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トイワホー国における愛情 4章

モミジは先程まで二階にある自分の部屋でテレビ・ゲームをやっていた。モミジはパソコンでオンライン・ゲームもやるので、実はゲームが大好きなのである。ただし、モミジはその割には視力がいい。

現在のモミジは自分のパソコンで調べ物をしている。モミジはキー・ボードで文字を打ってマウスで画面をスクロールさせている。しかし、モミジはブログやチャットの類はやらない。

最近のロイエート国では大きな地震があったので、モミジはそれについて少し調べていたのである。ヤツデとは違ってよく新聞を読むので、モミジは社会の出来事について明るいのである。

あるサイトでは豆知識も乗っていた。サクラソウという植物は地震を予知することができるというのである。サクラソウはプリムラの一種で地震の時に流れる超音波が養分の流れる運動を50倍に速めるので、地震の直前には花を咲かせる。サクラソウは花が咲けば地震が起きる可能性があるのである。

モミジはそういった情報を仕入れて父や学校の科学部の友達に話をするのが大好きなのである。しかし、モミジの悩みについてはそれさえも完全に癒してくれる訳ではない。

ヤマガキとナズナはモミジが調べ物をしている頃に一階のリビングで深刻な話し合いをしていた。モミジにはあまり聞かれたくない内容なので、ナズナはモミジが二階に上がったのを確認してからヤマガキに対して話を持ちかけたのである。ヤマガキは渋い顔をしてそれに応じた。

最近は妻のナズナと話をする時にはいつも神妙な話し合いになってしまうので、ヤマガキはそれをとても悲しく思っている。とはいっても、その気持ちはナズナも同じである。

「それじゃあ、私は話をまとめさせてもらうと、モミジは私が引き取ることにするけど、家はあなたのものということよね?でも、私はいつも言っているとおり、あなたとは私もあなたの就職先が決まるまでは別れないから、あなたは安心していいわよ。それこそは私にできるあなたへの最後のやさしさだから」ナズナは無表情で言った。ナズナはこれでも落ち着き払っている方である。

「ああ。それはありがたく思っているよ。ぼくはなるべく早く就職することにする。当てはあるから、君にはそう長く待たせることはない。モミジのことは本当によろしく頼むよ」ヤマガキはお願いをした。

「ええ。もちろんよ。あの子は元々あなたの子じゃないっていうのにも関わらず、あなたはやたらとそれを強調するのね。でも、あなたはそれも安心していいわよ。私は絶対にモミジを不幸にはしない。私には自信があるの」ナズナは言った。それについてはヤマガキも必要以上に心配している訳ではない。なにしろ、一度はヤマガキにとってナズナという存在は一生の愛を誓ったベター・ハーフなのだから、信頼はしているのである。ナズナはヤマガキとは違って淡々とした口調で話を続けている。

「私とあなたはこんなことになってもとても平和的ね。私達はやっぱりトイワホー国の国民だからかしら?それじゃあ、この話はそういうことでいいわね?」ナズナはリビングにおいてゆっくりと言った。

「ああ。致し方ない」ヤマガキは肩を落として言った。ナズナはやがてキッチンの方へと歩いて行ってしまった。ナズナはそしてステンレス製の流しで洗い物を開始した。ヤマガキはそれをぼんやりと見つめている。ヤマガキとナズナはもちろん今まで離婚の話をしていたのである。

ヤマガキはナズナとの精神的な距離を感じ始めたのは昨日今日の話ではない。ヤマガキはナズナとのコミュニケーションが以前ほどに潤いのあるものではなくなっていることには気づいていた。

しかし、ヤマガキとしては来る時が来てしまったという落胆の気持ちは隠せない。ヤマガキは結婚式の時の『死が二人を別つまで』という誓いを達成できなかったことを申し訳なく感じているのである。

ヤマガキはやがて一つ吐息をついて立ち上がって自分のアトリエへと足を運ぶことにした。ヤマガキはこうなってしまった以上は仕方がないと思い切って割り切ることにしたのである。


ヤツデとビャクブとチコリーとユリの4人は午後7時になるとアカネを待つために外へと出た。チコリーとユリの女の子の二人はいよいよ肝試しに出発することになって大喜びをしている。

外はすでに真っ暗で途切れ途切れにあるわずかな街灯と月光だけが夜の闇を照らし出している。ヤツデは小心者だが、今回はビャクブも一緒なので、少しは落ち着いている。

いつものとおり、一方のビャクブはなにも考えていないので、これからは恐怖の体験をすることになるとしても普段と変わりのない態度をしている。ビャクブとしてはむしろ得体のしれない怪盗アスナロの方がよっぽど怖いのである。ただし、怪盗はヤツデにとって恐くない存在である。

しかし、ビャクブは余裕でいられるのは肝試しが始まるまでかもわからない。チコリーとユリはカシ山の麓についてヤツデとビャクブには話していない事実があるからである。

「まさかとは思うけど、アカネさんは一時間くらい遅れてやってきたりはしないだろうな?」ビャクブは性懲りもなく憎まれ口を叩いた。ヤツデはぼんやりとシロガラシの家を眺めている。

「そんなことはないよ。アカネさんはきっともうすぐ来てくれるよ」チコリーは願望も込めて言った。

とはいっても、ビャクブは冗談を言ったのである。だから、ビャクブは決してアカネに対して嫌悪感を抱いているというようなことはない。ビャクブはそもそも余程の悪人でない限りは人を嫌いにはならない性格なのである。ヤツデはまだシロガラシの家を眺めている。

ヤツデはそして怪盗の事件についてとんでもないことに気づいた。これはかなりの収穫だったが、ヤツデはまだビャクブとチコリーとユリの他の三人に対してこの場で話をするのは止めておいた。

という訳なので、チコリーの願望は叶ったのか、アカネは間もなくすると暗がりから姿を現した。今夜のアカネはミニ・スカートを履いたツー・ピースという服装でナップザックを背負っている。

「私はちょっと遅れちゃったわね。ごめんなさい」アカネは素直に詫びを入れた。

「ううん。そのくらいは別にいいよ。それじゃあ。ぼくたちは行こうか」ヤツデは大らかに言った。現在

は怪盗の事件について、大発見をしたので、ヤツデはいつも以上に浮き浮きしている。アカネはもちろん

それに気づかなかったが、ヤツデはやっぱりアカネを気に入っているのかなとビャクブは勘違いをしてい

る。チコリーとユリはヤツデの微妙な心境の変化には気づかなかった。とはいっても、ヤツデは悲しみに

暮れているのなら、その時は当然の如くビャクブにも気づくことはできるのである。

この場には全員が揃ったので、ヤツデとビャクブとチコリーとユリとアカネの5人はやがてカシ山へ向けて歩き出した。準備は万端でチコリーとユリに負けないぐらいにはしゃいでいるので、アカネはまるで子供みたいである。ヤツデとアカネは精神年齢が低く過ぎて気が合うのである。

「そう言えば、アカネさんはもうちょっと動きやすい服装できた方がよかったんじゃないかい?」ビャクブは歩き出してから間もなくしてあまり嫌味にならないようにして慎重に発言をした。

「え?私はスカートじゃダメだったかしら?私はこれでも別にいいわよね?ヤツデさんはそう思わない?」アカネは助けを求めた。アカネはすでにヤツデから自分と同じ匂いを嗅ぎ取っているのである。

「うん。アカネさんはその恰好でも別にいいんじゃないかな?ぼくたちはなにもオオカミ男やケルベロスに追いかけられる訳でもないし」ヤツデはまじめな顔で言った。ヤツデは読書の影響で空想的な話が大好きなのである。ヤツデには気を許しているので、ユリは思ったことを口に出した。

「それは確かにそうだけど、ヤツデさんは例えがちょっと怖すぎよ」ユリは容赦がない。

「そうだね。ぼくは恐怖心を煽っちゃったね。ごめんね」ヤツデはすぐに謝罪をした。

「それくらいなら、私は大丈夫だよ。そうだ。明日はアカネさんもおじいちゃんのお家で7時から開かれるハロウィン・パーティーには来てくれるよね?」チコリーはきっぱりと話題を変えた。

「ええ。もちろんよ。パーティーはとても楽しみね」アカネは快活に答えた。

「そう言えば、シロガラシさんからは手紙でもそう伝えられていたんだったな」ビャクブは言った。

「パーティーではどんなことをやるんだろう?」ヤツデはやや暗く怖そうにしている。

「パーティーではお食事をしたり、色んなゲームをやったりするのよ」ユリは簡潔に答えた。

「そうなんだ」ヤツデは用心深く頷いた。ヤツデはあまりたくさんの人が集まる場が好きではないのである。ヤツデの性格は孤独なので、ヤツデはビャクブが気を使ってあげないと得てして孤立無援の状態になりやすいからである。そのため、ヤツデはパーティーに関する話題を避けることにした。

「ところで」ヤツデは言った。「ツバキさんのお父さんはどんなお仕事をされているか、アカネさんは知っている?ツバキさんの実家はお金持ちなのかな?」ヤツデは探りを入れた。可能性はヤツデも低いとは思っているが、遺産相続は多額のお金が動くのかもしれないので、一応はツバキの金銭事情を聞いておいたのだなとビャクブは思った。しかし、ヤツデにはそれ以外にも思惑があって聞いている。

「ツバキさんのお父さんの仕事はなんだったかしら?ええと、力士じゃないし、ラグビーの選手でもないし、あ、ツバキさんのお父さんは確か保健師をやっているって聞いたことがあったと思う。ただ、ツバキさんの実家は程々に裕福で目を見張るほどの大金持ちっていう訳ではないと思うわよ」アカネは考えに考えて答えた。ビャクブはツバキの父の仕事を思い出す過程について相も変わらずにアカネにかかるとぶっ飛んでいるのだなとその発想力についてなんとなく密かに舌を巻いている。

「そっか。アカネさんは教えてくれてありがとう。話は変わるけど、ヨモギさんのお家には梯子はあるかな?もしも、あるなら、その梯子は最近になって紛失したっていうことはない?」ヤツデはできるだけ噛み砕いてアカネに対して質問を発した。今度のアカネは即答をした。

「ええ。梯子はたぶんなくなっていないと思うわよ。梯子はそもそも家にあるのかどうかも怪しいんだけどね。でも、そんなことはツバキさんの事件となにかの関係があるの?」アカネは不思議そうである。

「事件は事件でもツバキさんの事件じゃなくて怪盗の事件の方なんだよ」ビャクブは解説をした。

という訳なので、ビャクブとチコリーとユリの三人はアカネに対して今日にあった怪盗との対決の一部始終を話して聞かせた。悪気はないのだが、アカネはそれを聞くとヤツデとビャクブに対する評価を下げてしまった。アカネの性格は相も変わらずに単純なので、アカネは新しい情報を一つ聞くとそれに踊らされてしまう悪癖があるのである。しかし、チコリーとユリはそれに気づくとそのアカネの誤解を解くことにした。アカネはその甲斐あってヤツデとビャクブに対して再び見方を変えてリベンジする際には奮闘をするようにとエールを送った。ヤツデはそれを受けると喜んで闘志を燃やすことにした。ただし、ヤツデは結果的には先程に気づいた考えを口には出さなかった。その推理にはヤツデも自信を持ってはいるのだが、ヤツデは怪盗の件についても万全に万全を期して謎解きを進めることにしたのである。

ヤツデたちの一行はそうこうする内にカシ山の麓へと到着した。木々は山の入口からも生い茂って鬱蒼としている。今は夜なので、山は魔物でも出てきそうな不気味な雰囲気を醸し出している。

トイワホー国では丘陵や台地よりも高度や起伏の高いもので高さが610メートル以上のものを山と言うのである。また、海中の山は海山と言って人工的な山は築山と言ったりするのである。

カシ山の入り口には一件の家が聳え立っている。ヤツデはこれがモクレンの住んでいた家なのかなと思ったが、チコリーはそれを訂正した。この家は空き家でモクレンの家はここから約50メートル離れた場所にある。実は一度だけシロガラシと一緒にモクレンの家に遊びに行ったこともあるので、チコリーはこのあたりの地理について意外と詳しい方なのである。ビャクブはあたりを見渡している。

「ぼくたちはあとでモクレンさんのお家も見せてもらってもいいのかな?でも、それよりも、今は山に入る前にこの不気味なお家の中を拝見させてもらおうか」ヤツデは提案をした。許可は村長のシロガラシから貰っているので、ヤツデは中を見ることは可能なのである。チコリーとユリはそれに賛成をした。

「それにしても、不気味はちょっと失礼じゃないかい?」ビャクブは訝しんで言った。

「いいえ。このお家はけっこう不気味よ」アカネは断言をした。アカネはいつでもあけすけである。ただし、実はアカネがそう思ったのには理由があるし、チコリーとユリにはその理由がわかっている。

という訳なので、話は決着すると、ヤツデとビャクブとチコリーとユリとアカネは小型の懐中電灯を持ってきていたので、5人はその懐中電灯であたりを照らすことにした。

実は怖いので、ヤツデは何気なくしんがりを務めることにした。ビャクブは男を見せるために先頭に立って軋むドアを開け家の中へと足を踏み入れて行った。ヤツデとアカネとチコリーとユリの他の4人はビャクブのあとに続いた。その時である。二階からは物音が聞こえて来た。

「なにかしら?二階にはもしかして誰かいるのかしら?」ユリは不気味そうしている。

「あ、わかった。幽霊じゃないかしら?」アカネはまるで子供みたいな意見を出した。

「いや。幽霊は霊だから、物音は立てないんじゃないかな?」ヤツデは言った。ヤツデはこんな時まできまじめなのだなと、ビャクブは少しそれを受けるとおもしろく思った。

 アカネはちなみに幽霊の存在を信じていない。幽霊は信じていないにも関わらず、アカネの口からはさっきの発言が飛び出してくるというあやふやさである。ヤツデはどっちでもいい派である。

「まあ、なんにしても、怖いことはあんまり言わないでくれるかい?」ビャクブは聞いた。

「うん。わかった。とりあえず、ぼくとビャクブは音の正体を確かめるために二階を調べてくるよ。それは危険かもしれないから、チコリーとユリちゃんとアカネさんは待っていてね。ぼくたちは帰ってこなかったら、皆は悪霊に取りつかれたと思ってお家に帰ってもいいよ。いや。本当は助けてもらいたいんだけどね」ヤツデは真顔で言った。ビャクブはそれを聞くとヤツデの横で『おれも行くの?』という顔をしたので、ユリはそれを見て笑顔になった。今回は完全にヤツデとビャクブのことを見限っているので、アカネは知らん顔をしている。しかし、チコリーは違った。チコリーは不安そうにしながらも励ました。

「それじゃあ、ヤツデさんとビャクブさんは気をつけてね」チコリーは言った。

「うん。でも、大丈夫だよ。なにしろ、ぼくにはビャクブがついているからね。ビャクブはどんな化け物も倒してくれるよ」ヤツデは胸を張った。しかし、ビャクブは相も変わらずに『無理だよ』という顔をしているので、ユリはそれを見るとまた笑顔になった。しかし、ビャクブはついに腹を括った。

話は決着したので、ヤツデとビャクブの二人はやがて勇気を出して二階へと上がって行った。蛍光灯はないので、ヤツデとビャクブの二人は懐中電灯で足元を照らして用心深く階段を上って行った。ビャクブは階段を上りきる直前に『うわー!』という悲鳴を上げた。ビャクブは先頭にいたのである。

「ビャクブはどうしたの?一体」しんがり担当のヤツデは心配そうにして聞いた。

「ヤツデはあれを見てくれよ。まさかとは思うけど、あれは巷で有名な俗に言うところの生首とかいうやつじゃないのかい?」ビャクブは聞いた。二階の廊下には確かに人の顔のようなものが落ちている。

「あ、本当だ。大変だ。それじゃあ、ぼくらはすぐに手当てをしないと」ヤツデはとんちんかんなことを言っている。ヤツデはそしてビャクブの前に進み出て問題の物体に近づいて行った。

「ん?いや。これは生首じゃないよ。ビャクブはよく見てごらん。これはただの首のマネキンだよ」ヤツデはよく目を凝らして物体を見るとそれをひょいと持ち上げた。もっとも、もしも、物体の正体は本当にマネキンではなくて生首なら、ヤツデは手当てどころではなくて気絶していた可能性が高い。

「なんだ。紛らわしい」ビャクブはそう言うと小さな音を立てて舌打ちをした。

その後のヤツデとビャクブの二人は音の聞こえた問題の部屋に入った。その時のビャクブは心なしか身震いのするような寒気を感じた。しんがり担当のヤツデは天井の角を見上げるとクモの巣が張り巡らされていた。ここはしばらく掃除されていないのが明らかな埃っぽい部屋である。

「さて」ヤツデはドアを閉めながら疑問を呈した。「音の原因はなんだろう?」

ドアはちなみになにかあった時にすぐに逃げられるように開けておいた方がよさそうなものだが、今は相棒のビャクブが一緒なので、ヤツデは完全に安心しきっているのである。

ビャクブはヤツデの背後を指差しながら『後ろ』と怯えたようにして言った。ヤツデは『後ろ?』と言うと振り向いた。ヤツデはするとコウモリの大群が屯しているのを目の当たりにすることになった。

ヤツデはあまりの気味の悪さに口が利けなくなってしまった。その時である。部屋の外からは不意に足音が聞こえてきた。ビャクブは恐怖に震えてベッドの下にある入れ物の中に隠れようとした。

ビャクブは首のマネキンとコウモリと暗闇によって完全に臆病風に吹かれてしまっているのである。ヤツデは懐中電灯をドアの方に向けて来訪者を待った。しかし、一瞬はビャクブの行動に惑わされてしまっていたが、ヤツデは我に返るとちょっとバカバカしくなってしまった。

おそらくはチコリーとユリとアカネが二階に上がって来ただけなのだから、ヤツデは隠れる必要はないと判断したのである。部屋の扉はそしてちゃっきりちゃっと開いた。

当然と言うべきか、そこにはやはりチコリーとユリの二人が現れた。ただし、ヤツデはアカネの姿がないことにはすぐに気づいた。ビャクブはちなみに未だに小さくなって震えている。

「大変なの!アカネさんは急に消えちゃったの!」チコリーはもどかしげである。

「大変なのはチコリーとユリちゃんも同じだよ。チコリーとユリちゃんは後ろを見てごらん」ヤツデはチコリーとユリの二人の後方を指差した。チコリーとユリは気軽に振り向いた。

チコリーとユリの二人はそしてコウモリを目と鼻の先で目の当たりにすると同時に『きゃー!』という悲鳴を上げた。ヤツデにはもう耐性ができたのである。ヤツデはすっかりと落ち着いている。

「つまり、物音の原因はコウモリの動く音だったんだね。それに、大変なことはもう一つあるよ。ビャクブの入ろうとしていた入れ物って棺桶じゃないのかな?」ヤツデは指摘をした。

「うわー!本当だ!縁起でもない」ビャクブは驚愕をした。ビャクブはそして先客として遺骸でも入っているのではなかろかと思ってまじまじと棺桶を見つめた。しかし、棺桶の中は空っぽである。

「まあ、でも、この棺桶は偽物みたいだけどね」ヤツデは棺桶をこんこんと叩きながら言った。

それはプラスチックでできているのである。木製の棺はちなみに木棺と呼ばれる。一方の石造の棺は石棺と呼ばれるのである。ヤツデは悠然としているが、ビャクブは未だにおどおどしている。

「それで?アカネさんはどこに行っちゃったのかな?」ヤツデは改めて聞いた。チコリーは応じた。

「わからないの。アカネさんは私達がちょっと目を離した隙に突然にいなくなっちゃったの。どうしよう?」チコリーはそう言いながらユリと共にそそくさとコウモリの群れから離れた。

「まずは居場所を推測してみようか。アカネさんは外には出ていないのかな?」ヤツデは聞いた。

「ええ。外には出てないはずよ。ドアを開ける音はしなかったもの。このお家のドアはすごく軋みがひどいから、アカネさんはドアを開けていれば、私達は気づいたはずよ」ユリは単純明快に答えた。

「それは確かにそうだね。これは愚問かもしれないけど、一階の部屋は全て調べたのかな?」ヤツデは聞いた。ヤツデは完全に探偵モードになっている。今のところのビャクブは蚊帳の外に置かれている。

「ええ。部屋はもちろん調べたわよ」ユリは短く答えた。隣のチコリーは神妙に頷いている。

「チコリーとユリちゃんは本当に探したのかい?チコリーとユリちゃんはなにかを見落としているんじゃないのかい?」ビャクブは疑いをかけた。ビャクブはようやくショックから立ち直った。

「私達は本当に探したよ。ビャクブさんは信じてくれないの?」チコリーは悲しそうな顔で訴えた。

「いや。チコリーとユリちゃんはそう言うなら、おれはもちろん信じるよ」ビャクブは慌てて言った。

「ぼくも信じるよ。でも、となると、ぼくたちは人間消失の謎を解かないといけないね」ヤツデは神妙に言った。チコリーとユリの言うことは本当なら、アカネは確かに神隠しさながらに粛然と姿を消したことになる。ビャクブは思わず息を飲んでヤツデと顔を見合わせた。

「まあ、とりあえず、ぼくたちは状況を確認するために一階に下りようか」ヤツデは提案をした。しばらくは恐怖のために誰も声を発することができなかったが、ヤツデは最初に立ち直ることができた。

「そうしましょう。私はこんなにコウモリが一杯いる部屋になんか、これ以上はもういたくないもの」ユリは大いに賛同をした。という訳なので、ヤツデとビャクブとチコリーとユリの4人はこの部屋を退出した。ビャクブとチコリーとユリの三人はやがて部屋を出るとすぐに階下へ降りようとしたのだが、ヤツデは出た部屋の隣の部屋へと入って行った。ビャクブとチコリーとユリの他の三人は外でヤツデを待つことにした。しかし、ヤツデの入った部屋にはキャスターつきの台の上にマッチ箱とロウソクのない手燭がある他は閑散としていた。また、家具は一つもないので、その部屋はスカスカである。

ヤツデはそれを確認すると続いて階段の近くの部屋へと入って行った。チコリーとユリの二人は寄り添ってそれを見守って窓に映った自分たちのシルエットや床の軋みに対しても脅えている。

「ヤツデはさっきからなにをしているんだい?ただの見学かい?」ビャクブは聞いた。

「アカネさんは二階に来ているのかもしれないでしょ?だから、一応は確認だよ」ヤツデは言った。という訳なので、今回は残りのビャクブとチコリーとユリの三人も部屋へと入って行った。しかし、アカネの姿は一見したところではどこにも見受けられなかった。それでも、ヤツデは部屋の奥へと向かった。

「これは中々悪趣味だね」ヤツデは赤い液体の付着した人物画を指差して言った。

「それは確かにな。でも、それはどうせ今までのパターンから言って血じゃなくて絵の具かなんかだろうな。それより、ヤツデは見てくれよ。こっちはそっちにも負けず劣らずにすごく悪趣味だよ」ビャクブは気が萎えたようにして言った。ビャクブは理科の実験室にありがちなガイコツを指差した。

「なんだ?これはもしかして噂のポルターガイストなのかな?」ヤツデは不思議そうにした。そのガイコツはなんと少し動いたのである。ヤツデは気味悪そうではなくてなんとなくうれしそうである。

「まさか、そんなはずはないだろう。こういうのには必ずなんらかの理由があるはずだよ。わー!」ビャクブは絶叫をした。チコリーの性格はやさしいので、チコリーは勇気を持ってビャクブを助けに行こうとした。ところが、チコリーはコウモリの出現の二の舞になって『きゃー!』という悲鳴を上げた。

「アカネさんはここにはいないと思う。私達は早く行きましょう」ユリは一刻も早くコウモリから離れたそうにしている。チコリーはちなみにユリの背中に回って隠れている。

ヤツデはまだ名残惜しそうだったが、一応はこのへんで妥協をしておいた。ビャクブは一階に降りたからと言って別に恐怖が減退する訳ではないが、とりあえずは胸を撫で下ろした。

ヤツデとビャクブとチコリーとユリの4人は状況確認のために階下へと降りて行った。それでも、アカネの姿はやはり見渡した限りでは見当たらなかった。

アカネは魔界にでも引き込まれたのだろうかとあまり想像力が豊かではないのにも関わらず、ビャクブは不吉なことを考えている。ヤツデは注意深くあたりを見渡した。

「アカネさんのナップザックだけは洗面台のところにあるのよ」ユリは説明した。

「そうなの?それじゃあ、一応は洗面所を見てみようか」ヤツデは決断をした。という訳なので、ヤツデとビャクブとチコリーとユリの4人は洗面所にやって来た。洗面所では明りがチカチカと灯っている。その隣にはバス・ルームがある。掃除はしばらくなされていないので、洗面所と浴室はどちらも埃だらけである。ヤツデはゴキブリがいたら怖いので、現在はさりげなくしんがりを務めて先にビャクブに前を見てもらうことにした。ビャクブは密かに相棒から大役を託されてもそれに気づいていない。

「電気はチコリーとユリちゃんが点けたのかい?」ビャクブは聞いた。

「うん。そうだよ」チコリーは短く答えた。ヤツデとビャクブはそれを受けると納得をした。ビャクブは鏡になにかが映るのを見て『ん?』と怪訝そうにして言った。電気はそれと同時に消えた。

「わあ」ヤツデは言った。「なんだろう?電球の球切れかな?」ヤツデは落ち着いている。

ビャクブは『わー!』と悲鳴を上げた。今日のビャクブの悲鳴は首のマネキンとコウモリと棺桶に続いて早くも4度目である。現在のチコリーとユリはちなみに洗面所の外にいる。

「今度はどうしちゃったの?一体」ヤツデはびっくりしてビャクブに対して聞いた。

「おれは誰かに肩を叩かれた」ビャクブはそう言うと振り向いて恐る恐る懐中電灯で洗面所の入り口を照らした。そこにはするとアカネの姿が認められた。ここにはビャクブによってゴキブリはいないということが判明していたので、今ではヤツデの方が洗面所の奥に立っていたのである。

「ハロー」アカネは手を振って元気そうにして明るく言った。「元気してる?」

「アカネさんは冗談がきついよ」ビャクブはそう言うとへなへなとしゃがみ込んでしまった。

「やったー!『驚かせ作戦』は大成功だ!」チコリーはうれしそうである。

「アカネさんは登場のタイミングが絶妙だったわよ」ユリは賛辞した。

「それほどでもないわ。どうだった?」アカネはヤツデとビャクブに向き直って聞いた。

「いや。『どうだった?』って言われても、おれたちはなにをどう言えばいいんだろう?なあ?」ビャクブはヤツデに対して言った。先程のビャクブは鏡に映るアカネの姿を見ていたのである。

「うん。でも、ぼくは一つ言わせてもらえるなら『驚かせ作戦』は元々ぼくが考えたのにね。ぼくはまんまとしてやられたよ。コウモリの他はようするにアカネさんたちの仕かけたトラップだったっていうことでしょう?チコリーとユリちゃんはちなみに電気を消した。ぼくの考えは違うかな?」ヤツデは確認をした。チコリーとユリはこんな時でも冷静に推理力を発揮するヤツデに対して感心をしている。

「それはちょっと違うわ。私は黙っていたけど、ここは元々お化け屋敷だったのよ。だから、ここにはそのための道具が揃っていたっていう訳なの。ビャクブさんは怒った?」アカネは物怖じせずに聞いた。

「怒ってはいないけど、今夜はショックが大きすぎて眠れなくなりそうだよ」ビャクブは言った。

「それなら、ビャクブは悲しいけど、いつものとおりだね?」ヤツデは楽天的である。

「ビャクブさんっていつもそうなの?」チコリーは女子を代表して聞いた。

「ああ。そうなんだよ。おれは人並み外れて寝つきが悪いんだよ。それはともかくもうお化け屋敷はこりごりだよ。早いところ、ここは出よう」ビャクブはもはや疲れきってしまっている。という訳なので、ヤツデとビャクブとチコリーとユリとアカネの5人はお化け屋敷を出ることにした。実はヤツデも怖い思いをしたが、今回は頼りになるビャクブがいたので、ヤツデはなんとかして乗り切れたのである。

もっとも、ビャクブは果たして本当に頼りになったかは難しい問題だが、ヤツデにとってはただいてくれるだけでも頼りになるのである。結果的にはお化け屋敷に入ろうと提案したのはヤツデだったが、もしも、ヤツデとビャクブはスルーしようとしていたら、チコリーとユリとアカネの他の三人はそれに待ったをかける予定だったのである。アカネはお化け屋敷に来る前にチコリーとユリと打ち合わせをしていた訳ではなかったが、実はお化け屋敷に足を踏み入れることは暗黙の了解だったのである。

そのため、実はアカネがいなくなるという設定もヤツデとビャクブがいなくなってから咄嗟に自身が提案したものだったのである。実はアカネには意外と機転が利くという一面もあるのである。


その後のヤツデとビャクブとチコリーとユリとアカネはやはりビャクブを先頭にしてお化け屋敷を出た。疲れてはいてもビャクブには早くお化け屋敷を出たいという欲求の方が勝っていたのである。

しかし、肝試しは終わった訳ではない。本格的な山歩きはいよいよここから始まるのである。ここから先は当然のことながらチコリーとユリとアカネの女子の三人の度胸も本当に試されることになる。

だから、チコリーは魔界への入り口に足を踏み入れるかのようにしてカシ山の異様な雰囲気に対して内心では怯えてしまっている。ユリは年上としてチコリーよりも一応は毅然とした態度を取っている。アカネは恐いもの知らずなので、今のところは全く怖がってはいない。

「ぼくは途中でアカネさんたちに担がれているんじゃないかとは思っていたけど、アカネさんの隠れ場所には舌を巻いたね」ヤツデは他の4人と一緒に山道を歩きながら発言をした。

「え?ヤツデさんは気づいていたの?」チコリーは意外そうにして聞いた。

「うん。なんとなくね。普通の家にはだって常識的に考えて首のマネキンや棺桶の偽物なんかはある訳ないものね」ヤツデはそう言うと同意を得ようとしてビャクブの方を見た。

「おれも確かにおかしいとは思っていたけど、おれは驚かされっぱなしでヤツデみたいにして冷静になってそこまでは考えられなかったよ」ビャクブはお手上げの反応をした。

「そう言えば、ヤツデさんは隈なく二階の部屋を調べていたけど、あれは本当にアカネさんが隠れていると思っていたのね。でも、ヤツデさんはアカネさんが外にいるとは思わなかったの?」ユリは聞いた。

「うん。アカネさんは外にいると心細いんじゃないかと思ってね。まあ、アカネさんは二階にいるっていうぼくの予想は見事に外れちゃったんだけどね。それに、もしも、アカネさんは一階にいたら、ぼくとビャクブは捜索をすればすぐに見つかっちゃうからね。でも、チコリーとユリちゃんは巧みにビャクブとぼくを洗面所に誘導して他の部屋を見せないようにしたんだよね?ぼくは単純に騙されちゃったよ。そう言えば、皆は杯中の蛇影っていう言葉を知っている?」ヤツデは聞いた。しかし、他の4人は明確な意味を知らなかった。ただし、アカネだけは唯一意味はわからないが、聞いたことはあると主張をした。しかしながら、杯中の蛇影は小学生のチコリーにとっては当然のことながらちんぷんかんぷんな言葉である。

そのため、ヤツデは杯中の蛇影の意味の由来を説明し始めた。事の発端はある人が杯に移った影をヘビの影だと思い込んだことである。その人はその杯のお酒を飲んでしまったことを気にして病気になってしまった。しかし、その人の病気は別の人によって『あれはヘビではなくて壁にかけてあった弓の影だ』と説明されるとたちまち治ったという話から来ているのである。

杯中の蛇影はそこから疑いさえすればなんでもないことでも神経を悩ます元になることの例えとして使われるようになったのである。ヤツデはそのような説明を行った。

とはいっても、ヤツデは豆知識の一つとして杯中の蛇影を取り上げただけである。察しはつくかもしれないが『杯中の蛇影』の意味は『疑心は暗鬼を生ず』となんら変わりはないのである。

「ふーん。そうなんだ。ヤツデさんってやっぱり物知りね」ユリは感心した様子である。

「つまり、さっきまでのヤツデさんとビャクブさんは杯中の蛇影だったっていう訳ね。あら、私の見間違いかしら?皆はあのへんでなにか動くのを見なかった?きゃー!」アカネは出し抜けに絶叫をした。

「なんだ?」ヤツデは混乱した様子である。チコリーとユリはアカネの悲鳴を聞いてびっくりしてしまっている。実はなにかが動いたから、アカネはびっくりした訳ではない。

「ごめん。ごめん。おれのスマホの着信音みたいだな」ビャクブはそう言うと少し離れたところに行って通話を開始した。ヤツデとチコリーとユリとアカネは立ち止まってビャクブを待っていることにした。

「今の着信音には確かにびっくりさせられたけど、アカネさんはこの間『皆はスマホの着信音でびっくりしよう』って言っていたよね?アカネさんは自分で言っていたくせに自分が一番にびっくりしちゃったみたいだね」ヤツデは指摘をした。チコリーとユリは相も変わらずに縮こまってしまっている。

「そ、そんなことは別にいいでしょう。でも、私は本当に心臓が止まるかと思った」アカネは恥ずかしさ

から顔を赤らめている。アカネは恥ずかしいという感情をすぐに表に出してしまうのである。ビャクブは

やがて通話を終えてヤツデとチコリーとユリとアカネの4人ところへと戻って来た。

「シロガラシさんからは言い忘れていたことがあったっていう話だったよ。開いているかはわからないけど、鍵は開いていて調べたいことがあれば、おれたちはモクレンさんの自殺した現場も見てきていいっていうことだったよ。おれたちはあんまり荒らしまわらないように注意はしないといけないけどな」ビャクブは言った。ユリは密かにこのタイミングで電話をかけてきた祖父を恨んでいる。

「そっか。それは助かるね。それより、アカネさんはさっきなにかが動いているって言っていたけど、あそこにはなにがいたんだろう?」ヤツデはそう言うと先程にアカネが指差した方向へと近づいた。

「突くのは止めた方がいいんじゃないかしら?クマかもしれないわよ。文字通り、あるいは藪蛇になるかもしれないわよ」アカネは動揺をしている。アカネは気が強い方だが、危険は嫌いなのである。

「クマはもっと山奥の方にしかいないんじゃないかな?ただ、あるいはヘビかもしれないから、逃げる用意はしておいてね」ヤツデはそう言ってビャクブとチコリーとユリとアカネ対して警戒を促した。

「ヤツデさんって意外と無鉄砲なところがあるのね」ユリは及び腰になっている。

 ヤツデの無鉄砲さはビャクブがいるからこそである。ビャクブはあくまでもヤツデにとってのヒーローなので、ヤツデはどんな時でもビャクブを信頼しているのである。

しかし、当のビャクブは女子の三人と一緒に逃げる気が満々である。ただし、もしも、ヤツデは緊急事態になったら、ビャクブは命をかけてヤツデを守る勇気くらいは持っている。ヤツデはそして草を掻きわけた。ある一匹の動物はするとビャクブとチコリーとユリとアカネの方へと飛び出して行った。

「わー!出たー!」ビャクブは思わず声を上げた。チコリーとユリとアカネの女子の三人はビャクブの声に対して驚いた。しかし、ビャクブは飛び出してきた動物をよくよく見ると冷静になった。

「って、なんだ。ウサギかよ。おれは叫んで損をしたじゃないか」ビャクブは頭を掻いている。

「わあ。かわいい」チコリーはそう言うとウサギを撫でている。小ウサギはチコリーの足元で立ち止まったのである。チコリーはヤツデとは違って異常なほどに動物に好かれる体質なのである。

「チコリーはすごいね。チコリーは会って間もない野性のウサギを手懐けちゃった。ぼくにもウサギさんを触らせてくれる?」ヤツデはそう言うとウサギの方へとへっぴり腰で近づいた。果せるかな。ウサギはすると逃げて行ってしまった。ヤツデはとことん動物と相性が合わないのである。

「ごめんね」ヤツデは残念そうにしながらもきちんとチコリーに対して素直に謝ることにした。

「ううん。私は別にいいよ。でも、あのウサギさんはかわいかったなあ。あのウサギさんはアトランタ動物園のウサギみたいにして毛並みがふわふわだった」チコリーは少し名残惜しそうである。ヤツデはそれを受けて申し訳なく思った。ヤツデは同時に動物に好かれるチコリーを羨ましく思った。

「ヤツデさんは相も変わらずにウサギに嫌われているのね」ユリは冷静な指摘をした。一方のアカネはヤツデのへっぴり腰を見てまだ笑みを浮かべている。ヤツデはどうして動物を怖がってしまうのだろうとビャクブは不思議に思ったが、それには別に理由がある訳はないのである。

 ウサギはちなみに耳の長いウサギ科と耳が小さいナキウサギ科に大別される。先程のウサギは前者に分類されていて名前はユキウサギというものである。

ヤツデとビャクブとチコリーとユリとアカネの5人はやがて山歩きを再開した。チコリーはウサギの出現によって少し和やかなムードになっていたが、それはちょっとの間だけだった。

その後のチコリーは再び暗闇を歩くことになるとまたユリにくっついて歩くようになったのである。ビャクブはちなみに先頭を歩いている。すると、ヤツデたちの一行はここまで来ると少し霧が出て来た。

秋のものは霧と言って春のものは霞と言うのである。気象学上では水平視程が一キロメートル以上のものは靄と言って一キロ未満のものは霧と言うのである。アカネはルンルン気分である。

「それにしても、さっきのウサギは本当にかわいかったわね。動物は他にもなにか出てこないかしら?かわいい小動物なら、私は大歓迎よ」アカネは期待するようにして言った。

「出て来るとしたら、ヤツデさんはなにが出てくると思う?」ユリは聞いた。

「うーん。考えられるのはリスかな」ヤツデは推測したものを述べた。

「それじゃあ、今度はリスも出てこないかなあ?」チコリーは楽しそうである。チコリーは小動物のことになるところっと態度が変わるのである。リスなら、アカネとユリの二人はチコリーと同じく出てきてもいい腹である。山には他にもサルやシカやタヌキやキツネといった動物たちも生息をしている。

「ビャクブにはなにか他にも思い浮かぶものはある?」ヤツデは話を振った。

「うーん。山にはやっぱ山姥もいたりするんじゃないのかい?」ビャクブは少し考え込んで言った。

「え?ちょっと!ビャクブさんは怖いことを言わないでよ」チコリーは恐ろしそうにした。

「それに」ヤツデは指摘をした。「山姥は動物じゃなくて一応は人間なんだよ」

「一応はなんて言っていると本当に山姥が出てきたら、ヤツデさんは怪力で殺されるわよ」アカネは不吉な発言をした。これは雑談だが、12月20日のことは山姥の洗濯日とも言うのである。

「アカネさんはさらっと怖いことを言うね。山姥さんはごめんなさい」ヤツデは祟りを恐れて謝った。

ヤツデとビャクブとチコリーとユリとアカネの5人はそんなこんなで約5分後には大きな建物のある場所までやって来た。その建物には一カ所だけ雨樋が外れているところがある。トタン屋根は風雨に晒されて傷んでしまっている。建物の入り口の外側には縁側のような長イスが置かれている。

実はこの建物の屋根裏にはアカネズミやハタネズミといった野ネズミが生息しているので、改築するのなら、野ネズミにはお引っ越しをしてもらわなければならないのである。

ただし、このカシ村はコニャック村と同様にして過疎化が進んでいる訳ではなくて元々人口が少ないので、この建物は改築されることなく今に至っているのである。

「お伽話なら、本当はお菓子の家があってもいいはずなのにも関わらず、実際はこんなお家でつまらないね」チコリーは頬を膨らませた。チコリーは小学校6年生でも未だに夢見る少女なのである。

「これは確かにお菓子の家とは似ても似つかないな。ただの家の丸焼きじゃないか。それにしても、外見は不気味だけど、この家はよく崩れないで聳え立っていられるな」ビャクブはコメントをした。ビャクブの言うとおり、この建物には確かに火事で燃えた跡がある。

「この家はきっと生まれつき精神力が強いのよ」アカネは不可解な発言をした。ヤツデは同調をした。

「うん。そうかもしれないね。この家からは生きようっていう意地を感じるものね」

「どうでもいいけど、ヤツデとアカネさんは擬人化が上手だな。どうする?おれたちはここも入ってみるかい?」ビャクブは聞いた。チコリーはそれに対しておっかなびっくりである。

「私は入ってみたいけど、ここにはまたコウモリがいたりしないかなあ?」チコリーは聞いた。

「コウモリは私だってもう嫌だけど、それじゃあ、肝試しにはならないわよ」ユリは正論を述べた。

「それじゃあ、ぼくたちは入ってみようか」ヤツデはそう言うと珍しく先頭に立ってビャクブとチコリーとユリとアカネの4人と共に建物の中に入って行った。

今まではビャクブにだけ先頭を歩いてもらっていたので、ヤツデは少しそのことを申し訳なく思って反省をしたのである。という訳なので、ヤツデは煤だらけの玄関を通過した。

「この建物はいつ頃に焼けちゃったのかは知っている?」ヤツデは質問をした。

「一年くらい前よ」ユリは答えた。肝試しは怖いので、チコリーはユリにくっついて歩いている。

ヤツデとビャクブとチコリーとユリとアカネの5人が室内に入ると最初に入った部屋の窓は嵌め殺しでもなくて閉じている訳でもないので、室内には枯れ葉が入ってきてしまっていた。とりあえず、ヤツデたちの一行はこの家を一周することにした。ヤツデは変わらずに先頭を歩いている。

「火事は事故だったのかい?」ビャクブは疑問に思ったことを聞いた。

「原因はわからないのよ。ただ、火事の第一発見者はモクレンさんだったそうなの。モクレンさんはそれで大慌てで消防自動車を呼んで消火活動になったの。発見は早かったから、見てのとおり、この家は幸いにもなんとか焦土と化すのだけは免れたのよ」アカネは知っている範囲のことを答えた。

「そうだったんだ。それでも、延焼はなかったの?」ヤツデは相槌を打った。

「さっきは暗くて見づらかったけど、何本かの木は燃えちゃったわよ。でも、山火事というほどではなかったわね。私はさっきも言ったとおり、モクレンさんの発見は早かったからね」アカネは言った。

「実は一年くらい前にコニャック村で火事騒ぎがあったのはここだけじゃないんだよ。二軒の空き家は他にも焼かれちゃったの」チコリーは説明をした。チコリーはここに住んでいる訳ではないが、シロガラシとミツバからはよくその話を聞かされたので、この件については意外と詳しいのである。

「ヤツデはそれが単なる偶然だと思うかい?」ビャクブは聞いた。

「あるいは放火魔がいたのかもしれないね。それから、火事騒ぎはなかったの?」ヤツデは聞いた。

「ええ。火事はなかった」ユリは短く答えた。ユリはチコリーと手を繋いで歩いている。

壁に立体的な生剥の鬼の飾り物がついていたので、チコリーはそれを見つけると怖くなってユリに抱きついた。とはいっても、本当は頼りにされてもユリの方も怖いのである。

 また、なぜか、別のところには獅子舞に用いる獅子頭が転がっている。ここはお祭りの道具も保管していたのかなと不気味に思いながらもビャクブは考えた。これはちなみに雑談だが、ソテツの飼っているオランダシシガシラという名の金魚は獅子頭という別名を持っている。

「私達は二階も見てみる?」アカネは一階の全ての部屋を見終わると聞いた。

「この建物は二階に上がると壊れちゃいそうだから、それは止めよう」チコリーは提案をした。

「うん。そうだね」ヤツデは頷いた。ヤツデは十分に恐怖心を煽る光景を目の当たりにしたし、これ以上は詮索をしても時間が遅くなってしまうだけではないだろうかと判断をしたのである。ヤツデとビャクブとチコリーとユリとアカネの5人はこうして燃えた建物を出た。出る時はまたいつの間にかヤツデがしんがりになっていた。しかし、実は考え事があったから、ヤツデには行動に遅れが出たのである。

「おれたちはもうそろそろUターンしてシロガラシさんのお家に帰らないかい?ヤツデはモクレンさんの家も見てみたいんだろう?」ビャクブは聞いた。今宵はたくさん驚いたから、ビャクブは疲れてしまったのである。チコリーとユリは暗闇の中で身を寄せ合っている。

「うん。できれば、ぼくは拝見させてもらいたいね」ヤツデは主張をした。アカネは言った。

「それじゃあ、次の進路は決まりね。チコリーちゃんとユリちゃんはそれでもいいかしら?」

チコリーとユリはそれを受けると無言で頷いた。ここから先には確かに山頂の近くに二つの山小屋ロッジがあるだけである。つまり、ヤツデたちの一行はしばらく先を歩いても代わり映えはしないのである。ヤツデは突然『あ!』という声を上げた。チコリーはその声に対しても驚いた。

「なんだい?ヤツデはどうしたんだい?一体」ビャクブはびっくりしながらも聞いた。

「アカネさんはナップザックをさっきの建物に置き忘れてきているよ。ぼくは取ってくるから、皆は先に行っていていいよ」ヤツデはそう言うとアカネに有無を言わせずに来た道を帰って行った。

「ヤツデさんってけっこうやさしいのね。私はあとでヤツデさんのカードに『親切スタンプ』を押してあげないといけないわね」アカネは感想を述べた。ただし、アカネのそそっかしさは相変わらずである。

「ヤツデさんはやさしくて当然だよ。ヤツデさんはだって『愛の伝道師』だもの」チコリーは我が事のようにして誇らしげに言った。アカネはそれを受けると感心した。ヤツデは確かに『愛の伝道師』のイメージにぴったりだなとアカネは同時に思った。それはビャクブも同意見である。

その後のビャクブとチコリーとユリとアカネの4人はしばらくするとモクレンの家の前までやって来た。近辺は墳墓の地である。また、近辺には井戸とお墓があって仄かに線香の匂いが漂っている。モクレンの家はそしてぽつんと一軒だけ寂しく建てられている。家のドアは開け放しになっていた。

「失礼します」ビャクブはそう言いながらチコリーとユリとアカネの三人を家の前に残して密室の謎を解くべく誰もいない家の中へと入って行った。ビャクブはモクレンがこの家で亡くなっているという情報を知っているだけにまさかモクレンの幽霊が出てはこないだろうかと少し不安になった。

ビャクブは一階から順序よく調べて行くと一か所だけ一階に鍵のかかる部屋を発見した。そのため、ビャクブはモクレンが自殺した部屋はここだろうと見当をつけて調べてみることにした。ビャクブは少しの間だけその部屋を調べていると、家の中には誰かが入って来る物音がした。誰かとはもちろんヤツデのことである。ヤツデはチコリーとユリとアカネに追いつくとアカネに対してナップザックを渡してモクレンの家にやって来たのである。実は自分で申し出ておきながら一人きりで夜中の山を歩くのはヤツデにとってけっこう怖かったので、ヤツデはチコリーとユリとアカネの姿を認めるとほっとしていたのである。

「失礼を致します」ヤツデはそう言うとビャクブのいる隣の部屋に入って行った。ヤツデはそしてビャクブがそんな挨拶の声を聞くとしばらくしてビャクブのいる部屋に姿を現した。

「類は友を呼ぶって言うけど、ヤツデはおれと同じことを言うんだな」ビャクブは話しかけた。

「ああ。挨拶はビャクブも言ったんだね。一応はモクレンさんの霊が聞いているかもしれないからね。それよりも、ビャクブにはなにかわかったことはある?」ヤツデは問いかけた。

「いや。今のところはさっぱりだよ。細工はドアにもなされているようには見えないんだよな」ビャクブは首を左右に振って答えた。しかし、もしも、モクレンは殺害されたのだとしたら、なんらかのトリックは用いられている可能性は高いので、ビャクブは諦めずに部屋を調べることにした。

「今はアカネさんたちを待たせちゃっているから、早いところ、ぼくたちは調べて帰ろうね」ヤツデはそう言うと宣言のとおりに部屋を手早く調べてからビャクブと共に家を出た。ビャクブはなんだかヨモギの家を調べた時に比べるとやけにヤツデの調べ方はあっさりとしていたなと感想を抱いた。

ヤツデとビャクブはそしてアカネとチコリーとユリの三人と合流して帰途に着いた。ということは必然的に肝試しはおしまいとなった訳である。カシ山は出たので、あとは平らな道を歩くのみである。

「ビャクブは空を見てごらんよ。満天の星空だよ。綺麗だね。ぼくはこんな星空を初めてみたよ。ぼくたちの住んでいる場所ではこれほどに綺麗に星は見えないよね?」ヤツデは歩き出ながら言った。

「ああ。そうだな」ビャクブは星に見とれながら言った。チコリーとユリとアカネの女子の三人はつられて夜空を見上げている。夜空には恒星を初めとして流星群などが認められる。

「そうだ。ビャクブは流星と彗星の違いはなんなのかを知っている?」ヤツデは聞いた。

「さあ?おれは知らないな。おれはそもそも彗星がなんなのかもよくわからない」ビャクブは小首を傾げた。ビャクブはもちろん知らないが、彗星にはちなみに箒星という異称がある。

「私は前におじいちゃんから聞いたことがあるから、そのことは知っているよ。流星はすぐ消えちゃうけど、彗星は長く見られるんだよね?」チコリーは誇らしげにして確認をした。

「うん。チコリーはよく知っているね。流星は正確には星じゃなくて空気との摩擦で燃えている宇宙の塵なんだよ。名前のとおり、彗星の方は星なんだけど、光っているのは燃えているんじゃなくて太陽の光を反射しているからなんだよ」ヤツデは穏やかな口調で言った。いつもとおり、ビャクブはヤツデの話を楽しそうに聞いている。今回はしかもユリとアカネも同様である。

ヤツデの話を補足すると、流星には流れ星という別塀があって彗星にはコメットという別名もあって特に明るくて大きい流星は火球と呼ばれるのである。ソテツの家の水槽には見当たらなかったが、金魚のコメットという名はちなみに彗星コメットからきているのである。

「へえ。ヤツデさんってもの知りなのね」アカネはすっかりと感心した様子である。

「ううん。ぼくはそうでもないよ。ぼくの趣味はジャンルを特定しない読書だから、今回はたまたま知っていただけなんだよ」ヤツデは謙遜した。ヤツデはとにかく雑学というものが大好きなのである。星座とは恒星の配置を形象に見立てて天球を区分するものを言うのである。人は誕生日によって12の星座に区分されるが、本当は88の星座が存在するのである。

また『秋の第四辺形』は秋に見られる星座が構成するものである。その『秋の第四辺形』はアルゲニブとマルカブとシェアトという三つのペガサス座とアンドロメダ座のアルフェラッツからなる。この惑星(天地)から見える星は地球から見える星と全く同じである。閑話休題である。

ヤツデとビャクブとチコリーとユリとアカネの5人はその後も街灯の少ない夜道をひたすら歩いてシロガラシの家に到着をした。ヤツデとビャクブとチコリーとユリの4人はそしてアカネに対して別れを告げると家の中へと入って行った。チコリーとユリにとっては割と怖かったが、二人にとってはとてもいい思い出になったし、それはもちろんビャクブも同じだが、宣言のとおり、ビャクブは今日もよく眠れずにしばらく横になって音楽を聞いていた。今宵は一番の収穫を得たのはヤツデである。今回の肝試しではヤツデも完全にオフのつもりで挑んだのだが、ヤツデはコニャック村の事件についていくつかの情報を仕入れることができた。だから、ヤツデは眠るまで今夜に知った情報のピースをどこに当てはめればいいのかを考え続けた。それはそして実を結んだ。ヤツデは今回の事件のほぼ全てを理解することができた。


翌日である。過去の二日間はなにかと慌ただしい朝を迎えていたが、今朝のヤツデとビャクブは静かな中で迎えることになった。ビャクブは夜遅くまで眠れなかったが、ふとんにはちゃんと入っていたし、体力はある方なので、とりあえずは寝不足で元気がないというようなことはなかった。

天気は今日も快晴である。結局は考え事をしていたせいでいつもより昨夜のヤツデも寝るのは遅くなってしまったが、それでも、ふとんにはちゃんと入っていたから、今日はリフレッシュしている。

今日のヤツデとビャクブはちなみに偶然にも早起きだったので、チコリーとユリはまだ眠っている。ただし、年寄りのシロガラシとミツバはもう起きている。シロガラシとミツバは日々早起きなのである。

「昨日のヤツデは怪盗を捕まえるために準備が必要だって言っていたけど、よかったら、おれはそれに付き合おうか?」ビャクブは食卓において朝食のバゲッドを食べながら同じく食事中のヤツデに対して話しかけた。ビャクブとヤツデは少しも眠そうではない。ヤツデはビャクブの問いに応じた。

「ううん。ぼくの考えは違っていたら、ビャクブには無駄足を踏むだけになっちゃうから、今回ばかりはビャクブなしで行くよ。ぼくは決してビャクブが邪魔になるからっていう訳じゃないんだよ」

「そうかい?それなら、おれはわかったよ。ヤツデには悪いけど、この件はヤツデに任せよう」

「それよりも、ビャクブは梯子を持ってソテツさんのところに返しに行って来てくれる?」ヤツデは聞いた。現在のヤツデは朝食としてベーグルを食べている。

「ああ。そのくらいはお安いご用だけど、ソテツさんとはバード・ウォッチングを一緒にさせてもらうんだから、梯子はその時に渡したんじゃダメなのかい?」ビャクブは当然の疑問を口にした。

「うん。ぼくは怪盗を捕まえる準備がすんだら、一応はもちろんバード・ウォッチングにお誘いさせてもらうけど、ぼくたちはいきなり行くと少し失礼だから、ビャクブは予め話をつけておいてくれる?」

「ああ。それはそうだな。わかったよ。時間は何時にする?」ビャクブは聞いた。

「ええと、時間は午後一時がちょうどいいかな。まあ、時間はソテツさんの都合に合わせてもいいんだけどね」ヤツデは寛容な態度を示した。シロガラシとミツバはちなみにこの場にはいない。

「それじゃあ、待ち合わせの場所はどこにする?」ビャクブは立て続けに聞いた。

「場所はビャクブとぼくがソテツさんの家まで行こうね。ぼくは昨日に言ったとおりにバード・ウォッチングをする場所はコニャック湖のそばにあった林にしようね。ぼくはソテツさんの庭の池を見せてもらった時に自転車があったことを覚えているから、ソテツさんにはその自転車で一緒に来てもらおうよ。ソテツさんにはもちろん事情を聞いて都合が合わないって言われちゃったら、ぼくたちだけでバード・ウォッチングに行こうね。ビャクブはそれでもいい?」ヤツデは確認をした。

「ああ。おれはもちろんそれでいいよ。よし。わかった。それじゃあ、とりあえずは朝ご飯を食べ終わったら、おれは早速にソテツさんの家に行ってくるよ。こっちはおれに任せてくれて構わないよ」ビャクブは自信ありげである。とはいっても、ビャクブの仕事はそれほどに難しいものではないからである。

「どうもありがとう。ビャクブはそれから『運がよければバード・ウォッチングの最後にソテツさんのスイホウガンも見つかるかもしれません』って言っておいてね」ヤツデは遠慮がちにして言った。

 ビャクブはそれについてどういうことなのかを聞きたがったが、ヤツデはビャクブを驚かせたいからという理由で話を打ち明けなかった。また、ヤツデはコニャック村の事件について全貌が明らかになりつつあるという話もしなかった。ヤツデは確証を得るまで口にするつもりはないのである。

 ということは推理できることは全て推理したので、ヤツデにはもう少し情報収集が必要になってくるという訳である。だから、ヤツデは今日もそのために働きかけをするつもりである。

 重要なことはもう一つある。それは明日になったら、ヤツデとビャクブは帰ってしまうということである。つまり、ヤツデにはタイム・リミットが刻々と迫っているのである。


ヤツデとビャクブの二人はなにはともあれ朝食を食べ終わると早朝からそれぞれの思惑に従って外出して行った。シロガラシとミツバはヤツデとビャクブが家を出る際には二人に対して揃ってエールを送った。起き抜けのチコリーとユリはヤツデとビャクブの二人の働きぶりについて大いに賞賛をした。

ビャクブはどちらがソテツの梯子かは知らないが、とりあえずは二つの梯子を持ってソテツの家まで歩いて行くことにした。これは意外と根気のいる仕事だったので、苦労はかなりしたが、ビャクブはどうにかこうにかして梯子を運びきった。しかし、怪盗は二人いたのだから、仮に、その内の一人は女性でもあり得るなと運搬中のビャクブは珍しく理知的なことを考えていた。

今日のビャクブの服装は青色のチェックのワイ・シャツの上にベストを着ていて下はデニムのジーパンといったものである。つまりは動きやすいとも動きにくいともどっちつかずの服装である。

ビャクブは梯子を返すこととバード・ウォッチングに誘うことの二つの要件を頭の中で再確認をしてソテツの家のチャイムを鳴らした。ソテツはすると間もなくして顔を出した。

「おはようございます」ソテツはビャクに対して挨拶をした。ソテツはいつものことながら少しぶっきらぼうである。ただし、ソテツは寝起きでも機嫌が悪い訳ではない。

「おはようございます。おれはいきなり本題に入らせてもらいますが、ソテツさんのお家からは梯子がなくなっているっていうようなことはありませんか?」ビャクブは単刀直入に聞いた。

「さあ?どうでしょう?それはわかりませんが、とりあえずは確認をしてみましょう。ビャクブさんはこちらへいらっしゃって下さい。でも、ぼくは先に申し上げておきますが、梯子は二つも持ってはいませんよ」ソテツは確認をした。ソテツはビャクブの持っている二つの梯子を見て言ったのである。

「ああ。それはいいんです。梯子はおれの持っているどっちかの一つがソテツさんのものなんだと思います。ただ、今のところ、確証はありませんけどね」ビャクブは取り急ぎの説明を加えた。

という訳なので、ソテツとビャクブは一緒に庭に移動することにした。ビャクブは念のために梯子も庭に持って来た。ソテツの庭からはするとやはり梯子が紛失していることが判明した。

「おかしいな。泥棒かな?ビャクブさんは先程におっしゃっていましたが、ビャクブさんのお持ちになっている梯子の片方はひょっとしてぼくのものなのですか?」ソテツは不可解そうな声で聞いた。

「その可能性は高いと思います。ソテツさんは確認をしてもらえますか?」ビャクブはそう言うとソテツに対して二つの梯子を渡した。二つの梯子の大きさは似たりよったりだが、カラーは少し違っている。

「こっちの先端の青い梯子はどうやらぼくのものと同じようです。でも、ビャクブさんはなぜぼくの梯子をお持ちなのですか?」ソテツは当然の疑問を投げかけた。

「怪盗は昨日にまたシロガラシさんのお家に現れて怪盗のトリックとして梯子が使われたんです。怪盗はたぶんソテツさんのお家からスイホウガンを盗った時に梯子があったことを覚えていてそれを利用したんじゃないかと思います。まあ、これはヤツデの受け売りなんですけどね。その梯子はとにかくソテツさんのものでしょうから、そちらはお返しします」ビャクブは順を追って説明して話をまとめた。

「そうでしたか。ビャクブさんはわざわざご足労を頂いてありがとうございます」

「いや。これくらいはいいんですよ。時に、ソテツさんはシロガラシさんから聞いた話ではバード・ウォッチングをなさるそうですね?もしも、よかったら、今日はおれとヤツデと一緒にコニャック湖のそばの林でバード・ウォッチングをご一緒して下さいませんか?」ビャクブは懇願をした。

「それは構いませんよ。ぼくは自転車で行けますが、ヤツデさんとビャクブさんはなにで行く予定ですか?」ソテツは問いかけた。ソテツはもちろんヤツデとビャクブの足を気にしているのである。

「おれたちはシロガラシさんのお家の自転車を貸してもらって行きます」ビャクブは答えた。

「そうですか。でも、ぼくたちは今から行くのですか?」ソテツは聞いた。ソテツはちゃんと気配りをすることができるので、今はここにヤツデの姿が見えないことを気にしているのである。

「いや。おれは午後一時ごろにヤツデと一緒にまたこちらにお伺いをさせてもらうっていうことでもいいですか?」ビャクブは一応の確認をした。ソテツはビャクブのお望みどおりの返答を口にした。

「わかりました。今日は特に用事もないので、ぼくはそれで構いません」ソテツは言った。

「ありがとうございます。ああ。それから、ヤツデは『運がよければバード・ウォッチングの最後にソテツさんのスイホウガンも見つかるかもしれない』と言っていました」ビャクブは言った。

「それはまた実に興味深いことですね。ヤツデさんにはなにかしらの策がある訳ですね。それなら、ぼくは楽しみにしてお待ちしています」ソテツは思わぬ話を聞いてとても喜んでいる。

その後のソテツは昨日にシロガラシの家で怪盗になにを取られたのかを聞いてきたので、ビャクブは素直にハムスターのぬいぐるみであることを明かした。

ビャクブはなんとなく気が引けたが、ソテツはぬいぐるみをチコリーか、あるいはユリのものと勘違いしていたので、最後にはちゃんとヤツデのものであると報告をした。

ビャクブは嘘が下手だし、それは嘘をつくほどのことでもないと判断をしたのである。ソテツはそれを受けると少し虚を突かれたような顔をした。それでも、ヤツデの人柄は和やかだから、ソテツは性に合っているし、ヤツデはそういうほんわかした気持ちを持てるということはすばらしいことだと評した。

ソテツの性格はやはりやさしいので、ソテツは大人の男がぬいぐるみをかわいがっていたくらいでは嫌な顔をしなかった。ソテツはむしろそれを好意的に受け止めてくれたのである。という訳なので、これは自分も同じことだが、ソテツは怪盗による被害者となってしまったヤツデに対して深く同情をした。ビャクブはそれを聞くと自分のことのようにしてうれしく思って一旦はソテツの家を辞去した。


ビャクブはシロガラシの家に帰ると一階のリビングに腰を下すことにした。チコリーとユリはするとなにをしてきたのかを聞きにきたので、ビャクブは簡単に事情を説明した。

ビャクブはそしてそれが終わると自分のスマート・フォンのインターネットを使ってバード・ウォッチングについてあれこれと調べて時間を過ごすことにした。ビャクブはそれによってバード・ウォッチングには野鳥観察や鳥見や探鳥といった別名があることを学習することができた。

ヤツデはよく読書によって知的好奇心を満足させているが、それなりの求知心や探究心はビャクブにも備わっているのである。ただし、ビャクブは文字だけの本よりもマンガ派である。

ツバキは誰に殺害されたのか、それはビャクブもヤツデと話し合った。しかし、モクレンは誰に殺害されたのか、それはまだビャクブも真剣には考えていない。そのため、ビャクブはバード・ウォッチングについての情報収集を終えると一人で思索に耽って事件について考えてみることにした。

コニャック村では最もモクレンと親しかったのは先程も会ったソテツである。しかし、親しければ、ソテツとモクレンは接する機会も多いので、その二人は逆にトラブルを起こす確率も上がってくる。

この推理は相当に短絡的だが、ビャクブはモクレンを殺害した犯人として最も怪しいのはソテツであると結論を出した。だから、ビャクブはこれからソテツの言動には注意をしておこうと決心をした。とはいっても、ビャクブとしてはあんなにもやさしい性格をしたソテツが犯罪をやらかすとは思えなかった。

ビャクブは情にほだされてばかりいてはいけないが、そこは探偵のつらいところである。もっとも、ビャクブはそもそも探偵ではない。しかし、そうではなくとも、問題はある。もしも、ソテツはモクレンだけではなくて義理の姉であるツバキも殺害したのだとしたら、ビャクブにはますます動機の点で訳がわからなくなってくるのである。ソテツはツバキの訃報を聞いた時には本当にショックを受けていたし、ソテツとモクレンの間ではそもそも本当になにかしらのトラブルがあったのか、ビャクブには現時点では全く不明で五里霧中である。という訳なので、ビャクブは推理に完全に行き詰ってしまった。

それでも、ビャクブはもしかしてツバキを殺害した犯人とモクレンを殺害した犯人は別人なのではないだろうかとも考えた。ビャクブはそのようにしてしばらく待っていると、ヤツデはホクホク顔で帰って来た。ビャクブはそんなヤツデを自分も機嫌よく出迎えることにした。ビャクブは虫の知らせで『ヤツデの帰還はそろそろかな』と思っていたのである。ビャクブは無駄に勘がいいのである。

「おかえり」ビャクブは言った。「どうだい?ヤツデは怪盗を捕まえる手立ては準備できたかい?」

「うん。準備は上々だよ。怪盗の正体はもうすぐ明かされることになると思うよ」ヤツデは言った。

「それは頼もしいな。そうそう。これはバード・ウォッチングについてだけど、ソテツさんには梯子を返しに行った時に話はしておいたから、ソテツさんは午後一時になったら、おそらくは待っていてくれると思うよ」ビャクブはヤツデに対して頼まれていたことの報告をきちんと行った。

「そっか。ビャクブは話をしておいてくれてありがとう」ヤツデは律儀にお礼を言った。

「ヤツデはバード・ウォッチングをしに行く前になにか用事はあるかい?」ビャクブは聞いた。

「ぼくたちはヨモギさんとアスナロくんの都合がよければ、今日はまたコニャック公園へ遊びに行く約束をしておこうよ。アスナロくんとは『また遊ぼうね』って約束したからね」ヤツデは素直に言った。

「ああ。それは名案だな。そうしよう。おれたちは早速に行くかい?」ビャクブは確認をした。

「ううん。ぼくはその前にシロガラシさんに聞いておきたいことがあるから、ぼくたちはそれがすんでから、ビャクブは一緒に行こうね。それで?シロガラシさんはどこにいるのかな?」ヤツデは聞いた。

「シロガラシさんはたぶん二階の部屋にいると思うよ」ビャクブは簡潔に答えた。

「ぼくはすぐに帰ってくるから、ビャクブはちょっとだけ待っていてね」ヤツデは言った。

「ああ。わかったよ」ビャクブは返事をした。ヤツデはすると二階へと上がって行った。

 ビャクブはヤツデを待つ間にスマホでネット・サーフィンをして時を過ごすことにした。大抵は暇な時のビャクブはスマホかテレビを見て過ごすのが習慣になっているのである。

一方のヤツデ・サイドである。ヤツデはシロガラシの部屋にやって来ると、シロガラシのいる部屋のドアは開いていた。ヤツデはドアの前まで行くと読書中だったシロガラシに対してそっと声をかけた。

「すみません。ぼくは一つお聞きしたいことがあるのですが、それは今でもよろしいですか?」

「ええ。わしは構いませんよ。なんでしょう?」シロガラシは顔を上げて聞き返した。

「モクレンさんの亡くなった日付は今月の26日ということですよね?」ヤツデはここでシロガラシに考える時間を与えるようにして言葉を切った。もっとも、それは意図した訳ではない。10月28日の時点ではモクレンが亡くなったのは二日前だとミツバが言っていたから、これは間違いのないはずである。

「ええ。それは確かに間違いありません」シロガラシは同意の返答をした。ヤツデは本題に入った。

「正確には26日のいつ頃発見されたのか、シロガラシさんはご存じですか?」

「ええと、確か、正午よりは早かったんじゃないですかのう。正確なことは残念ながら言えませんが、ソテツさんなら、おそらくはわかると思います。モクレンさんの遺体の第一発見者はソテツさんじゃったからのう。わしはしっかりと答えられなくてすみませんのう」シロガラシは謝った。

「いいえ。どうか、シロガラシさんはお気になさらないで下さい。どちらにしろ、ぼくとビャクブは午後一時にソテツさんに会いに行く予定ですので、お話はその時にソテツさんから伺ってきます。どうもありがとうございました」ヤツデは丁重にお礼の言葉を述べた。シロガラシは謙虚に応じた。

「いいえ。わしの話はなにかの役に立ったのなら、それはうれしい限りです」

「ああ。自転車はちなみにお借りできますか?」ヤツデは去り際に問いかけた。

「ええ。一応はチコリーとユリにも確認して特に使う用事がなければ、ヤツデさんは自由に使って下さって構いませんよ。わしにはなにぶん自転車に乗る習慣がないのでのう」シロガラシは言った。

「わかりました。失礼しました」ヤツデはシロガラシに対してそう言うとぺこりとお辞儀をした。

ヤツデはやがて階下へと降りて行くとビャクブと合流した。ビャクブはかなりの暇人なので、現在はスマホを中止してダイニングのイスに座って机に頬杖をついて居眠りをしていた。

それでも、ビャクブはヤツデの到着に気づくと元気を出した。ビャクブはやることさえあれば基本的にやる気は満々なのである。という訳なので、ビャクブは元気よく立ち上がった。

ヤツデは幸いにもチコリーとユリから自転車を使う許可をもらうことができた。本当はユリもヤツデとビャクブに同行したかったのだが、自転車は二台しかないし、今回は以前ほどにしっかりとした聞き込みを行う予定もないとヤツデによって言われたので、ユリはチコリーと自宅で待機をすることにした。


その後のヤツデとビャクブの二人はヨモギの家まで自転車を漕いで行った。その途中のヤツデは例によって例の如くヨモギに聞きたいことを頭の中で反芻していたので、ヤツデの口数は少なかった。

事件の捜査のことはビャクブも例に倣ってほぼヤツデに丸投げ状態なので、ビャクブはヤツデが熟考していることがわかると自分も黙っていたが、ヤツデは世間話を始めると、それにはビャクブも応じた。

ビャクブは先程のシロガラシとの会話の内容を聞きたがったので、ヤツデはその一部始終を話した。ヤツデはようするにモクレンが亡くなった時のコニャック村の村民のアリバイを知りたいのだなとビャクブは理解をした。ヤツデの意図は確かにそこにあるので、ビャクブは大当たりである。

ヨモギの家へ辿る道の最後の方の話はビャクブのネット・サーフィンの成果で締められた。ビャクブは男坂と女坂について聞かせてくれたので、ヤツデはとても勉強になった。社寺の参道では相対する二つの坂の内で傾斜の急な方を男坂と言って緩やかな方は女坂と言うのである。ビャクブはとにかくたまにはヤツデに対して雑学を話すこともあるということである。閑話休題である。ヤツデとビャクブの二人はヨモギの家に到着をした。ヤツデは自転車を止めながらも少し気が重かった。

前回ほどではないとはいっても、ヤツデとしては殺人事件の被害者遺族に会うことはとてつもない大事なのである。ヤツデはやはり気のやさしい性格をしているのである。ビャクブはちなみに平常心を保っている。ヨモギはヤツデが家のチャイムを鳴らすと間もなく顔を出した。

「これはこれは」ヨモギは言った。「ヤツデさんとビャクブさんはまた聞き込みですか?私は先刻に申し上げましたとおりに遺憾なくお力添えをさせてもらいますよ。どうぞ。中へお入り下さい」

 ビャクブはヨモギの様子に関して特に感想を抱かなかったが、ヤツデは少し驚いた。ヤツデはヨモギがもっと暗い表情をしているかと思っていたのにも関わらず、ヨモギは意外と明るいからである。

しかし、それはヨモギが妻のツバキの死という悲しみを乗り越えたからではなくて他人まで悲しい気持ちにはさせまいというヨモギのやさしい思いやりに端を発しているのである。

「ありがとうございます。でも、話はすぐにすみますので、ぼくたちはこのままで結構です。実は事件についてのお話もあるのですが、ぼくたちはアスナロくんと遊ぶ約束をしていたので、今日は遊びに行けないかなと思ったんです。それについてはどうですか?」ヤツデは低姿勢になって聞いた。

「そうでしたか。今は小学校に行っていますが、三時頃なら、アスナロは問題なく遊びに行けると思います。アスナロとは私も一緒に行かせてもらいますが、時間はそんなところでもよろしいですか?」

「はい。おれたちはそれで構いません。それじゃあ、おれたちは三時頃にコニャック公園の広場に行きますので、ヨモギさんとアスナロくんも現地集合ということでいいですか?」ビャクブは確認をした。

「私はそれで構いません。遊び道具は私が持って行きますので、ヤツデさんとビャクブさんは別に手ぶらできて下さっても構いませんよ。あの、家内の事件ではまた私に協力できることはありませんか?ヤツデさんとビャクブさんはどんなことでも聞いて下さって構わないのですが」ヨモギはもどかし気である。

「はい。それでは些か失礼な質問をさせて頂くことになるのですが、ヨモギさんは捜査の役に立てるためと思ってお答え頂ければ幸いに思います」ヤツデは慎重な態度を示した。

「私は構いません。ヤツデさんはなんでもお聞き下さい」ヨモギは気を引き締めて言った。

「わかりました。ヨモギさんはモクレンさんが首を吊って亡くなっていた10月26日の午前中はどこでなにをされていましたか?」ヤツデはセリフをすらすらと述べた。ヨモギは少し虚を突かれた。

「つまり、モクレンさんは家内ではなくて他の誰かに殺害されたとお考えになっている訳ですね?」

「はい。ようはそういうことです」ビャクブは横から割って入って頷いた。ヨモギは応じた。

「ええと、私はモクレンさんが亡くなっていた日にどこでなにをしていたかですか?私は確か仕事に行っていたと思います。あの日は印象に残っている日ですから、それは間違いないと思います」

「その日のヨモギさんは普段のとおりの時間に家を出られましたか?」ヤツデは質問をした。

「ええ。私は特に早く家を出たり、遅れて行ったりはしていなかったと思います」

「それでは一年前にコニャック村では空き家だけを狙った放火事件があったそうですが、ヨモギさんはその放火事件についてどこまで情報をご存じですか?」ヤツデは再び聞いた。

「一件目は確かここから見てコニャック湖のそばの林の向こうにある家が焼かれたそうです。二件目は同じくここから見てコニャック公園の向こうにある空き家が焼かれたそうです。三件目はカシ山の中にある空き家が焼かれたということくらいです。詳細はよくわかりません。私は近場に住むモクレンさんからはお話を伺う機会がなかったのです。まあ、人命にはどの火災も関わらなくてよかったですよね?」

「そうですね。今のところは事件についてお聞きしたいことは以上です。ヨモギさんはご協力をありがとうございました」ヤツデはそう言うと礼儀正しく頭を垂れた。ビャクブはそれに倣ってお辞儀をした。ヨモギはまだもの足りないような顔をしていたが、聞きたいことはヤツデも全て聞いてしまったので、ヤツデは少し申し訳なく思いながらもビャクブと共にヨモギの家を辞去した。

「ぼくたちはどうせヨモギさんのお家まできたんだから、ぼくはこれからヤマガキさんとナズナさんにもお話を聞きに行くつもりだけど、ビャクブは先に帰っていてもいいよ」ヤツデはヨモギの家の前に止めていた自転車のスタンドを外しながら慎重な態度でこれからの行動の提案をした。

「え?ヤツデは水くさいじゃないか。おれは一緒に行くよ」ビャクブは引き下がらなかった。

「ううん。ヤマガキさんたちのお家はここからでも少し遠いし、帰ってきたら、ぼくたちはすぐにソテツさんのお家に行くことになると昼食が食べられなくなるから、ぼくは一人で行ってくるよ」

「でも、ミツバさんはおれたちのために二人分のご馳走を用意してくれているかもしれないよ」

「もしも、そうだったら、ビャクブは二人分を食べておいてよ」ヤツデは提議した。

「ヤツデは無茶を言うな」ビャクブは呆れている。「まあ、でも、ヤツデの言い分はわかったよ。それじゃあ、おれたちはまたあとで会おう」ビャクブはヤツデのことをきちんと理解してくれている。

「うん。バイバイ」ヤツデはやさしい口振りでそう言うとビャクブを見送ることにした。

ヤツデはそしてサドルに跨って自転車を漕いで新たな旅へと出発をした。ヤツデはこうしてヤマガキ宅へ向って行った。一方のビャクブはシロガラシ宅へと向かって行った。

ヤツデは当然のことながらビャクブが邪魔だった訳ではない。聞き込みの際はビャクブがいてくれないと安心できないが、今回は大して長くかからないし、自分でも言っていたとおり、ヤツデとビャクブは昼食を食べられなくなる可能性があったので、ヤツデはあのような提案をするに至ったのである。

ヤツデはやがて約20分をかけてヤマガキの家に到着をした。ヤツデは今回もここに来るまでにヤマガキとナズナに聞いておきたいことを反芻していた。ヤツデはやはり行き当たりばったりだと時々言葉が出てこないことがあるのである。という訳なので、現在のヤツデは準備が万端である。

ヤツデはヤマガキの家へ向かうという選択について後悔をしていなかったが、心の片隅ではミツバがご飯を作ってくれていた時のことを思うと自分はやっぱり間違っていたかなと迷った。

それでも、やって来てしまったことは仕方がないので、ヤツデはそのことを考えないようにした。それに、ミツバはその程度のことでは怒らないし、いざとなったら、ビャクブは本当に二人前の食事を食べてくれるくらいのやさしさは持っているのである。それはしかもチコリーとユリも同じである。

ヤツデはヤマガキの家の前に自転車を止めた。車の通行はどこに止めたとしても皆無なので、自転車は邪魔にはならないのである。ヤマガキはヤツデが家のチャイムを鳴らすと間もなく顔を出した。

「やあ。ヤツデさんでしたか。こんにちは」ヤマガキはそう言うと丁寧に頭を下げた。

「こんにちは」ヤツデは挨拶をした。「ヤマガキさんは最後にお会いした時に『ぼくはまたいつでもいらっしゃって下さい』とおっしゃって下さいましたよね?今日はそのお言葉に甘えさせてもらってお伺いさせてもらいました。とはいっても、ぼくはお時間を取らせるようなことは致しません」

「そうですか。それではご質問をお伺いしましょう」ヤマガキは好意的である。しかし、なんだか、ヤマガキは少しヨモギに比べても元気がないかなとヤツデは心中でぼんやりと考えた。

「失礼ですが、ヤマガキさんはモクレンさんが首を吊って亡くなっていた10月26日の午前中はどこでなにをされていましたか?」ヤツデは先程のヨモギにしたのと同じ質問をした。

「5日前のことは覚えていませんね。私は外出をしていたか、もしくは家にいたかのどちらかだったと思います」ヤマガキは申し訳なさそうにして頭を掻いている。ヤマガキは人がいいのである。

「どちらの場合でも、それを証明できる人はいらっしゃいましたか?」ヤツデは聞いた。

「いいえ。どちらの場合も、証明できる人はまず間違いなくいなかったでしょう。仮に、家にいたとしても、モミジと妻は学校に行っていたでしょうし、私は外出も一人で行っていたでしょうからね」

「そうですか。わかりました」ヤツデは表情を変えることなく頷いた。

「いや。でも、ヤツデさんはだからと言って私がモクレンさんを殺害したとは思わないで下さいね」

「はい。もちろんです。ヤマガキさんはコニャック村で一年前に起きた放火事件についてどんなことをお知りですか?ぼくは情報を求めているんです」ヤツデは穏やかに言った。

「一年前には確かにそんなこともありましたわな」ヤマガキはすぐに思い出した。ところが、ヤマガキはその詳細についてとなると少し口振りが鈍った。実はヤマガキにはあまり興味がなかったのである。

「私は有力な情報は知りませんが、放火は三件ありました。その内の二件は全焼したんでしたわな。それと、犯行は深夜の内に行われたそうですね。こんなことはなにかの参考になりますか?」ヤマガキは不思議そうにして聞いた。ヤマガキは同時に不安そうである。ヤツデは安心させるようにして言った。

「はい。ぼくとしては非常に参考になります。ぼくは重ねて無礼なことをお聞きしますが、どうか、ヤマガキさんはご容赦下さい。ヤマガキさんはツバキさんが殺害された三日前の午前8時から10時までの間はどちらにいらっしゃいましたか?ああ、ヤマガキさんは気分を悪くなさらないで下さい。これは単なる確認ですので」ヤツデはにっこりと笑顔を見せた。ヤマガキはそれで気持ちが随分と解れた。

「ええ。私はトイワホー国の国民ですから、怒ったりはしません。それに、あの日にはアリバイがあります。妻は予告殺人の対象にされた日だったので、一応は私も護衛のために家にいました」

「そうでしたか。わかりました。ナズナさんは今いらっしゃいますか?」ヤツデは聞いた。

「いいえ。今はいません。今は外出中です」ヤマガキの口調は急に不愛想になった。

「そうですか。ええと、ナズナさんはどうかされたのですか?」ヤツデは恐る恐る聞いた。

「ああ。妻とは離婚することになったんですわ。私は絵画の才能がいつまでたっても開花しないで三流に甘んじているから、実はそれも原因の一つです。まあ、なんにしても、私は女房に逃げられるなんて惨めな男です」ヤマガキは完全に意気消沈した様子である。ヤツデは暗くならないようにと心がけた。

「いやいや」ヤツデは取り成した。「ぼくはそんなことはないと思いますよ。あの、ぼくは立ち入ったことをお聞きしますが、モミジくんの親権はヤマガキさんとナズナさんのどちらがお持ちになるご予定なのですか?」ヤツデは慎重な態度で聞いた。ヤマガキは再三の不躾な質問にも答えてくれた。

「遺憾ながら、それはナズナの方なんです」ヤマガキはますます沈み込んでしまった。

「ああ。そうでしたか。ぼくはご迷惑をおかけしてしまってどうもすみませんでした。ヤマガキさんはお話を聞かせ下さってどうもありがとうございました」ヤツデはいつものとおりにぺこりと頭を垂れた。

「いいえ。私は構いませんよ」ヤマガキは少し持ち直して愛想よく言った。

「それではさようなら」ヤツデはそう言って再び頭を下げるとヤマガキの家を辞去した。

ヤツデはヤマガキとナズナの離婚という思いがけない情報をゲットしてしまったが、その情報には別に驚かなかった。それはもちろんヤツデが冷淡だからではない。ヤツデはこうなることを予想していたのである。それにはしかもきちんとした根拠もある。ヤマガキとナズナの離婚はコニャック村の事件においてどんな位置を占めるのか、ヤツデにはすでに朧気ながらも考えがある。

ただし、ヤツデにとっては意外だったことも一つある。それはモミジの親権を持つのがヤマガキではなくてナズナだということである。その事実はのちに重要な意味を持ってくる。しかし、この時点ではまだその事実が重要な意味を持つことになるとはヤツデでさえも考えてはいなかった。


その後のヤツデはコニャック村の事件について色んなことを考えながらシロガラシの家へと到着をした。その時刻はソテツとの待ち合わせ時間である一時の少し前だった。

そのため、ヤツデはビャクブと共にソテツの家へと向けて自転車を漕いで行った。ヤツデの今日の昼食はやはり抜きという訳である。ヤツデは別にそれを残念には思わなかった。

それよりも、ヤツデはミツバがご飯を作ってくれていたかどうか、心配だったが、チコリーはミツバに対して『ヤツデとビャクブの二人は遅くなるかもしれない』と言ってくれていたので、ミツバはあえて食事を作っていなかった。これはチコリーのファイン・プレーである。

そのため、ビャクブはミツバの作ってくれたピラフを二人分も食べずにすんだのである。しかし、今度から危ない橋は渡らないようにしようとヤツデは少しだけ反省をした。

ヤツデはもちろん反省だけではなくてミツバに対して謝罪をしたし、チコリーにはちゃんとお礼を言ってソテツの家へ行くために家を出てきた。チコリーはナイスな助言をしてくれたからである。ヤツデはそもそもスマホを持っているのだから、ミツバに対しては電話をすればよさそうなものだが、シロガラシとは文通しかしなかったので、実はシロガラシの家の電話番号を知らなかったのである。ヤツデとビャクブの二人はやがてソテツの家に到着をした。ツバキはソテツから見ると義理の姉なので、ソテツはヨモギとアスナロと同じく被害者の遺族に含まれるという訳である。そのため、ヤツデは少しソテツに会うのも気が重かった。それでも、ソテツはなにも考えていないビャクブが家のチャイムを鳴らすと顔を出した。

「ヤツデさんとビャクブさんはいらっしゃいましたか。用意はできています。ぼくたちは早速に行きましょう」ソテツは張り切っている。ソテツはやはり早く怪盗の素性を知りたがっていたのである。

「はい。おれたちは行きましょう」ビャクブは同意をした。ヤツデとビャクブのやって来た時刻は定刻どおりになってしまったが、ソテツなら、例え、ヤツデとビャクブは30分も遅刻したところで怒ったりはしないのである。ヤツデとビャクブとソテツの三人は特にそれ以上の会話を交わさずに自転車に乗って林の方へと進んで行った。ヤツデはこれから怪盗を捕まえる予定だから、少しは緊張をしているが、ビャクブとソテツは意気揚々である。ビャクブは特にヤツデの活躍を大いに期待している。

「このお話はシロガラシさんから伺ったのですが、モクレンさんの遺体の第一発見者はソテツさんだったようですね?発見された時はさぞかしびっくりされたでしょうね?」ヤツデは話を切り出した。

「ええ。おっしゃるとおりです。あの時は筆舌に尽くしがたい驚きでした」ソテツは自転車を漕ぎながら答えた。ビャクブは黙って当時のソテツの胸中を推し量った。

「ソテツさんはどんな経緯で発見することになったのですか?」ヤツデは再び聞いた。

「あの日は元々モクレンと会う約束をしていたんです。モクレンは習字を始めようとしていたので、手取り足取りとまでは行かないまでも、ぼくはちょこっと心得やイロハをモクレンに教えてあげようとしていたんです。それから、ぼくはモクレンの作ったプラモデルも見せてもらうというのも訪問の理由の一つでした。しかし、ぼくはモクレンの家まで訪ねてチャイムを鳴らしてみても、返事はありませんでした。ですから、ぼくは試しに玄関のドアを引いてみたら、鍵は意外にもかかっていませんでした。ぼくとモクレンの仲なら、モクレンは家に入っても、ぼくは許してもらえるだろうと思って家の中へ入って行きましたが、モクレンの姿は見当たりませんでした。ただし、モクレンの家の一階には鍵のかかった部屋があるのです。ですから、一応は確認のために外に出て窓から中を覗き込んでみました。ぼくはすると首を吊って死んでいるモクレンを発見したのです」ソテツは死体の発見時の状況を訥々と語った。

「そうだったんですか。それ先程もおっしゃっていたとおり、ソテツさんは現場を目の当たりにした時の驚きは大きかったでしょうね?」ビャクブは聞いた。ソテツは我が意を得たりといった様子で頷いた。

「ええ。それはもう俄かには信じられませんでした。ぼくは夢かと思いました」

「ソテツさんはモクレンさんの遺体を何時頃に発見されたのですか?」ヤツデは質問を続けた。

「待ち合わせ時刻は午前9時だったので、発見はその前後だったと思います」ソテツは答えた。

「ソテツさんは最後にモクレンさんを見かけたのはいつでしたか?」ヤツデは聞いた。

「見かけた時刻はもちろん生前にですよね?それは警察の方にも聞かれましたが、生前の最後は確かあの日よりも一週間くらい前だったと思います。でも、ソテツとは会う約束をするために前日の午後10時頃に電話で話は交わしました」ソテツはそこまでしゃべったところで我に返ると不思議そうにした。

「しかし、ヤツデさんはなぜそのようなことをお聞きになるのですか?ヤツデさんとビャクブさんは確かツバキ義姉さんが殺害されたとおっしゃっていましたが、お二人はモクレンも何者かによって殺害されたものとお考えなのですか?」ソテツは当然の疑問を呈した。ヤツデは慎重な態度を示した。

「いいえ。ぼくにはまだその確信はありません」ヤツデは難しい顔をした。

「密室の状況はツバキさんの事件と同じなので、おれはその可能性も否定できないとは思っていますけどね」ビャクブは自分の意見を主張した。ヤツデはまた情報収集をさせてもらうことにした。

「できれば、ソテツさんは忌憚のないご意見をお聞かせ願いたいのですが、モクレンさんはソテツさんからご覧になって問題を一人で考え込んでしまうようなところのある方でしたか?」ヤツデは聞いた。

「はい。モクレンはそういう嫌いのある男でした。この話はもう何年も前のことですが、モクレンからはしばらく連絡がなくて音信不通だった時があったんです。ぼくはそれで少しおかしいなと思って休日に家に行ってみても、モクレンは出てこないんです。これはあとでわかったことでしたが、ぼくは『出てこない』という言い方をしたのはモクレンが居留守を使っていたからなんです。ぼくはなぜそんなまねをしたのかを聞いてみたところ、モクレンは仕事で失敗が続いて精神的にひどく落ち込んでいたせいで人間不信に陥っていたと言うのです。ぼくはもちろんそういう時こそ家族や友人のぼくに相談するべきだろうって言ってやりましたがね。ただ、人間は成長できる生き物です。ぼくはそういうことがあったからといってモクレンが最期まで何事もくよくよと考え込んでしまって自殺するような人間だったと決めつけるのはいけないような気がします。これはモクレンが殺された可能性があるのかもしれないという不信感からではくてそれからというもの、少しはモクレンもぼくに相談事を打ち明けてくれるようになったからなんです。ヤツデさんとビャクブさんは殺人事件を解決されたことがおありなんですよね?もしも、モクレンは何者かによって殺害されたのであれば、ヤツデさんとビャクブさんはぜひとも犯人を捕まえて下さい」ソテツはお願いをした。ヤツデはすると慎重に請け負うことにした。ヤツデは言った。

「犯人はこの村にいるのであれば、ぼくたちはやれるだけはやってみるつもりです。まあ、素人の力なんかは高が知れていますがね。時に、これは少し不躾で失礼ですが、ソテツさんは10月10日の午後10時から11日にモクレンさんの遺体を発見するまではどのようにしてお過ごしでしたか?」

「ぼくは家でずっと一人でした。アリバイはようするにありません。コニャック村ではモクレンと特に親しくしていたのはたぶんぼくだけですから、ぼくは事件の最重要の容疑者ということになりますか?」

「いいえ。どうか、ソテツさんはそう悲観的に受け止めないで下さい」ヤツデは取り成した。

その後のヤツデはもう質問を続けなかった。今のところはヤツデの聞いておきたかったことはそれくらいだったからである。そのため、ビャクブは重い空気を振り払うかのようにして話題を変えた。

「おれはシロガラシさんの家を出る前にバード・ウォッチングに関して少しスマホを使って調べてみたんですけど、バード・ウォッチングは中々奥が深そうですね?」ビャクブは水を向けた。

「おっしゃるとおりです。鳥類の特徴は昼行性の種類が圧倒的に多いということです。もう一つはいつでも飛んで逃げられるので、鳥類は人間の姿が遠くに見えても逃げないということです」ソテツは俄かに活気づいた。ソテツはやはり得意分野の話になると普段よりも多弁になる傾向があるのである。

「なるほど。それでは見る側の人間の立場からすれば好都合ですね」ヤツデは納得した。

「道具はなにをお持ちになっているんですか?」ビャクブは聞いた。ビャクブはそうしながらもソテツの自転車の籠に入っているものを覗き込んだ。そこには二つのものが入っている。

「これらは双眼鏡とフィールド・ガイドです」ソテツは簡潔に答えた。

フィールド・ガイドとは小型で軽量の図鑑のことである。鳥の知識は確かにソテツも豊富だが、鳥見の際のソテツはいつもこのフィールド・ガイドを持ち歩いているのである。

「カメラはお持ちではないのですか?」ヤツデは少し意外そうにして聞いた。

「ええ。そうなんです。バード・ウォッチングはカメラに気を取られているとじっくりと鳥を観察できないので、カメラは持ってきていません」ソテツは相も変わらずに老練なところを見せた。ヤツデはコニャック村の事件に関して悩んでばかりいてもしょうがないので、今は少しリラックスをすることにした。ヤツデはチコリーとビャクブとユリとアカネと一緒に行った肝試しでも今回の事件を解き明かすヒントを得ることができたが、今回のバード・ウォッチングではそういうことはないだろうと思ったのである。

 しかし、ヤツデはもちろん怪盗アスナロに関して再び相見えることになるかもしれないということを忘れている訳ではない。この件には自分のハム次郎を救出するだけではなくてユリの洋服とソテツの金魚の命運もかかっているので、ヤツデはそのことに関してはこの上なく真剣である。

 ただし、上記のとおり、今はまだヤツデも気を抜くことにしている。それに、現在は一緒にいるビャクブとソテツもリラックスをしているので、ヤツデはその雰囲気に身を任せることにしたのである。

その後のヤツデとビャクブとソテツの三人は雑談を交わしながら自転車を漕いで行った。その際のヤツデとビャクブは専ら聞き役に回ってソテツの話を引き出した。ただし、今回はあくまでも雑談なので、ソテツからはヤツデにも事件に関係することを聞き出すつもりはなかった。そのため、ヤツデはソテツの好物がホイコーローがであるとか、ソテツは甥のアスナロを肩車してよく遊ぶといった話を素直な気持ちで聞いていた。ヤツデたちの一行はするとようやく目的地である林に到着をした。好奇心は旺盛なので、ビャクブはヤツデとソテツの他の二人と一緒に自転車を止めながら早速にあたりを見回した。

「おれたちは改めてコニャック湖を見てみるともうなにかの鳥がいますね。あれはなんですか?」ビャクブはソテツに対して質問を投げかけた。ヤツデは視線をビャクブと同じ方向へと向けた。

「あれはキンクロハジロという鳥です。キンクロハジロは潜水がうまくて水底の貝や甲殻類を捕食するのです。そうでした。双眼鏡とフィールド・ガイドはお渡ししておきましょう。双眼鏡とフィールド・ガイドは残念ながら一つずつしか調達できなかったのですが、そうすれば、野鳥のことはヤツデさんとビャクブさんにも確認ができますからね」ソテツはそう言うと傍にいたビャクブに対して双眼鏡とフィールド・ガイドを手渡した。ビャクブはフィールド・ガイドの方をヤツデに対して手渡した。

「ソテツさんはお気使いをありがとうございます」ビャクブはソテツに対して律儀にお礼を言った。

ヤツデとビャクブとソテツの三人はこうして林の中へと足を踏み入れた。錦秋とは紅葉が錦のように美しくなる秋を言うが、ヤツデとビャクブとソテツのやって来た雑木林ではまさに錦秋の光景を目の当たりにすることができた。現在のソテツはガイドよろしく先頭を歩いている。

「バード・ウォッチングは森林浴にもなりますね?」ヤツデは心地よさそうにして日なたと日陰を交互に歩きながら思ったことを口にした。ビャクブは方々を見渡しながら歩いている。

「ええ。おっしゃるとおりです。バード・ウォッチングの利点はそこにもあります」ソテツはこの上なくうれしそうにして言った。ソテツはまるで自分をヤツデから褒められたかのようにしている。ビャクブは林の中を適当に歩いているとしばらくして木の上の方を指差して声を上げた。

「お」ビャクブは言った。「あそこにはなにかの鳥がいましたよ。あれはなんでしょう?」ビャクブはそう聞くとソテツに対して双眼鏡を渡した。ソテツはすぐさまその双眼鏡を受け取った。

「あれはジョウビタキです。ジョウビタキは人を恐れないので、俗にはバカビタキとも言います」ソテツは双眼鏡を覗き込んでから言った。ヤツデは肉眼でジョウビタキを見つけた。一応は付け足しておくと視力矯正の手術をしたことがあるので、ヤツデはけっこう視力がいい方である。

「バカビタキですかはかなりかわいそうな命名ですね」ビャクブは相槌を打った。

ヤツデはここでビャクブから受け取っていたフィールド・ガイドでジョウビタキのページを繰ってみた。そこにはすると以下のようなコラムが乗っかっていた。実はジョウビタキの翼の白斑のようにしてよく目立って種類を見分けるのに役立つ模様はフィールド・マークと言うのである。

「ペリットやフンや羽毛や足跡や食べかすといったものはフィールド・サインと言って鳥の生活や食性に関する情報源とするのです」ソテツは豆知識を披露した。ペリットとは鳥が飲み込んだ不消化物を塊として吐き出したものを指すのである。ヤツデはソテツの知識に感心をした。

「なるほど。バード・ウォッチングではわずかな手がかりも決して見逃さないんですね。おれは探偵としての心がけとして見習いたいな」ビャクブは考え深げにして言った。ビャクブはあまりにも堂々としているので、ヤツデは笑いそうになってしまった。ソテツは聞き流している。ヤツデは言った。

「まあ、それは確かにそうかもしれないけど、ビャクブはいつから探偵になったの?」

「まあ、しょせんは自己満足の素人探偵だよ」ビャクブは謙虚に言った。

「でも、自己満足にしてはクリーブランド・ホテルでの活躍はすごかったよ」ヤツデは言った。

「そうかい?とはいっても、ヤツデほどではなかったけどな」ビャクブは満更でもなさそうである。

「ビャクブさんはどんな活躍をされたのですか?」ソテツは話に割って入った。

「いやー」ビャクブは言った。「あれはちょっとしたことだったんですけどね。おれはある手紙の筆跡を見て別の手紙の筆跡の特徴と酷似しているということに気がついたんです。おれはそこから書いた人を特定したんです。それは結果的に殺人事件の黒幕の正体を暴くのに役だったんですけどね」ビャクブは説明をした。ヤツデはビャクブのことを誇らしげにして見つめている。ソテツは感嘆の声を上げた。

「ほう。それはすばらしいですね。ビャクブさんはやはり鋭い人なんですね。野鳥はまたいましたよ。あれはカワセミですね」ソテツは指摘をした。ビャクブは慌てて双眼鏡を目に当てた。

一方のヤツデはまたフィールド・ガイドでカワセミを調べてみた。カワセミのページの説明には次のようにして記載されていた。カワセミは背中と腰が美しい空色なので『飛ぶ宝石』とも言われると書かれていた。また、カワセミはダイビングして小魚やザリガニを捕まえるのである。

その後のヤツデとビャクブとソテツは色々なところを散策してバード・ウォッチングを続けた。ソテツは先生をしてくれるので、ヤツデとビャクブは助かっているし、ヤツデとビャクブとソテツの三人はとても楽しそうである。という訳なので、ヤツデとビャクブとソテツの三人は先程に見つけた以外にも二種類の鳥を発見することができた。一羽はアリスイという鳥である。

ソテツは『アリスイはアリを捕食することからこの名がある』とヤツデとビャクブの二人に対して説明をした。もう一羽はセッカという鳥である。セッカは林から少しはずれたところにある草原にいた。セッカは一夫多妻でメスだけが育雛して草の葉をクモの糸で綴り合わせて壷状の巣を作る。

ヤツデは以上を観察し終わると先頭に立って歩き出しながら腕時計を見て頃合いかなと思った。ヤツデはいよいよ怪盗の正体を明かして盗まれたものも取り返すことにしたのである。

「時間はそろそろかな。ソテツさんはとりあえずぼくについてきてもらえますか?ビャクブには言うまでもないよね?」ヤツデはソテツビャクブに対して促すと方向を変えて目的地へと歩き出した。ソテツとビャクブは当然のことながらヤツデのあとに続いた。ヤツデとビャクブは阿吽の呼吸である。

「我々はどちらに行くのですか?」ソテツは柔らかい口振りで素朴な疑問を口にした。

「百聞は一見に如かずです。それは行けばわかります」ヤツデは秘密めかした。

「ヤツデは怪盗を捕まえるための準備をしたって言っていたけど、そのことはひょっとしてなにかこの行動と関係はあるのかい?」ビャクブは聞いた。だとしたら、ビャクブは楽しみなのである。

「うん。関係はあるよ。ぼくたちはようするに怪盗を捕まえに行くんだよ」ヤツデは自信たっぷりな様子で断言をした。ヤツデとビャクブとソテツの三人はしばらく歩いて行くと木々の合間に青色のビニール・シートが敷かれている場所を発見することができた。ビニール・シートの上にはいくつかのものが乗っかっている。ヤツデは迷うことなくこの場所に辿り着くことができて内心では安堵をしている。

「あれはハム次郎じゃないか。あのハム次郎は本物かい?」ビャクブはビニール・シートの上にあるものを見て歓声を上げた。ビャクブは近づいてみると、ハム次郎は間違いなくヤツデのものであることがわかった。しかし、上述のとおり、ビニール・シートの上にはハム次郎だけがあった訳ではない。

ビニール・シートの上にはスイホウガンが水の入った器の中でまだ生きていたし、その隣にはユリの洋服も置かれていた。状況には納得をしたが、ビャクブには理由が全くわからなかった。

「それで?怪盗の盗んだものはなんでこんなところにあるんだい?」ビャクブは聞いた。

「ヤツデさんはなぜここに怪盗の盗品があるとわかったのですか?」ソテツは聞いた。

「これはそもそも一番に肝心なことだけど、盗品は誰がここに置いたんだい?」ビャクブは聞いた。

「まあ、聞きたいことは色々とあるかもしれませんが、怪盗アスナロはこれからこの場にやってきますので、ソテツさんはもうちょっと待っていて下さいますか?ビャクブも待っていてくれるよね?」ヤツデはやさしい口振りで聞いた。ソテツはもちろんそれに従うつもりである。

「ああ。それは別にいいけど、おれはいきなり色んなことがわかって、おれの頭はこんがらがってきちゃったよ」ビャクブは混乱状態である。ただし、それでも、ビャクブはヤツデには従うつもりである。

「まあ、ヤツデさんは待ってくれるようにおっしゃっているのですから、我々は少し待ちましょう。もっとも、ぼくにしてみても、これからの展開は全く予想できませんがね」ソテツは肩をすくめた。

「当然と言えば、当然かもしれませんが、ぼくはなにも怪盗と待ち合わせをしている訳ではないので、ぼくたちは少し離れた場所で待ちましょう。ここは雑木林なので、隠れるには打ってつけですからね」ヤツデはそう言うとビャクブとソテツの二人を誘導してビニール・シートからの死角に入った。ただし、ヤツデはけっこう不安だった。怪盗はやってこない可能性も十分にありえるので、自分はいいとしても、ヤツデとビャクブとソテツの三人はせっかく待っていても、ヤツデはビャクブとソテツには待ちぼうけを食わされるかもしれないからである。とはいっても、その時はヤツデも謝るし、ソテツとビャクブは許してくれることは間違いないはないのである。ヤツデとビャクブとソテツはやさしいのである。

ヤツデとビャクブとソテツの三人はとにかくこうして息を潜めて待っていた。ヤツデたちの待ち伏せからは約10分が経過した。ヤツデはその間に話声を立てないようにとビャクブとソテツに対してお願いをしていたので、実は自身が緊張して息がつまりそうになってしまった。ヤツデとビャクブとソテツの三人の歩いてきた方向からはすると人が小走りにやって来た。人数は一人である。その人影は金魚にエサをやり始めた。ビャクブはすぐにでも姿を現そうとしていたが、ヤツデは用心深く少しの間だけビャクブとソテツの二人に対して待っていてくれるようにと手振りで指示をした。それでも、ヤツデは最後にはビャクブとソテツに対してゴー・サインを出した。という訳なので、ヤツデとビャクブとソテツの三人はビニール・シートの方へと歩いて行った。ヤツデは現れた人物に対してやさしく話しかけた。

「こんにちは」ヤツデは挨拶をした。「モミジくんは殊勝だね。いや。ここでは怪盗アスナロと言った方がいいのかな?」ヤツデは言った。ヤツデはとうとう怪盗アスナロの正体を突き止めた。

「え?あの、なんですか?」モミジはいきなりの出来事に動揺を隠せない様子である。

「用件は大きく分けて二つかな。一つは盗んだものを返してもらうっていうことだよ。二つ目はなんでそんなことをしたのかを聞きにきたくらいだよ」ヤツデは冷静に主張をした。ヤツデの口調は嫌みにならないようにするためにびっくりするぐらいに飛びきりやさしいものである。

「わかりました。おれの盗んだものはお返します」モミジは言った。頭はいいので、モミジはさすがにもう言い逃れができないことを悟っているのである。それはビャクブも妥当な判断だと思った。

「スイホウガンの水泡は割れていないし、スイホウガンにはどうやらエサもちゃんとやってくれていたようですね」ソテツは口を挟んだ。ソテツはヤツデと同様にして全く怒っていないので、ソテツの口調は穏やかである。現在のモミジはとてもばつが悪そうにしてそっぽを向いている。

「ユリちゃんの洋服も特に代わり映えはないみたいだな」ビャクブはコメントを述べた。

「よかった。ハム次郎もどうやらちゃんとエサをもらっていたみたいですね。いや。これはもちろん冗談ですよ」ヤツデはビャクブとソテツとモミジの三人の白眼視に気づいて慌てて取り成した。

「ヤツデさんはどうしておれがここに盗品を隠していると気づいたんですか?」モミジは聞いた。

「盗品は家の中に隠しているとお母さんのナズナさんが部屋の掃除をした時に見つけてしまうかもしれないからね。それと、理由はもう一つあるよ。ぼくは一昨日にビャクブとシロガラシさんと釣りをしていた時にモミジくんと初めて会ったけど、あの時のモミジくんはこの林の中でソテツさんの金魚にエサを上げていたんじゃないかと思ったんだよ」ヤツデは話を途切れさせた。ビャクブは口を挟んだ。

「いやいや」ビャクブは言った。「ヤツデはちょっと待ってくれよ。モミジくんは実際に金魚にエサを上げていたのかもしれなよ。だけどだよ、モミジくんは林にいたからと言ってそう考えるのは早計じゃないかい?いくらなんでも、それは突飛すぎるよ」ビャクブはヤツデの推理の穴を看過できなかった。

「ああ。そうだね。ぼくは話を省略しちゃったのが悪かったね。ぼくはソテツさんから三枚の金魚の写真を撮らせてもらってコニャック村にいる人に見せて回ったけど、その時には質問した相手の顔をしっかりと見ていたんだよ。ぼくはすると写真を見た時にただ一人だけかすかに驚いたような素振りを見せたあとで確かにスイホウガンの写真のところで視線を止めたことに気づいたんだよ。びっくりした理由は自分が盗んだのは一匹なのにも関わらず、見せられたのは三匹だったから」ヤツデは第一の矢を放った。

「その人物はなぜスイホウガンに目を止めたのか?それは自分の盗んだ金魚がまさしくスイホウガンだったから」ヤツデは第二の矢を放った。ビャクブとソテツは固唾を呑んで見守っている。

「この反応は怪盗と自称する犯人の他には見せるはずのないものだから、つまりは必然的にその反応を示したモミジくんが怪盗ということになるんだよ」ヤツデはここで少し間を入れた。

ヤツデはこの写真による探りをシロガラシに対してもやらせてもらっていたが、あれは犯人ではないかという疑惑よりも、どちらかと言うと、あの時点では普通の人が示す反応を知りたかったからだったのである。モミジは反論をすることなく大人しくしている。ヤツデは話を続けた。

「昨日のモミジくんはさりげなくぼくとビャクブがナズナさんとヤマガキさんに話を聞きにいった時に怪盗の事件も調べているのかどうかを聞いたよね?実はそのこともぼくの推理を裏づけるものとなっていたんだよ。ぼくはあの時点ですでにモミジくんを疑っていたからね。ぼくからはそういう目で見てみると、モミジくんはビャクブとぼくが怪盗の事件についてどこまで知っているのかの情報を仕入れたかったんだよね?ぼくはあいにくどこまで知っているかをあえてしゃべらなかったんだけどね。ぼくは少し意地悪なことをしちゃったね。ごめんね。ぼくはとにかく以上を踏また上でモミジくんの一昨日の行動と照らし合わせて見るとこの林に盗品を隠しているんじゃないかと思ったんだよ。ビャクブには準備が必要だって言ったのはこの場所を見つけるためにこの林の中のそこら中を闇雲に歩き回ることだったんだよ」ヤツデは話し終えた。ヤツデは決して高飛車にならないようにあくまでも温厚な口振りで話している。

「それじゃあ、ヤツデさんはなんでこの時間におれが来ることがわかったんですか?」モミジは質問をした。モミジは完全に白旗を上げている。モミジはやはりある意味では聡いのである。

「それは運任せなところもあったんだけど、実は一昨日のモミジくんがここにきていた時間と同じくらいの時間になら、モミジくんは金魚にエサを上げるためにまたここに現れるんじゃないかと思っただけなんだよ。スイホウガンは見た限りではぴんぴんしているから、エサは貰っていたと考えるのにも特に無理はないからね」ヤツデはゆっくりと説明をした。そのため、ビャクブはよく理解することができた。

 ここではモミジによる第一と第二の犯行についても書いておくことにする。上記のとおり、モミジは怪盗としての最初の犯行についてユリの洋服を盗むことにした。

まず、シロガラシは家に鍵をかけないで外出することはコニャック村では周知の事実だし、シロガラシとミツバの二人はチコリーとユリを連れてお買い物に出ることはコニャック村の独自のネット・ワークによってモミジでも知りえた。だから、モミジは確実にシロガラシが皆を連れて外出する時を犯行日にしたのである。モミジはなおかつ盗むものも暗号でぼかしてあるし、最初なら、さほどには警戒もされないだろうということを計算の内に入れた上で犯行に及んでいたのである。

 次に、第二の犯行はソテツの金魚を盗むというものだったが、モミジはこれまたソテツが仕事で家を離れている時を犯行日に選んだのである。モミジは二回目の犯行ということもあって念のために家の中に侵入しなくてすむものを盗みのターゲットにしていたのである。モミジは予告状に関して言えば『これはゆめゆめ悪戯などとは思わぬよう』なんて陳腐なセリフをわざと使ったのである。それは結果的には成功してユリとソテツに対して嘘くさい予告状だという印象を与えたのである。

「ヤツデさんは暗号を解けていたんですか?」モミジは好奇心を隠そうともせずに聞いた。

「うん。暗号は解けたよ。まあ、暗号は解いても、ぼくは後手に回っちゃったけどね」ヤツデは平然とした顔で言った。ビャクブはモミジのことを本当に頭のいい子だと認識している。

「そうでしたか。まあ、あの暗号は少し考えればわかってしまうものでしたけどね」モミジは気落ちした様子である。ただし、モミジはあの暗号について本に載っていたものをそのまま使っていただけなのである。だから、あの二種類の暗号は一生懸命に問題に挑戦すれば、大抵の人には解けるようになっていたのである。それなら、あの暗号は自分でも解けるものだったのかとビャクブは微妙な心境になった。

「それで?モミジくんの共犯は誰なんだい?モミジくんはハム次郎を盗んだ時に使った梯子のトリックを一人で行うことは不可能だろう?」ビャクブは聞いた。それについては聞かされていなかったので、ソテツは驚いた。ヤツデはすると驚愕の答えを返した。ヤツデは涼しい顔をして応じた。

「ううん。それは不可能じゃないよ。モミジくんはあのトリックを一人でやったんだよ」

「えー?」ビャクブは驚いた。それは本当かい?ヤツデはだって『怪盗は一人じゃない』って言っていたじゃないか」ビャクブは言った。話は一転二転するので、ソテツは相も変わらずに無言で驚いている。

「うん。だけど、モミジくんには共犯はいないはずだよ」ヤツデは断言をした。

「それなら、モミジくんはおれたちのいた部屋とそこからは離れた別の場所の二カ所に梯子を同時に立てかけたっていうのかい?そんなバカな話はあるかい?それは瞬間移動でもしない限りは無理なんじゃないのかい?」ビャクブはまだ納得が行っていない。ソテツはじっとして話に耳を傾けている。

「それにはモミジくんがハム次郎を盗んだ時に使った本当のトリックを説明する必要があるね」ヤツデは肝試しに行く前にシロガラシの家を客観的に眺めて気づいたことを頭に思い浮かべながら言った。

「本当のトリックは梯子を使ったトリックのことじゃないのかい?そうだとすると、話はますますややこしくなってくるけど」ビャクブは自分の言葉を噛み締めている。ヤツデは頷いた。

「うん。梯子のトリックとは違うよ。ぼくは『白と黒の推理』っていうものを使って考えたんだけど、もしも、ぼくとビャクブは梯子を立てかける物音を聞きつけてもハム次郎のいる部屋を出なければ、どうなっていただろう?ぼくとビャクブのどちらかはまず間違いなくあの時にモミジくんと鉢合わせをしていたよね?不思議なことはもう一つあるよ。梯子はハム次郎のいる部屋にピン・ポイントに立てかけられていたよね?これはどうしてだろう?ここまでは『黒の推理』だよ。つまり、ぼくは疑問を提示した訳だけど、その答えはモミジくんが予告時刻よりも前にシロガラシさんの家に侵入してハム次郎を奪っていたからだよね?ぼくにはそう考えれば危険の大きな盗み方にもハム次郎のいる部屋に対して梯子が立てかけられていたことにも説明がつくんだよ。それに、これなら、モミジくんは予告時刻より前に予めハム次郎のいる部屋に梯子を立てかけておいて家のチャイムを鳴らしたあとでその裏側にわざと音を立てて梯子を立てかけることは一人でも可能だからね。ぼくの考えは違うかな?」ヤツデは確認をした。

「いいえ。全てはヤツデさんのおっしゃるとおりです」モミジはなにも訂正することなく首肯をした。

「梯子はソテツさんのものと誰のものを使ったんだい?」ビャクブは訊ねた。

「ヤツデさんとビャクブさんにはソテツさんのものを使ったことはバレていましたか。もう一つは父のものを使いました」モミジは正直に打ち明けた。モミジはすでに完全に観念をしている。

「モミジくんはヤツデがぬいぐるみを持っているっていうことを誰から聞いたんだい?」ビャクブはそう聞きながらもあることを思い出していた。ビャクブはユリがナズナに対してハム次郎について話をしていたということを思い出したのである。モミジはするとビャクブの予想のとおりの答えを口にした。

「話は母さんから聞きました。ヤツデさんはなんでおれが怪盗をしようと思ったのかもわかっているんですか?」モミジは恐る恐る聞いた。とはいっても、ヤツデはここまで言い当てたら、モミジはさすがに気味が悪いのである。だから、まさか、モミジはヤツデでもわからないだろうと思って聞いたのである。

「これはもうビャクブには言ったんだけど、怪盗アスナロの盗んだものはどう考えても盗んでもメリットがないようなものばかりに思えたから、ぼくは思い切って怪盗側じゃなくて被害者側に関連があると信じたんだよ。これは『白の推理』なんだけどね。答えはすると皆が大切にしているものが盗まれているっていうことになるんだよ。つまり、答えはアスナロくんの名前を語ったことも含めて皆を苦しめることが怪盗の動機だったっていうことになるんだよ。仮に、愉快犯なら、盗むものにはもう少し色をつけていてもいいはずだからね。ぼくはこんな理由で盗みを働くということは怪盗アスナロ(モミジくん)にはぶつけようのない怒りや悩みがあるんじゃないかと考えているよ」ヤツデは言葉を紡いだ。モミジは見事に図星を指されてはっと息を飲んだ。ビャクブは合点が行った様子である。

「そうか。モミジくんはお父さんとお母さんの不仲を苦にして同じようにして他の人にも苦しみを与えようと思ったのか。モミジくんはそこまで思い悩んでいたなんておれには想像もつかなかったよ」

「いや。ビャクブはちょっと待ってくれる?ぼくもそれは考えたけど、モミジくんにはそれ以上にもっと根深い悩みがあるんじゃないかな?ぼくは『愛の伝道師』だから、モミジくんのことは仕事を通して救ってあげることもできるんだよ。もしも、モミジくんには他にも悩みがあるのなら、モミジくんはその悩みを教えてくれる?」ヤツデは相も変わらずにやさしい口調でお願いをした。

モミジはしばらく黙った。これはやはり裏になにかあるのだなとビャクブは思った。ソテツは相も変わらずに口を利かずに傍観を決め込んでいる。ヤツデはモミジの言葉を待っている。モミジは言った。

「ヤツデさんはどうして盗みを働いたおれにそんなにやさしくしてくれるんですか?本来なら、おれは犯罪を行ったのだから、ヤツデさんはおれの悩みなんて気にする価値なんてないじゃないですか」

「ぼくは『愛の伝道師』の一人としてモミジくんの心の悲鳴を周りの人が気づけなかった状況を作り上げてしまったことに対して深い悔恨の念を抱いているからだよ。被害者は加害者を恨むだけの場合もあるかもしれないけど、時には冷静な頭で事態を見つめてそもそもなにが間違っていたのかを考えるべきだからね」ヤツデは心から無念そうにしている。ビャクブはすると重ねて聞いた。

「本当はどうして怪盗の真似事なんてしてしまったんだい?モミジくんは恥ずかしがらなくてもいいんだよ」ビャクブは安心させるようにして言った。ヤツデはビャクブのやさしさに内心で感謝をした。モミジは小さな声で『いじめです』と呟いた。ヤツデはすると衝撃を受けた。

「モミジくんは学校でいじめに合っているのかい?」ビャクブは慎重に確認をした。モミジは無言で頷いた。ビャクブはモミジの険しい顔を見ると、これはちゃらんぽらんな話ではないなと確信をした。

 上記のとおり、モミジは両親に対して隠していることがある。一つは怪盗を名乗って盗みを働いていることだが、もう一つは学校でのいじめの問題だったのである。

親のヤマガキとナズナのことは悲しませたくないから、モミジはのことを黙っていたのである。モミジはそもそもなぜただの泥棒ではなくて怪盗を名乗ったのかというといじめによって傷つけられた自尊心や人間としての尊厳を取り戻したかったからだったのである。

 つまり、モミジは自分にはこんなこともできるのだということを示したかったのである。ただし、モミジはそれによって自尊心を取り戻せたかというと必ずしもそうではなかった。

「今のモミジくんはどこの学校に通っているのかな?」ヤツデは聞いた。

「カシミール高校です」モミジは答えた。ビャクブはそれを覚えておくことにした。

「例えば、モミジくんはどんなことをされているの?」ヤツデは慎重な態度で再び聞いた。

「言葉の暴力や他の人をいじめさせられたりや親のお金を盗らされたりといったことです」

「それじゃあ、ぼくはいじめをしている人には謝罪をさせるように学校に要請をするよ」ヤツデは即断をした。前言のとおり、ヤツデは『愛の伝道師』としての職務を最大限に発揮するつもりである。

「でも、そんなことをしたら、いじめはもっとひどくなるんじゃないですか?」モミジは聞いた。

「ううん。それでも、その生徒はいじめを続けるようなら、その生徒のことは停学にさせるか、もしくは法的処置を取って予めしっかりと対応する旨を伝えてもらうよ。それから、中にはいじめを見て見ぬ振りをしている人たちもいるのかな?」ヤツデは鋭い質問をした。

トイワホー国の父母なら、普通は自分の子供がいじめをしていると知ればその子供が退学処分を受けたとしてもその処分を甘んじて受け入れることが多いのである。

「はい。おれにとってはその人たちも悩みの種です」モミジは言った。

「そっか。ぼくはそういう人たちには先生から『情愛スタディ』で指導をしてもらうように言うよ」ヤツデはこなれた様子で言った。それについてはビャクブとソテツも同意見である。

なお『情愛スタディ』とは学校教育において主に愛の大切さを学ぶために実施される授業のことを言うのである。ヤツデとビャクブはもちろんこの『情愛スタディ』を受けて育ったのである。

子供たちはトイワホー国の小学校では食物のありがたみや思いやりの大切さや偏見や差別の愚かさを学んでいる。中学校では犯罪による刑罰の存在と内容の理解を深める勉強などをするのである。

高校でも『情愛スタディ』の授業はあるので、学生は育児放棄ネグレクトを初めとした児童虐待を防止するために子供を産むことの責任の重さを学んだりしているのである。

いじめについてはもちろん小学校の時分からしつこいくらいに教育をされている。トイワホー国ではその甲斐もあって学校でいじめが行われるのはかなりレアなケースなのである。

「一応は言っておくと、ぼくはハム次郎を盗られたことでモミジくんを糾弾するつもりは毛頭ないよ。ソテツさんはどうですか?」ヤツデは穏便な口調でソテツに対して聞いた。

「ぼくも実情を聞かされた今ではヤツデさんの意見に異論はありません」ソテツは答えた。

「ユリちゃんはなんて言うかはわからないけど、それでも、モミジくんはいじめがなくなってほとぼりが冷めた頃には怪盗として盗みを働いたことについてはよく考え直してくれる?」ヤツデは聞いた。

「はい。わかりました。どうもすみませんでした」モミジはヤツデとソテツに対して噛みしめるようにして言うと深々と頭を下げた。ソテツはその姿を悲しげにして見つめた。

 弱い立場の人間は同じ境遇の人間の気持ちが少しわかるようになる。それはヤツデもよくわかっていることである。だから、ヤツデとソテツはモミジのことを恨んだりはしないのである。

ヤツデはハム次郎を盗られた。ソテツは金魚を盗られた。モミジはその痛みをヤツデとソテツの二人にも感じ取ってもらおうとした訳である。それは全く以って突飛な発想だが、モミジの気持ちはよくわかったので、ヤツデとソテツはモミジを糾弾しないのである。つまり、モミジの方法メソッドは間違っていたかもしれないが、少なくとも、ヤツデとソテツはモミジの心の悲鳴に関して気づいてあげることはできたのである。それに、実はヤツデもモミジと同じような経験をしたことがあるのである。もっとも、ヤツデの場合はその悩みを自分一人で抱えても犯罪行為に手を染めるようなことはしなかった。

 しかし、それはヤツデには紙一重だったということに気づいている。犯罪の怖いところは自分がいつ被害者になるかはわからないだけではなくて自分が加害者にもなり得るところでもある。 

いつかは必ずモミジにも自分の行いの卑劣さに気づくことができるようになるのである。ヤツデとビャクブはそれについて全く疑問の余地はないと考えている。


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