
「コウスケ、気をつけろ。奴のいう副作用は精神を害するものだ。多用し過ぎたり効果の強いものを選べば、たちまち廃人か狂人になる」
「えっ」
「あ、バラされた!」
「…………おいこら、お前」
彼女の言葉でポカンとしていた浩介は、その意味を何度も噛み締めた後、残念そうな顔をした邪神を睨みつける。
「副作用とだけ言って詳しく話さないと思ったら、そういうことかよっ」
「やだなぁ、その何もかんも隠し事してるみたいな言い方。ナルアさん、説明を求められたら、ちゃんと言うつもりだったし~」
それはつまり、ロクに聞かなければ言うつもりはなかったということだ。
トリップ前とは打って変わった対応に、こちらが本性なのだと理解する。……いや、性格の悪さは始めて会った時から現存していた。あの夢の中、奴を親切だと勘違いしていた自分を殴りたい。
綺麗な見た目と裏腹に、とんでもなく性悪で腹黒な愉快犯だ。
「ほんと、なんでこんなのに騙されたんだ……俺。『上手い話にゃ裏がある』って諺、そのままじゃないか!」
「騙される方が悪いとは言わないけど、チョロイぜとは言わせてもらうよ」
苦々しげに言いながら再び睨むと、謝るどころか鼻で笑われた。それはもう盛大に、嘲笑ってきた。
「殴りてぇ、このクソ神」
「ほざけ童貞、ニート予備軍。ほらほら、さっさと能力選んでよ。いつまでエルザちゃんたちと、この僕を待たせる気なの? いい加減にしないと、てきとーに役立たない能力与えるよ?」
「まじでイイ性格してるよ、こいつ!!」
俺様を地で行く邪神から目を逸らし、二人と相談する。
何度も異世界人を帰還させようとしていた二人は、少ないなれど選択出来る能力について知っていた。
「良いと思うのは防御系や探索系か……目視系だな」
「防御と探索はともかく、目視? 何で?」
「確か、あの門は目に見えない『魔法』の門だったはずだ。うすぼんやりとだが、そういう記憶があるが……シツ、合っているか?」
「ああ。この世界の魔術じゃ見つけられない、特殊な奴だった気がする」
マジであいつ性格悪い、と浩介は今更過ぎる感想を抱いた。
「けどそれなら、選択は一つだな。ナルア、門を探せる力か見れるようにする力をくれ」
「んー? 良いのかい、そんなので」
「ああ」
元の世界に帰るには、生きて門を潜らなければいけない。
生き残るためには戦い、防御を固める必要があるだろう。だが門を潜って帰るために、門を見つけられなければ意味がない。
色々と不安要素は出来てしまうが、まずは門を探し出せるようにするのが、浩介としては得策だと思った。
「つーわけだ、頼んだ」
「君、僕が考えを読むことを想定した上で、説明省くの止めなよ」
呆れたようにナルアはぼやくが、その時点で人の脳内を読めることをバラしているようなものだ。
「まぁ、その程度の力を与えるだけなら、ルールを追加する必要はないね。そんじゃまー、手間取るのもなんだし。ぱぱっといくよーん」
ナルアはのんびり返事したかと思うと、浩介の頭をわし掴んだ。
「いっ!?」
びっくりして見上げると、奴はブツブツとまた呪文のようなものを呟いている。夢の中のと同じようで違う、相変わらず意味不明な詠唱と共に、頭に何かが注がれていく感覚に陥った。
ズルズルと、ズルズルと。頭の中に何かが入っていく。
――――気持ちが悪い、気持ちが悪い、気味が悪い。
まるで数百の虫が、頭の中を這いずっているかのような感覚。全身を駆け巡る怖気に叫びそうになったが、すぐさま手を放されるとその感覚は消えた。
不思議なくらい、もう跡形もなくなっている。
「終わったよーん。使う時は、脳裏で真実が見たいと思えば良いから。口に出す必要はないよ」
「……そんだけ?」
「うん。しょぼい代わりに副作用がほとんどない、お手ごろ魔法だから」
その後、邪神は簡単に説明を始めた。
ナルアが浩介に与えたのは、真実を見つめる力だという。
それを使えば『見えないものが見えるように』なり、『見えてはいけないものが見えなく』なる。ただし、使用者自身にしか効果を発揮しないようだ。
試しに使ってみると、今まで見えなかったような奇妙な物が視界に映る。
「これ、なんだ?」
「火の玉っぽいのは死人の魂、光ってる蛍もどきは下位精霊だよ」
当然ながら門は見えなかったが、それ以外のものも見れるようだ。不可視のものを目視可能になる、という能力といったところだ。
貰った力を確認し終えると、シツが感嘆の吐息を零すのが聞こえた。
「とんでもないな、その力」
「ん? どういうことだ?」
「精霊って確か、精霊使いか一握りの上級魔術士にしか見れないはずだ。この世界に来たばかりの奴が、それを見れるようになるって相当凄いことだぞ」
「マジでか……これで『しょぼい』って、他にはどんなのがあるんだよ?」
「えぇーっと、何があったっけ……?」
「おい、まさか覚えてないのかよ」
「うっさいな。僕は使える奴は数あり過ぎて、ちょっと忘れてるだけだっての! 僕でもそういうことあるんだからな!!」
噛み付くように反論すると、ナルアは指折りながら数え始める。
「確か洗脳とか、魅了とか、攻撃を逸らしたり、逆に命中させるようにしたり。あと魂ごと殺したり、魂を保護したり。精神を取り替えたり、臓器を交換したり。不老不死になったり、死者を蘇生したり、生きたままゾンビに変えたり、天候を操ったり。時空や次元も超えたり出来るし、あと……」
「うん、もういい。お前がとんでもないのだけは分かったわ」
数え出したらキリがない上、予想外すぎる力に浩介は薄ら寒いものを覚えていた。挙げられていく魔法の内容に、エルザやシツすら唖然としている。
異世界人が調子に乗った理由が、判明した。――――そんなドチートを貰ったら、そりゃ好き放題するようにもなるってもんだ。
「んなもんをポンッと与えられるとか、お前……ほんとに神様なんだな」
「うふふっ、伊達や酔狂で呼ばれてないっての!」
脱力しきった浩介と対照的に、ナルアは明るく答えて胸を張る。
先ほどから浮かべていたのとは全く違う、褒められたことを純粋に喜ぶ笑顔だった。見た目は容姿端麗な子供だけに、無邪気で愛らしいと素直に思えた。
なんで、こんなに性格が悪くなったんだろう。生来のものか、性根が歪むだけのことがあったのか。そのあたりが少々気になるが、まあいい。
「やるべきことは決まった」
あとは何とか進んでいかないと、と両手を握り合わせて浩介は呟く。
――――絶対に生き残って、元の世界に帰ってやる。
それが、自分のためにも、この世界のためにもなるのだ。