第17話 たまにならそっちから話しかけてきてもいいわよ
彼女の父親が剥奪されたということは、ハインヘーゲル家が魔導八賢の地位を失ったのはそう遠い過去の話ではないらしい。
一体なにがあったのか気にならないではなかったが、しかしセルシリア自身に語る素振りもなかったので俺からは訊かなかった。それに、むやみにこちらから干渉するのは俺の生き様にも悖る。
「魔導八賢の座を追われたハインヘーゲル家は、そのうち周囲から没落魔法貴族と呼ばれるようになったわ。同じ初代魔導八賢の直系魔法貴族からは軽蔑の視線とともに恥さらし扱いを受け、それ以外の魔法貴族たちからは嘲笑とともに散々愚弄の言葉を投げつけられた。ハインヘーゲルの人間は、いまや誇りという翼を捥がれ地獄に堕ちて終わりのない責め苦に苛まれているようなものよ」
俺はあの魔法史学の日、ミハエルがセルシリアに向けた底冷えするような眼差しと、周囲の生徒たちが漏らした忍び笑いを思い出した。あのような仕打ちを、セルシリアを含めたハインヘーゲル家の人々は魔法貴族社会全体から受け続けているのかもしれない。そのつらさや苦しみがいかほどのものか、もはや俺には想像もできなかった。
しかし、セルシリアは一転してその瞳に煌々とした決意を灯した。
「だから私はこの王立ロンドール魔法学院に来た。メルトバールで最も高等な魔法教育を受けることができるこの学院に。なんのためかは決まってるわよね。ここで最高の学びを得て、世界最高の魔法使いになって――魔導八賢の座を奪還するためよ」
俺の目を見つめながら、セルシリアは小さくも力強い笑みを浮かべた。
「私は必ず魔導八賢の称号をハインヘーゲル家の手に取り戻してみせる。私たちハインヘーゲルの人間には偉大なる初代魔導八賢の血が、誇り高き優れた魔法の血が流れてるんだって証明してみせる。そうしてハインヘーゲル家を地獄から救い出してみせる。その誓いと決意が、いま私が背負っているものよ」
上手く言えないが……俺は目の前の少女を強いと思った。
魔導八賢とは時代最高の魔法使いに与えられる称号だ。きっと数えきれないほどの魔法使いがいるこの世界で、同時に八人しか存在できない圧倒的頂点だ。まだ年端もいかない少女の身でありながらそこにたどり着いてみせると断言することは、俺が思っているよりもはるかに覚悟のいることだろう。
その覚悟に賞賛を送るとともに、素直に俺は応援したい。
「そっか」俺はセルシリアに微笑みを向けた。「なれるといいな、魔導八賢」
するとセルシリアは嬉しそうに頬を緩めた。
「あんたって変ね」
「なんだよ急に」
「ほかの人間だったら絶対に私のことを馬鹿にしてたわ」
「知らん。田舎出身で教養がないからかもな」
素っ気なく答えてやると、セルシリアはおかしそうにまた笑った。
それから不意に歩き始めて俺を追い抜いていく。
「さて、長々と立ち話をしすぎたわ。早く教室に戻りましょう。次の授業に遅れるわよ」
「君が話しかけてきたせいだけどな」
と、そこで足を止めたセルシリアはこちらへ振り返るとジト目を向けた。
「セルシリア」
「……はい?」
「君、君ってなんかキザったらしくてムカつくから名前で呼びなさいよ」
そう言えばまだ一度も彼女を名前で呼んだことがなかったか。決して意識して避けていたわけではないが……いざ呼べと言われてみると、なんとなく気恥ずかしさがあった。
しかし仕方あるまい。彼女の顔を見るに拒否権はなさそうだし、刃向かえば力尽くで従わされそうな気配すらある。
「わかったよ。……セルシリア」
「よし」
名前を呼ばれて満足げに碧い目を細めつつ頷くと、白銀髪の少女は続けて言う。
「それじゃ私もあんたのことを名前で呼ぶわね」
「どうぞお好きに。名前を呼ぶのに許可もなにも必要ないさ」
「いちいちうるさいわね。だからモテないのよ」
誰もモテないなんて言ってないだろ。まあ実際問題、田舎の弱小貴族の息子で魔法に関しても落ちこぼれな陰気男子のことなど、名門魔法貴族のお嬢様がたが恋愛対象に選ぶはずもないのはわかっているのだが。あー涙。
「でもアルトルースってなんとなく言いにくいわね」
俺の自嘲などお構いなしになにやらぶつぶつ呟くセルシリア。
それからもしばし考え込んでいたセルシリアだったが、やがて「そうだ!」と言って顔を明るくすると、そのままこちらに笑顔を向けてこう言った。
「アルト。私はこれからあんたのことをアルトって呼ぶことにするわ。短くて言いやすくていい感じでしょ?」
「どうぞご勝手に」
正味、自分が誰からどう呼ばれようと気にしない性格なのでそう言ってやると、「それじゃ遠慮なく」とセルシリアは嬉しそうに唇を三日月型にかたどる。
不意にそよ風が吹く。
なびく白銀の髪を掻き分けながら、セルシリアは言った。
「それとアルト、たまにならそっちから話しかけてきてもいいわよ」