第11話 私はあんたと同じ落ちこぼれなんかじゃない
俺はなんとなくセルシリアを観察してみる。
「大海の精霊よ、その美しい指先を以て万物を貫く弾丸と成せ――《水弾の魔法》!」
彼女が構えた杖の先端に水の弾丸が形成され、土製の円柱的に向かって飛ぶ。しかし弾丸は的を逸れて奥の土壁に小さな傷をつけて弾けて消えた。
「……っ」
悔しげに唇を噛み、セルシリアは再び杖を構える。
「大海の精霊よ、その美しい指先を以て万物を貫く弾丸と成せ――《水弾の魔法》!」
また外れる弾丸。しかしそれでもセルシリアはめげない。
「大海の精霊よ、その美しい指先を以て万物を貫く弾丸と成せ――《水弾の魔法》!」
「大海の精霊よ、その美しい指先を以て万物を貫く弾丸と成せ――《水弾の魔法》!」
「大海の精霊よ、その美しい指先を以て万物を貫く弾丸と成せ――《水弾の魔法》!」
何度も繰り返した末、ようやく水弾の一発が的の上端に命中した。
心のなかで拍手を送っていると、休む間もなくセルシリアは再び杖を構えると上端が欠けた円柱的を睨みつけた。
「大気の精霊よ、その鋭い息吹を以て万物を裂く刃と成せ――《風刃の魔法》!」
今度は風属性の初級魔法を練習するらしい。基礎となる五大属性の魔法は自身の適性にかかわらず中級までは習得可能とされる。とりあえず水が上手くいったから次は風、ということだろう。
しかし、水の弾丸と違って風の刃はひどく不安定な形成だった。いまにもかき消えそうなそよ風じみた刃がへにゃへにゃと空を彷徨い、やがて的に届くことなく霧散する。まるでこの前俺が失敗した《火弾の魔法》のようだった。
セルシリアの顔がまた険しく曇る。深々と眉間にしわを寄せた表情は、ほかの誰でもない自分自身に対しての怒りの表情に見えた。
それからもセルシリアは間断なく《風刃の魔法》の詠唱を繰り返した。けれど、結局授業が終わるまでに彼女の魔法が的に命中することはなかった。
生徒たちが校舎へと戻っていくなか、依然として的の正面に佇むセルシリア。唇はぎゅっと噛みしめられ、細杖を持つ右手は強く握り締められている。
そんな彼女の様子をぼうっと眺めていると、不意に目が合ってしまった。
しまった。そう思って咄嗟に目を逸らし、それから恐る恐る視線を戻してみると、すでに鋭い目つきをしたセルシリアがのしのしと地面を踏み固めるようにしてこちらに迫ってきていた。
「あんた、確か名前はアルトルース・ノルマンとか言ったわよね」
眼前で立ち止まるや、ぬっと顔を突き出したセルシリアの刺々しい眼差しが俺に突き刺さる。
「なに、私になにか言いたいことでもあるのかしら? それとも私のあまりの可愛さに見蕩れてしまってた?」
確かにセルシリアは可愛い……だが、彼女の美しい容貌に見蕩れる余裕もなく、俺は深く後悔した。いまのは完全に自分のミスだ。ぼけっと眺めてなんかいたせいで、俺は彼女から干渉されることになってしまった。いや、正確に言うのなら俺の方が先に彼女に干渉してしまっていたと言うべきか。
いずれにせよこの場を切り抜けなければならない。できるだけスムーズかつ穏便に。
確か前世時代にどこかで聞いたことがある。女の子の怒りを鎮めるには、とにかく相手の気持ちに寄り添ってやることが大事なのだと。
ではセルシリアはどうしてこんなに不機嫌なのか。むろん、《水弾の魔法》や特に《風刃の魔法》が上手くいかなかったことに歯がゆさを感じているからだろう。
だったらそこに理解を示し、寄り添ってやるのが一番だ。
俺は不得意ながらに努めて親しげな笑みをたたえた。
「まあなんだ。魔法が上手くできないのは悔しいよな。わかるよ、俺だってまだ初級魔法すらろくに成功させられないからさ。でも落ち込む必要はないよ。確かに《風刃の魔法》は上手くいかなかったかもしれないけど、《水弾の魔法》は見事に的に命中させてたじゃないか。俺なんかよりもよっぽど才能があると思うよ。まだ学院生活は始まったばかりなんだしさ、これから君はどんどん成長していくと思うし、そのまま頑張っていればきっといつかは一人前の魔法使いになれるさ。だから、その……元気出していこうぜ?」
うむ、多少たどたどしくはあるが及第点の台詞と言っていいはずだ。理解からの同調からの寄り添いからの最後はポジティブな締め括り。悪くない。
きっとセルシリアも表情を和らげて敵意じみた圧を引っ込めてくれるだろう――。
「きも」
おい全然想定と違う反応が返ってきたぞ。
「あんたもしかしてずっと私のこと見てたの? え、ちょっとこわいんですけど」
ぐ。確かにそう捉えられても仕方がないというか、実際に結構長々と観察してしまっていたかもしれない。
「それはなんというか、自分と同じように苦労してる姿が目に入ったもんでつい……」
「自分と同じ? ねえ、あんたと一緒にしないでくれる? 私はあんたみたいに落ちこぼれてなんかいないから」
なんともストレートな物言いである。そりゃまあ確かにいまだに一度も初級魔法を的に命中させられていない俺とは違って、セルシリア自身は《水弾の魔法》の射撃を成功させてはいたけれど。
ただあまりに遠慮知らずな言い方に、俺は少しだけむっとしてしまった。
「いや君だってどちらかと言えば俺と同じ落ちこぼれ側の人間だろ。クラスのなかで初級魔法に苦戦している生徒なんか、俺と君くらいのもんだ」
つい本音が漏れてしまう俺だったが、けれどしくじったと思うよりもセルシリアが口を開く方が早かった。
「あんたと私は同じじゃない」
明確な拒絶を孕んだその眼差しに、俺は思わず息を呑む。
セルシリアは真っ直ぐに俺を睨みつけながら続けた。
「私もあんたのことは視界の端に見てた。それでわかったのよ。あんたは魔法が上手くいかなくたってちっとも悔しがってない。できるようになりたいとか、もっと強くなりたいとか、そんなことは少しも考えてなんかいない。それどころかあんたは自分の無能を受け入れて、しかもそれに満足してさえいる。そんな甘ったれた向上心のなさを落ちこぼれてるって言ってるのよ。だから私は違う。私はあんたと同じ落ちこぼれなんかじゃない」
俺は……なにも言い返せない。
だってそのとおりだ。俺には魔法使いとしての向上心なんかない。俺は一流の魔法使いになりたいんじゃなくて、誰からも干渉されず第二の人生を自由に謳歌したいだけだ。
そういう消極的な、ともすれば怠惰と言えるような生き方は、それが滲み出た態度というものは、真剣に魔法を学ぼうとしている人間からしてみれば腹が立つほど目障りに思えるのも頷けることだろう。
不意に互いの鼻先が触れんばかりに肉薄していたセルシリアが俺から離れた。
だが、彼女の瞳に宿る嫌悪は依然としてこちらに向けられている。
「私は魂まで落ちこぼれたりしない。いまの自分の実力がどんなに足りないものだらけだったって、死に物狂いで努力してぜんぶ克服してみせる。頑張っていればいつかは一人前の魔法使いになれる? 笑わせないで。私はね、私のため、お父様のため、そしてなによりハインヘーゲル家の名誉を取り戻すために――世界最高峰の魔法使いになるって誓ってこの王立ロンドール魔法学院に来たんだから」
そしてセルシリアは身を翻し、横目に振り返る。
「あんたを見てると不愉快なのよ。もう二度と話しかけてこないで」
その言葉を最後にセルシリアは去っていった。
口をつぐんだまま彼女の背中を見送り、屋外練習場にぽつんと取り残される俺。
静寂の空間に立ち尽くすことしばらく。
俺は誰もいない練習場の真ん中でぽつりと独りごちた。
「いや、最初に話しかけてきたのはそっちじゃん……」