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世界が色付くまで  作者: 篠原 皐月
本編

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第19話 躊躇わない女

 軽く飲みながら誘いをかけてきた相手のその底の浅さを恭子は軽蔑し、次いで予め準備しておいた物が無駄にならなくて良かったと安堵しつつ、媚びを含んだ笑顔を返した。それに対して相手も些か下品な笑みを浮かべたが、それから自然に視線を逸らしながら、他の人間には分からない様にバーテンダーに目配せする。すると彼も軽く頷き、早速恭子の意に添った物を黙々と作り始めた。

 それから約一時間後。繁華街からほど近いホテルに連れと徒歩で移動した恭子は、軽く腕を支えていた相手をキングサイズのベッドに座らせ、中腰になって心配そうに声をかけた。


「専務、大丈夫ですか? やっぱり今日はお帰りになった方が良いんじゃありません?」

 相手の体調を気遣う素振りを見せると、根岸はここで帰れるかと慌てて緩慢な動きながら首を振る。

「いやいや、大丈夫。見た目より酔って無いぞ?」

「それなら良いんですけど……」

 まだ懸念が払拭出来ない顔付きで、備え付けの冷蔵庫に向かって歩いて行った恭子は、中から一本のミネラルウォーターを取り出してキャップを開けた。そしてグラスも棚から取り出してテーブルに置くと、素早くその中に手の中に握り込んでいた紙包みの中身を、根岸からは見えない様に落とす。次いでその中にミネラルウォーターを入れると、攪拌しなくとも粉はすぐに溶解し、痕跡が無くなった。

 その出来映えに満足した恭子がそのグラス片手にベッドまで戻り、根岸に笑いかけながらコップの中身を勧める。


「じゃあシャワーを浴びてきますので、これを飲んで、少し酔いを覚ましておいて下さいね? 気持ち良い事をしに来たのに、途中で具合が悪くなったりしたら本末転倒ですから」

 それを聞いた根岸はグラスを受け取りながら苦笑いし、鷹揚に頷いて見せた。

「全くだな。ゆっくり入っていて構わないぞ?」

「お言葉に甘えさせて貰います」

 微笑んで一礼し、バスルームに入った恭子だったが、ドアを閉めた瞬間小馬鹿にした様に笑い、小さく呟く。


「全く、あのエロ親父。相当眠くなってる筈なのに見栄張って。帰った方が良いって、一応忠告してあげたのにね」

 そして脱衣所を奥に向かって進み、服のポケットに入れていた携帯を取り出してメールの送信画面を立ち上げた。

「さて、ほぼ予定時間通りだから、連絡しましょうか」

 そうして早速とある人物へとメールを送信してからは、次々とメモリーの中のデータをチェックして仕分け、必要なフォルダーに保存するという作業を一心不乱に二十分程続けてから、恭子はできるだけ物音を立てずにドアを開けて室内へと戻った。そしてベッドまで戻ってみると、そこに予想通り横になって眠り込んでいる根岸を見下ろして鼻で笑う。


「やっぱり寝てるし。余裕ぶってても滑稽なだけよね」

 そう呟いてから恭子は真剣な顔付きになり、根岸の肩をゆすって声をかけた。

「専務。専務、起きて下さい」

「ぅん?」

 半覚醒状態で自分の顔を見上げてきた根岸の目の前に、恭子は人差し指を一本立てた右手を出して見せた。更に左手を根岸の首に添えて指で軽く圧迫し、適切な刺激を与えながら、抑揚の無い声で言い聞かせる。

「この指を良く見て下さい」

「……あ?」

「ゆっくり動かしますが、目を離したら駄目ですよ?」

 そう宣言した通り、恭子が指を前後左右にゆっくりと動かすと、根岸は素直にその動きを目で追った。更に言葉で幾つかの指示と、手で身体のあちこちに触れながら暗示をかけ終わった恭子は、最終確認の為、静かに次の指示を出す。


「さあ、ゆっくり起き上がって、床に軽く足を付けて下さい」

「……ああ」

 そしてどことなく焦点の定まらない目つきと緩慢な動きで根岸が起き上がり、ベッドの縁に座ったままカーペットに足を付けると、恭子は冷静に次の指示を口にした。

「今度は指を見ているうちに、何だかあなたは暑くなってきました。着ている服を全部脱ぎましょう」

「……はい」

 のそのそと体を動かし、普通に脱ぐよりもかなり時間をかけて身に纏っていた衣類を全て足元に脱ぎ捨てた根岸は、そのまま何をするでもなく大人しくベッドに座り込んでいたが、恭子は更に言葉を重ねた。

「全部服を脱いで涼しくなりましたが、今度は身体が自由に動かなくなってきました。その姿勢で動けませんし、喋れません」

「…………」

 無言のまま虚ろな視線を向けてくる根岸に、恭子は尚も真剣な顔つきで言い聞かせた。 


「勿論眠れませんから、目を閉じてもいけません。これからは私が言う事だけできます。分かったら『はい』と返事をして下さい」

「……はい」

「良くできました」

 思わず満面の笑みで片頬を軽く撫でながら褒めてやると、根岸も釣られた様に力無くへらっと笑った。その間抜けな顔のまま固まっている為、恭子が必死に笑いを堪えていると、呼び出しのドアチャイムの音が響く。


「ちょうど準備ができた所で良かったわ」

 首尾良く事が運んでいるのに気を良くしながら恭子がドアに向かい、廊下の人物を覗き穴から確認してドアを開けた。

「はい、いらっしゃい」

「今晩は。ご要望通り連れて来たよ」

「どうぞ、入って頂戴」

 ドアの外に居たのは大きなスーツケースを引きずり、仕事用と分かるカメラバッグを肩から提げた浩一の従弟である明良で、微妙な表情をしたまま背後に付き従っていた女子高校生四人組を従えて室内に入った。一方の彼女達は最初恐る恐る明良の背後から顔を覗かせていたが、応対に出たのが女性であった事に安堵したのか、興味津々の様子で部屋の奥へと進む。そしてすぐにベッドに全裸で座り込んでいる根岸を見つけて、驚きとあざけりが入り混じった声を上げた。


「えぇ~! 何なの? このオジサン!」

「楽しい事して、おこずかい貰えるんじゃなかったわけ?」

「いきなりこれ? キモ~イ」

「それに何か変じゃない? あたしらの方、見てないよ?」

 嫌そうに顔を顰めながら口々に言い出した彼女達の背後で、明良が黙々とバッグを開け、三脚をセットし、室内の光量を確認しながらカメラのレンズを選択する。そんな中、恭子がわざとらしく溜め息を吐いて、女の子達に愚痴ってみせる。


「ごめんなさいね。若い子と乱交パーティー出来ると思って浮かれてて、ちょっと目を離した隙に、変な薬を飲んだらしいの。それでラリっちゃったみたいで、私がここに戻って来たらもうこの状態だったのよ。本当に年甲斐もなく羽目を外すと、間抜けな事になるわよね~」

 それを聞いた彼女達は、一斉に噴き出した。

「あはは、オジサン遊び慣れて無いんだ~」

「そう考えれば可愛いか。しょうがないよね」

「でも、道端で薬買っちゃ駄目でしょ」

「オバサン、そこんとこちゃんと教えてあげないと」

 真面目くさって「オバサン」呼ばわりされた恭子だが、見た目は冷静に話を続けた。


「これじゃあ色々遊べないけど、せっかくあちこち声をかけたのに無駄にするのは勿体ないじゃない? 本人は一応意識はあるから、それなりに楽しんでる感じの写真を撮って、ちゃんとお膳立て致しましたって、後から弁解する材料にしたいの。事前にお話ししていた通り、一時間付き合って色々撮らせてくれたら一人五万出すわ。お願いできるかしら?」

「なるほど、秘書さんも色々大変だね~」

「ま、その方がアタシ達もラクだし?」

「うん、オヤジにベタベタ触られなくて済むのは良いけど……、どうする?」

 中の一人が多少不安そうに仲間に声をかけると、そのグループのリーダー的存在らしい彼女が、まだ僅かに警戒しながら恭子に確認を入れた。


「……ちゃんとここで、現金で貰えるんでしょうね?」

 その問いかけに、恭子はうっすらと笑いながら自分のバッグを開けた。そして中から茶封筒を取り出す。 


「勿論前払いするわよ? ケチじゃ無い事を証明してあげるわ」

「へぇ? なかなか気前良いじゃない」

 無造作に封筒から取り出した一万円札を五枚ずつ彼女達に配ると、忽ち室内は彼女達の喧騒に包まれた。そんな中恭子が彼女達の注意を引くように、思わせぶりに言い出す。


「それに……、ボーナスポイント加算があるわよ?」

「え?」

「何それ?」

 途端に反応して恭子に視線を向けてきた彼女達に、恭子はバッグから今度は白い封筒を取り出し、その中から一万円を抜き出して目の前で振って見せた。

「今日着て来た下着が、一番セクシーな人に一万追加」

「マジ!?」

「やった! 話聞いて、気合い入れて選んで来たもの。貰った!」

「私だって自慢のセットにしてきたわよ!」

「えぇ~! 私無理かも~」

 恭子が宣言したと同時に目を輝かせた彼女達は勢いよく服を脱ぎだし、瞬く間に高校生の物にして派手で露出が多い、色鮮やかな色々な趣向のインナーが恭子の目の前に現れる。


「お姉さん! 誰が一番?」

「私よね?」

 口々に自分の下着をアピールしてくる彼女達に、(さっきは「オバサン」だったのに「お姉さん」か。正直で現金よね)と失笑しつつ、判断を明良に委ねる事にした。

「うぅ~ん、そうねぇ。ここは公平に男性の意見を聞きましょう。誰のが一番セクシーだと思います?」

「……俺が決めるんですか?」

「お願いします」

 ご指名を受けてしまった明良はこの部屋に入ってからもう何度目か分からない溜め息を吐き出し、自分の胸やお尻をアピールしてくる彼女達を疲れた様に眺めてから、向かって一番

右端の彼女を指差した。


「じゃあ……、彼女の?」

「おめでとう。はい、一万追加」

「やった! もう一万ゲット!」

 指名された彼女に気前良く恭子が一万円札を渡すと、受け取った彼女は当然喜んだが、他の三人が真剣な表情で詰め寄った。

「お姉さん! 他に加算ポイントって無いの?」

「納得できない!」

 それに苦笑しながら、恭子が明良に声をかける。

「持ってきて貰いました?」

「……一応」

「じゃあ、この中の物を使って楽しい写真が撮れたら、その都度一万。早い者勝ちよ?」

 明良が持参したスーツケースを指差しながら恭子が説明すると、彼女達は期待を込めてそれを見やった。


「え? 何が入ってるの?」

「お兄さん、見せて見せて!」

「早く!」

「…………」

 催促された明良が、如何にも嫌そうにスーツケースを床に倒し、ロックを外して彼女達の前に広げてみせた。その中身を確認した面々は一瞬ポカンとしてから、揃ってお腹を抱えて爆笑する、


「ぶはっ! さ、最高、笑えるっ!」

「あのオジサンってこういう趣味なの!?」

「そうなのよ~、困ったボスでしょ? 何とか揃えてセッティングしたのに、あの状態だし。また仕切り直しするのも面倒なのよ」

 そう言って肩を竦めた恭子に、いち早く笑いを抑えた子が素早くスーツケースの中から特大のよだれかけとガラガラを手に取り、それを上に突き上げながら宣言した。

「分かった。お姉さんがお仕事しましたって証拠作りに協力するからね! 私これ!」

「じゃあ私これにする!」

「あ、ちょっと! それにしようか迷ってたのに!」

「早い者勝ちって、お姉さんだって言ってたじゃない」

「アタシはこっちかな~」

「うぅ~、じゃあこれで」

 女の子達が次々に、ロープや鞭のセット、豚耳鼻と尻尾のセット、ワイドサイズのベビードールなどを手に取っているのを、明良は必死に見ないふりをした。撮影が始まったら嫌でも目にしなくてはいけないのだが、自身の精神衛生上できるだけ直視したくなかった為である。そんな明良を横目に見ながら、恭子は更に彼女達を唆す言葉を口にした。


「一言アドバイスさせて貰うけど、小物に頼るだけだと意外に平凡でつまらないわよ? ポーズの取り方次第で面白い写真になるから考えてみて?」

「そうか。幾らでもやりようはあるよね?」

「勿論よ。自由な発想でお願いね?」

「分かった。任せて!」

「そうだよね~、普通に縛っただけじゃつまらないよね~」

「あ、マジックもあるよ? 水性だし身体に色々書いちゃって大丈夫だよね」

「あ、いーこと考えちゃった! 一番はアタシ! お姉さん。オジサンを四つん這いにできる?」

 嬉々として提案してきた子に恭子は笑顔で頷き、根岸に歩み寄って耳元で優しく囁いた。


「は~い。……専務、お仕事ですよ? ベッドの上で四つん這いになって下さい」

「…………」

 恭子の指示通りのそのそと全裸のままベッドに上がり込んだ根岸は、言われた通り斜め向きに四つん這いになった。その顔を正面に向かせながら、更に言い聞かせる。

「はい、こっちを振り向いて、ちゃんと顔を上げて? はい、とってもお上手ですよ? 笑って下さいね」

「あはははっ! オジサン、楽しそう! じゃあもっと楽しくしてあげるねっ!!」

「あ、私も手伝う! お金はそっちが貰って良いから」

「分かった。ドンドンやっちゃって!」

 手にマジックやヘアバンド、ネクタイなどを持って根岸に群がった彼女達を数歩離れた所から見ていた恭子は、呆れるのを通り越して感心していた。


(本当に容赦ないわね、怖いもの知らずの若い子って。玄人に頼むより、えげつない写真が撮れそうだわ。未成年が相手だから、色々おまけが付くでしょうしね)

 そんな事を考えて思わず酷薄な笑みを浮かべた恭子の顔から、明良は急いで視線を外したのだった。


「……じゃあそろそろお開きにしましょうか」

 軽く一時間は経過し、頃合いを見て声をかけた恭子に、案の定彼女達は不満を口にした。

「えぇ~、もう?」

「もう少し、やりたかったな~」

「ボスからの軍資金を使いきっちゃったのよ。また頼む事になりそうだから、その時は宜しくね?」

 白い封筒を逆さまに振って中が空になっているのを示して見せると、これ以上は搾り取れないと分かった四人組は、あっさりと納得して脱ぎ捨てていた服を手早く身に着けた。

「りょーかい!」

「また声かけてね?」

「いつでも予定空けるから!」

「こんな美味しい話、滅多に無いもんね~」

「それじゃあ、気を付けてね」

 ほくほく顔でその場を後にした彼女達を見送り、恭子は最後の仕上げとばかりに根岸の元に歩み寄った。気を利かせた、と言うよりは、同性としてかなり不憫に思ったらしい明良が、浴室でお湯に浸して絞ったタオルを作り、温かいそれを無言で恭子に手渡す。それを同様に受け取った恭子は、根岸の全身に書かれていた落書きを、大して苦労せずに拭き取った。そして相手に優しく声をかける。


「専務、お疲れ様でした。じゃあそろそろ服を着ましょうか」

 そして元通りワイシャツとスラックス姿になった根岸の両肩に手を添えながら、恭子は囁いた。

「それでは私が三つ数えて肩を叩いたら、あなたは目を閉じてぐっすりと眠ります。起こされるまで起きません。……それでは数えます。……一、……二、……三」

 その通り目を閉じて寝てしまった根岸を、恭子は器材の片付けを済ませた明良に目配せして手伝って貰い、ベッドに横たえて毛布を掛けた。それからベッドから少し距離を取り、明良に小声で礼を述べる。

 

「明良さん、お疲れ様でした」

 笑顔で頭を下げてきた恭子に、明良は荷物を詰め終わったスーツケースを閉じながら、心底嫌そうな表情で愚痴を零した。

「……できればこういう仕事は、これっきりにして欲しいですね。俺は普段風景専門で、人物を被写体にする場合は美人限定なんです」

「すみません、いつもお願いしている人がどうしても捕まらなくて。先生に相談したら『明良を行かせるから』と言われまして」

「いつもって、こんな事何度もやってるんですか……。まあ、良いですけどね。最終的に仕事を受けたのは、俺の判断ですし」

 本格的に頭痛を覚えてきた明良だったが、(やっぱり清人さん絡みの仕事は全力で断ろう)と固く心に誓いつつ、この間気になっていた事を尋ねてみる事にした。

「ところで恭子さん。今話をしても?」

「大丈夫ですよ? 熟睡してますから」

 二人でチラリと根岸の様子を確認してから、一応明良は声を潜めて話し出した。


「どうして女の子達に渡した名刺が『柳井メディカル 秘書室 鳥井正実』なんて名前になってるんです? しかも今回それで通せと言うから、うっかり恭子さんの名前を出さない様に、随分神経をすり減らしましたよ」

 その疑問に、恭子はあっさりと答えた。

「今回のこれで味を占めた彼女達や一緒につるんでる男の子達が、小笠原物産に乗り込んで『ここの専務さんがこんな事してるのをばらされたくなかったらお金を頂戴』なんて強請ってきたら台無しでしょう? だから念の為、実在の別人の名前を借りたの。保険はかけておかないと」

「ちょっと待って下さい。それじゃあ、その名前を借りた人に迷惑がかかるかもしれないじゃないですか!?」

 流石に顔色を変えた明良だったが、恭子は平然としたものだった。

「本物の鳥井さんは男性で、現在担当専務に同行して今週一杯アメリカ出張中なの。騒ぎになっても誰かが勝手に名前を名乗っただけだって、真っ向否定できるわ。一応明良さんにも偽名を名乗る様に言っておきましたけど、大丈夫ですか?」

「ええ。今まで全く面識が無い子を捕まえましたし、足はつきません」

「それなら良かったわ」

 微笑んで話を終わらせた恭子に溜め息を吐いてから、明良は気を取り直して質問を続けた。


「それから、その……、清香ちゃん経由で聞いたんですが、春から浩一さんと同居していると言うのは本当ですか?」

「ええ、そうですよ? 清香ちゃんが嘘を言う筈ありません」

「それが分かってるので、一応確認を入れてみただけです」

「はい?」

 意味が分からないと言った風情で首を傾げた恭子に、明良は疲れた表情で言葉を継いだ。

「いえ、気にしないで下さい。それで……、浩一さんには今夜の事は何と説明を……」

 言いにくそうに言葉を濁した明良だったが、恭子は淡々と事実を告げた。


「『ちょっかい出してきてるウザいエロ親父の自主退職を促すネタにする、恥ずかしい写真をラブホで撮って来るので、夕飯は外で食べて来て下さい』と断ってありますが。それが何か?」

 如何にも不思議そうに問い返された明良は、額を片手で押さえながら呻く。

「……そんな風に、真っ正直に言ってるんですか。因みに浩一さんは、それに対して何か言ってました?」

「それが、『それなら帰りが遅くなりそうだから、タクシーを使って帰って来るように』と言われて、タクシーチケットを半ば強引に押し付けられたんですけど……。使って良いと思います?」

「良いんじゃないですか? 全部分かってる上でくれたんですから……」

 唐突に真顔で相談を持ちかけられ、明良は思わず遠い目をしながら律儀に答えた。そしてブツブツと独り言を漏らす。


「浩一さん……。昔からある意味、清人さん以上に分かり難い人だったけど……」

 そんな明良に、恭子は不審な目を向けた。

「どうかしましたか?」

「いえ、何でも無いです。じゃあ俺はこれで撤収しますので」

「ご苦労様でした」

 言いたい言葉を幾つか飲み込み、長居は無用とばかりにバッグとスーツケースを手にした明良は、そそくさと帰って行った。それを見送ってオートロックのドアにご丁寧にチェーンもかけてから、恭子はベッドへと戻る。そして縁に腰掛けてから、強めに根岸の肩を揺すりながら呼び掛けた。


「専務、専務。起きて下さい」

 するとゆっくりと瞼を開けた根岸が、焦点の定まらない目つきで恭子を眺める。対する恭子は上から覗き込む様にしながら、根気強く声をかけた。

「しっかりして下さい。大丈夫ですか? ぐっすり眠り込まれていて、なかなか目を覚まされないので、もう少ししても駄目だったら救急車を呼ぼうかと思いました」

「そんな大袈裟な……、よっ、と」

 そこで漸く意識がはっきりしたらしい根岸は、苦笑しつつ上半身を起こした。次いで現在時刻を確認しようと、外してある自分の腕時計や掛け時計の類を探して視線を動かす。


「どれ位寝ていた?」

「かれこれ三時間近くになります」

「そんなにか?」

 本気で驚いた根岸に、恭子は真顔で頷いた。

「はい。お仕事でお疲れの所にお酒が効き過ぎたみたいですから、無理に起こさなかったんです。今は意識ははっきりしているみたいですし、そろそろ帰りましょうか」

「帰るのか? まだ時間は大丈夫だが」

 何もしないで帰る事に対して、未練たらたらの様子を隠そうともしない根岸だったが、恭子は真剣に言い聞かせる。

「もし万が一、コトの最中に具合が悪くなったらどうするんですか? 隠そうとしてもどこからか話が漏れて、社内での専務の立場が悪くなりますよ? それに最初から奥様に、不審がられる様な行動は避けたいんです」

「まあ……、それは確かに、君は気にするかもしれんが」

「それに……」

 根岸が不承不承頷いた所で、恭子は根岸の腕を取って両腕で抱え込む様にしながら、ベッドに座ったまま根岸にすり寄って軽くもたれかかった。その体勢で低く囁く。


「私……、専務とは、社長よりも長いお付き合いが出来そうな気がするんです。ですから今日のところは焦らないで、日を改めて仕切り直ししませんか?」

 そう提案した後、同意を求める様に微笑みつつ恭子が根岸に視線を合わせると、社長である昭に対する優越感を植え付けられた根岸は満足そうに頷いた。

「そうだな。コトの真っ最中に何かあったら、私の立場が無いな。気遣ってくれてありがとう」

「あら、一般的な社会人の気配りとしては当然ですわ」

「一般的な社会人、ね……」

 両者ともそこで含みの有り過ぎる笑顔を交わし合い、今夜はこれでお開きにする事を確認したのだった。


 そしてホテルを出て幹線道路まで二人は、流していたタクシーを拾い、恭子が「反対方向ですし、お疲れの様ですから、どうぞお先に」と譲り、根岸が使う事で話が纏まった。


「それでは専務、気をつけてお帰り下さい」

「ああ、今夜はすまなかったな」

 軽く頭を下げた恭子に鷹揚に頷いて見せてから、彼女の顔を半ば強引に上に向けさせ、無言でその唇に自分のそれを重ねた。内心うんざりしたものの、そんな事は微塵も態度には示さず、恭子が大人しくされるがままになっていると、調子に乗った根岸が自身の唇で恭子のそれを押し開き、その間に舌を割り込ませてくる。それでも恭子は余裕でそれを受け、滑らかな動きでそれに合わせた。

 少しして一応気が済んだのか、タクシーを待たせている事に思い至ったのか、根岸はゆっくりと恭子から離れた。その為、恭子は改めて別れの挨拶を口にする。

「それではおやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 そうして満足げにタクシーに乗り込み、後部座席から上機嫌で見上げてきた根岸に恭子が変わらない笑みを向けていると、ゆっくりとタクシーが走り出し、それが見えなくなるまで恭子は軽く手を振りながら見送った。しかし角を曲がって完全に見えなくなった途端、忌々しげな顔付きになる。そして口の中の唾を乱暴に路上に吐き出し、つい先程までの穏やかな微笑からは想像も出来ない悪態を吐いた。


「はっ! あれで可愛がったつもりかよ……。人の断り無しに、気持ち悪い舌突っ込んでくんじゃねぇぞ、ど下手糞野郎が。どうせあっちの方も大した事ないくせに」

 そして不愉快な感触を消そうとする様に唇をこすった恭子は、口紅が手の甲や指に移って薄くなった状態になってから漸く気が済んだらしく、手の動きを止めた。そしていつもの《川島恭子》の笑顔になって、満足そうに呟く。


「でも……、これで取り敢えず一人片付いたわね。なかなか良いペースだわ」

 そして根岸の事をあっさりと意識外に追いやってタクシーを捕まえた恭子は、他の排除対象者への裏工作の算段を考えながら、帰途についたのだった。


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