005
目が覚めると、殺風景な小屋で寝かされていた。
家具もインテリアもほとんどなく、寒々しいまでに物を置いていない。家というにも寂しい、ただ身を潜めて休むことだけを目的にしたような小屋だ。
ここは一体どこだろうと思っていると、声をかけられる。
「目が覚めたようだね」
やや低めの、凛とした女の声だ。
「傷は手当した。もう痛くはないはずだ」
起き上がると、扉のすぐそばに白と銀の女が佇んでいた。
糸のように白い長髪、銀色の瞳、白い肌。顔立ちは整っているが、抜き身の刃めいた雰囲気のせいで近寄り難い美女だ。引き締まった体を洒落っ気のない旅着と外套で包み、腰に細身の剣を吊っている。
「あ、あんたは?」
「あまり名を広めたくはないが、君には名乗っておこうか」
彼女は、男物のペンダントが下がる胸元に手を添えながら、言う。
「私はエルザ、傭兵だ。傭兵内では『銀眼の魔女』などと呼ばれているよ」
「お、俺は浩介だ」
「そうか、コウスケ。で、そっちにいるのがシツだ」
すい、っとエルザがほっそりとした指で指し示す方向を見ると、彼女とは対照的に黒尽くめの少年が立っていた。
彼は少女めいた顔を赤い襟巻きで半ば隠したまま、浩介に言う。
「災難だったな。まぁ、異世界人のスタートは最近じゃこんなもんだ」
「あ……」
その言葉で、浩介は昨夜と早朝のことを――――村人と、クリスに殺されかけたことを思い出す。
隠すことなく向けられた、殺意と憎悪。たった一夜の内に嫌というほど感じた恐怖から、自身の肩を抱き締める。
「な、なんで、あんな目に」
「全ての原因は、君を唆した邪神にある」
白銀の女はその色に違わない、冴え冴えとした冷たい瞳を浩介に向ける。
「薄々感づいているだろう? ナルア・ヤークート・アスファルは、君のためを思って君をこの世界に送ったんじゃないと」
問われた浩介は俯くと、黙り込んだ。
村人たちに襲われた後から、気づいていた。ナルアがあの現状を面白がっていたことで、浩介が死の恐怖に震えながら逃げ惑う様を楽しんでいたことで。
だが、認めたくはなかった――――自分が騙されていたなんて。
あんな子供みたいな外見の奴に弄ばれていたことを認めたくはなかったが、村人たちやクリスの様子を見た後では、認めざるをえない。
「……あいつは、これが最初から目的だったんだな」
現実世界に適応しきれない、欲求を持て余した人間。彼らの夢に現れ、甘い言葉を投げかけて、言葉巧みに誘導し、異世界に来るよう仕向けて――――。
何も知らぬ異世界人が原住民と争い、逃げ惑い、殺し合い、死ぬまでの過程を『愉しむ』。
そのために、自分達を連れて来ているのだと。
それを認識せざるを、得なかった。
「……異世界人は、この世界では亜人を凌ぐほどの差別対象だ。あの村はまだ小さいから、あの程度で済んだが……首都ではもっと面倒なことになる」
「あれで……あれで、まだマシな方なのかよ……!?」
「異世界人を忌み嫌う国だと、その血を継ぐ者も身内も全て処刑対象だ。拷問されて、財産も奪われて、今まで一緒にいたものから罵声を浴びながら処刑される。異世界人の亜種である『転生者』を生んでしまった親は、一目散に我が子を殺すよ。そうしないと、自分も処刑されてしまうからね」
静かに告げられた内容に、全身から血が抜けていくような恐怖を覚える。それほどまでに嫌われているなんて、予想だにしていなかった。
「そ、それってナルアのせいだよな? 俺たちが悪いわけじゃないよな? だって俺たちをここに連れて来たのって、あいつだろ。なのに何であいつじゃなく、俺たちが憎まれることになるんだよ!?」
浩介は、自分達は悪くないと言って欲しかった。
自分達は被害者だ。この世界で異世界人がどう思われているのか、ナルアは話さなかった。想像していなかった状況の世界に放り出された、被害者の一人なのだと言って欲しかった。
だが、どちらも浩介の望む答えを口にはしなかった。
「……あの邪神は、ただ連れて来るだけだ。君は、奴に何かをしろと命じられたわけじゃないだろ?」
「そうだけど……」
「だから、お前らが恨まれる結果になったんだ」
二人の話にするりと、シツが入ってくる。
「あいつは、妙な力を与えて異世界人を連れて来るが、それだけみたいだ。命令したり、脅したり、操ったりはしてない。……人に恨まれるようなことをしたのは全部、お前ら異世界人の意思だ」
「いや、でも」
「大体な」
ジロッと少年の黒瞳が、浩介の胸元へと注がれる。
嫌悪と軽蔑の入り混じる眼をしていた。
「お前、あいつの紋章がついていただろ?」
「え? そうだけど、それが一体何だよ?」
「どういうポリシーかは知らないが、あいつは異世界人を無理矢理つれて来たりはしないんだ。名誉欲だの性欲だの持て余して、自分の意志でこの世界に来ることを望んだ奴にだけ紋章を刻む。――――つまり、好き勝手な行動はお前らが自分の意志でしてることなんだよ」
「あ……」
クリスの話を、思い出す。
彼女は言っていた、友達と家族を奪ったのは異世界人だと。
異世界人を連れて来た元凶より、元凶から借りた力を我が物顔で使っている異世界人の方が憎いと。
それはきっと、異世界人が神に与えられたチートで好き放題するからだ。
「こっちを見下して、蹂躙してくる奴が嫌われるのは、当たり前だろうが」
シツの軽蔑しきった声に、言葉が詰まる。
確かにその通りだ。浩介は、ナルアの話を聞いた上で頷いた。来たくないのかどうかと聞かれた時、躊躇いなく是と答えた。
チートで無双したいから、ハーレムを形成してみたいから、甘い汁が吸いたいから、とにかく良い思いをしたいから……。
そんな理由で唆された奴が被害者面しても、憐れんでもらえるわけがない。
むしろ――――ふざけるな、と言われるだろう。
原住民を、己の欲求を満たす道具と見ていたのだから。
「……まぁ、そういうわけで。この世界は君たちには優しくない」
シツの視線を遮るように、エルザが浩介の前に立つ。
「ナルアから借りた力で自身の地位を築く者もいるが、大抵は見つからないように息を潜め細々と暮らしている。正体がバレれば罵声を浴びせられ、残飯や汚水を掛けられ、親交関係もほとんど失い、挙句に命を奪われるのだからね」
胸元の痣を見られたり、原住民にとって妙な言動さえしなければ、なんとか誤魔化せるのだという。
「だが私たちとしては、君たちは元の世界に帰るべきだと思う。それが一番の解決策だ、双方のためになる」
「まぁ、確かにそうだろうな……けど」
元の世界に帰る方法は、たった一つだけ用意された門を潜ること。門を潜れば帰ることが出来る。
だがそれがどこにあるのかは、全く分からない。
おそらく誰も居場所が分かっておらず、誰一人として門を見つけられていないのだ。命の危険すらあるのに、異世界人が身を隠しながらでもこの世界にいるのは、多分そのせいだ。
「だから、私達が協力する」
「え?」
「お前が元の世界に帰れるよう、手を貸すってことだ」
「ナルアから聞かなかったかい? 君に、味方がいると」
「あ……」
そう言われて、浩介は昨夜の『強い味方』という言葉を思い出す。
あの時はすぐさま現れたクリスがそうなのだと思っていた。だが、実際はこの二人だったというのだろうか。
実際、二人にはクリスから助けてもらっているが、簡単には信じられそうにはなかった。二度も騙されていたから、三度目はあるかもと思うのだ。
「なんで、俺の……異世界人の味方になってくれるんだ?」
「好きでしてるわけじゃない」
尋ねると、不機嫌にシツが吐き捨てる。
「姉さんが言ってただろ。こっちにも目的がある、その目的のためにお前の味方をすることになったんだ」
「互いが互いを利用する、必要性があるだけのことだよ」
返って来た理由は、打算的で優しくはなかった。
だが打算的だからこそ、信頼しても良い気がしてきた。
「分かった。俺はあんたたちを利用して、元の世界に帰る。代わりに、俺を利用すれば良い」
挑戦的な視線になったが、それに寧ろ二人は好感が抱いたらしい。
「ああ。君を利用するためにも、私達は君を守る」
「だから、お前も俺たちを利用しろ」
そうして、浩介は二人の仲間を得た。
「そのままじゃ駄目だろうから、これに着替えると良い」
そういってエルザは、丈夫そうな衣服を手渡してきた。浩介が寝ている間か、それ以前に装備を用意していたらしい。
詰襟のインナーとシャツに、フードのついた上着。下は革のパンツで、肘まで覆う手袋とロングブーツがついている他、必要最低限といった感じに革の防具がある。防御そのものより動きやすさと軽さを重視しているのだろう。
「私は外に出ておくから、着替えたら呼んでくれ」
言いながら、エルザは扉を開けて出て行った。
さて着替えようかとシャツに手をかけようとした浩介は、もう一人の人物が出て行っていないことに気が付き、つい訝しげに見てしまった。
「おい、シツ……だっけ? 何でまだいるんだ?」
尋ねれると、「するべきことがあるから」と彼は答えた。
「上は脱いだら、ちょっと着るのを待て」
「はぁ?」
首を傾げながらも、言うとおり上半身裸になる。
シツは小手から筆と四角形の布を取り出すと、布に何やら書き始めた。筆の墨は特殊な染料を使っているのか、布地に染みて滲んだりはしなかった。だが浩介の世界とは違う文字のせいか、シツが達筆過ぎるせいか、何が書かれているのかサッパリ分からない。
「よし、出来た」
文字を書き終えた布は、小さい。胸の刻印を隠せる程度の大きさだ。
シツはそれを手に取り、浩介の胸元に貼り付けた。
すると布が一瞬光ったかと思うと、浩介の皮膚に張り付き、変化する。白い布も、びっしりと書き込まれた黒い文字も、黄色みを帯びた肌色になる。肌に同化してしまったのだ。触ってみても、布っぽい感触がしない。
「水に濡れたら流石に退くからな。毎日替える必要があるが、替えるところを見られない限りバレる確率は下がる」
「これ、クリス……が使ってた魔術みたいなもんか」
「俺のは呪術だ。直接攻撃には向かない」
「呪術?」
首を傾げると、彼は淡々と説明した。
シツ曰く、この世界では魔力をそのまま攻撃力に変えるのを『魔術』、物などに魔力を刻み込んで特殊な力を与えるのを『呪術』と区別しているらしい。
「ちなみに、異世界人が使うチートとかいうのは、俺たちは『魔法』と呼んでる。この世界のものじゃない、邪神から与えられた規格外の力だ。イカサマ、インチキって呼ぶ奴もいるな」
「イカサマ、か……。確かに、チートって元はそういう意味だっけか」
シツの言葉に、浩介はインターネットの百科事典にあった内容を思い出す。
反則、イカサマ、ズル。元はそういった行為を、チートと呼ぶらしい。
それを異世界人は、『最強』という意味で使って胸を張る。……これも、嫌われる要因の一つなんだろうな、と自嘲げに思った。
他者から与えられた借り物を我が物顔で使って、偉そうにしているのだ。好かれるわけがない。
「それと、武器な」
黒装束の少年は、小さめの片手剣を浩介によこす。汚れも錆もないから、多分新品だ。
「剣は一応持たせとくし最低限の戦術は教えるが、無理に戦う必要はない。お前は身を守ることに専念しろ」
「え、でも」
「どうせ、争いとは無縁の世界で生きてたんだろ? ……例え一回だろうが、人を殺したらお前は後悔するぞ」
悔いなく元の世界に帰りたいなら、無茶はしなくていい。
時に相手を傷つける必要に駆られることはあっても、浩介がトドメを刺す必要はない。誰かを殺す場合は、エルザかシツが行う。
それが、二人の意見らしい。
「……分かった」
原住民の二人にだけ手を汚させる罪悪感はあったが、それ以上に手を汚さなくて済むことに安堵する自分がいた。
与えられた鋼の剣は、見た目より重かった。鉈より重い。全部、金属製だからというだけではないと思う。薪を割るためでなく、何かを、誰かを斬る為の武器だからだ。
これでもし人を殺せば、この刃はもっと重くなるんだろうな。と思いつつ、浩介はそれを剣帯に吊るした。
「サイズは問題なさそうだな。……動かしにくいとかないか?」
「特にはないな」
「そうか、じゃあ姉さんを呼んでくる」
着替え終えた浩介を見て、直接聞いて確認を取り終えたシツは、音も立てずに出て行った。
数分もせぬ間に、エルザを連れて戻ってくる。
「それじゃあ、最後はこれだ」
言いながら手渡されるのは、穴を空けて紐を通した石。
「その石、なんだ?」
「灯り石だ。蝋燭の炎とまったく同質の灯りを灯すが、熱は発しない。旅人や商人が重宝しているし……この石を使ってもナルアと会話出来る」
最初の説明をふむふむと聞いていた浩介は、後に続いた言葉に身が強張る。
全てを知った後で、あの美しくおぞましい人外と喋れというのだろうか。
「ナルアは元凶であり敵だが、困ったことに味方でもある。奴と折り合いをつけられないと、困ることが多い」
「力を借りすぎても問題だが、距離を取りすぎても面倒になるんだ。気持ちは分かるが、元の世界に帰るまでに生き残るには奴の協力も必要なんだよ」
そこまで言われると、拒絶するわけにもいかない。
「……ナルア、聞こえてるか?」
浩介は蝋燭に似た光が揺らめく石を見つめ、恐る恐る話しかけた。