道案内人
夏のとある日、ラ・テは森の中で獲物を探し歩き回っていた。時折視界内にチャモの姿が入り込む。チャモは咲いている花を探してそこらを飛び回っている様子だった。白い大きな蝶の羽をふよふよさせて、タンポポからアカツメクサへと浮遊する後ろ姿を木立の間に垣間見た気がした。男の姿を左手の崖下に見たのはその時だった。銀色の髪長髪、濃い茶色の肌をした男が傾斜の下の獣道を歩いていた。同種だと一発で分かる。ダークエルフの男に特有の白斑が額と頬にくっきりと浮き出ている。近付くつもりは無かった。旅行者らしき男は放って置けば歩み去るだろう。ラテは木立の間に半分身を隠したまま男の行動を見ていた。
「だあれ?」
いつの間にかラテの背後についたチャモが逞しい肩に小さな両手を置く。ラテは唇の前の指を立て、静かにする様ジェスチャーをする。エルフと同じく長く尖った耳を持つダークエルフは聴覚が鋭敏だ。チャモの声に気付いた男は歩みを止めて、ラテ達が居る辺りに鋭い視線を寄越す。
「ラテのお友達?」
チャモは男を見ながら喋り続けている。チャモの声から二人の居場所を特定したらしき男。ラテと男は睨み合ったまま動けなくなる。傾斜の下のいる男と目が合っていると気付いたチャモが男に向かって手を振り始める。男は表情を変えない。ラテの存在が男を緊張状態にさせている。それは傾斜の上から男を見下ろすラテも同じだった。草木を揺らす風の音だけがさやさやと辺りを支配していた。膠着状態を破ったのは大きな白い蝶だった。チャモはラテの肩に置いた手を軸足にして前方へと飛び立つ。ラ・テはチャモを止めようとするが、大きな羽に阻まれて捕まえられない。繊細な蝶の羽はラテが触れれば簡単に破れてしまう。ラテはチャモを傷付ける事を恐れていた。動けずにいる男達を尻目に蝶の羽を持つ女は斜面をスローモーションで降下して行く。男にチャモを攻撃する意思はないらしい。チャモの接近を許している。チャモはラテより年下に見えるその男と何事か話し始める。距離があるので聞こえる会話は不明瞭だ。南東を指し示すチャモ。男はそちらに向かって歩み出す。チャモは男に向かって手を振る。木々の影と同じ深い闇色の肌の男は振り返り、一瞬チャモに対して手のひらを見せる。その後は繁みの奥に分け入ってしまった。男が藪の中を進む音がまだ続いている内に、チャモが飛んで傾斜を上がって来る。
「あいつは」
チャモの無事な姿を改めて確認し、少し安堵した表情のラテがそう声をかけた。
「フェロウ?」
「フェロウ?奴はそう名乗ったのか」
「うん。リラヤギン山に行きたいって言うから方向を教えたの」
「……逆だぞ」
「え?」
「お前が指していたのは真逆だ。あいつ反対方向に進んで行ったな」
「どうしよう」
ラテの指摘にチャモは青ざめ、口元を両手で覆う。
「散々迷うだけだ。死にはしないさ」
ダークエルフの男の頑健さを身を持って知るラテは捨て置く気満々だ。
「ちょっと行って来る」
「待て。流石に危ない。あいつが本当は危険な奴だったらどうする」
「フェロウは大丈夫だよ」
「初対面の奴を信じ過ぎだ。ダークエルフが善良な種族な訳ないだろ」
「………」
チャモはダークエルフは危険だと言うダークエルフの顔をまじまじと見つめる。妙な間があってから
「うん。分かった。行って来るね」
ラテの発言を完全にスルーする事に決めたチャモは胸の前に拳を固めながら後半を喋っている。
「何が分かっただ。聞く気ないだろ。もう良い。俺も行く」
折れないチャモに諦めたラテはため息混じりの言葉を吐き出した。
上空からフェロウの姿を探せるチャモは高く飛んで、木々の上から彼の姿を探していた。先を行くチャモを見失うまいとラテが必至に藪を掻き分けて進む。
(何で見ず知らずの奴の為にこんなに汗までかいて必死になって歩かなきゃならないんだ)
ラテは刺草の群生地を突っ切る羽目になり、不機嫌なガーゴイルもかくやと言った表情になっている。顔を守ろうとして前腕が両方共刺草の棘に覆われ、蜜蜂か赤蟻にでも刺されたような鋭い痛みが間断無く続く。だが痛みにかまけていると上空を飛ぶチャモを見失ってしまう。
(糞がっ。あんな奴さっさと殺しておけば良かった)
ラテが殺意すら湧いてきた頃、チャモの呼び掛ける声が前方から聞こえて来た。
「待ってー。フェロウ。止まってー」
ラテはフェロウとチャモが出会う場に立ち会わねばとスピードを更に上げた。鋭い葉を持つ熊笹に太ももを切り裂かれたが、それどころではない。
フェロウとチャモは木立の向こう、黄色い百合と蛇苺の咲く草地に立っていた。正確にはチャモは草丈の少し上で浮かんでいる。
「ごめんね。方向が間違っていたの」
「それでわざわざ追いかけて来たのか。馬鹿丁寧な連中だ」
ラテの出す派手な物音に気付いたフェロウはラテの方も一度振り返って確認してから言っている。フェロウの物言いにラテの眉間に薄く皺が寄る。
「助かる」
フェロウはチャモのアメジストの瞳を見つめてそう言った。チャモはフェロウの言葉に無垢な笑顔を見せる。
「あっちだから。今度は間違わないでね」
間違ったのはチャモなのだが、何故か嘘を教えた当人が上から目線で発言し始める。言いながらチャモは日の昇る方角を指す。
(馬鹿。違う。そっちは東だろ)
焦ったラテは小枝をぶん投げる。
「危なっ。何?何なの」
飛んで来た小枝を肩をすくめてかわし、チャモは怪訝な顔でヤチダモに半分隠れるラテを返り見る。ラテは何故か口パクで何かを言っている。小声過ぎて少し離れたチャモには全然聞き取れない。
「何?は?聞こえないんだけど」
チャモはますます怪訝な表情を深めていくだけだ。
「あいつは何がしたいんだ」
ラテとチャモのやりとりを暫く眺めていたフェロウがとうとう口を挿む。
「分かんない」
そう言ってチャモは目を細めてラテをじっと見つめる。
「あ、分かった。伝言ゲームかな?」
手を打ち合わせながらチャモは言った。
「暇な野郎だ」
とフェロウが言うのとほぼ同時に
「違うって言ってんだろ」
がなりながらラテが大股で二人に近付いて来る。
「間違いを訂正しに来てまた嘘を教えてどうする。ここまで来た意味ねえだろ。そっちは東。リラヤギンはこっち」
ラテはがたいに見合う重低音でがなりながら、がしがし草を踏みつけ二人に近付いて行く。そしてラテはチャモが指したのとはまた別の方角を指し示す。
「そしてテメエは今、何つった」
ラテは、フェロウとチャモとで三角形を描く位置にまで近付くと足を止め、フェロウにガン飛ばしている。
「暇なのか?」
「あー。聞こえない。何も聞こえないよー」
喧嘩を買う気満々で視線を絶対に外さないフェロウの発現に被せて、チャモが大声を張り上げる。
「そこは有難うだろうが。悪魔以上に根性ねじ曲がってんな」
「あ''?」
ラテの発現にフェロウの発する雰囲気も危険な色を帯びてくる。
「双子?それとも兄弟?」
二人の顔を見比べていたチャモは、ラテとフェロウが驚く程似た特徴を持つ事に気付いて言った。
『違う』
睨み合っていたはずの二人の声が重なる。
「親戚?もしかして親子?」
まだチャモはラテとフェロウの両方を指差しながら言っている。
「お前はいつこんな人相の悪い子供を産んだんだ。顔面で人殺せるレベルだぞ」
ラテはやっとフェロウから視線を外し、チャモに向かって言っている。
「おいっ。お前にだけは言われる筋合いねえからな。どっからどう見ても恐怖レベルはてめえの方が上じゃねえか」
フェロウは確かに恐ろしい顔がデフォルトのラテに指を突きつける。
「そんな事ないよぉ。怖くないよ」
チャモはラテが怒り出すのを止めようとラテをなだめにかかる。
「少〜し目付きが良くなくて、少〜しガーゴイルに近いだけだから。全然大丈夫だよ〜」
「ブッ」
チャモの発現にフェロウは横を向いて吹き出す。
「ラテは怖くない。優しいと思えるかも知れない時が年一であるかないかくらいはあるからねー。大丈夫だよ。優しいよ〜」
「褒めてるんだよな。それはずっと慰めようとして言っているんだよな」
ラテはじっとりとチャモを睨む。
「嫁にくらい優しくしてやれよ」
フェロウはとうとう腹を抱えて笑いながら言っている。
「てめえは黙ってろ」
フェロウを一喝するラテの尖った黒い耳の表面をパリパリと音を立てて鋭い光が螺旋を描きながら走る。フェロウの表情が曇る。精霊の気配を感じ取ったフェロウは、ラテもまた精霊使いかもと勘付く。途端にフェロウは警戒態勢に入る。
「行こう」
場を収めようとチャモはラテとフェロウの間に体を入れる。フェロウをこの場から引き離そうとして両肩を押してフェロウをどこかに誘導する。フェロウは子供に近い背丈のチャモに押されたくらいじゃびくともしないが、チャモに従って後退する。怒りの行草のラテから視線を外さないまま。
「ごめんね。本当は怖くないんだよ。本来だよ」
随分離れてラテの姿が小さくなってからチャモはフェロウに言う。
「あんな激ヤバな男と一緒にいてあなたは大丈夫なのか」
「口も悪いし、顔も最上級に怖いけど、チャモを傷付けたりしないよ。た〜まに愛してるって云ってくれるし」
「気色悪い情報をどうも」
吐きそうな顔になってフェロウは言う。
「チャモに触りたくなると言うみたいなの。その事と関係あるのかな。どう思う?」
「これ以上何の情報も知りたくないから、その先は絶対言うな。俺の返答はノーコメントだ」
掌をチャモに翳すフェロウ。
「そっか。知りたかったな」
「あいつに直接聞け」
「後で聞いたらそんな事言ってないって言うんだもん」
「面倒臭い奴だな」
フェロウは渋面だったが、突如何か閃いて広角を上げて言い募る。
「それは照れて言ってるんだ。ダークエルフの男がそうやって誤魔化すのは、真実を口にしている証拠だからな」
「本心って事!?」
チャモは瞳をキラキラさせてフェロウを見つめている。
「あいつはあんたに惚れてるよ。じゃなきゃ金魚の糞みたいにずっと付いて歩いたりしない。ダークエルフは自己中な個人主義者が多いから」
フェロウは遠くからまだじっと二人の様子を見ている漆黒の大男を見やる。
「ありがとう。フェロウに会えて良かった」
チャモはキラキラ輝く笑顔を見せた。
「さあ、もう行こうかな。あいつがまたキレると面倒だ」
「そっか。じゃあ、こっちのブナの林の方角だよ」
チャモは右手を指差して言う。
「……あいつはさっき、こっちって言ってなかったか?」
フェロウは目を細めチャモの前方を指差しながら言う。
「そう?そんな事あった?」
チャモもまた怪訝な表情になっている。
「良いよ。チャモを信じるか、ラテを信じるか決めて」
チャモは何故か空中で胸を張りながら言う。自説を曲げたくない気分らしい。
「あいつは糞野郎だが、あんたより方向感覚だけはましみたいだ。じゃあな。チャモ」
フェロウは言うと、さっさとチャモに背を向けて歩み去る。
「またね〜」
チャモが大荷物を背負ったフェロウの背に手を振りながら声をかける。
「二度と来んな」
チャモの更に後ろからラテの野太い声が響いて来る。
「酷い事言わないで。チャモのお友達だから」
チャモはラテを振り返って口を尖らせて言う。
「もっとましな友達作れ。知らん男にべたべた触んな」
「だから。フェロウは知らん男じゃなくて友達だってば」
「余計に悪いわ」
「何で?チャモが友達作って、仲良くする事が悪い事?」
チャモの無垢な質問に答えに窮したラテは横を向く。何か口の中でだからって触らなくてもとかぶちぶち言っている。
「結局はリラヤギンに向かったな。嘘教えときゃ良かった」
日を浴びて白く見えるフェロウの大荷物の背に支線を移してラテは言う。チャモの質問は聞かなかった事にしようとしている。
「間違ってるよね。リラナンタラは本当はあっちだって教えたんだけど」
チャモは自分の右手を指す。真顔で言っているチャモの目をまじまじと見てしまうラテ。
「危ないとこだった。お前は二度と道案内しようなんて考えるな」
呆れ顔のラテは言う。
「森で道に迷った人を助けるのはフェアリーのお仕事だもん。チャモは昔から得意なんだから」
得意満面のチャモ。何故か自信満々だ。
「なるほど。そうやって旅人がどっかに消えてゆく訳だ」
「どうゆう事?」
チャモは本当に意味が分かっていなくて、聞き返している。旅人を惑わし道に迷わせる為にフェアリー全てに方向音痴機能が付いているのかは不明だが、チャモがこうやって迷子の旅人を何人も作り出してきたのは事実らしい。神隠しの秘密の一端を知ったラテは呆れて口もきけない。開きっぱなしの口のまま頭を横に振っている。
「教えてよ。ねえってば」
家路へと進むラテの筋肉の盛り上がった肩に掴まって、ラテを質問攻めにしながら浮遊する白い蝶の姿がある。
「チャモ合ってたでしょ?ねえ、偉かったって言ってよ」
まとわりついてくるチャモの存在を振り払う様子も見せないラテはどこか嬉しそうだった。
「本当にフェロウとラテは兄弟でも親子でもないの?」
チャモはラテの顔を横から覗き込むようにしている。眼光鋭い目の、瞳の色は奥まっていて判別は難しく、ただ暗い色に映る。明るい場所で見れば灰色だとチャモは見知っている。額と頬に矢の先に近い形の白斑がある。眉も睫毛も頭髪と同じ銀色で、顔を構成するほとんどが黒と白で出来ている。
「お前は他のダークエルフに会った事がないだろ」
ラテは横にいるチャモに視線を寄越す。
「会ったよ。ベルちゃん」
ベルはラテの妹だ。
「ベルは女だ。男のダークエルフを俺以外で見た事は?」
「フェロウにさっき会った」
「だろ。他のダークエルフを知らないから、似た点が際立って見えるんだろうな。痣も高身長も、ダークエルフの男が持つ特徴で、俺達二人に限った事ではない。でも異種族から見て俺等の見分けがつかなくても不思議ではないよ。蜂の個体差が判別出来ないように。そうだろ」
「顔とか似てない?」
「種族的特徴が一致しているだけだろ。一般的に怖い顔だとか、怒っているとか言われるから」
「白い模様も一緒なの?」
「個体差がある。痣の形はそれぞれ違う。俺はダイヤに近いが、あいつは雫形だったろ。痣の無い男は見た事はないし、女に白い痣は出来ない」
子供の頃の朧気な記憶ではラテの父に白斑はあったし、母には無かった、気がする。その頃の記憶はもう薄れていて、三百年以上昔の事に思える。安定した家庭環境ではなかった記憶はあるが、早々に家を出た身としては、もう無関係なだけだ。反抗的なラテと折り合いの悪かった父親に会いたいとは思えないし、今更会った所で向こうも嫌がるだけだろう。仲が良いとは言えなかった父母がまだ一緒に暮らしているとも考えにくい。つまりラテには帰りたい家など存在しなかった。ベルと暮らした森やチャモと暮らすこの森だけが、彼の居場所だった。ラテが青年期に暮らしていた森に妹のベルが突然やって来て、一緒に生活する事になり、大変な事もあったが、ラテにとってそれは幸福な時間だった。その昔、産まれたばかりのベルは無条件に兄を愛した。赤ん坊のベルにとって年齢の一番近いラテは最愛の存在だった。ラテは見返りを一切求めずただ愛を叫ぶ存在に初めて出会い、圧倒されて、愛を返すしか彼が取れる手段はなかった。それからずっとラテはベルを溺愛して来た。ベルの失踪と邪神の新ジャが起こした誘拐事件を経て、ベルはケンタウルスの青年と共に去った。そしてラテの側にはいつの間にかチャモがいた。ラテにとってそれが愛なのか彼は知らない。正しい愛情など誰も彼に教えなかった。ラテが知る愛はベルが教えてくれた物で、チャモが与えてくれた物だった。
チャモの小りす似の顔を眺める。
「白樺」
チャモは言うとラテの肩から音もなく飛び立つ。剥き出しの手足が白く映る。足の裏が汚れていないのは彼女が地面に足をつける習慣を持たないからだ。チャモは浮遊を苦にしないが、エネルギー消費は莫大らしく、気付くと常に食べている。今は白樺の樹液をチェックしに行ってしまった。少女の姿はしているが、その動きだけを見れば蝶類と同じに見える。白樺の木の周囲を飛び回り樹液が出ていないかを調べている。老いる事を知らない永遠の少女の姿をした女の浮遊する様子を眺める。
「きゃあ」
白樺の木の上方の葉の間に顔を入れていたチャモが突然声を上げ、ラテの方へ逃げて来る。見れば後ろから大型の蜂が追いかけて来ている。
「わっ。馬鹿。こっち来んな」
ラテは言うがチャモはラテの背後に回り込み、凄まじい羽音を立てる雀蜂はラテの周囲を飛び回る。ターゲットはより黒い色をしたラテに移ったようだった。
「違うよ〜。あなたを攻撃したりしないからね。もう怒らないで」
チャモはラテが襲われている隙に少し離れた杉の木の向こう側に回り込み、安全な場所から怒れる雀蜂を説得しようとしている。
「チャモ。お前な」
ラテは蜂から逃げ回りながらチャモに怒りをぶつけようとするが上手くいかない。雀蜂の攻撃をかわすので精一杯だからだ。
チャモは暫くラテと蜂さんのダンスを眺めていたが、ものの数分で飽きた。暴言を吐きながら蜂と踊る男は放置して、クローバーの花の蜜を吸い始めた。美味しい。太陽と南風の味がした。今日も良い日になったし、明日もきっと良い日になるだろう。アカツメクサの甘い蜜にとろけながら、チャモは幸せを感じていた。




