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世界が色付くまで  作者: 篠原 皐月
本編

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33/61

第31話 終わりと始まり

「じゃあ行って来るよ」

「はい、行ってらっしゃい。浩一さんがここで暮らし始めてから、泊まりで実家に戻るのって初めてですね。のんびりしてきて下さい」

「…………」

「どうかしましたか?」

 大晦日に泊りがけで実家に戻る浩一を見送ろうと、恭子は玄関まで付いて行った。しかし挨拶をしてそのまま出て行くかと思いきや、何故か浩一が物言いたげな顔で立ち尽くしている為、恭子は不思議そうに尋ねる。するとそれに恐縮気味の声が返ってきた。

「いや、その……。今更だけど、恭子さんは年末年始、旅行とかしないのかと思って」

 実家など影も形もない恭子の前で、大っぴらに実家に帰るのが心苦しかったのに加え、自分が居ない間に旅行の予定は無いのかと急に気になってしまった故の発言だったのだが、それを聞いた恭子は明後日の方を向きながら、幾分やさぐれた表情で答えた。


「年末年始位、心穏やかに過ごしたいんです。何回か先生から指示を受けてこの時期に出掛けた時、ろくでもない事しか言いつからなくて良い記憶が無くて、とても出歩く気分には……」

「そうか……」

「ですから引きこもる気満々ですので、気を遣わないで下さい」

 そう苦笑しながら言われてしまった浩一は、それ以上話を長引かせたりはしなかった。

「分かった。じゃあ、行ってくるよ。明後日の夕方には戻るから」

 そうして浩一は二泊分の荷物を持って、マンションを出て行った。そして多少考え込みながら運転したが、問題なく柏木邸に到着した。


「ただいま」

「おう、戻ったか、浩一」

「お帰りなさい、浩一」

「お帰り兄貴」

 ボストンバッグ片手に応接間に入ると、母の他に真由子を抱えた祖父と、真一を抱えた弟が上機嫌で声をかけてきた為、何となく難しい顔をしていた浩一も釣られて笑顔になった。

「やあ、真一君と真由子ちゃんまで勢揃いだね。父さんと姉さん達は?」

「父さんの書斎で三人で話をしてるけど、兄貴が来たら『すぐ顔を出す様に言っておけ』って言われた」

「そうか。じゃあ、まず挨拶してくるか」

 玲二から伝言を聞いた浩一は途中自分の部屋に寄ってバッグを置いてから、雄一郎の書斎に向かった。そしてドアをノックして声をかける。


「浩一です。お呼びだそうで、失礼します」

「入りなさい」

 そして入室の許可を得た浩一はドアを開け、机の前に立っていた居た清人と真澄に目線で挨拶してから、座っている父親に向かって歩み寄ってから軽く頭を下げた。

「父さん、戻りました」

「ああ、今回はゆっくりしていけ。家に時々寄ってはいるが、泊まりにくるのは初めてだからな。意外に社内では顔を合わせないし」

「考えてみれば、一課長がそうそう自社のトップと顔を合わせる事は無いですからね」

「その通りだな」

 そんな事を互いに苦笑いしながら話していると、清人が控え目に申し出てきた。


「それではお義父さん。話の区切りが良い様なので、俺達はこれで」

「ああ、そうだな。真澄ももう良いぞ?」

「分かりました。じゃあ浩一、また後でね?」

 真澄が笑顔で小さく手を振り、清人と連れ立って部屋を出て行くと、浩一は顔付きを改めて雄一郎に問い質した。


「父さん、俺に何か話があるんですよね?」

 その半ば確信している口調に、雄一郎は素直に考えていた事を告げた。

「ああ。この間色々考えてみたんだが、年が明けたら見合いでもしてみないか?」

 それを聞いた浩一は無意識に眉を寄せ、慎重に父親の表情を窺いつつある結論を出す。

「『してみないか?』と言っている割には、既に見合い相手も決定済み、という雰囲気なんですが?」

「まあ……、そんなところだ」

 事前に清人からほのめかされていた内容でもあり、浩一は軽く溜め息を吐くだけにとどめた。そして些か投げやりに問い掛ける。


「それはどこから押しつけられた話ですか?」

「いや、そうじゃなくて……、こちらから良さそうな条件の女性を探してだな……。清人も賛成してくれたし」

 口ごもりつつ弁解してきた内容に、浩一の顔付きが無意識に険しくなった。

「……清人が承知済みだと?」

「ああ。話は聞いていなかったか? 年末で色々忙しかったかもしれんが」

「寝耳に水です」

 憮然として(相手まで選定済みだとは聞いてないぞ)と内心腹立たしく思っていた浩一に、雄一郎がなるべく刺激しない様にと言葉を選びながら話を続けた。


「そうか……。しかし清人も『現時点では以前程症状は酷くないし、ここは一つ環境を変えてみるのはどうか』と言っていたしな。なに、昔から『案ずるより生むが易し』と言うし、案外結婚もうまく行くかも」

「お断りします」

「浩一?」

 常には無い強い口調で、いきなり話の腰を折ってきた息子に雄一郎が訝しげな視線を向けると、浩一は落ち着き払って話を続けた。

「見合いは断って下さい。それから今後一切、同様の話を持ち込まない様にお願いします」

「そうは言っても。ほら、なかなか気立ての良さそうなお嬢さんだぞ?」

 浩一の頑なな態度をどう捉えたのか、雄一郎が作り笑いで見合い写真と思われる物を差し出そうとしてきた為、(今回は良い機会かもしれないな)と考えた浩一はきっぱりと言い切った。


「結婚したい相手なら既にいますので、どんな相手の話を持って来られても、受けるつもりはありません」

「……は?」

「そういう事ですので。他に話が無ければ失礼します」

 思わず呆けた表情になった雄一郎に、浩一は真顔で頭を下げて踵を返したが、ドアに向かって歩き出した所で我に返った雄一郎が慌てて立ち上がり、血相を変えて息子に追い縋った。

「ちょっと待て! 今の話は本当か!?」

「こんな事、冗談で言いませんよ」

 腕を掴まれて真剣な表情で問い質された浩一が、如何にも心外そうに答えると、雄一郎は息子から視線を外さずに慎重に問いを重ねた。


「浩一……。その相手とは交際してるとか、もう婚約してるとかなのか? 俺は全然聞いていないが」

 そう問われて浩一は流石に居心地悪そうに、父から視線を逸らしながら正直に告げた。

「……申し訳無いですが、生憎俺がそう思っているだけで、ちゃんとした交際とかもしていません。近いうちにきちんとするつもりですが」

「そうか……」

 そうして若干気まずい空気がその場に漂ってから、気持ちを切り替えたらしい雄一郎が浩一の腕から手を離しつつ、いつもの口調で告げた。


「そういう事なら仕方が無い。この話は無かった事にして、先方には断りを入れよう」

「すみませんが、そうして下さい」

 雄一郎が意外にあっさりと引いてくれた事に浩一は安堵したが、すぐに嬉々とした顔で質問をされて閉口する羽目になった。

「ところで、その相手はどんな女性だ?」

 ここは下手に隠し立てはしない方が良いだろうと判断した浩一は、取り敢えず表面上の事だけは伝えておく事にした。

「姉さんの披露宴の時に、父さんも一応顔を合わせています。新郎側の受付をしてくれた、清人のアシスタントの川島恭子さんです。今は小笠原物産で勤務していますが」

「小笠原? ……ああ、清人に頼まれて由紀子夫人が口を利いたのか?」

「多分そうだと思います」

(小笠原社長の指示で社内での裏工作に邁進してる事とか、言う必要は無いだろう。この段階で彼女の素性まで洗いざらい言えないし)

 意外そうな顔をして「ふむ……」と考え込んだ雄一郎に浩一は内心冷や汗ものだったが、雄一郎は取り敢えずそれで納得した様だった。


「よし、分かった。取り敢えずこの話は終わりにするが、来年中には良い報告が聞けるのを楽しみにしているぞ」

 そう言いながら上機嫌で肩を叩いてきた父親に、浩一は苦笑しながら応じた。

「あまり期待しないで、長い目で待っていて欲しいんですが」

「何を言う。とにかく結婚しようと言う気持ちになったんだから、かなりの前進だろうが。今年は気持ち良く年越しが出来そうだな。じゃあ下に行くぞ。皆、揃っているだろうしな」

「はい」

(正直、彼女相手にどう話を進めて良いか分からないがな)

 そんな微妙な心境のまま雄一郎に促されて一緒に階下に下りた浩一は、久しぶりに家族全員が顔を揃えた応接間で、こそこそと近寄って来た訳知り顔の清人に、面白がっている口調で囁かれた。


「早速お義父さんに絞られたか?」

「お前に以前聞いた見合いの話だった。知ってたな?」

「一応は。それでどうした?」

 軽く睨んでもどこ吹く風の清人に、浩一はげんなりしながら答えた。

「……父さんに聞け。実の息子より義理の息子の方が、頼り甲斐があるみたいだしな」

「いい年した男が拗ねるなよ。それで?」

 にこやかに再度問いかけてきた清人に、浩一は完全に抵抗を諦めた。

「一応……、彼女の名前だけは出した」

「ほぅ?」

 そのまま興味深そうな顔で黙り込んでいる清人に、浩一がイラッとして「何か言いたい事があるなら言ったらどうだ!?」と毒づきそうになった時、明るい声と共にもう一人の人物が応接間に入って来た。


「こんにちは! 三日までお世話になります」

 ペコリと頭を下げた清香に、その場に居た全員が笑顔を向ける。

「いらっしゃい、清香ちゃん。待ってたのよ?」

「自分の家だと思って、のんびりして行ってね?」

「うわ~、真一君と真由子ちゃん、また大きくなってる。相変わらず可愛いし」

「そうじゃろう、そうじゃろう。だが清香も相変わらず可愛いぞ?」

「もう、お祖父ちゃんの爺馬鹿っぷりも、相変わらずなんだから」

 途端に室内が賑やかになり、清人も久しぶりに妹を構いに行った為、解放された浩一は心底安堵して密かに清香に感謝の念を送った。


(このタイミングで来てくれるとは、助かったよ清香ちゃん。父さんも清人も、暫くは俺の事は放っておいてくれるだろうし)

 そして真澄に手招きされてソファーに落ち着いた浩一は、お茶を飲みながらしみじみと周囲の和やかな雰囲気について考えを巡らせた。


(去年と比べると桁違いに賑やかだな。賑やか過ぎて、落ち着かない位だ)

 そんな事を考えて苦笑しつつお茶を飲んでいた浩一だったが、つい二時間程前に別れたばかりの恭子の事を思い出した。

(彼女は……、どこにも行かないと言ってたが、本当に一人で構わないんだろうか?)

 そんな事を考え出したら止まらなくなり、浩一は笑顔を作りつつ密かに考え込んだ。そして悶々としたまま夕飯を済ませ、食後のお茶を飲みつつ皆で談笑していた所で、(ここで抜け出したら、不審がられるかもしれないが)と思いつつ、このまま泊まっていく気分にはなれなかった浩一が、意を決して立ち上がる。


「すみません、今夜はやっぱり帰ります」

 その宣言に、周囲の者達は予想通り揃って目を丸くした。

「は? どうした浩一。こんな時間に」

「忘れ物があっても、家に一通り揃っているから、不自由は無いだろう?」

「いえ、そうでは無くて……。どうしても休み明けまでに纏めておきたい企画があるんですが、大晦日と元旦位は仕事を忘れようと思って、中途半端にして部屋に資料を置いてきたんです。だけど今になって気になってしまって……」

 父と祖父の問いかけに、自分でも苦しい理由だと思いつつ弁解すると、玲子がそれに笑って応じた。

「あらあら、浩一は思った以上に仕事中毒だったみたいね。じゃあ苛々しながら年越しするのもなんだし、今日は帰りなさい」

「まあ、真面目なのは結構な事じゃな」

「今からその資料を取って来るのか?」

「そのまま仕事をして、明日もう一度こちらに戻ります」

 結果的に取り成してくれた形の母に密かに感謝しつつ、雄一郎に改めて頭を下げると、清人が真顔で確認を入れてきた。


「今日は一滴も飲んでないから大丈夫だな?」

「ああ。食べながら良い考えが浮かんできたから、酒で考えを鈍らせたく無かったんだ」

「じゃあ今日は帰れ。気分良く新年を迎えたいだろうしな」

「そうするよ。じゃあ、また明日来ます」

 取り敢えずすんなり解放して貰った事に安堵しながら浩一は挨拶をして廊下に出たが、玄関を出る前に背後から少し慌てた口調で呼び止められた。


「浩一、ちょっと待って!」

「姉さん?」

 思わず足を止めて振り返った浩一に、真澄は笑顔で四角い風呂敷包みを差し出した。

「はい、これを持って行って」

「何?」

「中村さんに頼んで、お節料理を二人分、詰めて貰っておいたの。恭子さんと一緒に食べてね」

 にっこり笑いながら風呂敷包みを押し付けてきた姉の顔をまじまじと見ながら、浩一は当惑した様に尋ねた。


「……俺が今夜、帰ると思ってた?」

「五分五分かしら? でも『帰る』って言ってる場所が『実家』じゃないって辺り、必然って感じだけど? 明日こっちに『また帰る』じゃなくて『戻る』って言ってたし」

「参ったな……」

 クスクス笑って自分の表情を窺ってくる姉に、浩一は苦笑いする事しかできなかった。そして軽く包みを持ち上げて礼を述べる。

「ありがとう。貰っていくよ」

「気をつけてね」

 そして玄関先で浩一を見送ってから応接間へ戻ろうとしていた真澄を、難しい顔をした雄一郎が廊下で呼び止めた。


「真澄、ちょっと聞きたい事があるんだが」

「はい、何ですか? お父様」

 足を止めて素直に応じた真澄だったが、父親の質問内容を聞いて傍目には分からない様に気を引き締めた。

「お前は清人のアシスタントをしていた、川島恭子という女性の事を知っているか? お前が彼女と友人付き合いをしていると、清人が言っていたが」

「はい、出産してからは偶に電話やメールをやり取りする位ですが、その前は月に一度位は一緒に出掛けていましたが。それが何か?」

 悠然と微笑んでみせた真澄に、雄一郎が慎重に問いを重ねる。


「その……、清人は『クラブ勤めをしていた彼女をスカウトした』とか言っていたが、そこの所は……」

「勿論、本人から聞いて知っていますが。それが何か?」

「お前……、何とも思わんのか?」

 少々疑わしそうに尋ねてきた雄一郎に、真澄は冷たい視線を向けながら一刀両断した。


「……お父様。職業に貴賤無しと言いますよ? それにまさか、清人と彼女の仲を疑うとか仰いませんよね? それこそ下衆の勘繰りと言うものです。言動に注意して下さい。そんなに気になるなら、勝手に調べさせたら良いじゃありませんか。周りまで不愉快にさせないで下さい」

「あ、ああ……。すまん。悪気は無かったんだ」

 真澄の仏頂面に気圧された様に、雄一郎は弁解しながら奥へと戻って行った。それに背を向けて玄関の方向に向き直ってから、真澄は溜め息を吐いて沈鬱な表情で呟く。


「来年は、年明けから大荒れみたいね……」

 ある程度先を見通して気が重くなっていた真澄とは対照的に、本人が知らない所で話題にされていた恭子は、大晦日もあと二時間程となった頃、静まり返ったリビングでしみじみと満足げに呟いていた。


「はぁ……、静かねぇ。心が洗われる様だわ。……え?」

 何やら玄関の方から物音がした為、一瞬泥棒かと顔を強張らせた恭子だったが、慎重に様子を窺っているうちにリビングに顔を出した人物を見て、すぐに肩の力を抜いた。

「ただいま」

「浩一さん? こんな時間にどうしたんですか? 何か忘れ物でも?」

「うん、まあ……、そんな所」


 何となく立ち上がって出迎えた恭子に、浩一は曖昧に笑って答えた。それに恭子が真顔で応じる。


「ご苦労様です。じゃあすぐご実家に戻るんですね」

「いや、今からはちょっと。明日また行くよ」

「そうですか」

 何となく納得しかねる顔つきで小首を傾げた恭子に向かって、浩一は誤魔化す様に風呂敷包みを差し出した。

「そういうわけで、お土産。お節を詰めた物を姉さんに持たせて貰ったんだ」

 それを受け取った恭子は、苦笑いしながら肩を竦めた。


「お節を準備しない事、お見通しみたいですね。毎年一人分だけ作ったり買ったりするのが馬鹿らしかったので。あ、でもお餅も準備して無いわ」

「普通にご飯とかでも良いよ?」

「取り敢えずどんな物が入っているか、見せて貰って良いですか?」

「構わないよ」

 そしてダイニングテーブルで風呂敷包みを解いて蓋を開けてみた二人は、何とも言えない表情でそれを見下ろした。


「一段目……、お餅とお雑煮用の食材ですね」

「そこまで読んでたか。やっぱり侮れないな、姉さん」

「じゃあ、明日の朝はお雑煮とこのお節を出します。それを食べてからご実家に帰っても大丈夫ですよね?」

 笑って確認を入れてきた恭子に、浩一は慌てて言葉を返した。

「ああ、昼前に戻ると言ってあるし」

「分かりました。だけど、お節か……」

「どうかした? 何か食べられない物とかあった?」

 何やら感慨深く重箱の中身を見下ろしている恭子に、浩一が心配そうに尋ねると、彼女は慌てて手を振った。


「いえ、昔は毎年母が作るのを手伝わされていたんですが、一人になってから全く作っていないので、作り方を覚えているかどうか自信が無くて。どんな味だったかも、うろ覚えだなと。ただそれだけです」

(嫌だ……、ちょっと湿っぽくなっちゃったわ……)

 自分の発言で重い空気がその場に満ちた事に恭子は狼狽えたが、浩一はさほど気にしていない風情で、何気ない口調で言い出した。


「……ちょっと羨ましいな」

「何がです?」

「俺の母は全く料理をしないんだ。雇っている料理人が日々の食事の他、弁当やお節料理とかも作るから。だから俗に言う『お袋の味』って概念が無いから、そういう事で悩んでみたい」

 淡々とそんな事を言われて恭子は一瞬キョトンとしてから、小さく噴き出した。


「それは、贅沢な悩みですね」

「全くだな。……作ってみたら?」

「え? 何をですか?」

 明るく笑いながら唐突に言われた内容に再度恭子が戸惑うと、浩一が笑みを消さないまま話を続けた。


「お節料理。来年、覚えている範囲で。作っているうちに思い出す事も有るだろうし、味付けとかは作りながら調節もできるだろう? 無理に昔の味に固執しないで、自分好みの味を見つけてみても良いんじゃないかな?」

「はあ……、そう、ですね。でも少量ずつ品数多く作るのって、結構煩わしくて」

 正直に述べた恭子に、浩一は何気ない口調で応じた。

「無理強いはしないよ。考え方は人それぞれだし。恭子さんさえ良かったら、食べるのは俺が半分引き受けるし」

「え?」

「じゃあこれは冷蔵庫にしまっておくから」

「あ……、お願いします」

(確かに来年以降もルームシェアを続けるなら、一緒に食べる機会もあるでしょうけど……)

 戸惑った声を出した恭子を半ば無視して、浩一は元通り重箱の蓋を閉め、それを抱えて台所へと消えた。そして冷蔵庫の開閉音がしてから、浩一が戻ってくる。


「さてと、じゃあやり残した事はあと一つだな」

「今から何かする気ですか?」

 先程から予想外、意味不明な浩一の言動に困惑していた恭子だったが、そんな彼女に浩一は明るく笑いながら告げた。


「今年はお世話になりました。来年も宜しく」

「はい?」

 唐突な挨拶の言葉に恭子は面食らったが、変わらずに微笑んでいる浩一を見て、ゆっくりと笑顔になって言葉を返した。

「こちらこそお世話になりました。来年も宜しくお願いします」

 そうして二人にとって激動の一年は、静かに幕を下ろしたのだった。



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