第9話 魔法の才能もない落ちこぼれ
まあそれも致し方のないことだと思う。
確かに俺は前世の記憶、美野島或人としての記憶を引き継いではいるが、しかし肉体はまったくの別物なのだ。当然この両眼もこの世に生を受けたアルトルース・ノルマンのものであり、前世の俺の眼球とは細胞の一片すら同じ要素はない。それで能力を引き継いでいる方が却って不自然というものだろう。
それに俺は、別に《絶対不可侵の両眼》を失ってしまったことを嘆いてもいない。
「お見事です、ミハエルくん」
周囲の生徒たちの多くが呆然とミハエルを見つめるなか、ローレン教師は前方に穿たれた巨大な爆撃痕を眺めつつ涼しげな微笑をたたえて手を叩いた。
「その歳でまさか中級魔法どころか上級魔法を扱えるだなんて。流石は名門魔法貴族、ウォンテッド家のご子息ですね」
「上級魔法程度、扱えて当然です。僕は誇り高きウォンテッド家の次期当主として、いずれ至高級の魔法まで会得するんですから」
至高級。至高級といえば、六段階に区分された魔法等級――初級・中級・上級・最上級・超級・至高級のなかで最も上位に位置づけられた最高レベルの魔法だ。それを会得すると豪語してみせるとは、ミハエル・ウォンテッドという生徒は大層自信家な新入生のようだ。
「それは実に頼もしいことです。歴史上、至高級へと至ることができた魔法使いは数えるほどしか存在しません。もし本当に習得できた暁には、いまお父様がお持ちの《魔導八賢》の称号は、間違いなく君に引き継がれることになるでしょう」
「それも当然のことです。魔導八賢の一席はこれまでも、そしてこれからも永劫ウォンテッド家のためにある」
冷厳な眼差しでローレン教師を一瞥する。
「最後にひとつ進言させていただきますがローレン先生、練習場の壁はもっと頑丈にした方がいい。脆弱すぎて役割を果たせていません。これでは全力で魔法が撃てませんし、運悪く近くを通りがかった生徒が怪我をしてしまうかもしれない」
皮肉げにそう言い残して、ミハエルは身を翻すと生徒の集団のなかへ下がっていった。
その背中を変わらぬ微笑みでもって見送ったローレン教師は、それから無残な崩壊の痕跡と化した石壁の名残に目を向ける。
「なるほど確かにミハエルくんの言うとおりです。生徒の魔法で感嘆に崩れてしまうようではいけませんね」
言いながらローレン教師は杖を掲げた。生徒たちが振るう小枝のような細杖ではなく、彼の背丈ほどもある太くて立派な木製柄の先端に琥珀色の美しい宝玉が埋め込まれた上等な代物だった。
「――《地壁の魔法》」
練習場最奥の地面が隆起して分厚い壁の形を成していく。さらに隆起はとどまらず、やがて土はわずかに残っていた石壁の全体を覆い尽くし、城壁のごとき高々とした土壁を形成して凝固した。続けてやや手前でも無数に細く地面が盛り上がり、あっという間に八つの土円柱ができあがった。
詠唱を破棄した魔法の即発動。この世界における高等魔法技術のひとつだ。当たり前にやってのけるあたり、流石は王立ロンドール魔法学院で教鞭を振るう人間のひとりというべきか、ローレン教師も優秀な魔法使いということだろう。
「これで幾分頑丈な壁になったことでしょう。さあこれから射撃を行う生徒の皆さんは思う存分全力の魔法を撃っていただいて構いませんよ」
自身の順番を迎えた生徒たちがぞろぞろと土製的の正面に横列に並んで立つ。そのなかのひとりに交じって俺も立った。
ついに俺にも順番がきたというわけである。
ほかの生徒たちに倣うようにして、俺は片手持ちの杖を五十メートル先の土円柱に向けて構える。
横に並んだ生徒たちが各々魔法を放つ。全員の魔法が無事に的に命中した。
あえて俺はゆっくりと深呼吸を繰り返す。自分のペースで集中するのだ。
さて、そろそろ俺も的を射貫いてみせるとしよう。
そういえばさっき、俺は前世の異能力を失ったことを嘆いていないと言った。
それはまったくもって本心だ。《絶対不可侵の両眼》が使えなくたってなにも嘆く必要はない。
だってこの世界には、いまの俺アルトルース・ノルマンには――魔法という力があるのだから。
「大火の精霊よ、その滾る鮮血を以て万物を焦がす烈弾と成せ――《火弾の魔法》!」
杖の先端に灯る魔力が真っ赤な火へと変化し、ぐるぐると渦を巻きながら拳大の火球へと形を成す。
そして前方に立つ土製円柱の的を破壊すべく、俺は赫々たる球体を高速で射出した――
――つもりだったのだが。
ひょろひょろ~……。
放たれた俺のファイアボールは、ほかの生徒たちの魔法とは違ってまるで酔っ払いが千鳥足で道を行くかのようにふわふわふらふらとのろまな蛇行を繰り返しながら、ついには力尽きたかのごとく的手前の地面に墜落すると、ぼすん、と情けない小爆発を起こして虚しく消えたのである。
しんと静まり返る屋外練習場。
やがてひとり、またひとりと肩を震わせ始め……最終的には誰もが口許やお腹を押さえては声を上げながら笑い始めた。
嘲笑の大合唱に包まれながら、俺はさして悔しがるでもなく、むしろ平然とした顔をたたえて、無傷で佇む土製円柱をじいっと睨む。
……いまのでわかってしまったことだろう。
そうだ。いまの俺――アルトルース・ノルマンは確かに魔法貴族ノルマン家の長子として生まれ、ゆえにこの身には確かに魔法使いの血が流れており、したがって間違いなく魔法の素質を持って生まれてはきた。きたのだが。
しかしその素質とやらは、この世界で魔法使いを名乗るには、あるいは目指すには最低限必要な基準すらも満たしていなかったらしいのだ。
つまり俺は、有り体に言ってしまえば――どうにか魔法は使えても才能の欠片もない落ちこぼれというやつなのである。