第4話 かつて最強の異能力者だった青年④
凍てついたように動けない神崎、武藤、そしてコックピットに座す捻子巻。三人のこめかみを汗が伝い……ぐっと歯を食い縛って真っ先に自身の硬直を解いたのは神崎花恋だった。
「あんたたちは骸骨どもの相手をして!」
返事も待たずに猛火を直下に噴射して上空に向かって飛ぶ神崎。
相手に行動をとらせてはまずい。その直感だけが彼女を突き動かしていた。
脇目も振らずに神崎は山羊頭の異形へと突っ込んでいく。距離を詰めたところでブレーキをかけ、続けざまに敵に向かって掌底を向ける。
「木っ端微塵に消し飛びなさい!」
瞬時に生成された火球が異形に向かって発射される。それは避ける暇さえ与えず異形に着弾した瞬間、夜を真昼に変えるほどの閃光を伴って大爆発を起こした。
拡散する猛烈な爆風と異形を包み込む爆煙。自身が誇る最大火力の一撃が直撃したのだ、神崎は少なからず手応えを感じていた。
……だが、しかし。
「嘘でしょ……?」
霧散した爆煙の先に現れたのは、まったくもって無傷の異形の姿だったのである。
驚愕とともに、神崎は恐怖を覚えた。
不意に異形の人差し指が神崎へと向けられる。
指先に灯る、仄暗い炎の小さな球体。
「――――っ!」
反射的に神崎は回避していた。
ほぼ同時に放たれた極小火球が、彼女のすぐ脇を掠めるようにして弾丸のごとく飛んでいく。
狙いを外れた火球が、やがて彼方の地上に着弾する。
瞬間、半径数百メートルに及ぶ街並みが消し飛んだ。
大輪の火柱が天まで立ち上り、爆風を超えた衝撃波が周囲に拡散する。焔に呑まれて蒸発した建物はおろか、衝撃に曝された周囲の建造物までもがことごとく瓦礫と化して崩壊していく様は、もはや人の理解を超えた破壊現象だった。
「なんなのこれ……馬鹿げてる……っ!」
数秒前に自分が放った最大火力を優に超える一撃を目の当たりにした神崎は、もはや戦慄するほかなかった。
そしてその戦慄が隙を生んだ。気がつくと神崎の眼前に異形の姿があったのである。
「な――」
瞬間移動のごとき接近速度に反応が遅れた神崎の躯体を、異形のからだから伸びた漆黒の靄のごとき第三の腕が鷲掴みにする。
その不可思議な力がなんなのか考える暇もなく、神崎は地面に向かって投げ捨てられる。尋常を超えた膂力によって猛加速した彼女の躯体は、そのまま地上のアスファルトに激突して砂塵を巻き上げた。
「神崎さん!」
『花恋さん!』
骸人形の群れを迎撃しつつ、武藤と捻子巻が叫ぶ。穿たれたクレーターの中心に埋もれた神崎は、息はあるものの相当のダメージを負っている様子だった。
『くそうっ! 骸骨どもを頼むぜ武藤のおっさん!』
焦燥を滲ませた音声を発信しながら走り出すロボット。近くに停車していたフルトレーラー式の大型車両運搬車に触れると、操縦者たる捻子巻の異能力によってそれはたちまち巨大な射出砲台へと変形した。
『喰らえ化物!』
怒声とともに砲台が唸りを上げて稼働し、射出レールと化した荷台が角度を上げて山羊頭の異形に照準を合わせる。猛る稲妻が暴れるように弾け、積載していた乗用車が高速で連続射出された。
躊躇なく撃ち込まれる、稲妻をまとった超重量の弾丸群。
さらに間髪容れず、道端の道路標識を柱ごともぎ取ったロボットが背中から火炎をジェット噴射させながら爆発と雷光に呑まれた紫紺色の影に向かって飛んでいく。
煙が晴れてわずかに覗いた敵の胴体に向かって、ロボットは剣と化した標識を思い切り薙いだ。
『ぶった切れろおおおおっ!』
しかし、その刃が敵に届くことはなかった。
あえなく不可視の防御壁に阻まれる標識剣。完全に霧散した爆煙の向こうから現れる無傷の異形。コックピットのなかで捻子巻は目を見張り、そして忌々しげに奥歯を噛んだ。
『ガチのマジでチートだろ……!』
先ほど神崎を束縛したのと同じ黒い手が五本伸びて、ロボットの頭部に両手両脚をがしりと掴む。
ギギギ、と鈍い軋み音を鳴らしながら鋼鉄装甲へと漆黒の指が食い込んでいき、ついにはぐしゃりと頭部を握り潰した。まるで血飛沫のように飛び散る火花。さらには両手両脚も力尽くで引き千切られて、勇ましい外観をしていた人型の巨人はただの無様な鉄匣と成り果てた。
為す術なく落下した胴体が地面に衝突して悲鳴じみた音を響かせると、追うようにして投げ捨てられた四肢が虚しくその周辺を彩った。
もはや残骸と呼ぶしかない鋼鉄の塊からは、なんの声も聞こえない。墜落の衝撃によって、コックピット内で捻子巻は意識を失っていた。
「捻子巻くん……っ!」
立て続けにふたりのS級異能力者が蹂躙された事実に愕然としつつ、咄嗟に助けに向かおうとする武藤だったが、しかし地上にひしめく骸骨騎士の軍勢がそれを許さない。
斬っても斬っても押し寄せてくる骸の波。
「単純なタスクを延々と繰り返させられるなんて私が一番嫌いな仕事です、いい加減に飽き飽きですよ……!」
一刻も早く仲間のもとへと向かうべく全力で敵を斬り伏せていく武藤。
と、焦りを募らせながら敵を斬り続ける武藤へ不意に巨大な剣身が降りかかる。
武藤は咄嗟に交差させた両腕で受け止める。あまりに重たい一撃に腰が沈み、膝が折れて足裏がアスファルトにめり込んだ。
「ぐ……っ!」
尋常を超えた膂力に武藤の表情が歪む。しかしぐっと奥歯を食い縛り、武藤は敵の大剣を弾き返した。
「うおおおおおおおおおおっ!」
絶叫とともに振り抜かれた武藤の腕刀が、両腕を跳ね上げてがら空きになった巨人の胴体を鎧ごと断ち斬る。
だが武藤は動きを止めない。すでにほかの巨人骸骨までもが彼ひとりに狙いを定めて襲いかかってきていた。
肉を切らせて骨を断ちながら、武藤は無我夢中で巨躯の骸骨騎士たちを討ち、そして群がる小型の骸兵たちを屠り続けた。
しかしそれも限界を迎える。無数の裂傷を全身に負い、至る箇所の骨が折れて砕けた。苦痛と疲労によって武藤の意識は朦朧とし、そうして生まれた注意の間隙に巨人の振るう無骨な大剣が滑り込んだ。
辛うじて敵の剣を受けた武藤の左腕が砕け、勢いそのままに横薙ぎの大剣が横腹に叩き込まれる。吹き飛んだ武藤の躯体は無様に地面を転がり続け、やがて静止した彼の姿は、まるで壊れた模型人形のようだった。
『なんてことだ、まさかS級異能力者三人全員がやられてしまうなんて……!』
ヘリから見守っていた操縦士の双眸に愕然と絶望がない交ぜになった感情が浮かぶ。
どうにか顔を上げる武藤。
眼鏡を失い、額から垂れた血に赤く染まった瞳が夜空を見上げる。
山羊頭の異形が手に向かって突き上げた右の人差し指のその先に、得体の知れない禍々しい光の球体が発生していた。
闇色のうねりを内包した光球体はたちまち大きく膨れ上がっていく。
たとえその正体がなにかはわからなくとも、しかしそれがなにをもたらすものであるかは明白だった。
それは、世界を終焉に導く破壊の一撃。
『全機、上空の対象へ攻撃を集中させろ!』
無線指示に従って武装ヘリが搭載した火力のすべてを山羊頭の異形に向かって集中砲火する。だがしかし、それらのことごとくが不可視の防壁によって阻まれて異形には届かない。
やがて最大径――直径数十メートルの大球体――へと膨張を果たす紫紺の光塊。
山羊頭の異形がゆっくり右腕を振り下ろすと、その動作に従って破壊の小太陽が人類の営みに向かって墜落を始める。
曖昧な視界を徐々に占領していくそれを認めながら、武藤は諦観した。
ああ、これで世界が終わってしまう――。
――紫紺の破壊光球が、唐突に動きを止めた。
周囲を飛ぶヘリの操縦士たちや武藤が時間が止まったように呆然とそれを見つめるなか、悠然とした足音を伴ってひとつの人影がその場に姿を見せる。
地面に倒れ伏す武藤の隣を通り過ぎて、骸骨騎士の軍勢の前に立ち塞がるようにして足を止め、足音の主は頭上に浮遊する山羊頭の異形をつまらなそうに見上げた。
現れたのは――二十歳くらいの黒髪の青年だった。
ごく平均的な身長に細めの体つき。どことなく陰気な顔立ちは引きこもりがちの怠惰な大学生といった風である。
ただひとつだけ明らかに普通と異なるのは――彼の瞳孔に妖しく煌めく白銀の紋様が浮かび上がっていることだった。
「遅れてすみません、武藤さん」
視線は上空の異形、そして停止する大球体へと向けたまま青年が呟く。
そしてまたぽつりと青年は続けた。
「――《絶対不可侵の両眼》」
その瞬間、停止していた大光球が山羊頭の異形に向かって上昇を始めた。まるで青年という存在からの拒絶に抗えず遠ざかっていくかのように。
山羊頭の異形は両手を突き出して光球を止めようとするが、もはやそれは異形の意志を受け付けなかった。
軌跡を遡った破壊の紫紺球体は、やがて自らを生み出した異形を呑み込み漆黒の上空で大爆破を引き起こした。
夜空が紫紺の閃光に染まり上がり、爆風が地上に吹き荒ぶ。
微動だにせず眼差しひとつで終焉を退けた青年を見つめる武藤の瞳には、いつしか失ったはずの希望が芽生えていた。
「来てくれたのですか……美野島或人くん」
青年──美野島或人は答えた。
「あとはぜんぶ俺に任せてください」