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帰還への扉  作者: 藍園露草
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004

 逃げて逃げて逃げ続け、いつしか森林の中に迷い込んでいた。

 だがそのお陰で、浩介は村人たちから逃げ切ることが出来たらしい。近くに人影や明かりは見えず、ほっと息をついた。

「安心するのはまだ早いよー?」

 愉快そうな、高くも低くもない声音。

 刺青の子供は口に煙管を咥え、くるりと宙で回転しながら声をかけてくる。

「夜は魔物が活性化する時間帯だし、村人たちが追いかけてくる可能性だってある。数と力じゃ、完全に君のほうが負けてるからね。ささっと逃げてしまわないと、魔女狩りみたいな展開になるよ」

「そんなん、分かってる……つのっ。ぐっ……」

「あーらら、痛そうだね?」

 ジワリと血と痛みが滲んでくる左手を押さえ、呻く。子供のナリをした神はそんな浩介をニヤニヤと、煙を吐きながら見下ろしていた。

「いひひひ、君はあとどれくらい持つだろうねー?」

「っ、お前……ふざけやがって」

 心から面白がっている奴を、忌々しい気持ちで睨み付ける。

 だが奴は「こわーい」などと言いながら、おどけるばかりだ。この危機的状況から浩介を助けようとは、欠片も思ってないだろう。

「まぁまぁ、そう怒んなって。僕は預言してあげる、もう少ししたら君を助けてくれる強い味方がくることをね」

「強い味方……?」

「目的のためなら手段を選ばない、愚かしくて愛おしい子だよ」

 それだけを告げると、ナルアは姿を消した。

 蝋燭の炎で話が出来るとはいえ、しょっちゅう浩介の前に現れるわけではない。この世界には奴が連れて来た異世界人が複数人いて、そいつらも同じようにナルアに話しかけてくる。美し過ぎる人外は、そんな彼らの元に順番に足を――――この場合は意識をだろうか――――運んでいるようだった。

 ともかく、これで浩介は完全に一人になった。

「味方って誰だろ……気になるけど、これから本当にどうするかだな」

 夜の森は深く、不気味だ。何が出てくるか分からないし、土地勘のない浩介が歩き回るには危険過ぎる。

 だがここで待っていても、村人がやって来るだけだ。かといってやはり動いても、魔物の餌食になりかねない。

「まじで、これ、詰んでる……!!」

 頭を抱えて呻きたくなった、その時だ。

 がさ、と茂みを掻き分けて此方に向かって来る音がした。

 村人が来たのか、と浩介は鉈を手に身構えた。

 だが茂みから現れた小柄な姿に、思わず力が抜ける。

「コウスケさん!」

「……! クリス?」

 現れたのは、昼に出会った魔術士の少女クリスだった。今まで寝ていたのだろうか、昼間括っていた髪は下ろされ赤茶の髪が背を流れている。格好も寝巻きのような簡素なワンピースの上に旅着を羽織った状態で、荷袋と長い杖を握っている。

「良かった、クリスか」

「それはこっちの台詞よ! もう、一体何が……」

 眉尻を下げながら近づこうとしていた彼女は、何かに気づくと急に立ち止まった。そして後ずさりし始める。

「く、クリス?」

「あ、あの……怖いからそれ、捨ててくれません?」

「それ? ……あ」

 クリスの怯えの混じった眼は、手の鉈に釘付けだった。確かに怖い。

 慌てて放り捨てると、彼女はホッと息をついて歩み寄ってくる。

「それで、一体何があったの? 村全体が、大騒ぎになっているんだけど」

 熊か何か出たの? と、彼女は困惑の表情で浩介に尋ねてくる。村人達とは違うその様子に、思わず安堵した。

 安堵したら、緊張が解けて左手に痛みが走った。

「……ぃっつ……ぅ」

「コウスケさん?」

 左手を押さえ、浩介は耐えるように顔を歪めて嗚咽を漏らす。その姿を、怪訝そうにクリスは見つめる。

 と、血の滲む包帯に気がついた彼女は、一瞬だけ息を呑んだ。

「手が貫通して、嘘……やだ、その怪我、一体何が……!?」

「それが」

 説明すべきかどうか悩んでいると、まだ離れたところから沢山の明かりが見えた。明かりはこちらに近づいてきており、朧な人影と農具の姿が徐々に浮かび上がってくる。

 村人たちが森にやって来たのだ。

「げっ……」

 顔を引き攣らせて後ずさると、クリスはそれで何か察したらしい。

 察した彼女の行動は、迅速だった。

「コウスケさん、こっちに!」

 彼女は浩介の手を引き、森の奥へと走っていく。

 そして早口で何かを口ずさむと、杖の水晶に解読不明の文字が浮かんで踊り狂い、そこから紫色の霧が生まれた。

「うわ、何だこれ?」

「幻覚作用のある霧よ、少しの間だけど目くらましにはなるわ」

 クリスは感嘆に説明すると、そのまま森を駆けていく。何度も森の中に入っている彼女は、森を熟知していた。魔物の歩く道や縄張りを避けつつ、外へと走っていく。

 少女の白い手が、しっかりと浩介の手を握り締める。その力強さに安心感を覚えた。

 そして同時に思う。

 ナルアの言っていた『強い味方』とは、クリスのことなのだろうかと。



「ここまで来たら追って来ないと思いますよ、多分」

「た、助かった……」

 恐怖で力んでいたものが抜け、ヘナヘナと腰から崩れるように座り込む。

 すでに夜が明け、闇色の空に淡い青が溶け込んできていた。光に照らされ星は輝きを失い、煌く姿を消していく。

「傷はお医者さんに診せたほうが良いでしょうね。菌が入って化膿する可能性も、なくはないから」

 そう言いながら、クリスは必要のなくなったキャンドルの明かりを消す。ひゅぅ、と吹きかける息の音がした後、炎は風に揺さ振られて無くなった。

「足が痛ぇ」

 短剣を地面に投げ出し、豆粒だらけの足の裏を擦りならが呟く。

 散々な夜だった、と思うと同時に浩介の脳内に疑問が浮かんだ。

「何であの人たち、俺を殺そうとしてたんだろ……」

「異世界人、だからじゃないですか?」

 クリスの口からもその単語が出たとき、ビクッと肩が跳ねる。

「な、何でその呼び方を……」

「村の人たちが、怒鳴るように言ってたんです。『異世界人を殺せ!』って。私その声で叩き起こされたから、やけに印象に残って」

 クリスは「ぐっすり寝てたのに、最悪」とぼやきながら目を擦る。

「そんな、何で異世界人をそんなに恨んでるだよ、あの村」

「どうしてって、大事なものを奪われたからじゃない?」

 理不尽だとばかりに呟くと、彼女はそう言った。

「この世界に時々現れる異世界人は、見たこともないような技術と卑怯なくらいの力で色んな国を豊かにしてきたの。でもその反面、彼らのせいで苦しむ人も沢山いたわ」

「異世界人のせいで、苦しむ……?」

「小さなものだと、異世界人の商売のお陰で客が取れずにお店が潰れたり、職を失ったりする人が結構多いわ。他には貴族が没落したり、追放されたり、一家郎党皆殺しになったり……」

「そ、そんなまさか」

「本当のことよ、コウスケさん(・・・・・・)

 頬を引き攣らせる浩介に向ける声は、身を切り裂くように鋭かった。

 あまりにも冷たい声音に言葉を失っている間も、彼女は続ける。

「どんな理由があろうが、関係ない。真実かどうかも気にしない。異世界人は自身の敵には容赦がないの。彼らは見たこともない力と兵器で、原住民と戦って、勝っていったわ。そうして貴族は潰されて、土地は荒らされて、国が滅ぼされた」

「…………? クリス?」

「知ってる? 異世界人ってね、奴隷が好きなの。顔の整った綺麗な奴隷で、エルフとかアニマみたいな亜人が特にね。だからよく売れるんですって。よく売れるから、亜人の居住区にはよく奴隷商人が来るんですって」

「く、クリス……?」

「私の友達も亜人でね……奴隷にされて、異世界人の所に売られたわ」

 何とか解放してもらおうとしたけど無駄で、助けられなかった。と、杖を撫でながらクリスは続ける。

「最後は、路上に捨てられて死んでいたらしいわ……暴行の後が沢山あったらしいわ。結局、お墓に花を添えることしか、私には出来なかった」

 名を呼ぶ浩介を無視して語る彼女の声は、感情が抜け落ちて平坦だった。

「異世界人は、私から友達を奪った」

「クリス……」

「それだけじゃない。異世界人は、私から家族も奪ったわ」

 杖の下側を撫でるようにしながら、彼女は語る。

「私には兄がいたの。優しい穏やかな気性の人で、婚約者がいたわ。でもその婚約者は兄様が嫌いだったの。兄様を嫌う彼女は異世界人に一目惚れすると、兄様を排除するように異世界人を操ったの」

 表情の死んだ顔で、少女は言う。

「兄様はあんな女に悪し様に言われて良い人じゃない。お父様は不正なんてしていない、民を虐げてなんていない。なのに異世界人は、あの美人で性悪な彼女の言葉を信じたわ。作り物の嘘の涙を信じたの。出鱈目の不正、改竄された報告書、偽りの民の言葉を何一つ疑わなかった」

 淡々と、事務のようにクリスは言う。

 平坦な声には感情がなかったが、それが恐ろしいと感じた。

「そうして家は潰されたわ。お父様たちは処刑され、財産は全て奪われた。使用人たちも職を失って、路頭を迷っているそうよ。新しい領主になった異世界人は色情狂いの暴君で、彼女の……兄様の婚約者だった女が贅沢するために税金を搾りとっている。おかげで皆、木の根を齧っても足りないくらい飢えに喘いでいるんですって。逃げた私が傭兵として稼いで寄付してるお金だって、きっと横領されて、あの女が贅沢するために使われてるんでしょうね」

 感情の読み取れない声は、強すぎる憎悪と怒りゆえのものだと分かった。

 そんな彼女を哀れに思うと同時に、恐ろしいとも思った。彼女の能面のような横顔からは、同年代とは思えないほどの静かな狂気を感じる。

 浩介は、彼女から離れた方が良いと思った。

 逃げないと。

 そう思って後ずさろうとした――――次の瞬間、右太腿を細く真っ直ぐとした刀身が貫いた。

「が……ぁっ」

私は(・・)異世界人が憎い(・・・・・・・)

 レイピアのような刃は、クリスの握る杖から出ていた。金属製の杖の下半分が取れて、鋭い白刃を露にしている。

「杖だと思っていたのが剣で、驚いた?」

 と、尋ねる彼女はようやく笑った。

 口端を吊り上げるようにして微笑んでいるが、眼はまるで笑っていない。

「驚くでしょうね。女一人じゃ危険だから、こうして刃物を仕込むようにしているの。特にコレ(・・)は、結構不意をつけるからお気に入り」

「ぐ、くぅ……っ!」

 先ほどの杖を撫でるような仕草は、仕込み杖の鞘抜く動作だったらしい。ちゃんと見ていれば分かっただろうに、気づかなかった自分を情けなく思った。

「それにしても馬鹿ね、短剣を地面に置いておくなんて。ちゃんと腰に吊るなり、帯に挟むなりして持っていれば良かったのに」

 確かにその通りだ。なんで放置していたんだろう。自分の馬鹿さ加減が、イラつくを通り越して笑えてくる。

 だが、自嘲の笑みすら浮かべられなかった。

「コウスケさん、村の人たちに異世界人だとバレたことが不思議に思ってましたよね? バレた理由、簡単よ。私が教えたんだから」

「な……!?」

 にっこりと暴露されたその内容に、浩介は目を見開く。

「おま、え、最初から……?!」

「確信はしてなかったけど。でも服装とか変わっているし、『ギルド』だの『冒険者』だの言うのは、大抵が異世界人だから。ほら、村に来てすぐ私がお爺さんと話してましたよね? あの時に言ったの」

「そ、んな」

 全て仕組まれていたのだと知り、愕然とする。

 何もかもが計算付くだった。村人から助けたのは、味方と思わせて油断させるため。鉈を捨てるように言ったのは、身を守る手段を奪うため。先ほど蝋燭の炎を消したのは、ナルアを呼ばせないためのものだ。

 手の内で踊らされていたと知り、絶望感がじわじわと滲み出てくる。

 そんな浩介を見下ろして、クリスはくすくすと笑った。

「うふふ。すぐ傍で告げ口してたのに気づかないなんて、本当に自分の欲を満たすことだけを考えてたのかしら?」

 ゴミ屑を見るような眼差しだった。

「本当、だから嫌いよ。異世界人(あなたたち)なんて」

 言いながら、彼女は袖の中で手を丸める。

 すると、するりと短剣が彼女の手の内に収まった。それを鞘から抜くと、クリスは腹を踏みつけるようにして浩介から自由を奪う。

「さようなら。貴方が異世界人でなければ良かったのに」

 クリスは感情のない声で言うと、短剣を構える。

 もう駄目だ、と浩介は目を閉じた。


「ちょっと待ってもらおうか」


 凛々しい女性の声と、金属のかちかう音。

 覚悟していた衝撃と痛みは、いつまで経ってもこなかった。

「え?」

 どういうことかと思いながら、恐る恐る目を開く。

「だ、誰よ貴方……!?」

「名はあまり名乗りたくない。とりあえず、『銀眼の魔女』という渾名だけ名乗っておくとするよ」

「きゃあ!!」

 クリスの裏返った声は、突如現れた白尽くめの女に向けられている。彼女は握り締めた細剣で短い刃を弾くと、クリスを蹴った。

 彼女がくるりと振り向くと、切れ長い銀色の瞳と凛々しげな顔と対面する。突然現れた女に呆然としていると、太腿に刺さっていた刃が引き抜かれた。

「いてっ」

「動けるか?」

「あ、う……」

 あ、うん。と頷こうとしたのに、痛みが言葉を遮る。

 白金の長髪を結い上げた女は、太腿と左手にある傷と浩介の疲労の具合を観察すると、一つ頷く。

「君の場合は無理そうだな……シツ、ちょっと引っ張ってやってくれ」

「了解」

 少年の声が聞こえた、と思った瞬間、浩介の体に鎖が巻きついた。

「え? ――――うぎゃっ!?」

 勢い良く鎖が引っ張られ、体が宙に浮かぶ。

 驚いて硬直していると、鎖に囚われた体が傍にあった岩の裏に引き摺り込まれた。地面に激突するかと思ったが、舞い上がった風に受け止められる。

「やっぱ黒髪黒目か。異世界人って、俺の国の奴みたいな見た目が多いな」

「へ、ぇ……?」

 まじまじとこちらを眺めてくる、ナルアほどではないが中性的に整った顔。左目の泣き黒子と三つ編みにした長髪が特徴的な少年は、赤い襟巻きに裾長い忍び装束という出で立ちだった。華奢と入れるくらい細身の体躯に、不釣合いなほど厳つい小手を嵌めている。

 何で西洋風の異世界に忍者が、と思っていると甲高い怒鳴り声と冷たいほどに静かな声が聞こえた。

「どうして邪魔をするの!?」

「邪魔をするつもりはないよ。だが、私達にも目的というものがあってね」

「コウスケさんをこっちに渡して。彼は異世界人よ!」

「君は異世界人を憎んでるようだが、彼はここに来たばかりだろう? 君の復讐の対象にはなり得ない」

「関係ないわ!!」

「君のしていることは八つ当たりだ。野良犬に噛まれたからと、そこらにいる犬を殴っているのと変わらない」

「っ……うるさい、うるさい! 邪魔しないで!!」

 犬扱いは酷くないか、と内心で抗議していたら、クリスが癇癪を起こしたように喚き出す。

 そんな彼女を諭すように、女は静かに続けた。

「君は勘違いしている。君が本当の意味で憎むべきなのは異世界人じゃない、彼らを唆して連れて来た元凶だ」

「でも甘言に乗って好き放題してるのは異世界人じゃない! 私は元凶より、元凶から借りた力を我が物顔で使ってる彼らの方が憎い!!」

「っ……」

 クリスの言葉に、心臓を握りこまれたような苦痛を感じた。

 同い年くらいの、可憐な少女。彼女からは怒りと憎悪と悲しみを感じた。大事な者を幾度と奪われてきた、やりきれない感情を持て余した復讐者。

 その眼差しの強さは、岩越しからでも嫌というほど伝わってくる。

「気持ちは、まぁ、分からなくもないんだけどな……」

 シツと呼ばれた少年は肩を竦めて嘆息すると、白尽くめの女に声をかける。

「姉さん、話し合いは無駄だ。さっさと逃げよう」

「そうだな」

 女は軽やかに跳ぶと、二人のいる岩の方まで走ってくる。

「隠れ家に行く。酔うかもしれないが吐かないでくれよ」

「え……うわっ」

 女は浩介の腕を引っ張ったかと思うと、軽々と担いだ。

 それを確認した少年は手に嵌めた小手を開き、黒い掌大の球体を取り出す。それをクリスのいる方へ投げると、森の中でクリスが使ったときの霧と良く似た紫色の煙が立ち込めた。

「今の内に行こう」

「了解」

 二人は煙が消えない内に、足早に立ち去っていく。

 揺さ振られて気分が悪くなったが、それ以上に痛くて眠い。

 疲労とそれによりカサ増しされた眠気がピークに達し、浩介は気絶するように眠りについた。


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