卒業パーティでようやく分かった? 残念、もう手遅れです。
貴族の伝統が根づく由緒正しい学園、ヴァルクレスト学院。
そのような中、初の平民かつ特待生の身分で入学したフィナ。ふんわりと内巻きの髪は淡いローズピンク。それはシャンデリアの光に合わせて、繊細な花びらのように淡く輝いた。大きな蜂蜜色の瞳は柔らかく暖かい色を宿し、庇護欲を掻きたてられるような愛らしい容姿をしている。
彼女は卒業生代表の挨拶を無事に終え、今は卒業パーティが開かれている会場の隅で、グラスを手にしていた。
(やっと終わった……)
大きな安堵と明日からの不安を胸にグラスに口を付けていると。
ざわり、と会場中が騒めいた気配に、思わずグラスから口を離す。顔を向ければ隣国クロニア帝国の皇太子ノアディス・アウレストが、静かな足取りでこちらに向かってきていた。
月光を織り上げたようなプラチナブロンドがシャンデリアの光に合わせて神秘的に煌めき、薄い水色の瞳は氷のように澄んだ色だが、冷たさを感じさせない柔らかな光を宿している。ほっそりと整った中性的な美貌は、男女の区別なく、ほう、と溜息の溜息を落とさせた。
フィナは慌ててグラスを近くのテーブルに置き、カーテシーを披露した。
「クロニア帝国の皇太子、ノアディス・アウレスト様におかれましては、ご機嫌麗しく」
「ああ、楽にして構わないよ」
その言葉に、フィナは少しだけ力を抜いて姿勢を正した。
ノアディスは水色の瞳を細め、口を開く。
「我が国への留学以来だね」
「ええ、短い期間ですが学ばせていただいたこと、感謝いたします」
フィナの感謝の言葉に、水色の瞳が優しく細められた。それにフィナの目も自然と細められる。
「クロニア帝国では身分に関わらず平等に教育を受けることができます。我がナーヴェル王国はその教育制度を取り入れることにし、平民にも門戸を開き」
「そのモデルケースで入学したのが、君、という訳だね」
「申し訳ありません、余計なことを言ってしまいました。アウレスト殿下には既にお分かりのこと。今更ですね」
「気にしなくていいよ」
穏やかなノアディスの笑みにつられるようにフィナも笑みを零す。胸の辺りが暖かくなるのを、そっと手で押さえながら。
「3年間に渡る学院生活はどうだった?」
ノアディスの問いに、フィナは笑みを崩さずに答えた。
「『優秀な』先生方には、身分など関係なく公平に教えを賜りました。それに数えきれない程の蔵書の量ときたら……学ぶための環境は充分に整っておりました」
「それは何よりだね」
「ただ……」
ここで言葉を切り、頬に手を当てて首を傾げてみせる。
「私、恥ずかしながら『貴族』という身分の方々と接するのは、この学院に来てから初めてだったんです」
「おや、それならより勉強になったのではないのかい?」
「ええ、平民では教わらなかったマナーの『授業』は非常にためになりました」
「そうだね、マナーの授業担当教師イザベル・モンクレア女史は非常に優秀だと聞いているよ」
「はい、厳しくも優しく教えていただきました。そして学んだことは」
『貴族は血筋や地位によって尊ばれるものではありません。その振る舞いや言葉遣い、そして人を思いやる心こそが真の高貴さを形作るものです』
「なるほど、素晴らしい教えだ。確かに『貴族』というものはそうあるべきものだと私も思うよ」
ノアディスは何度も感心したように頷いた。
「まあ、アウレスト殿下もそう思うのですね。だから不思議だったんです」
フィナはす、と静かに目を細めてみせる。
「高貴な存在である『貴族』の方から、私に対して品位を欠く対応が続いていたことに」
しん、と会場が静まり返った。
落ち着きなく目線を交わしたり、顔を青ざめせている者たちは心当たりがあるのだろう。それをちら、と視線の隅に追いやりながら、ノアディスは尋ねた。
「おやおや、それは聞き捨てならないね。差し支えなければどのような対応をされていたのか、聞かせてくれないかな?」
やめろ、と声をあげかけた者がいたが、隣国の皇太子を止める権限がある者などいない。
フィナは「構いませんよ」と前置きしてから言葉を紡ぎ出した。
「まず、『女のクセに』はよく言われましたね。『貴方こそ男のクセに』って言い返してやりたかったですよ。自分はそう言われると怒るクセに、理解が及ばないんですね。あと、貴方はその女から生まれたんですよね? 女性軽視にも程がありますよ」
「それに『平民のクセに』も言われました。これは男女問わずですね。私がヴァルクレスト学院に入学した経緯も理由もきちんと周知されている筈なのに、何を聞いていたんでしょうか? それに身分差別を堂々と口にされるなど、今までどのような教育を受けていらっしゃったのでしょうね?」
「貴方がたの着ている衣服、口にする食物、使っている道具、住んでいる屋敷……それら全て『平民』の手が入っていないものなどないというのに。そうして貴方がたに入って来るお金は、『平民』の血税からなっているものだというのに」
「そんな基本中の基本を分かっていない『貴族』の方が、ここヴァルクレスト学院に数多くいらっしゃるなんて……ナーヴェル王国の『貴族教育』は根本から見直した方が良いのでは、と思ってしまいました」
一部の貴族が今にも射殺さんばかりの目で睨むが、フィナは涼しい顔でそれを受け流す。
「ああ、また『平民如きが』ですか? じゃあ、その平民にここまで言われる、この国の貴族の方々ってなんなんでしょうね?」
そう尋ねられ、ノアディスは目を細めた。
「本当になんなんだろうね?」
その問いは、様子を窺っていた貴族たちに向けられたものだった。口は笑みを浮かべているものの、水色の瞳は笑っていない。その迫力に、貴族たちはゾッと背筋を震わせた。
「ですが、それもまた良い経験であり、糧となりました」
にこやかなフィナの声に、安堵の空気が満ちた。
が、それも一瞬だけだった。
「例え聞えよがしに悪口、遠くから扇の影に隠れて陰口を言われたり、教科書やノートを水浸しにされたり、『学院を退学しろ』等という手紙が何通もロッカーに入っていたとしても」
「所詮この人たち私より成績が下なんだと思えば、腹もたちませんでした」
瞬間。
ぴしり、と音をたてて空気が凍り付いた。
「マナーの授業だけは遅れをとってしまいましたが」
「それは仕方がないよ」
「そう言っていただけて、感謝いたします。モンクレア先生には『王族の前でも引けを取らない』と太鼓判を押していただけましたが、まだまだ精進せねばと思っております」
表情を引き締めるフィナに、ノアディスは「素晴らしいね」と微笑んだ。
そしてフィナは目を細め、口を開く。
「自分よりも上の成績を修めた者を妬み、排除しようとするなど無駄な努力をお続けになるなんてと、むしろ哀れみを感じました。そのような事をする時間があるのなら、自身を高めるための努力や勉強をするのが一番なのに」
「そうだね、努力や勉強を『今時』しないだなんて考えられないね。……どうやらナーヴェル王国の貴族たちの思考というのは、大幅に遅れているようだ」
「ええ。あらゆる意味で『遅れている方々』に何を言われ、何をされようとも、どうでもいいんですよね」
凍り付いた空気の中、穏やかな会話を続ける2人。
取り囲む貴族たちは気付いてしまった。
彼らの眼中に、とうに自分たちはいないのだと。
戦慄に震えていると、突如フィナがこちらを向いて表情を消した。
「ですがこれまで受けた被害は弁償していただきたかったので、それぞれのご家族に受けた被害を詳細に記したお手紙を送付いたしました」
「それだけでは真摯にご対応いただけない可能性を鑑みて、新聞社にもヴァルクレスト学院で私がどのような仕打ちを受けたのか、その詳細な情報を売りました」
ざわっ、と会場中が不穏な空気に包まれた。中には悲鳴のような声も聞こえたが、フィナは意に介さない。
「貴方がたが見下している『平民』はゴシップが大好きですからね。それが『貴族』なら尚更です。そういえば、中にはその平民……商人と懇意に取引をしている御家も……失礼、ほぼ全ての御家がそうでしたね」
フィナの目の奥に、虚ろな光が灯った。
「明日からのお取引に支障が出ないこと、心からお祈りしています」
「無理だろうね。君が入学した時『平民初の特待生入学』『平民の希望の星』と何度も新聞で報道されていたから」
ノアディスがすっぱりと断言すれば、貴族たちの顔はますます白くなった。中には慌てて会場を後にする者もいたが、もう遅いだろうに。
「そんな高位貴族の子息や令嬢が通われる中、『平等な』成績を付けてくださった先生がたには本当に感謝の念が絶えません」
「教職員には指導が徹底されていたのに、肝心の生徒には伝わっていなかったのか。……なるほどね」
ノアディスはふむふむと頷きながら、取り囲む貴族たちに視線を走らせた。絶対零度を思わせるようなそれは、向けられた者を容赦なく震え上がらせる。
「アウレス殿下。先程も言いましたが、もうどうでもいいんです。それに」
「明日からはクロニア帝国にて、宮廷事務官として働くのですから」
ざわっ! と。
さらに大きな騒めきが起こった。それを他所にフィナは言葉を続ける。
「クロニア帝国で職場を見学させてもらった時、本当に驚きました。皆さま生き生きと働いていて、身分など関係なく積極的に意見や情報交換をされていましたから」
『ナーヴェル王国とは大違いです』と言外に含ませたことに気付いた者は、わなわなと身体を震わせていた。
「クロニア帝国であれば、学院で学んだことを何の気兼ねもなく思う存分に発揮できる、そう感じました」
「おや、嬉しいね。期待しているよ」
「ありがとうございます。精進いたします」
フィナが優雅に完璧なカーテシーを披露してみせると、ノアディスは大きく頷いた。
「では、先生方、そしてアウレスト殿下にもご挨拶が出来ましたし、私はこれにして失礼いたします」
「ああ、気を付けてね」
再度完璧なカーテシーを披露したフィナは、スカートを押さえながら足早に会場を後にしていった。貴族たちは最早呆然としており、止めることさえしない。
そうした中でノアディスはその背を見えなくなるまで見送り、足を踏み出した。向かう先は。
「グラシオン校長殿」
ヴァルクレスト学院校長、ヴェリティ・グラシオン。彼は眉間に深く皺を寄せ、難しい表情をしていた。
「優秀な人材を生み出してくれた……までは良かったが、その人材が他国に流れては本末転倒ではないだろうか? しかも『モデル』とした国に」
「仰る通りです」
ヴェリティは重々しく頷く。顔に刻まれた古木のような皺は、苦悩に満ちているようにも思えた。
「時勢は刻一刻と変化している。だというのに、未来を築くべき若者が古く凝り固まった思想に囚われているのは何とも哀れで可哀想だとは思わないか?」
「その通りです。幼い頃より受けて来た筈の『貴族教育』。これをまずは徹底的に洗い直す必要があります」
その答えにノアディスは、静かに目を細めるだけに留めておいた。
「そう、その『幼い頃』まで遡らないと意味がないんだ。フィナ嬢には、新聞社に送ったものと同じ報告書を既に受け取っているから、これを元に少しでも改善案を出さないといけない。ああ、私も付き合ってあげるから安心してよ」
「……恐れ入ります」
ヴェリティが深々と頭を下げるのに、ノアディスは少しだけ頷き、そして未だ固まっている貴族たちへと顔を向けた。
「ああ、安心してよ。私は君たちをどうこうしようなどと微塵も思っていない」
安堵の溜息が吐かれた。
瞬間。
「もう君たちは手遅れだからね」
芯まで沁み込んだ思想を掻き消すなど出来はしない。
それが自分自身あっても。
阿鼻叫喚に陥った会場を教員たちが収めようとするのを尻目に、ノアディスはヴェリティを促してその場を後にした。
(終)




