001
深々とした森のとある一辺に、切り刻まれた人体が転がっていた。
若々しい緑の中で己を主張するように、ぶちまけられた血肉と臓物が地面を赤く染め上げている。血の海の中心にゴロリと浮かぶ亡骸は、鉄錆じみた生々しい匂いを湯気とともに上げていた。
静けさの染み入る森の風景を一変させる、凄惨な情景。この現状を作り上げた張本人は涼しい顔で、細身の白刃を右手に提げていた。
「て、てめぇ……っ」
傷だらけの左腕を握りながら、盗賊は細剣の使い手である女を睨む。
母胎に色素でも置いてきたかのように、白い女だった。後頭部で結い上げた髪は、白に限りなく近いプラチナブロンド。整った顔の中央に嵌った目は二十歳程の女性にしては鋭く、剣呑としている。
「さて、もう残るは君たち三人だけだね」
白と銀の外套を揺らせながら、女は剣を持つ手を振るった。左から右へと軽く一閃。ただそれだけで、前に立つ仲間の首が胴体から泣き分かれる。
「そして、これで二人になった」
ぶん、と血を振るい落としながら女は一歩踏み出す。
一歩一歩、ジリジリと、近づいていく。
男への死刑宣告が、ゆったりとだが確実に、行われていく。
「う、うわあああああああああああああああああああああああああああ!!」
「……く、くそがぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
数人の仲間を死体に変えた女に、勝てるわけがない。それを理解している男たちの内一人が逃げ出そうとする。彼女はその背を向けた男に接近し、撫で斬りにして紅を新たに散らせる。
そしてもう一人は自棄を起こし、短剣を前へと突き出し突進を始めていた。女が自分から歩み寄ってきていたのもあり、両者の距離は一気に縮まる。
勝てないならせめて、道連れにしてやる。男の血走った目からはそんな思いが浮かんでいる。それを一瞥して察した女は呆れたように眉を潜めると、視線を背後にやって、身を左へ逸らした。
それは男の特攻を避けるため、だけではない。
「げふっ!?」
三日月の刃が突き刺さった喉首から噴出す血を、浴びないためだ。
投擲された鎌の柄には、艶消しされた黒い鎖が繋がっている。一本の樹木の上から伸びた鎖がピンと延ばされ、男の喉笛がら引き抜かれる。抉るように広げられた傷口から、赤い水が噴出した後、彼は前のめりに倒れ伏した。
「姉さん」
「……シツか」
忍び鎌が吸い込まれていった木から、細身の少年が姿を表す。音を立てずに地面に降りたそいつは、女と対照的に黒々とした身なりをしていた。
三つ編みにされた長髪と、東方風の装束。華奢な体躯に似合わない無骨な小手を嵌め、少女めいた顔を緋色の襟巻きで半ば隠している。その姿は、東の島国にいる暗殺者に酷似していた。
実際、彼は暗殺などの後ろめたい事を生業としていた、暗器と体術の使い手だ。そして女――――エルザの弟分でもある。
「周囲に、こいつら以外に人はいなかった。もう少し奥に進まないと」
「シツ、こっちで合ってるんだろうな?」
白と銀の外套とプラチナブロンドを揺らせながら、エルザは問う。やや切れ長い銀眼が、シツと呼ばれた少年へ向けられた。
シツは黒々とした瞳で視線を受け止めて、答える。
「安心してくれよ、合ってるから。さっき視察した方向で変な音がしたし、そこから馴染みの無い匂いがしてきてるんだ」
「そうか」
「……姉さん、俺の勘違いだと思ったのか?」
襟巻きに鼻先を突っ込みながら、尋ねる。左目の泣き黒子のせいか、悲しんでいるように感じた。
「いいや。気分を害したなら悪かった。行こうか」
首を振って謝ったあと、エルザは剣を腰の鞘に収めて、進み出す。シツもまた忍び鎌を小手にしまうと、足音を立てずに彼女の後を追う。
若々しい外見の、白い女と黒い少年。対極で相対的な無色の二人は、人の手により拓かれ正された道を悠々と進む。彼らにとって、盗賊を殺した事実はさして意味のあるものではない。二人の意識は別のことに向いている。
「姉さん、今年は随分と多いな」
「それだけ、あの人でなしの甘言に乗る馬鹿が絶えないんだろう。……まぁ、それは私も同じか。人のことは言えるクチじゃないな」
胸元で揺れるペンダントに手を添えながら、女は自嘲げに続けた。
「姉さんは馬鹿じゃない」
するとシツが鋭い声で言ったので、エルザは首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「姉さんは荒っぽくて面倒くさがりで、大雑把で不精なところはある」
「おい……おいっ」
「でも、目の前に餌を吊り下げられて飛びつくような、馬鹿な人じゃない。少なくとも、俺はそう思ってるよ」
「……そうか。ありがとう」
エルザは目元を緩め、彼の頭の上に手を置く。そしてワシワシと、濡れ烏のような黒い髪を撫でた。
「…………」
頭を撫で終えると、シツは顔を伏せる。
「どうした? 歩く速度が上がったな、照れてるのか」
「姉さん、さっさと行こう。血の匂いが濃すぎて、鼻が曲がりそうだ」
「あぁ、さっき殺した連中の」
と、エルザは背後の光景に目をやる。
この弟分は五感が常人より鋭い。エルザでは気にならなく程度に薄まった血臭も、彼には目前にしているのと変わりないのだろう。
「……馬鹿な男たちだったな」
今更のように、先ほど屠った盗賊共とのやり取りを振り返る。
有り金を奪うかエルザを犯すかだけなら、殺しまではしなかったというのに。連中は身ぐるみを剥いだ後、二人を奴隷商に売り払う腹積もりだった。二人とも、それは勘弁願いたかった。
だから、殺した。
正当防衛と嘯いて。
「馬鹿のことはどうでもいい。俺は異世界人が村に降りる前に、接触したい」
「あぁ、そうだな」
気を取り直し、二人は何も知らずに連れて来られただろう異世界人を探すことに専念する。
「今度のはマトモな奴だと良いな……」
シツの呟きに、エルザは声なく同意した。
◇◇◇
見上げた空は澄んだ薄青色だった。ちぎれたような雲がフワフワと浮かび、ゆっくりと泳ぐように視界を通り過ぎる。
浩介の頬を、青々とした草がチクチクと刺激してくる。何故か寝転んでいた体を起こし、彼は周囲の景色を一瞥した。
「何だここ……」
どこかの森か、傾斜の緩い山だろうか。辺りは緑で覆い尽くされ、木々の間から洩れる日光が浩介に降り注いでいる。
薬草になりそうな外見の草花や、いわゆるモンスターと呼ばれる動植物は見られない。静寂の中で、木々が風に揺さ振られて音を立てるばかりだ。頭上で鳥の鳴き声がしたが、太陽を背にしているせいか逆光で確認が取れなかった。分かったのは、鳥が大きめのシルエットをしていたことだけだ。
「俺の予想したファンタジーと違う……」
浩介の肩がガックリと落ちる。期待していた方向性と違う異世界観にショックを隠せなかった。
しかも今の装備は部屋着のスウェットで、武器になりそうなものもない。完全に丸腰状態だった。送られる前に、装備を頼めば良かった。などと今更過ぎることを後悔する。
しょげていても仕方ない。ぱんぱん、と頬を軽く叩いて、よっこいしょと腰を上げた。スタスタ、人がいそうな場所を目指して歩いていく。
道行く途中に、子犬とリスを合わせたような姿の動物が、木の実を食べているのを見た。それ以外にも掌大の芋虫や、発光する花弁を持つ鈴蘭のような植物、ゲル状の生物とも物体ともつかぬモノも窺えた。
「あ、ちゃんと異世界なんだな」
一人事を呟きながら、浩介は周囲を見渡す。人の姿はないだろうか、と。
そうして探すこと一時間。学校の体育の時間以外に運動することの少ない浩介の体力は、あっという間に尽きた。服が汚れるな、と思いつつも地面に腰を下ろして座り込み、休憩を取ることにした。
「あー……誰かいないかなぁ? こう、クエストやってる途中の冒険者とか」
出来れば女の子が良いなぁ、美少女。などと贅沢を言いながら、浩介は後ろの木にもたれかかる。
ナルアと話すにも、蝋燭と火種が必要だ。そんなものを持っているわけもなく、少し休んだらまた歩き出すしかなかった。平らに整えられていない地面を歩いているおかげで、足裏が痛い。
行けども行けども、誰にも会わない。ただただ樹木と草の茂みが続くばかり。
「……モンスターにも遭わないことを喜ぶべきか」
丸腰非チート状態でエンカウントなど、死亡フラグしか立たない。
そうして愚痴愚痴とぼやきながら進んでいると、視界の端に人影を捉えた。
「おっ?」
「ん……?」
浩介の声が聞こえたのか、人影が振り返る。
「あの、どちら様でしょうか?」
小鳥の囀るような声で尋ねてくる人影は、可憐な少女だった。浩介と同い年くらいで、赤茶けた髪を左右で結い分けている。小柄でスレンダーなか弱げな体に、両手持ちの長い杖。所謂、魔術士風の格好をしている。
長い睫毛にパッチリとした大振りの瞳。薄桃色の唇と卵型の小さな顔。目を引くような美人ではないが、道端にひっそりと咲く花のような愛らしさを持つ少女だ。免疫のない浩介は、思わずドキリとする。
「あ、あの……どうしました?」
「……あっ。あぁ、えっと」
怪訝そうな顔で見られ我に帰るが、何を話せばいいのか分からない。異世界トリップ以降ようやく人に会えたというのに、こんなでどうするというのか。
焦りながら自分を叱咤していると、少女は何かに気づいたようで表情を僅かに変える。
「あの、貴方、お名前は?」
「俺? 浩介、っていうんだ」
「私は……クリスです。コウスケさん、あの、その格好は一体何が……?」
「へ?」
言われて、浩介は気がつく。
今の浩介は地面に座ったせいで汚れた部屋着しか着ておらず、武器も持っていない丸腰だ。パジャマよりマシとはいえ、外でする服装ではない。クリスの目には、着の身着のまま逃げてきたよう農民か何かに見えるだろう。
「えっと、な。俺も詳しく分からないんだけど、ついさっき変な奴にあって、そいつと色々話してたら、ここに放置されて。あ、うん。何言ってるか分かんないだろうけど、そうとしか言えなくて……ごめん」
クリスの視線に自身の痛々しさを感じながらも、浩介は昨夜のことを掻い摘んで説明した。
「はぁ、そうなんですか。ここは大人しい魔物が多いとはいえ、盗賊もいて安全とはいえないのに……大変でしたね」
という少女の目は生暖かく、しかしどこか冷めていた。
「あ、ありがと。まぁ、危ないのがいるとこに置かれずに済んで、良かったと思うべきなんだろうな」
はははははっ、と乾いた笑いを上げる。ナルアの野郎(?)、あとで文句言ってやる。と、内心で恨み言を吐き捨てながら。
あいつのせいで頭のおかしい奴だと思われたぞ、これは絶対。