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トイワホー国における愛情 3章

チコリーはぬり絵をしている。チコリーは自分で描いた絵に色鉛筆で色を塗っているのである。ここはもちろんシロガラシの家だが、チコリーはダイニング・テーブルで作業を行っている。

できあがった作品はアスナロにプレゼントするつもりである。本当はヤツデとビャクブに上げようとしていたのだが、チコリーはユリによってヤツデもビャクブもチコリーの絵を貰ってもうれしく思うだろうかと毒舌混じりの冗談を言われてしまったので、結局は母親を亡くして傷心しているアスナロに対して慰めの気持ちを込めてプレゼントしてあげようと思い立ったのである。

 ユリはちなみにチコリーが考えを改めたのを見て申し訳なく思って何度も謝ったが、チコリーは別に気を害した訳ではない。ようはただ単にそっちの案のほうがよさそうだから、チコリーはむしろユリに対して感謝をしているくらいである。チコリーはポジティブなのである。

 ヤツデとビャクブはチコリーの絵を貰うと、どう思うか、それはもちろん大喜びである。ヤツデは特にそれを欣幸の至りであると受け止めることは間違いない。ヤツデは子供心を持っているのである。チコリーはとにかくアスナロのために一生懸命にぬり絵をしている。チコリーはやさしいのである。

 一方のミツバはリビングでエッセイを読んでいる。ヤツデは暇さえあれば小説を読むが、ミツバの場合は暇さえあればエッセイを読むか、もしくは編み物をしているかのどちらかなのである。シロガラシはちなみに二階にある自分の部屋でラジオを聞いてこの一時を過ごしている。

 チコリーはやがてどの色鉛筆を使ったらいいかを聞くためにミツバのところへ行くと、チコリーとミツバの二人は少し話をすることになった。ミツバは孫のチコリーと話をするのは大好きなのである。

「チコリーはお利口さんね。人は他人のためを思って行動できるということはとても重要なことよ」ミツバは切々と言った。ミツバはチコリーがアスナロのために作品を作っているということを聞いていたのである。ミツバはチコリーとユリの二人の孫をひいきしない。

「えへへ」チコリーは照れた。「そうかなあ?でも、ヤツデさんとビャクブさんは私よりもっとお利口さんだよ。ヤツデさんとビャクブさんはどうしてツバキさんが亡くなっちゃったのかを調べているもの。ああ。ユリちゃんもそうだった」チコリーはユリと違って発言があどけない。

「あは」チコリーは笑った。「もしも、事件はヤツデさんとビャクブさんじゃなくてユリちゃんが解決しちゃったら、どうしよう?」チコリーは可憐な笑顔を浮かべて聞いた。

「おやまあ」ミツバは言った。「チコリーはとんでもないことを言うものね。それはさすがのユリでも無理でしょうが、もしも、そんなことがあれば、ユリは有名人になっちゃうわね」

「そうなったら、おばあちゃんは『中学生の美少女探偵・ユリの事件簿』っていう本を書いてね」

「あらあら」ミツハは言った。「それはとんでもない大役ね。実現はしないだろうけど、なにか、ユリは本当に活躍をしたらね。まあ、ユリの活躍には確かに期待したいけど、私としてはヤツデさんとビャクブさんにもがんばってもらいたいわね。ただ、いくら、ヤツデさんとビャクブさんは今年の夏に事件を解決に導いたとはいっても、チコリーは過大な要求は禁物よ。ヤツデさんとビャクブさんだって人間なんだから、ヤツデさんとビャクブさんはいつも完璧な結果を残せるとは限らないものね」

「うん。そうだね。私はヤツデさんとビャクブさんにプレッシャーを与えないようにする。でも、ツバキさんは本当に誰かに殺されちゃったのかなあ?だとしたら、私はすごく悲しいな。私はツバキさんのことが好きだったのにな。もしも、犯人はこのコニャック村にいたら、私はもっと嫌だな。ツバキさんは誰かに命を狙われていたなんて全く現実感がない。あ、例えば、ツバキさんはママ友の恨みを買って雇われた殺し屋に殺されちゃったのかなあ?私はそれも嫌だな。というか、私はどんな結果になっても嫌だな」チコリーはふてくされ気味である。チコリーはやさしいが故に現実逃避しようとしている。

「あらあら」ミツバは言った。「チコリーの話にはついに殺し屋が出てきちゃったわね。そんなお芝居みたいなことは起きないわよ。トイワホー国にはだって殺し屋なんて職業は存在しないのだもの」ミツバは正論を述べた。ミツバのセリフは確かに事実である。チコリーは簡単に説得された。

「そうかー」チコリーは言った。「それじゃあ、犯人はコニャック村の人の可能性もあるんだね。あ、でも、実はヤツデさんの思い違いでツバキさんは自殺だったっていう可能性もあるんだよね?それでも、結局は十分につらいことだけど、アスナロくんとヨモギさんは一番にかわいそう。ねえ。なにか、おばあちゃんは事件を解決するための手がかりとかを持ってないの?」とりあえず、チコリーはなんの気なしに聞いた。少しはチコリーも考えてみたのだが、チコリーはなにぶんコニャック村の村民ではないので、特には事件解決の糸口になりそうな事実に思い当たらなかったのである。

「そうねえ。実は一つだけそれらしいものがあるのよ」ミツバは打ち明けた。

まさか、ミツバは本当に手がかりを知っているなんて思っていなかったから、チコリーはすごく驚いてしまった。しかし、チコリーはそのことについて早くも興味津々である。

 ただし、ミツバはその話が本当になにかの役に立つものなのかどうかは自信がない。だから、今までは話すほどのことではないのではないだろうかとミツバは思っていたのである。

 しかしながら、現在の話し相手は孫のチコリーだから、少しは気が楽になっているので、ミツバは話してみるつもりになっている。以下はとにかくその時のミツバによる回想である。


ある日の午後の話である。ミツバは電車のホームで家へ帰る時に偶然にもモクレンと出会った。その時のモクレンはミツバの荷物持ちをしてくれた。モクレンは親切な性格をしていたのである。

「モクレンさんはどこからのお帰りなのですか?」ミツバは聞いた。現在のモクレンは冠婚葬祭で着る正装をしている。モクレンは正確にはフロック・コートを着ている。

「ぼくは会社の同僚の結婚式に出てきたんです。結婚式とは華やかなものですね。少しは羨ましいような気もしますが、ぼくはずっと独身でもいいと思っているんです」モクレンは本音を曝け出した。

「あらあら」ミツバは言った。「そうなのですか?人生にはなにが起きるかはわからないものですよ。でも、コニャック村の女性はあいにくほとんど既婚者ですわね」ミツバは名残惜しそうである。

「そうですね。アカネさんは唯一独身ですが、ぼくなどは相手にしてくれないでしょう」

「そんなことはないと思いますよ。ツバキさんとナズナさんはとてもいい方たちなんですがねえ」

「そうですね。まあ、ぼくは人づき合いが下手なので、女性とは特に折り合いが悪いのですが、ツバキさんとナズナさんには心を許してもいいのかはわからないところがありますがね。とはいっても、まあ、ぼくはいつも女性不信なのですが」モクレンは悲しそうな顔をして自虐的な笑みを浮かべた。

「そうかしら?あら、でも、私とは普通にお話できていますよね?私は女性としてカウントされていないのかしら?」ミツバは聞いた。ミツバはもちろん冗談を言っているのである。

「いや。そういう訳ではありません。ミツバさんは特にやさしいから、ぼくは話しやすいのです」モクレンの口調は穏やかである。ミツバはそれを受けると和やかな気持ちになることができた。

 その後のミツバは電車に乗ると行きつけのクリニックの話をしたり、モクレンの手製のキャビネットの話を聞いたりして最後は『親切スタンプ』を押してその日はモクレンと別れた。


以上はミツバの思う事件の手がかりになるかもしれない会話である。キーはどの部分かと言うと『ツバキさんとナズナさんには心を許してもいいのかはわからない』と言ったモクレンのセリフである。

 このセリフにはどんな意味があったのか、あるいは女性不信という意味以上のものがあったのではないか、ミツバはそのようにして思ったのである。ただし、上記したとおり、ミツバには確信がある訳ではない。話の相手はチコリーなので、ミツバはできるだけ噛み砕いて説明を行った。チコリーはその甲斐あってちゃんとミツバの話を理解することができた。チコリーはやがて言った。

「この話はヤツデさんとビャクブさんに教えてあげよう。私達は警察にも話しに行くことにする?」

「そうねえ。まあ、警察の方にはこちらに来てくれた時でもいんじゃないかしら?」ミツバは意見を出した。ただし、しばらくは音沙汰なしなら、一応はミツバも自分の足でその事実を伝えるつもりである。

 それについてはチコリーも賛成をした。ただし、この事実は手がかりになることを信じて疑っていないので、チコリーはヤツデとビャクブには伝えておくということをミツバと約束した。

 その時である。シロガラシはすると二階から降りてきて外出の提案をしたので、チコリーとミツバの二人はそれに同意をした。シロガラシとミツバとチコリーの三人はやがて外食と買い物の用意をすることになった。切り替えは早いので、チコリーはそんな中で駄菓子屋でお菓子を買ってもらうことをミツバと約束した。例え、どんなに混乱してしまっていても、気持ちの上ではめげないことはいいことである。故人を偲ぶことはそれと同様にして大事なのである。その兼ね合いは難しいが、なによりも、トイワホー国の国民はやさしさを第一に考える。それこそはトイワホー国の国柄であって真骨頂でもある。


これはヤツデとビャクブとユリの三人が去ったあとの話である。アスナロはレンタルしたテレビのアニメを観賞することにしていた。それはゴマフアザラシのゴマちゃんという主人公がシロクマやアシカやセイウチといったお友達と一緒にほのぼのとしたストーリーを作り上げるアニメである。

ヨモギはちなみにアスナロと一緒になって横にいる。しかし、ヨモギは頭の中ではテレビ画面とは全く違うことを考えていた。ヨモギは妻子に対して献身的に尽くしてきたつもりである。

ヨモギはそしてその最愛の妻を亡くした。事件からはまだ日が経ってないせいか、実はヨモギにとってツバキの死は嘘なのではないかと思える時もある。しかし、それはしょせん儚い願望にすぎない。つまりはとても悲しいことではあるのだが、ツバキの死は動かすことができない既成事実である。 

ヨモギはそれを受け止めていつまでも現実逃避していても始まらないと考えるように努力をしているのである。ようは家族の三人で仲良く楽しく過ごせる時間はもう二度とやってはこないのである。

ツバキの死はアスナロにとって自分以上のショックだろうとヨモギは考えた。アスナロはするとヨモギがそこまで考えた時にヨモギの傍に歩み寄ってヨモギのことを見上げた。アスナロは『パパ』と小さな声で呟いた。アスナロはやはり心細くなってしまったのである。

「大丈夫だよ。パパはアスナロのところからいなくならないよ。犯人は必ず罰を受けることになる」ヨモギはそう言うとアスナロを抱きしめた。アスナロはやがて元の席に戻った。

「ママは誰かに殺されちゃったのかなあ?どうしてなのかなあ?」アスナロは聞いた。

「真相は必ず判明するよ。だけど、今はパパにもわからない。そのためには警察の方々の役に立つためにできる限りのことはしよう。なにか、アスナロは少しでも気づいたことがあればパパに言うんだよ」

「うん。ぼくはヤッちゃんとビャッくんにも言ってもいいの?」アスナロは再び聞いた。

「うん。もちろんだよ。実績はヤツデさんとビャクブさんにもある。それに、ヤツデさんとビャクブさんはパパとアスナロに対してとても熱い思いやりを持ってくれている。ヤツデさんとビャクブさんは退屈しのぎの遊びで捜査をしていないことは確実だよ」ヨモギは断言をした。

 アスナロはヨモギによってそう言われるとますますヤツデとビャクブのことを頼もしく思えるようになった。アスナロは元々人見知りが激しい性格である。

それにも関わらず、ヤツデとビャクブに対しては好感を持っていたのだが、父のヨモギはさらに太鼓判を押してくれたので、アスナロはヤツデとビャクブに対してより一層の好意を抱いた。

 アスナロはそしてツバキに関する事柄を考えてみた。しかしながら、考えはなにも思い浮かばなかったので、アスナロはやがて無意識の内にテレビを見ることで気を紛らわせることになった。


ヤツデとビャクブとユリの三人はシロガラシの家まで帰り着いた。ヤツデとビャクブはそして自転車を借りてナズナとヤマガキの家に向けてひたすらペダルを漕いで行くことにした。

ユリはシロガラシの家を去る際にはヤツデとビャクブに対して激励の言葉をかけてくれたので、ヤツデはなお一層のやる気を出す結果になった。ビャクブは元よりやる気が満々である。

ヤツデはナズナの家への途中では無人の野菜販売所でナズナとヤマガキへのプレゼントとして自身の好物のホウレンソウを買った。一方のビャクブは5つセットになったトマトを買い上げた。

前半はナズナの家へ行く道のりにおいてヤツデの申し出によって会話をしなかった。ヤツデは質問したいことを改めて考えたかったのである。それは昨夜にもしたことだが、ヤツデは完璧主義者なので、とことんやらないと気がすまないのである。それについてはビャクブにも異論はなかった。

ヤツデとビャクブは道のりの後半では他愛もない話をした。ヤツデは仕事でログ・ハウスにお邪魔したとか、ビャクブは最近になって初めてウィスキー・ボンボンを口にしたとかいった話をしたのである。

ヤツデとビャクブはやがてシロガラシの家を出てから25分ほどでナズナの家まで行き着いた。という訳なので、ヤツデは早速にナズナの家のチャイムを鳴らした。準備はすでにヤツデも万端である。

「はい。なんでしょうか?」ナズナは玄関に顔を出すと聞いた。そのため、ヤツデとビャクブは挨拶をして順番に名乗り出た。もっとも、当然と言うべきか、ここはトイワホー国なので、ナズナはヤツデとビャクブのことを暴漢かなにかとは勘違いしていないので、警戒は全くしていない。

「とりあえずは『贈り物デー』のプレゼントをさせて頂きたいのですが、よろしいですか?」ヤツデはそう言うと先程に買ったホウレンソウを手渡した。ナズナはうれしそうにして受け取った。

「あら」ナズナは言った。「ありがとう。あなたたちのことはミツバさんとユリちゃんから聞いているわよ。今はシロガラシさんのお宅に招待されているそうね」ナズナはいくらか好意的な口調で言った。

「はい。おっしゃるとおりです。実はツバキさんとモクレンさんの事件について素人なりに調べているのですが、もし、よろしければ、ぼくたちナズナさんからもお話をお聞かせ願えませんか?」ヤツデは聞いた。ナズナはすると少し迷ったような仕草を見せた。しかし、ナズナはプレゼントをもらっていることもあって断るのは気が引けたので、結局はナズナも拒否はしなかった。

なによりも、ナズナはやさしいトイワホー国の国民の一人なので、例え、他人であっても、人にはなるべく邪険にしないようにと心がけているのである。ヤツデの贈り物は功を奏した。

「わかりました。どうぞ。お入り下さい」ナズナはそう言うとヤツデとビャクブの二人を家の中へと招き入れた。現在はモミジも在宅中なのだが、今は二階にいるのである。

ヤツデとビャクブはナズナに促されるとクッションをお尻に敷いてリビングにあるソファに腰をかけた。予定のとおりに行くかどうか、ヤツデは少し緊張をしている。ビャクブは話を切り出した。

「できれば、おれたちはヤマガキさんにもお話をお聞きしたいのですが、今日はお仕事ですか?」

「私の主人は画家なので、今は二階のアトリエで仕事をしています」ナズナは徐に言った。一瞬は眉を顰めたが、ナズナはすぐに平静を取り戻した。ナズナはやはりヤマガキとは不仲なのである。

「ヤマガキさんは画家なんですか?それはすばらしいですね。ぼくらはヤマガキさんがお描きになった絵も何点か拝見させてもらえないでしょうか?」ヤツデは完全な興味本位から申し出た。

「ええ。それは主人も拒否はしないでしょう。でも、主人は大した画家ではありません。主人は単なるしがない画家です」ナズナは悲観的なセリフを述べた。ビャクブは慌てて否定をした。

「いやいや。ヤマガキさんは絵を描く才能があるだけでもすごいですよ。おれなんかは昔から絵が下手くそだから、絵のうまい人は尊敬しています。だから、おれはヤマガキさんもご立派だと思います」

「それは主人が聞けば喜ぶでしょうね。それで?ヤツデさんとビャクブさんは私にどのようなことを聞きたいのでしょうか?」ナズナは問うた。ナズナはいよいよ本題に水を向けた。ヤツデは言った。

「質問はいくつかあるのですが、まずは予告殺人についてお聞かせ下さいませんか?」

「ええ。それは構いません。私には別に隠すこともありませんので」ナズナは頷いた。

「失礼は承知で伺いますが、ナズナさんはご自身に恨みを持っている人にお心当たりはありませんか?あるいはなにかナズナさんが予告殺人の対象になるような理由にお心当たりはありませんか?」ヤツデは聞いた。ヤツデはこの質問を『失礼』といったが、当のナズナはひょうひょうとしていた。

「それは簡単な質問ね。おそらくは恨みを持っているのは主人で予告殺人の対象になる理由は主人との確執です。答えはこれでよろしいのかしら?」ナズナは超然としている。ヤツデとビャクブの二人は思わず唖然とした。ナズナとヤマガキの夫婦仲については知っていたが、まさか、ヤツデとビャクブはそんな答えが返ってくるとは全く予想をしていなかったのである。

「うふふ」ナズナは不敵な笑みを浮かべた。「冗談よ。そうね。私には私に恨みを持っている人にも予告殺人の対象になる理由にも見当はつきません。これでも、私はトイワホー国の国民として人に親切にすることを心がけていたりするのよ」ナズナは小悪魔フェイスで笑みを浮かべながら素直に言った。

「そうですか。それは見上げた心がけですね」ビャクブは衝撃の発言から逸早く立ち直った。

「次の質問は?」ナズナはヤツデとビャクブに対して上目遣いで聞いた。

「それではお聞きさせてもらいますが、ナズナさんは専業主婦ですか?それとも、なにか、ナズナさんはお仕事をされているのですか?」ヤツデは必死になって質問の手順を思い出しながら口を開いた。

「ええ。私は仕事をしています。私は高校の魅惑の美人教師です」ナズナはしれっと言った。ビャクブは再び唖然とした。しかし、ヤツデはそんなビャクブを横目に見ながら真顔で話を続けた。

「なるほど。ナズナさんはきっと生徒からも他の先生からも人気があるんでしょうね」

「うふふ」ナズナは笑んだ。「冗談よ。ヤツデさんは冗談を真に受けるなんてちょっと硬過ぎよ」ナズナは顔に微笑を湛えながら言った。ナズナは完全に会話を楽しんでいる。ヤツデは手玉に取られている。

とはいっても、ヤツデはやさしいが故に冗談を否定できなかったのだろうと思ったが、それは野暮になりそうだったので、ビャクブは特に口には出さなかった。ヤツデは構わずに質問を続けた。

「それでは予告殺人の動機になりそうな金銭的なお話(遺産相続)について伺いたいのですが、もし、ナズナさんは亡くなってしまっていたなら、遺産はヤマガキさんとモミジくんが相続される予定なのですか?つまり、遺書はお作りになられていませんか?ああ。ぼくたちはなぜモミジくんのことを知っているのかというと昨日にコニャック湖で会ったからです。モミジくんはとても素直な子ですね?」

「ありがとうございます。モミジのことは私も手塩にかけて育てましたので、ヤツデさんからはそう言ってもらえると、私はとてもうれしいです。遺書は作っていません」ナズナは簡潔に答えた。

「わかりました。ナズナさんは立ち入ったお話にもお答え下さってありがとうございます。話は変わりますが、ナズナさんはツバキさんとはどういったご関係でしたか?」ヤツデは探りを入れるようにして聞いた。ヤツデは素人なのにも関わらず、ビャクブはヤツデの聞き込みの手際のよさに感心をしている。

「ツバキは一言で言えば私の無二の親友です。私はツバキが自殺するなんて思いもよりませんでした。こんなことになるなら、予告殺人のとおり、私は私が殺されてツバキの身代わりになってあげたかったと思っているんです。どう?私って親切でしょう?」ナズナは相も変わらずに上から目線である。

内心では『それは本気ですか?』というちょっと意地悪な疑問をぶつけてみたくなったが、ビャクブは当然のことながら思い止まった。結局のところ、ビャクブはさっきとなにも変わらない発言をした。

「それは確かに見上げた心がけですね」ビャクブは感心をしている。しかし、ビャクブはなんとなく自分が間抜けに思えてきた。なんにしても、ヤツデはビャクブを押し止めて話を再開することにした。

「今『ツバキさんは自殺するなんて思いもよらなかった』とおっしゃいましたが、ナズナさんはなぜそう思われたのですか?ツバキさんはナズナさんに今が幸せだとかおっしゃっていたのですか?」

「いいえ。明言はしていませんでしたが、ツバキは一人で考え事をするような暗い性格じゃないし、ツバキはどんな困難にあっても明るく振るまえる女性だった。私はずっとそう思っていたからです。これはもちろんあくまでも私の主観ですが、親友の主観です。ヤツデさんとビャクブさんはお忘れにならないようにして下さい」ナズナはすらすらと答えた。ナズナは敬語とため口を織り交ぜている。

「わかりました。それはちゃんと貴重なご意見として記憶に留めておくことにします。それではナズナさんがツバキさんは自殺だとお思いになった理由はなんですか?」ヤツデは質問した。

「ツバキの遺体の発見された家は密室で遺書も発見されたんでしょう?もしも、自殺でないなら、他にはなんだっていうのかしら?私の判断は妥当ではないですか?」ナズナは聞き返した。

「いや。この事件はほぼ間違いなく殺人だと思います」ヤツデは即答をした。

「ヤツデさんはその顔つきだと冗談を言っているようには見えないわね?ヤツデさんはどんな根拠があってそう断言できるの?話はとても興味深い内容になってきたわ」ナズナはまじめな顔をして言った。

「根拠はいくつかありますが、予告殺人は狂言だったということもその一つです」ヤツデは慎重に受け答えをした。しょせんは素人なので、ヤツデは警察と違って秘密主義を取らなければならない訳ではなくて情報の開示は自由だが、一応は持っている全てのカードを開示することはしなかった。

「なるほど。あなたたちはそういう風に考えている訳なのね?」ナズナは再確認をした。

「はい。先程は形式的に遺産相続についてナズナさんにお聞きしましたが、犯人の狙いは元々ナズナさんではなくてツバキさんだったとぼくたちは考えています」ヤツデは考えを明かした。

「なるほど。それじゃあ、あなたたちは殺人犯を捕まえようとしているっていうことなのかしら?」

「もしも、犯人はこの村にいないのであれば、ぼくたちにはそこまで到達する気はありません。ぼくたちはせめてこの村に犯人がいないということを証明することができたらいいなと考えているんです」ヤツデは簡明に言った。ヤツデのもの言いはオブラートに包んだようなものである。

しかし、その中にも、一度は村民を疑ってみるというヤツデの胸中を悟ったが、それについては特になにも言わず、ナズナは黙ったまま話を聞いている。ビャクブは傍観をしている。

「ツバキさんは明るい女性だったという先程のお話から察するに特にナズナさんにはツバキさんが自殺するような理由にはなにもお心当たりがないのですよね?」ヤツデは聞いた。

「ええ。でも、私は少し訂正をさせてくれるかしら?私はツバキが明るい性格だったとは言ったけど、ツバキは同時にやさしい女性でもあったの。ですから、ツバキはもしかすると人に迷惑をかけないように一人でなにかを悩んでいたっていうこともあったんじゃないかしら?人の性格や心理は一言で言いきれるほどに簡単なものじゃないものね。ただ、私はツバキがモクレンさんをなにかに思い悩んだ末に殺害したとは思っていません」ツバキは相も変わらずに敬語とため口を織り交ぜている。

「それではツバキさんが何者かに殺害されるような恨みを買っていたというようなことについてお心当たりはありませんか?」ヤツデは聞いた。ナズナは少し考え込む仕草をした。

「そうね。私には特にないと思います。さっきも言ったとおり、ツバキはやさしい子だったから、私にはツバキが人に恨みを買っていたなんて考えられません。ところが、ヤツデさんとビャクブさんはツバキが何者かによって殺されたと思っているのなら、ツバキは現に誰かの恨みを買っていた可能性があるのだから、それは不思議ね」ナズナは言った。ビャクブはナズナによって翻弄されながらも威勢がよかった。

「その理由はできることなら、おれたちは突き止めて見せます」ビャクブは自信ありげである。

「それではナズナさんはモクレンさんとはどういったご関係でしたか?」ヤツデは質問を続けた。ヤツデは『先程のビャクブのセリフはちょっと言いすぎではないか』と内心で思っている。

「そうね。モクレンさんとは人口の少ない同じ村に住む者ですから、擦れ違えば、私達は会釈をする程度の関係でした。ああ。でも、モクレンさんは年賀状を出すのが好きだったみたいなので、年賀状はうちにも書いてくれていました。家は目と鼻の先なのにも関わらず、モクレンさんは年賀状を送ってくれるなんて律儀よね。悪く言えば、モクレンさんは掴みどころのない変わり者よね。あら、私はちょっと酷評が過ぎたかしら?でも、私は別にモクレンさんを嫌っていた訳じゃないから、ヤツデさんとビャクブさんはモクレンさんの死と私を結びつけて考えるのはお門違いよ」ナズナは注意を促した。

「わかりました。それでも、亡くなる前のモクレンさんの様子には変わったとところはありませんでしたか?それはもちろんナズナさんの主観で構いません」ヤツデはナズナが答えやすいようにして言った。

「そうね。私には特に変だったという印象は受けませんでした」ナズナは返答した。

「わかりました。話は全く変わりますが、ナズナさんはこのソテツさんの家から怪盗に盗まれてしまった金魚の写真をご覧になって頂けますか?」ヤツデはそう言うと三枚の金魚の写真を見せた。

「ナズナさんはこの金魚をどこかでご覧になったことはありませんか?」ヤツデは聞いた。

「いいえ。私は見たことがありません」ナズナは首を左右に振って答えた。ヤツデは言った。

「そうですか。ナズナさんはお話を聞かせて下さって本当にありがとうございました。ぼくたちは引き続いてヤマガキさんからもお話をお伺いさせてもらいたいのですが、よろしいですか?」

「ええ。おそらくは構わないと思います。それでは二階のアトリエへとご案内します」ナズナはそう言うとヤツデとビャクブのことを二階へと誘導した。ナズナはそして二階の奥にあるアトリエのドアをノックした。ヤマガキからは『どうぞ』という返事が帰ってきたので、ナズナはゆっくりとドアを開けた。

「失礼するわよ。ミツバさんとユリちゃんはヤツデさんとビャクブさんって方々のことを話していたでしょう?そのお二人はがあなたと話をしたいと言うんだけど、それは今でもいいかしら?」ナズナは少しよそよそしくしながら旦那のヤマガキに対して聞いた。ビャクブは室内を見渡している。

ヤマガキはやがてやって来たナズナとヤツデとビャクブの三人の方へと顔を向けた。ヤマガキは画架イーゼルの前で絵の具の色の調合をしていたところだった。アトリエは工房とも言われて屋根裏部屋ロフトが使われることも多いのだが、ヤマガキは特にそういうこだわりを持たなかったのである。

「ああ。まあ、私は構わないよ。とりあえずは小汚くて恐縮ですが、ヤツデさんとビャクブさんはこちらにお座り下さい」ヤマガキは言った。ヤツデとビャクブは指示されたソファに腰をかけた。

「それでは私はこれで失礼します」ナズナはそう言うと丁寧に頭を下げた。

「どうもありがとうございました」ヤツデはナズナに対してお礼を言った。ナズナは妖艶に微笑んだ。

「どういたしまして」ナズナはそう言うとこの場から立ち去った。ヤマガキは話を切り出した。

「ええと、それで?ヤツデさんとビャクブさんは私なんかにどういったご用がおありなんですか?」

「ぼくたちはその前に改めて自己紹介をさせて下さい。ぼくはヤツデです。こっちはビャクブです」ヤツデはそう言うと丁寧にお辞儀をした。ヤマガキはすると緊張を緩めた。

「これはまたご丁寧になことですわな。挨拶は大切ですわな。私はヤマガキと言います」

「はじめまして」ビャクブは挨拶をした。ヤマガキさんは絵描きをお仕事とされているそうですね?」

「ええ。とはいっても、私はそれほどに名うてでもないしがない絵描きなんですがね」ヤマガキはナズナと同じことを言った。もっとも、これは単なるヤマガキの謙遜なのかもしれない。

ヤマガキの画才はその証拠としてトイワホー国においてそれなりに認められているので、ヤマガキは個展を開いたことも何度かある。ヤマガキはようするに画壇では知る人ぞ知る画伯なのである。

「もしも、よろしければ、ヤツデさんとビャクブさんはいくつか私の作品をご覧になっては頂けませんか?実はヤツデさんとビャクブさんのお二人がどんな感想をお持ちになるのか、私には興味があるものですから」ヤマガキはちょっと考え込む仕草をしてから一つの提案をした。それでも、ヤマガキはトイワホー国の国民らしく謙虚な姿勢を見せている。ビャクブは願ったり叶ったりという顔になった。

「もちろんです。ヤマガキさんはぜひとも作品を拝見させて下さい」ビャクブは興味津々で答えた。

「それではご覧になって頂きましょう」ヤマガキはそう言うとさして迷うような素振りを見せずに絵の具のチューブやマスキング・テープなどが並んでいるところから手近な二つの水彩画を取り出してきた。ヤマガキはそしてヤツデとビャクブに対して少し緊張しながらも二枚の絵を見せた。

一枚は花瓶に活けられたまっ赤なバラの花の絵である。もう一枚の方は手前から斜め奥へ向かって行く道の左右に特徴的な藁葺きの家があってその奥には鬱蒼とした林が展開された風景画である。

「これはうまいですね。これはまるで写真みたいな絵ですね」ビャクブは月並みな感想を述べた。

「バラの絵はきれいで華やかですね。こっちの風景画はリアルに描かれています。どちらの作品も生き生きとしていて個性的な絵ですね。ぼくはどちらも気に入りました」ヤツデは絵を評価させてもらった。ヤツデは咄嗟の判断で評価したが、この褒め方は正しいのかどうかはヤツデにもわからなかった。

 これ絵に関してのはなしである。完成作品はタブローと言って練習のために作った習作のことはエチュードと言うのである。ヤマガキはヤツデとビャクブに対してどちらもタブローを見せたのである。

「ヤツデさんとビャクブさんはお褒め下さって大変に恐縮です。ヤツデさんとビャクブさんはご満足を頂けたようなので、私はとてもほっとしました。ありがとうございます」ヤマガキは安堵している。

ヤマガキはやがてそれぞれの作品を元あった位置に戻して帰って来るとヤツデとビャクブの向かいにあるソファに腰を下ろした。ヤマガキはヤツデとビャクブが話しやすいように話の口火を切った。

「ヤツデさんとビャクブさんのお二人はなにも私の絵の評価をしにきて下さった訳ではありませんでしたわな。それではご用件を伺いしましょうか。大抵のことなら、私はお答えしますよ。ヤツデさんとビャクブさんはなんなりとおっしゃって下さい」ヤマガキは寛容な態度を見せた。

「はい。ヤマガキさんはご協力をありがとうございます。それではいくつか警察のような質問をさせて頂きたいのですが、ヤマガキさんはそれでもよろしいですか?」ヤツデは聞いた。ヤマガキは了承した。

「ええ。私は構いません。ヤツデさんとビャクブさんは聞いた話では殺人事件を解決したこともあるそうではありませんか。つまりはコニャック村で起きた事件についても解決しようとなさっている訳ですよね?」ヤマガキは核心を突いた。ビャクブは誇らしげにしている。ヤツデは謙虚な姿勢を貫いた。

「僭越ながら、ヤマガキさんのおっしゃるとおりです。ナズナさんは何者かによって予告殺人の対象にされてしまいましたが、事実としてはナズナさんが誰かに恨まれているというようなことはありませんでしたか?あるいは予告殺人の対象になるような動機にお心当たりはありませんか?」ヤツデは直球勝負で聞いた。ビャクブはそばで聞き耳を立てている。ヤマガキは曖昧模糊な返答をした。

「さあ?どうでしょう?私にはどちらもさっぱり見当がつきません。ただし、妻には存外に性格のきついところがありますから、妻は自分も知らない間に誰かに恨まれているっていうこともあり得るんじゃないかとは思いますがね」ヤマガキは予測を交えて言った。もっとも、ここは『愛の国』のトイワホー国なので、国民は当然のことながらナズナのちょっとやそっとの振る舞いで気を悪くするような人は少ない。

「そうなんですか?でも、わかりました。それでは話は変わってツバキさんが殺害されてしまったことに関してお聞かせて下さい」ヤツデはしれっと言った。ヤマガキはするとびっくり仰天した。

「え?ツバキは殺害されたのですか?」ヤマガキは思わず聞き返した。

「はい。とはいっても、おれたちはそう踏んでいるだけです。おれたちの考えは間違っている可能性もなきにしもあらずです。だから、とりあえず、今のところは鵜呑みにしないで下さい」ビャクブはスマートに言った。ビャクブはここでも得意げになっている。ヤマガキは衝撃からようやく立ち直った。

「いやはや。私はどうやら思い違いをしていたようです。ヤツデさんとビャクブさんのお二人はてっきり妻に対する予告殺人についてお調べになっているものだとばかり思っていました。ヤツデさんとビャクブさんはツバキの件でいらっしゃっていたのですか。私は話を中断させてしまってすみませんでしたね。どうぞ。ヤツデさんとビャクブさんは質問を続けて下さい」ヤマガキは促した。

「恐れ入ります。それではツバキさんとヤマガキさんはどういったご関係でしたか?ヤマガキさんはツバキさんのことを呼び捨てにされていましたね?」ヤツデは質問をした。

ヤツデはそうしながらもヤマガキの顔色がかすかに変わるのを見逃さなかった。なんといっても、ヤマガキという男は隠し事が下手なのである。しかし、ヤマガキはやがて平静を取り戻した。

「ツバキとは昔ながらの顔見知りです。ツバキは11年前にコニャック村にやって来ました。私とツバキはそれ以来の付き合いです。ですから、今回の件は私にとっても大変にショッキングな出来事でした」

「11年前とは本当に長いお付き合いだったんですね」ビャクブは感嘆の声を上げた。

「ええ。なにしろ、当時は私もツバキもまだお互い独身だったくらいですからね」ヤマガキは遠い目をして言った。しかし、ビャクブはヤマガキのセリフに対して違和感を覚えた。

「え?ヤマガキさんは11年前にまだナズナさんと結婚していなくて、今のモミジくんが高校一年生の15歳か16歳ということは・・・・」ビャクブは少し気が引けて言い淀んだ。

「モミジくんはナズナさんの連れ子ということになりますね」ヤツデはしっかりとあとを引き継いだ。

「はい。そのとおりなんです。ナズナは世間一般でいうところのばついちというやつです」ヤマガキは答えた。ビャクブは納得した様子で深く頷いた。つまり、ナズナはヤマガキとも不仲らしいので、もし、離婚すれば、それは二度目になるなとビャクブは思ったが、そんなことは噯にも出さなかった。

「ナズナさんはお若いように見えますが、おいくつなんですか?」ビャクブは聞いた。

「モミジは18歳の時の子供なので、今の妻は33歳です。私はちなみに今年で37歳になりました。いや。これは失礼しました。私の年齢などはいらない情報でしたわな」ヤマガキは恥ずかしそうである。

「いいえ。そんなことはありませんよ。ぼくはどんな情報も大切にしたいと思っています。ヤマガキさんはツバキさんと親しかったということはお聞きましたが、それではヤマガキさんはツバキさんの旦那さんのヨモギさんとも親密な仲なのですか?」ヤツデは質問をした。一瞬とはいっても、ヤツデにはそうしながらもまたもやヤマガキの表情が暗くなったようにして感じ取ることができた。

「ええ。私とヨモギは友人同士です」ヤマガキはまた落ち着きを取り戻して言った。

「そうでしたか。コニャック村ではやっぱり皆が仲良しなんですね。それではツバキさんが自殺するような動機にヤマガキさんはなにかお心当たりがありますか?」ヤツデは質問を続けた。

「さあ?どうですかね。まあ、考えられるのは子育てが嫌になってなにもかもどうでもよくなったっていうのはどうですかね?いや。でも、そんなことはツバキに限っては考えられないか」ヤマガキは自問自答をした。ヤツデは黙ってそれを聞いていた。しかし、ヤツデはそれを終えるとまた質問をした。

「もしも、ツバキさんは何者かによって殺害されたのだとしたら、その理由にはなにかお心当たりはありませんか?とはいっても、ヤマガキさんからは言いづらいかもしれないので、無理にとはもちろん言いません」ヤツデはヤマガキの心中を忖度した。ビャクブは黙秘を続けている。

「ええ。ツバキは心のやさしい人でした。私にはツバキが殺したいほどに誰かに恨みを抱かれるとは考えられません。いや。私の話はどうもお二人のお役には立っていないようで申し訳ありません」

「そんなことはありませんよ。あるいはツバキさんの殺害される理由がわからないというのも一つの貴重なご意見です。となると、ツバキさんはやはり他殺ではなくて自殺かもしれないという案が浮上してきますからね。それでは次にモクレンさんが自殺した件についてお聞かせ願いたいのですが、よろしいですか?」ヤツデは一応の確認をした。ヤツデはそうしながらもヤマガキの表情の変化を観察していた。

「ええ。それは構いませんが、ヤツデさんとビャクブさんのお二人はひょっとしてモクレンさんも何者かによって殺害されたという風にお考えなのですか?もしも、そうなら、コニャック村には大変に凶悪な殺人鬼がいるということになりますね」ヤマガキは穏やかではないことを言った。

「いや。でも、今はモクレンさんも殺害されたのかどうかはまだなんとも言えません。ぼくは情報が少なすぎて結論を出すのは時期尚早だと思っています。ただ、ビャクブはモクレンさんも殺害されたのではないかと睨んでいます。ヤマガキさんはモクレンさんとはどういったご関係でしたか?」

「うーん。まあ、私とモクレンさんは同じ村に住む者同士ですから、私達は良好な関係でした。私は今年の春にモクレンさんとドブ掃除をやったのですが、その時は絵画とフィギュアの創作活動の話で少し盛り上がりました。ああ。モクレンさんはフィギュア作りをお仕事とされていたんです」ヤマガキは親切に教えてくれた。ただし、その話はすでにソテツから聞いていたのだが、とりあえず、ヤツデとビャクブの二人は無言で頷いておいた。ヤツデとビャクブはヤマガキの話の腰を折らないようにしたのである。

「私とモクレンさんはお互いに芸術家気質みたいなところがあって馬が合ったんでしょう。とはいうものの、これは自己分析にしか過ぎないので、モクレンさんは実際にはどう思っていたかはわかりません」ヤマガキは言った。ビャクブは無言で頷いている。このアトリエでは刹那の沈黙が舞い降りた。

「村民同士の交流というのはいいものですね。ヤマガキさんは生前のモクレンさんを見かけた時になにか変わった様子をご覧になりませんでしたか?」ヤツデはなんの気なしに聞いた。ただし、ヤツデは同時に真剣でもある。ビャクブは同じく気を緩めることなくヤマガキの話を聞いている。

「そうですね。あれはモクレンさんが自殺する前日でしたかな。私はモクレンさんとたまたま道で擦れ違った時に軽く挨拶をしたら、モクレンさんは妙にびくびくしていたように感じました。あれはもしかすると自殺するほどに思い悩んでいたという証拠だったのかもしれません。だとすれば、あの時はそれに気づいてあげられなかったので、私はとても悪いことをしてしまったことになります。私はもっとモクレンさんに声をかけていればよかったですね」ヤマガキはしょんぼりとしてしまった。

「いえいえ。普通はそれがモクレンさんの自殺する兆候だったなんて敏感に感じ取ることは難しいことですから、ヤマガキさんはあまり気に病まないで下さい。しかし、それはひょっとすると貴重なご意見かもしれませんね」ヤツデはそう言うとモクレンに関するその事実を忘れないように記憶に留めておくことにした。ビャクブはちなみにどのあたりが『貴重』なのかは理解できていない。

「ヤマガキさんは最後にこの写真をご覧になって頂けますか?」ヤツデは三枚の金魚の写真を見せた。

「この写真はどうかしたのですか?」ヤマガキは不思議そうにして尋ねた。

「こちらはソテツさんの家から怪盗に盗まれてしまった金魚なんです。ヤマガキさんはどこかで見た覚えはありませんか?」ヤツデは今や定番のフレーズでヤマガキに対して質問を投げかけた。

「はて?」ヤマガキは混沌としている。「私の記憶の限りでは見たことはありませんね」

「そうでしたか。それなら、ヤマガキさんはそれで別にいいんです。ぼくはいきなり全く別なことをお聞きしてどうもすみませんでした。とりあえず、お聞きしたいことは以上です。ヤマガキさんは貴重なお話をお聞かせ下さいまして本当にありがとうございました。ぼくたちはそろそろお暇します」ヤツデはそう言うとビャクブと共に腰を上げた。今のところはビャクブにも特に聞きたいことはないのである。

ヤツデとビャクブの役には立てたらしいので、ヤマガキはいくぶん誇らしげな様子である。しかし、ビャクブはアトリエを去り行く前にようやくかろうじて肝心なことを思い出した。

「あ、そうだった。おれはせっかく買ってきたのにも関わらず、ヤマガキさんにはプレゼントをしないで持って帰っちゃうところでした。今日は『贈り物デー』ですから、おれはトマトをプレゼントさせて下さい」ビャクブはそう言うとヤマガキに対してトマトの入った袋を手渡した。実はヤツデもすっかりとそのことを忘れていたのである。これはやはりヤツデも完璧ではないという証拠である。

「やあ。これはお気遣いをどうもありがとうございます」ヤマガキは喜びを露わにした。

ビャクブは先にプレゼントを贈らなくても他人の話に耳を傾けてくれるのはヤマガキにやさしさがある証拠である。トイワホー国の国民はやはりやさしい人が多いのである。

「もしも、私でもお役に立てることがあったら、ヤツデさんとビャクブさんはまたいつでもいらっしゃって下さい。その時は協力します。実は私もツバキとモクレンさんの死については同じ村に住む者として大いに興味を持っているんです」ヤマガキは部屋を出ようとするヤツデとビャクブを呼びとめて言った。

「わかりました。ヤマガキさんはご協力をありがとうございます。その際はよろしくお願いします。それではさようなら」ヤツデはそう言うとぺこりと頭を垂れた。ビャクブはそれに倣った。

ヤツデとビャクブの二人はこうしてヤマガキの部屋を出た。ビャクブは早速にヤツデに対して収穫の大きさを聞こうとしたのだが、ヤツデとビャクブはその前にアトリエを出てすぐにモミジと出くわした。

「こんにちは」モミジはクールな口調で挨拶した。モミジはヤツデとビャクブを待っていたのである。

「こんにちは」ヤツデは立ったままモミジに対して丁寧に挨拶を返した。

「そうだ。おれたちは少しモミジくんにも話を聞いて帰らないかい?」ビャクブはヤツデに対して提案をした。モミジは当然のことながらこの話の展開を予測していた。ヤツデは応じた。

「うん。そうだね。いくつか、ぼくたちはモミジくんにも聞きたいことがあるんだけど、ぼくはそれを質問させてもらってもいい?」ヤツデはやはり年少者に対しても謙虚な姿勢を崩さないのである。

「それはいいですけど、なんの質問ですか?」モミジはやや警戒心を持った様子で聞き返した。

「コニャック湖ではお母さんの予告殺人について聞かせてもらったから、よかったら、今日は亡くなった二人モクレンさんとツバキさんについても聞かせてくれる?」ヤツデは聞いた。

「それはいいですけど、ヤツデさんとビャクブさんのお二人は殺人事件を解決したことがあるそうですから、お二人はやっぱりコニャック村で起きた事件も調べているという訳ですか?」モミジは探りを入れるようにして聞いた。とはいっても、モミジはヤツデとビャクブのことをバカにして入る訳ではない。

「ああ。そのとおりだよ」ビャクブはいくぶん得意げにして言った。

「ツバキさんは何者かによって殺されたっておっしゃっていましたよね?」モミジは確認をした。

「うん。ぼくたちはそう考えているよ。ビャクブはヤマガキさんにも言っていたけど、その可能性は絶対ではないけどね。モミジくんはツバキさんか、もしくはモクレンさんを亡くなる前にどこかで見かけたりはしなかった?もしも、見かけていたら、ツバキさんとモクレンさんにはなにか様子がおかしかったっていうようなことはなかったかな?」ヤツデは矢継ぎ早に質問を繰り出した。

「ええと、確か、ツバキさんには事件のある前日に道で擦れ違ったような気がしますけど、特には変わった様子はありませんでした。というか、機嫌はむしろよさそうでした」モミジは言った。

「そっか。それは何時ごろかな?モミジくんは覚えている?」ヤツデは重要なことを聞いた。

「何時だったかな?午後7時くらいだったと思います」モミジは必死になって思い出した。ヤツデの質問の意図はビャクブにもわかった。ヤツデとビャクブはツバキの亡くなる前日のお昼にツバキと会っているので、ツバキはヤツデとビャクブとチコリーとユリと別れてから少なくとも午後7時までは普段のとおりに過ごしていたか、あるいはいいことがあって少し元気だったという可能性が出てきたのである。

「そっか。モミジくんは質問に答えてくれてありがとう」ヤツデは早々に質問を切り上げた。

 しかし、今のヤツデは重要なキーを手にした気がしている。ヤマガキの話によると、モクレンは亡くなる直前に脅えているようだったが、モミジの話によると、ツバキは元気そうだったという事実についてである。そのギャップについてはもちろん少しばかりビャクブも興味を覚えている。

「あの、話は変わりますが、ヤツデさんとビャクブさんのお二人は怪盗の事件も調べられているのですか?」モミジは質問した。現在のモミジはコニャック湖でヤツデからソテツの金魚の写真を見せられた時のことを思い出しているのである。ヤツデは返しかけた踵を中途で止める羽目になった。

「ああ。おれたちは怪盗の事件も調べているよ。ヤツデの話では犯人はもう特定できているらしいんだけどな。モミジくんは怪盗の事件に興味があるのかい?」ビャクブは逸早く反応して聞いた。

「はい。怪盗なんて犯罪者はもの珍しいですからね」モミジは重々しげにして言った。ビャクブはそれを受けるとモミジに対して今日の6時にもシロガラシの家に怪盗が出没するという話をした。

 モミジはすると当然のことながら驚いて全て終わったら、ヤツデとビャクブに対してはぜひ怪盗との対決の行方を聞かせてくれるようにと懇願をした。そのため、ビャクブは胸を張ってOKをした。

ただし、ヤツデの方はそんなビャクブとは打って変わって少し不安だったのだが、とりあえず、ヤツデとビャクブの二人はモミジから期待感を抱かれて怪盗の話は一段落した。

「ツバキさんの事件もお二人の手で解決できるといいですね」モミジは改まった口調で言った。

「そうだね。ありがとう」ヤツデはモミジのエールに対して感謝をした。

ヤツデとビャクブの二人はこうして立ち話を終えてモミジと別れた。ヤツデとビャクブはそして階下へと降りて行ってナズナにもお別れの言葉を述べるといそいそと家を出て行った。

ヤツデとビャクブの二人は特にアクシデントもなくとても円滑に関係者から話を聞けたという喜びからうれしげである。なにしろ、ヤツデはアクシデントを忌み嫌っているのである。

ヤマガキ一家はもちろんヤツデとビャクブに対して不快感を抱いていない。ナズナは強烈な個性を持っていたが、ヤマガキ一家はとにかく皆が親切だったので、もしも、殺人事件の犯人はこの中にいるのだとしたなら、それは大した役者だなとビャクブは少し考えた。


ヤツデとビャクブの二人は自転車に乗ってシロガラシの家へ向かって帰ることになった。行きはよいよい帰りは恐いと言うが、今回のヤツデの場合はそれと真逆である。行きはどうなることやらとドキドキしていたが、帰りは聞き込みが成功に終わったので、ヤツデは意気揚々としている。

ヤツデはその証拠としてビャクブと共に自転車を発進させると『もさは猛者だらけだった』というしょうもないオヤジ・ギャグを言い出した。ところが、ビャクブには意味がわからなかった。

 もさというのは田舎者という意味である。ヤツデは性格がやさしい故にわかりづらいことを言ってしまったことについてがっかりした様子を見せたので、ビャクブは慌てて取り成した。

「いやいや。おれは寡聞だったんだから、ヤツデは別にいいんだよ。それよりも、どうだい?ヤツデはなにか事件の解決の糸口になりそうなことは掴めたかい?」ビャクブは重要なことを聞いた。

「それはまずまずじゃないかな。例えば、モクレンさんはけっこうコニャック村の人たちとも付き合いがあったっていうことがわかったよね?だから、ぼくはそのおかげでほんの少しだけど、モクレンさんの人柄は会ったことのないぼくでもわかったような気がするよ」ヤツデは懇切丁寧な態度で言った。

「ああ。そうだな。でも、モクレンさんはとりわけコニャック村で親しくしていたのはソテツさんだったっていうのには変わりがなさそうだな。ただ、コニャック村の村民はモクレンさんとは関係が良好だったのだとするとモクレンさんを殺害する動機を持っている人はコニャック村にはいそうもないっていうことになるな。ソテツさんとモクレンさんの友人間ではなんらかのトラブルがあったっていうんなら、話はもちろん別だけどな。それから、ツバキさんは誰に聞いても人に恨みを買うような人じゃないっていう話だったよな?」ビャクブは自分の心証を吐露した。ヤツデは譲歩をした。

「そうだね。でも、ツバキさんは現に殺害されてしまっている以上は必ずしも鵜呑みにはできないね。ぼくはもちろん信じることも大事だと思うけどね」ヤツデはいくぶん悲しげにして言った。

「ヤツデにはなにかそれ以外で気になる点はあったかい?」ビャクブはコンスタントな調子で聞いた。

「そうだね。強いて言うなら、ヤマガキさんはツバキさんとヨモギさんの夫婦の話をするのを嫌がっているような素振りを見せたことかな。大したことではないのかもしれないけどね」ヤツデは言った。

「ああ。ヤマガキさんは確かにヨモギさんの話をするのは嫌がっている風だったけど、ヤツデにはツバキさんの話も嫌がっている風に見えたのか。ヤツデはさすがに鋭いな。ツバキさん殺害事件の容疑者をコニャック村の人たちの中で上げるとしたら、ヤツデはどういった人たちの名前が上げられると思うかい?コニャック村の皆には申し訳ない話だけどな」ビャクブは遠慮がちである。

「そうだね。ええと、まずは夫のヨモギさんで次に一緒に暮らしているアカネさんで最後に親友のナズナさんっていうところじゃないかな?この三人はツバキさんとは割と親しい仲だから、ツバキさんとはなにかのトラブルを抱えていても不思議ではないとぼくは思うよ」ヤツデは主張をした。

「そうだな。でも、ツバキさんとはおよそ10年来の付き合いがあるっていうヤマガキさんは容疑者のリストの中に入れなくてもいいのかい?」ビャクブは自転車を漕ぎながら一応の確認をした。

「うーん。ヨモギさんとアカネさんとナズナさんよりは疑いは濃くないと思ったけど、一応は入れておこうか。普通は一応で疑われていたら、ヤマガキさんは怒るかもしれないけどね」ヤツデは自戒をした。

「それじゃあ、おれたちはリストを作ったところで初めから容疑者について考えてみないかい?」

「うん。それはいい考えだね。まずはヨモギさんについてだね。ぼくはちょっと偉そうなことを言うようだけど、殺人事件では被害者の配偶者を疑うっていうのは捜査の常道だよね。それじゃあ、ヨモギさんは金銭目的でツバキさんを殺害するっていう可能性は考えられるかな?」ヤツデは問いかけた。

「ツバキさんは専業主婦だっていうから、おれは遺産相続が動機の可能性は低いと思うな。ツバキさんは資産家の令嬢なら、話は別だけどな。ただ、普通はそんなにベタな設定があるかな?でも、仮に、そうだったとしたら、そんな話はアカネさんの口から漏れているじゃないかい?それじゃあ、次はツバキさんの保険金が目当てっていうことはどうだろう?」ビャクブは殺風景な景色を眺めながら考えを口にした。

「いや。仮に、保険金の目当ての殺人なら、ヨモギさんはツバキさんを自殺に見せかけた理由がわからないよ。自殺の場合は保険金が貰えないからね。だから、その可能性はかなり低いと思うよ。それから、ツバキさんはお金持ちの娘かどうか、もしも、そうなら、ヨモギさんとツバキさんはもっと大きい家に住んでいてもよさそうだけど、一応はそれも確認しておこうか。あとは考えられるヨモギさんの犯行動機は不倫かな?」ヤツデは案を持ち出した。ビャクブはヨモギのことを思い浮かべて嫌な顔をした。

「うーん。それはそれでなんとなく怖い話だけど、考慮には入れといた方がいいのかもしれないな。そうだった。そう言えば、おれはヤツデには重大なことを言わないといけないんだった」

「重大なことって?」ヤツデは興味津々である。とはいっても、ヤツデはいつだってビャクブの話を聞いていて興味索然の状態になることはないのである。ヤツデはしかもこの話の流れから生まれてきたものだから、今回ばかりはヤツデもいつも以上にビャクブの話に期待を持っている。ビャクブは言った。

「まあ、でも、これは一通りの話がすんだら、ヤツデには聞いてもらうよ。とりあえず、今は話の続きをしよう。犯人はヨモギさんだとしたら、密室の謎は簡単に解けることになるよな?」

「うん。そうだね。ヨモギさんは仕事に出かけると見せかけておいて実は家の近くでアスナロくんとアカネさんが外出するのを待っていた。ヨモギさんはそしてアスナロくんとアカネさんの二人が外出してツバキさんが一人になったところで自分の持っている鍵を使って家の中に入ってツバキさんの元へ向かって行った。ツバキさんは当然のことながら驚くだろうけど、自分の夫には余程のことがない限りは警戒心を持つことはないだろうから、ヨモギさんにとってはツバキさんに襲いかかるのは全くの赤の他人よりは容易に凶行に及べただろうね。ヨモギさんはツバキさんに家の鍵を開けてもらったと考えたって結果は変わらないね」ヤツデは話を結んだ。ビャクブはヤツデの推測を十分に理解していた。

「となると、事件のあった日のヨモギさんは仕事に少し遅れて行ったということになるんだろうな?」

「警察なら、そんなことはあっという間に調べ上げられるだろうけど、ぼくたちにはあいにくそれを調べる手立てがないね」ヤツデはそこで言葉を切って少し違った面から事件を見つめ直すことにした。

「もしも、モクレンさんとツバキさんはコニャック村の誰かによって殺害されたのだとしたら、犯人は個々人で考えると確かに一見しても該当者はいないけど、凶行は共犯によるものとなると、話は違うよね?」ヤツデはよく事件を俯瞰している。ビャクブは虚を突かれて咄嗟には判断できなかった。

「え?ええと、一人はヨモギさんだろう?もう一人は誰のことだい?」ビャクブは聞いた。

「ヨモギさんはツバキさんと利害関係があるから、ビャクブはそう考えたんだよね?だから、ビャクブは同じように考えればいいんだよ。ソテツさんなら、モクレンさんとはなんらかの利害関係があってもおかしくないよ」ヤツデは子供のようにして無邪気な口調で鋭い指摘を入れた。

「なるほど。そうか。共犯は兄弟による犯行か。それは盲点だったな」ビャクブは感嘆の声を上げた。

「ビャクブはヨモギさんの靴磨きが出しっぱなしだったっていうことについてはどう思う?」

「どうって?うーん。それは頼まれたから、ツバキさんは靴磨きを出したんじゃないのかい?おれはそのことが事件と関係しているとは思えないな」ビャクブは当たり前の回答を口に出した。

「あるいはこうも考えられるよ。実は靴磨きを出したのはヨモギさんだった。ヨモギさんはしかも靴磨きを終えてから外出したっていう風にもね」ヤツデは少しひねくれた考え方をした。

「ああ。それはヤツデの言う『黒の推理』っていうやつかい?それなら、ヨモギさんはどうして靴磨きをしまわないで外出したんだろう?」ビャクブは生徒のようにして質問をした。なお『黒の推理』とはヤツデの考え出したものである。その正式名称は『白と黒の推理』というもので少し格好いいのである。

「ヨモギさんはすぐに帰宅する可能性もあると踏んでいたからだよ」ヤツデは結論を口にした。

ようはツバキの死体が発見されれば当然のことながら良人ハズバンドであるヨモギも呼び出されることになるからである。ビャクブはよく考えてからようやくヤツデの言っている意味を理解した。

「なるほど。一応の筋はとおっているな」ビャクブはそう言うと考え込むようにして沈黙した。という訳なので、ビャクブはヨモギを最重要の容疑者の一人としてリストに入れておくことにした。ヤツデはヨモギについてこれ以上はなにも言わなかったので、ビャクブは再び口を開いた。

「それじゃあ、次は引き続いてナズナさんについてだな」ビャクブは話題を持ち出した。

「要注意しないといけないのはナズナさんには鉄壁のアリバイがあるっていうことだよね。予告殺人の表向きの対象者はナズナさんだった訳だから、家の周りには警察官が循環していたはずだよね?その包囲網を通り抜けることはできるのかは一番に大きな疑問だけど、もしも、可能だとすれば、ナズナさんは家を脱出してみせた方法とツバキさんの家の密室トリックとは関連性があるのかもしれないね」

「そういう意味ではナズナさんも嫌疑の中に入れておいた方がいいっていう訳だな。まあ、おれにはナズナさんがどんな方法で警察の目から逃れたのかなんて見当もつかないけどな。そもそも、犯人はナズナさんなら、ナズナさんはなんで自分を予告殺人の対象にしたんだろう?普通はそんなことをすれば、犯行の成功する確率はぐんと下がっちゃうはずだろう?ナズナさんにはあえて警察と対決しても勝てる自信があったのかな?あるいは予告殺人の対象になるとは思いもよらなかったけど、ナズナさんは殺人を決行したとか?いや。それはないか。それなら、普通は延期するものな。話は変わるけど、ツバキさんとナズナさんは親友同士だって言っていたよな?それはヨモギさんも言っていたから、この事実にはたぶん信憑性はあるよな?そうすると、考えられるのは犯罪にしろそうでないにしろ動機としてはナズナさんの昔の過ちをツバキさんが告発すると言いだしたっていうのがあるけど、ヤツデはこれについてどう思う?」

「うん。それは中々の穿った考えだと思うよ。というか、ビャクブはかなりいいことを言うね。でも、ナズナさんはなんで今頃になってそのことをバラすことになったんだろう?確率としては最近になってナズナさんが悪いことをしてそれを知ったツバキさんを口封じのために殺害したと考える方がよっぽど高いと思うよ」ヤツデはあくまでも冷静だった。ビャクブは考えるまでもなく自分の推理の非を認めた。

「ああ、それは確かに一理あるな。でも、仮に、原因は過去の悪事だったと考えるとナズナさんとツバキさんは何年来の親友だったのかも気にならないかい?」ビャクブは聞いた。

「うん。そうだね。それはちょっとぼくも気になるね。それはナズナさんに聞いてみようか」

「おれたちはよくよく考えてみると聞き洩らしたことはけっこうあるんだな。いや。でも、今のナズナさんの年齢はわかっているから、計算することはできるか」ビャクブは頭の中で計算してみた。

仮に、ツバキとナズナの二人は高校一年生で知り合っていたとしたら、二人は17年間の付き合いがあったという訳である。ビャクブは意外なことにもヤツデより暗算が得意なのである。

「犯人はナズナさんだと仮定するならば、ツバキさんにはきっとなにも怪しまれることもなく歓迎はされるだろうけど、ナズナさんはどうやって家を密室にしたまま出たのか、あるいは鍵をツバキさんの遺体のそばに投げ入れたのか、その答えとしてはさっきヤツデが言っていたナズナさんが家を抜け出たことと関係があるっていうのが有力だな。そう言えば、ヤツデはヨモギさんの家を調べたあと『密室の謎を解く鍵を見つけましたか?』っていう風なことをヨモギさんに聞かれたら『まずまずです』って確か言っていたよな?あれはなにがわかったんだい?一体」ビャクブは聞いた。ヤツデは次のようにして切り返した。

「それはシークレットだよ。今はまだ秘密にさせてもらうね。ぼくは何に気づいたかを知ったら『そんなことか』って必ずがっかりするだろうから、ビャクブはむしろ知らない方がいいと思うよ」

「そうかい?でも、ヤツデはなんだか思わせぶりだな。ヤツデのアンテナにはなにかしら引っかかったのなら、それにはなにかの意味がありそうだけど、まあ、それはいいか。次はヤマガキさんについて考えてみないかい?」ビャクブは聞いた。ヤツデの秘密主義は今に始まったことではないのである。

「うん。そうだね。もしも、ヤマガキさんにはツバキさんを殺害する動機があるとしたら、可能性としてはなにが考えられるかな?」ヤツデはがんばって聞いた。ヤツデはいい加減に人を疑うことが嫌になってきている。ヤツデはだからこそ『白の推理』という手法で犯人やトリックを炙り出すのである。

「おれはさっき言ったナズナさんがツバキさんを殺害する動機と同じものが当てはまると思うな。ようはヤマガキさんの絶対に人に知られてはならない秘密をツバキさんが知ってしまったっていう可能性だよ。密室の謎はナズナさんの時と同じだな。他にはなにか付け足すことはあるかい?」ビャクブは聞いた。

「うん。付け足すことは一つだけあるよ。ヤマガキさんは他にもツバキさんやヨモギさんとなんらかのトラブルがあったっていう可能性も考えられると思うよ。今はまだ謎めいているけどね」

「ああ。そうだったな。ヤツデはツバキさんとヨモギさんの二人のことを話そうとしたら、ヤマガキさんの様子は変わったんだったな」ビャクブは少し重要なことを忘れていた自分を反省した。ビャクブはヤツデほどに人の話を真剣に聞いていないのである。だが、ビャクブはすぐさま気を取り直した。

「最後はアカネさんについてだけど、実はおれにはアカネさんが犯人じゃないという一つの考えがあるんだよ。それはもちろんただそう感じたからっていう訳じゃないよ」ビャクブは自信を持っている。

「それはどんな考えなの?」ヤツデは大いに興味を引かれた様子で聞いた。

「アカネさんはおれたちが殺害現場に通りかかった時に家を慌てて飛び出してきただろう?もしも、あれは独り芝居だったとしても、おれはちょっと手が込み過ぎていると思うんだよな。あの場にはおれたちがいることを知らなかったのにも関わらず、アカネさんは家を飛び出てきたんだよ。あれはやっぱりどう考えてみても芸が細かすぎるよ。ヤツデはこれについてどう思う?」ビャクブは意見を求めた。

「アカネさんは目がよかったのか、あるいは耳がよくてたまたまぼくたちの声が聞こえただけなのかもしれないよ。あれ?でも、おかしいな。いや。ビャクブは話を進めてもいいよ」

「ああ。わかった。それじゃあ、犯人はアカネさんだとしたら、アカネさんはわざわざおれたちに姿を曝け出したのはどういう了見だい?アカネさんは隠れていればそれですむ話だろう?」

「アカネさんはその場で家の中を覗かれる訳ではないにしても万が一あの時点ですでに顔見知りになっていたぼくたちに姿を見られるようなことになれば家を最後に出た人物がアカネさんだと特定されることになるんじゃないかっていう疑心暗鬼に捕らわれていたからじゃないかな?いや。これはやっぱり深読みのしすぎかな?いくら、アカネさんはおっちょこちょいな性格でもそこまで気を回し過ぎるようなことはないかもしれないね。ビャクブの言うとおり、ぼくたちはそうやって理詰めをして行くとアカネさんが犯人の可能性は低くなってくるね。ぼくはさっき思ったんだけど、アカネさんには家を密室にしないといけない理由もない訳だしね。アカネさんはしかもいつでも出入りのできるという点ではヨモギさんも一緒だよね?まあ、犯人は別に自殺に見せかけてツバキさんを殺害したんだから、おそらくは警察からも現場を密室にしたとしても家の人が疑われることはないけどね。ただし、ぼくたちは注意しておかないといけないこともあるね。第一に、アカネさんはなんらかの理由であの場で死体を発見してもらわないといけない理由があったという可能性があるよね。第二に、普通の人は絶対にそんなことはしないだろうと思うような盲点を突いたという可能性だね」ヤツデは話をまとめた。ビャクブは納得をした。

「それじゃあ、とどのつまり、現時点ではアカネさんを容疑者のリストから削除するのは早計っていうことだな?アカネさんについては他に注意すべきことはあるかい?」ビャクブは意見を求めた。

「うん。実はもう一つ気になるのはアカネさんが本当にツバキさんにドラマの録画予約を頼んだのかということだよ。ぼくたちはそこを疑えば少し話が違ってくるからね」ヤツデは真剣に言った。

「なるほど。『黒の推理』の第二号だな。それは確かにこれから自殺する人間がドラマを見る気だったなんていうことになったら、アカネさんにとってはせっかく自殺に見せかけたのにも関わらず、シナリオは台なしになる訳だからな」ビャクブはしっかりとヤツデの論理的な話についてきている。

「まあ、ようはそういうことだけど、仮に、本当はツバキさんがビデオの録画をしていても自殺説が否定される訳じゃないんだよ。ツバキさんはだってもしかしたら一週間前に録画予約をしていてその時点では自殺する気なんてなかったのかもしれないからね」ヤツデは割と重要なことを言った。

「ああ。そうか。でも、ヤツデはなんでそれを今頃になって言うんだい?」ビャクブは聞いた。

「これはちょっと気の回しすぎかもしれないけど、ぼくとしてはヨモギさんをがっかりさせるのは気の毒だったし、もう一つは参考までにアカネさんの反応も見てみたかったからだよ」

「つまり、あの時のヤツデの脳内ではやさしさと企みがない交ぜになっていた訳か。それじゃあ、アカネさんはツバキさんを殺害する動機はなんだろう?アカネさんは一緒に暮らしていてツバキさんに悪事を知られたとかっていうのが考えられるかな?おれにはそれくらいしか考えられないけど」ビャクブは降参をした。ヤツデは新説を出してくるかなとビャクブは思ったが、そんなことはなかった。

「うん。それは確かに考えられるね。それじゃあ、最後は残った犯人の問題についてだね」

「え?おれたちはもう最初に名前を上げて仮定した犯人について考えるのは終わったじゃないか」

「うん。それは終わったよ。でも、ぼくたちはこれを忘れると、例え、どんな推理をしていても、全ては瓦解しかねないよ。実はツバキさんの命を奪った犯人はいない。強いて言うなら、犯人はツバキさん自身だったっていう可能性だよ」ヤツデはとんでもないところで新説を出してきた。

「え?ヤツデは話を難しくするのが好きだな。ツバキさんは他殺なんじゃないのかい?」

「ぼくは9対1くらいの比率で他殺だと思うよ。でも、それは単なる推測にすぎないんだから、ぼくたちは完全に自殺説を捨てるのは危険だよ。もしも、ツバキさんは自殺なら、この事件は全く違う側面を見せるからね」ヤツデは涼しい顔をして言った。ヤツデは掌を返すのがうまいなとビャクブは思った。

「うーん。そう言われると、そうかもしれないとは思うけど、それじゃあ、なんだろう?例えば、モクレンさんとツバキさんは心中だったとか?」ビャクブは明らかに冗談半分の口調で言った。

「ビャクブはけっこう名探偵みたいな発想力があるね。それなら、ツバキさんによる無理心中っていう可能性も考えられるけど、それじゃあ、ツバキさんはどうして時を移したんだろう?それはとても不可思議だね。ツバキさんは死に際にも夫であるヨモギさんに気を使ったのかな?」ヤツデはまじめな顔をして質問をした。ヤツデの真剣なので、ビャクブは考えに考えてから慎重に発言をした。

「うーん。ヤツデはせっかくおれの案について話してくれているのにも関わらず、おれは聞きづらいんだけど、実際のところは本当にそんなことがあったと思っているのかい?」ビャクブはヤツデが実を言うと真剣ではないと踏んだのである。結果は案の定だった。ヤツデはあっさりと否定をした。

「ううん。心中の線はたぶん限りなく低いだろうね」ヤツデはあっけらかんとしている。

「ああ。そうなのか」ビャクブは落胆をした。とはいっても、ビャクブとしては自分の案が不採用になってがっかりが半分で予想していたヤツデの考えを的中させた妙な安堵感が半分である。

「ぼくたちはあらゆる可能性を考慮しておくのはいいことだけど、しょせんはどんなに想像力を逞しくしても、つまるところはあくまでも、推測は推測だからね。ただ、ぼくはさっきのビャクブの意見みたいにして常識に捕らわれない柔軟性は大切なのかもしれないと思うよ。それじゃあ、ビャクブはそろそろ『重大なこと』っていうのを聞かせてくれる?ぼくは一番にそれを楽しみにしていたんだよ」

「ああ。わかったよ」ビャクブはそう言うとヤツデに対してある事柄を話して聞かせた。

その事実はコニャック村の事件を考える際にヤツデにとって結果的にとても大きな助けになった。ビャクブの証言はそれほどに価値のあるものだったのである。

ヤツデとビャクブはビャクブが洗いざらい話し終わってからほどなくしてシロガラシの家に到着をした。だから、ビャクブは自分の話した事柄についてヤツデから詳しく意見を聞くことはできなかった。

しかし、実はコニャック村の事件について自分の話した内容が大きな意味を持っているのではないだろうかと当のビャクブにも想像はついている。ただし、ビャクブにはまだ事件の全貌はわからないが、一方のヤツデはすでにもう一歩のところまで真相に近づいている。


ツバキは何者かによって殺害されたのだとしたら、犯人としては最も怪しいのはやはりヨモギなのだろうか、あるいはツバキとの間でなんらかの秘密を保持しているヤマガキだろうかとビャクブはあれこれと考えを巡らしながらシロガラシの玄関口へと帰って来た。ヤツデはちなみに無心である。

シロガラシとミツバとチコリーとユリの4人は家の中でヤツデとビャクブの帰りを待ち詫びていた。まず、ビャクブはチコリーの顔を見てようやく我に返った。

考えてばかりいてはやはりビャクブにしてみても神経は参ってしまうのである。とはいっても、実はただ単にぼんやりしていたから、ヤツデはなにも考えていなかっただけである。

「おかえりなさい」ミツバはヤツデとビャクブのことをあたたかく迎え入れた。「お疲れかもしれませんが、もしも、よろしければ、ヤツデさんとビャクブさんは私達と一緒に食事とショッピングをしに隣町まで行きませんか?」ミツバはいつものとおりの穏やかな口調で聞いた。

「はい。それでは行きましょう。ビャクブはもちろん行くよね?」ヤツデは確認をした。

「ああ。無論だよ。おれたちはお待たせしちゃっていたみたいでどうもすみませんでした」ビャクブは詫びを入れた。先程は珍しくもの思いに耽っていたが、今のビャクブの頭の中にはコニャック村の事件のことは消し飛んでいる。ビャクブはいい意味でも悪い意味でも切り替えが早いのである。

「いやー」シロガラシは言った。「ビャクブさんはそう恐縮なさらないで下さい。わしらは先に言っておかなかったのが悪いのですからのう。それではヤツデさんとビャクブさんのお二人の用意がすみ次第に出発をしましょう」シロガラシは気を使って言った。ヤツデとビャクブの二人はという訳なので、二階の部屋に上がって少々の支度をすることになった。ヤツデとビャクブの二人はそれを終えて一階へと戻って来た。チコリーとユリはすでに外出準備を終えていた。チコリーは天真爛漫な口調で言った。

「外出には私とユリちゃんも一緒に行くんだよ。ヤツデさんとビャクブさんにはなにか食べたいものはある?」チコリーは尋ねた。チコリーはヤツデとビャクブとの外出を楽しみにしている。

「うーん。そうだな。行き先にはどんな店があるのか知らないけど、おれはラーメンとギョーザが食べたいな。ヤツデはどうだい?」ビャクブは聞いた。ビャクブは完全にうな重のことを忘れている。

「ぼくはビャクブと一緒だよ。ぼくはラーメンが食べたいよ」ヤツデは同調をした。

「私達はこれからミラン町に行くのよ。ミラン町にはラーメン屋があるのよ。おじいちゃんとおばあちゃんにはそれでいいかどうかを確認してみましょう」ユリは浮き浮きしている。

ユリはチコリーと同じく外出が楽しみなのである。なんだか、ミランという名は近代的な響きに聞こえるかもしれないが、ミランという町はそれほどに都会という訳でもない。

ただし、ミラン町はコニャック村やカシ村よりも栄えていることは間違いない。ヤツデとビャクブとチコリーとユリの4人はこうしてシロガラシとミツバとも合流して外出することになった。ミツバはトート・バッグを手にしているし、チコリーとユリはお出かけ用のバックを持っている。

ヤツデたちの一行はやがて10分ほどシロガラシの家から歩いて東コニャック駅の西口から無人の改札口を通り抜けた。東コニャック駅はヤツデとビャクブがコニャック村に来る時に利用した駅である。

一応は東コニャック駅には木造の乗客の待合室があってセメント造りになっている。どうでもいいことだが、セメントには水と砂を混和させるとモルタルという接合材ができるのである。

その後のヤツデたちの一行は電車に乗って二駅目で下車をした。食事はビャクブの意見が採用されてラーメン屋で取ることになった。ビャクブは焼きチャーシューが大好きなのである。


ヤマガキはまだ自分の家のアトリエで寛いでいた。今のヤマガキは骨董品のチラシを眺めているが、そのチラシはこの近くに骨董屋が開店するもので自宅のポストに入っていたというだけの話である。

ヤマガキにはチラシについては特に興味がある訳ではない。それよりも、ヤマガキには考えないといけないことがある。それはヤマガキの妻であるナズナとの関係についてである。

ヤマガキはそしてそれに付随するヤマガキの息子モミジとの関係について考えなくてはならないのである。もっとも、ヤマガキはナズナがモミジを引き取ったとしてもちゃんとモミジの養育費を出すつもりである。しかし、できれば、それは避けたいとヤマガキは胸中では思っている。とはいっても、その理由は単にヤマガキがお金を出したくないからというものではない。

一度は話にあったとおり、モミジはナズナの連れ子なのだから、ヤマガキにとっては実の息子ではないことになる。しかし、それでも、モミジのことはかわいいので、できれば、ヤマガキはモミジのことを独り立ちできるまで面倒を見てあげたいのである。それこそはヤマガキの親心なのである。

 例え、血の繋がりはなくとも、モミジはあくまでもヤマガキにとっての愛息なのである。小さい頃のモミジはよくヤマガキと一緒に写生スケッチをしたし、最近のモミジはヤマガキと一緒に旅行に行ったりするし、ヤマガキからは勉強を教わったりもしている。

トイワホー国では当然のことだが、ヤマガキとモミジの父子はとても仲がいいという訳である。もっとも、モミジとナズナの母子の仲はかといって悪いということもない。

 ヤマガキは持っていたチラシをきれいに折り畳んでそれを電化製品のカタログの上に置いて立ち上がった。ヤマガキはそして新品のシャープ・ペンシルを手にすると自分の部屋をあとにした。

 ヤマガキはやがて隣室のドアをノックしてモミジからは応答があると室内へと足を踏み入れた。モミジは勉強机に向かって国語の予習と復習をやっていた。モミジは勉強熱心なのである。

「父さんはすぐに帰るから、ほんの少しだけ邪魔をしてもいいかな?」ヤマガキは聞いた。

「うん。おれは別にいいよ」モミジはそう言うと机の照明を消して回転イスでくるりとヤマガキの方を向いた。ヤマガキは胡坐をかいてカーペットの上に腰かけながら次のようにして話を切り出した。

「どうかな?入学からは7ヶ月が経ったけど、モミジは高校の勉強について行けているかな?」

「うん。おれは大丈夫だよ。簿記はちょっと難しいけど、物理はおもしろいよ。熱力学なんかは特にそうかな。父さんはどう?物理は好きな方かな?」モミジは聞いた。ヤマガキは頭を掻いた。

「うーん。父さんはちょっと苦手だなあ。知ってのとおり、父さんの得意科目は歴史と地理の社会系だけだよ。まあ、父さんはそれだって大して自慢できるほどじゃないんだけどな。なんにしても、モミジは母さん譲りで頭がいいものな。父さんはそれについて誇らしいよ。そうそう。そう言えば、今はこのコニャック村にはヤツデさんとビャクブさんっていう客人が来ているんだ。ヤツデさんとビャクブさんはやさしそうだし、彼等はとてもフレンドリーだから、父さんはヤツデさんとビャクブさんからは好印象を受けたよ。ヤツデさんとビャクブさんの二人はしかも驚くべきことにも殺人事件を解決したこともあるそうなんだ。だから、ヤツデさんとビャクブさんはツバキの死についても調査しているみたいなんだ。同年代ではないけど、ヤツデさんとビャクブさんはモミジとも気が合いそうだなって父さんは思ったよ」

「父さんは客観的に見てもそう思うかな?実はおれもヤツデさんとビャクブさんと話はしたよ。向こうはどう思っているかはわからないけど、ヤツデさんとビャクブさんのお二人とは確かにおれも安心して話ができそうだなって思ったよ。でも、そうだったのか。薄々は気づいていたけど、ヤツデさんとビャクブさんは父さんの部屋を出てきた時に一仕事を終えていたのか。それなら、おれは陰ながら応援をしておくことにしよう。まあ、ツバキさんは自殺なのかもしれないけど」モミジは冷静に言った。

「そうだな。ヤツデさんとビャクブさんのことは応援してあげよう。それは父さんも同じ気持ちだよ。これはアルバイトの帰りに買ってきたんだよ。もしも、いらなかったら、モミジは父さんに返品してくれて構わないよ」ヤマガキはそう言うとモミジに対してシャー・ペンを手渡した。

モミジはペン回しをしてから机の上のプリントの余白に試し書きをして書き心地を確かめた。その間のヤマガキはただ単にぼんやりとそのモミジの姿を眺めていた。

「うん。これはよさそうなペンだね。これはありがたく貰っておくよ。父さんはいつもありがとう」モミジは含みのある言い方でお礼を言った。それにはもちろん事情がある。

とはいっても、それは大した話ではない。実は画家としてのかたわら、ヤマガキは郵便局でハガキや封筒の仕分けのアルバイトをしているのだが、最近はその帰り道に色々なところへ寄ってモミジに手土産を買ってくることを習慣にしているのである。ヤマガキはまめな性格の持ち主なのである。

今回は文房具屋だったが、ヤマガキはすでにモミジに対してコンビニでバウムクーヘンを買ったり、100パンダ・ショップではリスト・バンドを買ったりしてきたことがある。行ったら、外出からは中々帰ってこないので、妻のナズナからは鉄砲弾と言われているとおり、ヤマガキは無類の買いもの好きなのである。しかし、無駄な物は買わないので、ヤマガキには浪費癖はない。

ヤマガキはなぜそんなことをするようになったのかと言うとナズナとのギスギスした関係を見せてしまっているので、モミジに対してはその罪滅ぼしとして贈り物をしているのである。

モミジはもちろん察しがいいので、そのことには気づいている。だから、父のヤマガキの気持ちはうれしいので、モミジはいつもヤマガキの贈り物を素直に受け取っているのである。

「それじゃあ、父さんは戻るよ。これはいつも言っていることけど、モミジは困ったことや聞きたいことがあったら、父さんにはいつでも相談してくれていいから、遠慮することはないよ」ヤマガキは温和に言った。ヤマガキはやはりモミジのことを本当に大切に想っているのである。

「うん。わかっているよ。父さんは絵の仕事をがんばって」モミジは励ました。

「ああ。ありがとう」ヤマガキはそう言うとモミジの部屋をあとにした。

モミジとしてはそのヤマガキの後ろ姿はしょぼくれて見えた。だから、これでは父のヤマガキに対しても相談を打ち明けることはできないなとモミジは思った。実はモミジには父のヤマガキにも母のナズナにも言えない秘密が二つもある。その悩みはモミジを苦しませるが、その秘密は両親に打ち明けるとそれを聞いた両親までもが苦しむことになるというジレンマが発生しているのである。

モミジはヤマガキにもらったペンを見つめて机の電気スタンドを点灯させた。その隠し事はいつかバレてしまう可能性もあるが、これ以上は父のヤマガキを苦しめることはできないから、今は自分が踏ん張っていようとモミジは密かに決意をしている。モミジは殊勝なのである。


その頃のアカネは自分の部屋でせっせとスクラップ・ブック作りに勤しんでいた。アカネは雑誌からかわいい小動物の写真を切り抜くことを趣味にしているのである。

アカネはツバキが亡くなったことについてとても大きなショックを受けた。アカネはましてやツバキの死体の第一発見者になってしまったので、その衝撃はかなりのものだった。

それでも、アカネは気が強い方なので、事件の翌日(昨日)の時点ではすでに立ち直って同居しているヨモギとアスナロに対しては気使いもできるようになっていた。

とはいっても、アカネは当然のことながらツバキの死を悲しんでいない訳ではない。アカネはツバキが好きだったし、アカネとツバキの仲は実際にとてもよかったのである。

ツバキは家族だけで暮らしている中で血の繋がりのないアカネを同居させてくれたので、アカネはそのことに関しても感謝をしている。ただし、ツバキはそれでなくても気使いのできる人だった。

そのため、ツバキはなにかと失敗しがちなアカネの面倒まで見てくれることもあった。例えば、ツバキはアカネが忘れ物した時にはしばしばその忘れ物を途中まで持ってきてくれることもあった。

アカネはちなみに急ぎではなかったので、殺人事件の当日は辞退していたのである。ツバキはようするにとても親切な女性だったのである。別の事例を上げるとすれば、ツバキはアカネが車に泥で跳ねられて服を真っ黒にしてきても全く怒らずに洗濯してくれた上でアカネのことを思って自分も心からその不幸を嘆いてくれたりしてくれたこともあった。だから、アカネはツバキのことが好きだったのである。

アカネは涙こそ見せなかったが、実はツバキの死を深く悲しんでこんなことになってしまった運命について呪いたい気持ちなのである。アカネはツバキの生前でさえも感謝の気持ちを持っていたが、ツバキの死後はその感謝の気持ちを伝えきれていなかったことにも後悔を覚えている。

今の心境ではとても至福の一時とは言えないが、アカネは自室で趣味に時間を当てて無難に時を過ごしている。その時である。アスナロはとぼとぼとアカネの部屋の前を通り過ぎようとした。アカネは『アスナロくん』と声をかけた。アカネの部屋のドアは閉まっていなかったのである。

「なーに?お姉ちゃん」アスナロはそう言うと足を止めてアカネの部屋へと入室した。親等で言えば、アカネはアスナロにとってかなり離れた親戚である。なぜなら、アカネは父のヨモギから見ても4親等の従兄妹だからである。だから、アカネは当然のことながらアスナロの姉ではない。しかし、アスナロは親しみを込めてアカネのことを『お姉ちゃん』と呼んでいる。『お姉ちゃん』という呼称はアスナロにとってもしっくりくるからである。アカネはやがてとっておきの芸を披露することにした。

「私はアスナロくんが逆境にも負けないようにおまじないをしてあげるね」アカネはそう言うと意味不明の呪文を唱え始めた。それは正直に言ってアカネにも理解不能である。ただ、アカネは少しでもアスナロを元気づけてあげたいのである。アカネは不器用なので、どうすれば、自分はアスナロを元気にできるかはよくわからないが、厚かましいところは少々あるのである。アスナロは大人しくしている。

「はい。アスナロくんはこれでもう大丈夫よ」アカネは呪文を終えるとしゃあしゃあと言った。

「うん。ありがとう」アスナロはお礼を言った。アスナロはしかもうれしそうである。

「でも、つらい時はいつでも私のところに来てもいいのよ。アスナロくんはもちろんたくさんパパにも甘えてもいいのよ。警察はツバキさんをこんな目に合わせた犯人も見つけてくれると思うしね。ああ。それから、私にはちょっと疑わしいけど、ヤツデさんとビャクブさんもひょっとしたら犯人を見つけてくれるかもしれないものね」アカネはなんの気なしに言った。アスナロはすると顔色を変えた。

「うん。ヤッちゃんとビャッくんはいつもぼくの味方をしてくれるから、ぼくは心強い」アスナロは声を大にした。アスナロはヤツデとビャクブに対してすっかりと懐いているのである。

 アカネは単純な性格をしているから、当然だが、ヤツデとビャクブの言うとおり、アスナロはツバキを殺害した犯人は絶対にいると完全に信じて今では全く疑っていないのである。

「そうね。もしも、アスナロくんはなにか事件について思い出すことがあったら、ヤツデさんとビャクブさんの二人にも教えてあげてね。でも、まあ、アスナロくんは無理矢理に考え出す必要はないのよ。これはあくまでもなにかを思い出すことがあったらの話ね。実は私も色々と考えているんだけど、私には有益なことはなにも思い浮かばないのよね。できれば、私は早く役に立ちそうな情報にでも思い当ればいいんだけどね。まあ、それは運を天に任せましょう。まさかとは思うけど、アスナロくんはママが殺されるようなことに思い当たることはないわよね?」アカネは聞いた。アカネは平然と『殺される』というワードを使っている。アカネはやはり少しばかり世間とズレているのである。

「うん。ぼくはわからない。ぼくも不思議に思っているの」アスナロは答えた。

「そうか。っていうか、これはアスナロくんに聞くようなことじゃないわよね。ごめんね」

「ううん。ぼくは別に大丈夫だよ」アスナロは意外にも気丈なところを見せた。

「ありがとう。私ってどこか鈍感なのよね。そうだ。アスナロくんは私の切り抜きでも見る?」

「うん。ぼくは見たい」アスナロは言った。アカネは早速にスクラップ・ブックを床に置いて見せびらかし始めた。アスナロは心なしかほんの少しだけ元気を取り戻したようである。

 その後のアカネはアスナロに対して薄荷ミントは嫌いかとか、重機は見たことがあるかいったどうでもいい話をした。アカネはようするにツバキに関する話を避けたのである。

 ツバキの死はアスナロにとって悪夢のような出来事であることは目に見えているのだから、それは現実逃避になってしまうということはわかっているが、アカネはせめて自分と一緒にいる時だけでもアスナロにその悪夢を思い出さないようにしてほしいのである。それこそはアカネの思いやりである。

 トイワホー国では特に顕著だが、人は自分よりも弱い立場にいる者を庇護するのは当然のことであってどんな場合でも、それは変わりがないのである。なぜなら、人は助け合って生きていく生き物だからである。忘れてはいけないことはそのために人は一人きりではないということである。


食事後のヤツデとビャクブは駄菓子屋で買い物をするとスーパー・マーケットでシロガラシとミツバの買い物に付き合うことになった。その際にはなんだか状況は緊張感がないが、チコリーはヤツデとビャクブに対してモクレンが発言した謎めいたセリフについてのミツバの話をした。

ヤツデとビャクブはそれを受けるとその重要性について認めた。しかし、この時点ではヤツデもビャクブもそれがどのように事件に関係してくるのかは全くわからなかった。

ヤツデたちの一行はやがて買い物が終わると帰りの電車を待つことになった。田舎にはありがちなようにして電車は中々来なかったが、ヤツデたちの一行は誰もイライラするようなことはなかった。

待ち時間の前半はビャクブの要望にこたえる形でヤツデが雑学を披露したので、チコリーとユリはそれで時間を潰した。ヤツデの話した雑学とは列車と電車の違いについてである。

とはいっても、話はとても簡単である。なぜなら、両者の違いは列車の定義を説明すればわかるからである。列車とは線路上を走行する全ての車両を指すのである。すなわち、列車は電気で動く電車や機関車に引かれる客車や軽油を燃料とするディーゼル車などを全てひっくるめたものを指している。

ヤツデは待ち時間の後半になると静かに読書をしていた。実はビャクブも割と気は長い方なので、ビャクブは静かに時間を過ごしていた。ビャクブはちなみに釣りをしている時に少し焦れていたが、あれは早く魚が釣れないかなという単純なわくわく感から生じたものだったのである。

チコリーとユリの二人はおしゃべりをしていて楽しげだし、シロガラシとミツバの二人はベンチに腰をかけて待っているのもすでに慣れっこになっていてノー・プロブレムである。

その後は25分くらい待ってやっと電車はやって来た。それにしても、シロガラシとミツバはこういうところに住んでいてさぞかし大変だろうなとビャクブは改めて思いやりのある感想を抱いた。

「ごめんなさいね。ヤツデさんとビャクブさんには荷物持ちなんかしてもらっちゃって」ミツバは乗車しながら声をかけた。現在のヤツデとビャクブは確かにスーパーで買ったものの荷物持ちをしている。

「いいえ。これくらいはなんでもありませんよ」ヤツデはやんわりと否定をした。

「これじゃあ、ヤツデさんはまた『温もりタッチ』の適用になりそうじゃな。時に、ツバキさんの事件の捜査は捗々しく進んでおりますかのう?」シロガラシはミツバの横に腰をかけながら恐縮して聞いた。

「まあ、おれたちはどれだけ真相に近づいているかはわかりませんが、順調には進んでいる方だと思います」ビャクブは答えた。とはいっても、ビャクブはまだ事件に関して暗中模索の状態である。

「そう言えば、ぼくはシロガラシさんにお聞きしておきたいことがあったんです」ヤツデは言った。

「なんでしょう?ヤツデさんはなんでも聞いて下さって構いませんよ」シロガラシは大様である。

「ヨモギさんとヤマガキさんか、もしくはツバキさんとヤマガキさんの間ではひょっとしてなにかのトラブルみたいなことがあったなんてことをご存じではありませんか?」ヤツデは聞いた。

「あれはトラブルと言っていいのかどうかはわかりませんが、元々は亡くなったツバキさんと交際をしていたのはヤマガキさんだったのです。しかし、ヤマガキさんは友人だったヨモギさんに自分の恋人のツバキさんを紹介した途端にツバキさんはヤマガキさんとは交際を断ってヨモギさんと交際するようになったそうです。これはコニャック村ではちょっとした有名な話です」シロガラシは説明をした。

「そうだったんですか。とはいっても、それはけっこう昔の話ですよね?」ビャクブは聞いた。

「ええ。それは確かにそうじゃのう。あれは10年くらい前のお話です」シロガラシは言った。

「それなら、殺人の動機にはなりそうもないな。ヤマガキはさすがに10年も前の色恋沙汰を殺人の犯行動機にするとは思えないからな」ビャクブは思慮深げにして言った。

「それから、ぼくはもう一つお聞きしたかったのですが、モクレンさんからの年賀状はシロガラシさんのお家にも贈られてきていましたか?」ヤツデは話を切り替えることにした。

「ええ。なんというか、わしはモクレンさんから送られてくる年賀状が気に入っておりました。普段は言えないようなことも、手紙は言葉に込められる便利なツールですからのう」シロガラシはしみじみした口調で言った。ヤツデとビャクブはちなみにそれについて言えば同意見である。

「本当にねえ。モクレンさんは実直で几帳面な方だったのにも関わらず、突然の訃報なんて残念なことになってしまってしまいましたよねえ」ミツバはお悔やみを述べた。チコリーはそれを思い出して悲しそうにした。チコリーは生前のモクレンとも会話をしたことがあったのである。

「本当ですね。一度はぜひぼくもモクレンさんとお会いしたかったです。でも、ソテツさんとモクレンさんはそういったピュアな一面があって気の置けない仲だったのかもしれませんね」ヤツデはなんとなくモクレンの性格を想像してソテツとの相性を自分なりに検証した。

「そう言えば、これは全く関係ないことだけど、ヤツデの話はもういいかい?」ビャクブは申し出た。

「うん。今のところ、ぼくからは聞いておきたいことはないからね」ヤツデは快諾をした。

「ヤツデは金魚の写真を色んな人に見せたけど、金魚を見たっていう人は誰もいなかったじゃないか。ということはせっかくソテツさんに金魚の写真を撮らせてもらったのにも関わらず、結局は骨折り損の草臥れ儲けになったんじゃないのかい?」ビャクブは不平不満を申し立てた。

「ふーん。ヤツデさんってそんなことをしていたんだ。でも、ヤツデさんはわざわざ写真を見せなくったって金魚をどこかで見つけていたら、一応は誰だってソテツさんに確認しに行くんじゃないかしら?この村ではだってソテツさんが金魚好きだっていうことは周知の事実なのよ」ユリは嘴を入れた。

「あ、本当だ。ユリちゃんの言うとおりだよ。ヤツデさんはユリちゃんに負けちゃったね。今のヤツデさんはもしかしてスランプなんじゃないの?」チコリーは調子を合わせて聞いた。

「あらあら」ミツバは言った。「ユリとチコリーはあんまりヤツデさんを責めたら、ダメよ」ミツバはやさしい心配りを見せた。これ以上はチコリーとユリがヤツデにダメ出しをしないようにとシロガラシはミツバと同じくちゃんと見張っている。ヤツデはここまでビャクブとチコリーとユリのダメ出しを静かに聞いている。しかし、ヤツデは決して怒っている訳ではないのである。

なぜなら、ヤツデは気のやさしい性格をしているからである。ビャクブはもちろんそれを知っているし、ヤツデとビャクブはそもそも一度もケンカをしたことはないのである。

「骨折り損?スランプ?いやいや。皆は冗談を言っちゃいけないよ。ぼくはだってソテツさんから撮らせてもらった写真のおかげで怪盗の正体がわかったんだよ」ヤツデは言明をした。

「え?そうなの?それじゃあ、怪盗の正体は誰なの?一体」チコリーは聞いた。

「チコリーは聞くだけ無駄だよ。ヤツデは意地悪をして教えてくれないんだよ。それか、実は口だけでヤツデも怪盗の正体なんてわかっていないのかもしれないけど」ビャクブは適当なことを言った。

「ぼくは意地悪をしている訳じゃないんだよ。それに、ぼくには本当にこの人が怪盗なんじゃないかっていう目星もついているよ。でも、もしも、間違っていたら、ぼくは名誉棄損になっちゃうから、今は言わないんだよ。それじゃあ、わかったよ。怪盗の正体はまだ秘密だけど、今朝のぼくは怪盗を捕まえるための作戦があるって言っていたのを覚えている?ぼくはそれを特別に教えてあげるよ」ヤツデは言った。

「ヤツデさんにはどんな作戦があるの?一体」チコリーは興味深そうにして聞いた。

「それは名づけて『驚かせ作戦』だよ。怪盗は今日の午後6時に現れたら、ぼくは名指しをするっていう作戦だよ」ヤツデは楽しそうにして言った。ヤツデは怪盗アスナロよりも自分の方が有利な立場にいると今では確信をしているのである。チコリーは瞳をキラキラさせて感心した様子である。

「どうかしたの?ぼくはなにかまずいことを言っちゃったのかな?」ヤツデは不思議そうにしている。チコリーは喜んでいるが、ビャクブとユリの二人は完全に白けているのである。

「怪盗はそんな子供だましみたいな手でびっくりする訳ないじゃない。怪盗はどうせ名指しをされたって顔を隠していたら、おそらくは無視されるに決まっているわよ」ユリは反論を述べた。

「それに」ビャクブは言った。「怪盗は顔を隠さずに堂々としていたら、ヤツデはどうするんだい?それとも、怪盗はコニャック村の村民だから、顔は必ず隠して現れるのかい?」ビャクブは問い正した。

「うん。怪盗の正体はまず間違いなくこのコニャック村の村民だよ。でも、ぼくの考えた作戦はどうやら役に立たないみたいだね。まあ、ぼくは別にいいんだけどね。ぼくも実はそんな気がしていたから」ヤツデはぶうぶうと言うことなく自分の案を取り下げた。しかし、ヤツデはとかなんとか言いながらも少しがっかりしている様子だったので、ビャクブは手の平を返してヤツデを慰めておいた。

 という訳なので、ヤツデとビャクブとチコリーとユリとシロガラシとミツバの6人の乗った電車はその後もガタンゴトンと走り続けた。車内ではヤツデも元気を取り戻し、ヤツデとビャクブとチコリーとユリとシロガラシとミツバの6人は和やかなムードで帰路に就くことになった。

 車内ではコニャック村はロケーション・ハンティングによって映画の撮影現場になったこともあるという事実がシロガラシの口から聞けることになった。チコリーとユリはその話を知っていたが、初耳のビャクブはそれを受けて少しその映画を見てみたい気持ちになった。

 ただし、ヤツデは会話の輪には入らなかった。それはヤツデが孤独な性格をしているせいもあるが、一番の理由はミツバによるモクレンの話について吟味をしたかったからである。

 その話をまとめると、モクレンはようするにツバキとナズナに対してあまりいい印象を持っていなかったという訳である。その理由はなぜなのか、この事実のピースはコニャック村の事件においてどういう位置づけを持っているのか、ヤツデは電車に揺られながら深く考えた。

 しかし、答えにはさすがのヤツデでも辿り着くことはできなかったので、ヤツデはまだなにかコニャック村の事件を解決する上で重要なピースが欠けているのかもしれないと思った。


ヤツデとビャクブとチコリーとユリとシロガラシとミツバの6人は無事にシロガラシの家に帰って来ることができた。その30分ほど後にはいよいよ6時の直前になった。ヤツデとビャクブは割り当てられた自室で怪盗の出現を待ち構えている。『驚かせ作戦』は没になってしましってもはやヤツデには作戦がない。ヤツデはうっかりと殺人事件について考えてばかりいたので、ヤツデにはどうやって怪盗に対抗するか、考えはないのである。当然というと、これは失礼だが、ビャクブにはもちろん作戦はない。

出たところ勝負によって怪盗を捕まえるか、もしくは顔を見るかのどちらかをすればいいのだから、今回の仕事はちょろいものだとビャクブは内心で思っている。

チコリーとユリはちなみに一階で待機をしている。怪盗は危険人物かもしれないので、チコリーとユリは避難をしているのである。それに、チコリーとユリはシロガラシとミツバと共に一階を見張るという重要な責務を帯びている。だから、今のチコリーとユリは密かに張り切っている。

「ぼくたちはなんとしても怪盗からハム次郎を死守したいね。ハム次郎はだってビャクブがぼくにプレゼントしてくれた大切なぬいぐるみだものね」ヤツデはゆったりと構えて話しかけた。

「ヤツデにはハム次郎にそんなにも深い思い入れがあったなんて知らなかったよ。ヤツデはそんなにも思ってくれていたなんてプレゼントしたおれもうれしいよ」ビャクブは意外そうにしている。

「時刻はちょうど6時になったよ」ヤツデは注意深く掛け時計を見ながら言った。

ヤツデとビャクブの耳にはするとその瞬間に家のチャイムが鳴る音が聞こえた。それから、ミツバはすぐに玄関へと向かう足音が聞こえて来た。ビャクブは不安そうにしている。

「まさかとは思うけど、怪盗は玄関から堂々と登場するんじゃないだろうな?」ビャクブは言った。

「ははは」ヤツデは笑顔になった。「それはとんだお笑い草だよ。もしも、怪盗アスナロはそんな前代未聞の怪盗だったら、ぼくはぜひともお目にかかりたいね」ヤツデは余裕の表情である。

しかし、事態はいよいよ切羽詰まって来たので、ヤツデは意外と内心では焦っている。今度はヤツデがそんなことを言っている内に二階で『ごとっ』という物音が聞こえて来た。

「あ、怪盗はひょっとしてついに現れたんじゃないかな?ぼくたちは行ってみようよ」ヤツデはそう言うと競うようにしてビャクブと一緒に部屋を飛び出して行った。ビャクブは怪盗をとっ捕まえる気が満々である。しかし、ヤツデとビャクブは物音が聞こえた場所まできてみたが、人影は見当たらなかった。

「おかしいね。物音は確かに聞こえたんだけど、あれはなんだったんだろう?」ヤツデは首を傾げた。

「ヤツデはちょっと来てくれないかい?おれはさっきの物音の正体がわかったよ」ビャクブは言った。

ビャクブの指示のとおり、ヤツデはやがて小窓のあたりまで行ってビャクブが開けた窓から外を眺めてみた。しかし、外の景色には特になにも変わりはなく田舎らしい殺風景のままである。

ヤツデはなんの気なしに視線を下に下ろした。シロガラシの家にはするとツデのいる窓に向かって梯子が壁に沿って立てかけられていることが判明した。ヤツデは頭を抱えた。

「しまった!ということはもう盗はここから侵入していたのか!」そう言うが、早いか、ヤツデはまたもや競うようにしてビャクブと一緒に自室へと大急ぎで引き返して行った。

とはいっても、怪盗はさっきの窓から侵入していたなんてことはありえないとビャクブは心中で思っている。それでも、とりあえずはビャクブもヤツデのあとに続いている。怪盗の侵入はなぜあり得ないかというと物音がしてからすぐにあの場所にかけつけたのだから、もしも、怪盗はあの場所から侵入していたのなら、ヤツデとビャクブは怪盗アスナロと必ず出くわしているはずだからである。

「部屋には誰もいないな。ハム次郎は無事かどうかを確認してくれるかい?」ビャクブは入室をするとヤツデに対して聞いた。ヤツデはそう言われるとクローゼットの中を開けてハム次郎の無事を確認することにした。だが、これはまずい事態であるということにはとっくに気づいているので、ヤツデは悪い予感を抱いている。結果は案の定だった。ヤツデの予感は的中していた。

「ダメだ。ハム次郎はいなくなっているよ」ヤツデは絶望的になってしまった。

「本当かい?怪盗アスナロはなんて手際のいい怪盗だろう」ビャクブは非常に驚いた様子である。

つまり、怪盗は一階で家のチャイムを鳴らして注意を反らして二階ではハム次郎から離れたところへと注意を向けさせてまんまとヤツデとビャクブを攪乱させたのである。

しかし、となると、ヤツデは当然のことながら考えられることがあることに気がついた。だから、ヤツデは部屋の窓際に向かってゆっくりと歩み寄って行って窓を開け放すと外を確認し始めた。

「ん?どうしたんだい?」ビャクブはヤツデの動きを目で追いながら聞いた。

「ビャクブはこれを見てよ」ヤツデは言った。ビャクブはそう言われて窓際に歩み寄るとヤツデの指差す方向を確認した。梯子はするとなんとこの部屋の外にも立てかけられていたのである。

「おそらくは玄関で鳴ったチャイムとぼくたちが先に見た梯子はハム次郎を盗む際のフェイクだったんだよ。怪盗は初めから直接にこの部屋に侵入するつもりだったんだよ」ヤツデは断言をした。

「でも、待ってくれよ。普通は梯子を二つも同時に立てかけるのなんて一人では無理じゃないかい?」

「うん。そうだね。つまり、怪盗は二人いたっていうことだね」ヤツデは結論を口にした。

「それで?ヤツデは怪盗が二人いることを予測していたのかい?」ビャクブは聞いた。

「ううん。それは全くの予想外だったよ。それにしても、ぼくはなんてバカなことをしたんだろう。ぼくか、ビャクブのどっちらかは部屋に残っていれば怪盗と鉢合わせできたのにも関わらず、ぼくは気が動転していて今頃になって気づいたよ。それに、梯子を使うことは予想外だったとはいっても、ぼくは窓の鍵を閉めておくんだったよ」ヤツデは後悔の念に苛まれている。ビャクブはヤツデを宥めた。

「まあ、ヤツデはそう自分を責めるものじゃないよ。ヤツデは終わったことにくよくよしていてもしょうがないだろう?それに、おれも気が利かなかったのは同じなんだから」ビャクブは言った。

「なんにしても、ヤツデには怪盗の正体の一人はわかっているんだろう?ハム次郎はまたすぐに取り返せるよ」ビャクブは能天気に言った。ヤツデはそんなビャクブの言葉のおかげで少し心が落ち着いた様子である。しかし、自分はミスだらけだったことには変わりがないから、とりあえず、ヤツデは深く反省をすることにした。チコリーとユリの二人はするとここでバタバタと慌ただしく階段を駆け上がって来てヤツデとビャクブのいる部屋までやって来た。チコリーとユリはヤツデとビャクブの勝利を疑っていない。

「どう?一階には怪盗は現れなかったけど、怪盗は捕まえた?って、怪盗はいないし、ヤツデさんはそのようすだと捕まえられなかったみたいね。それで?ハム次郎はどうなったの?」ユリは聞いた。

「ハム次郎は盗られたよ」ヤツデは悲しげにして答えた。チコリーはそれを受けて残念そうにした。

「そんなー」チコリーは嘆いた。「信じられない。ハム次郎はヤツデさんとビャクブさんの二人がかりでも盗られちゃったの?」チコリーは再確認をした。チコリーは心からがっかりとしている。

「ああ。おれたちのまさかのボーン・ヘッドのせいでな。怪盗には効果的だったかどうかはともかくヤツデが考えた『驚かせ作戦』でさえも全く使う暇はなかったよ」ビャクブは空々しく言った。

「今のヤツデさんはやっぱりスランプの真っただ中だったのね。でも、大丈夫よ。ヤツデさんとビャクブさんなら、私はきっとハム次郎を取り返せると思う。ことわざでは七転び八起きって言うじゃない。ヤツデさんはそんなに落ち込まないで」ユリは慰めの言葉をかけた。ユリはやはり中学生にしてはませた女の子である。ヤツデの性格はとてもナイーブなので、ヤツデは感極まった思いになった。

「どうもありがとう。なんだか、ぼくは目頭が熱くなる思いだよ」ヤツデは目元を拭った。

「え?ちょっと、ヤツデさんはそのくらいで泣かないでよ」ユリは真剣に言った。ヤツデはもうおちゃらけているだけなので、ビャクブとチコリーはそれがわかるとこのやり取りに苦笑をした。

 ヤツデとビャクブに対しては多大な期待を持っていたが、チコリーとユリの二人はそれを裏切られたからと言って失望したり、ヤツデとビャクブの評価を暴落させたりすることはなかった。

 失敗なんてものは誰でもするものなのだから、チコリーとユリは一度や二度の失敗で人を見限るようなことをするほどに度量が狭くないのである。それに、チコリーとユリはトイワホー国の国民なので、二人は子供ながらにして自分に厳しく他人にやさしくという精神がすっかりと身についているのである。

 そもそも、自分の犯した失敗はヤツデとビャクブにしたって心から反省して次に生かすようにと心がけるが、例え、どんなものであっても、他人の失敗は許してあげることができるのである。

また、やってしまったミスは過去のものとして忘れて心機一転するのが一番である。人は100回の挫折をしたのなら、その時はその度に起き上がればただそれだけでいいのである。失敗は成功の元とも言うようにして失敗は人を成長させてくれるので、人は失敗を恐れる必要は全くないのである。


現在のヤツデは夕食をすませると怪盗に敗北したショックから少し立ち直った様子で食卓について好物のカフェ・オレを飲んでいる。大きな食卓のイスにはヤツデの他にもチコリーとユリとビャクブも腰を下ろしている。チコリーとユリはしばらく気を使って怪盗の件を話題にしなかった。しかし、相変わらずと言うべきか、ヤツデはしばらく無口になっている。ヤツデはやはり孤独な性格をしているのである。

今回のヤツデは怪盗の使った手口と現時点でわかっている以外の怪盗の正体について考えている。一方のビャクブはやっぱり切り替えが早いので、怪盗のことなんかは忘れて自分の大学時代の教授の話をしたり、自分は先生みたいなチョークが欲しいというチコリーの話に耳を傾けたりしている。

 ヤツデはやがて大縄跳びみたいにして話の輪の中に飛び込むタイミングを計ることにした。ユリはするとそれに気づいてくれた。そのため、ユリは話の主導権をヤツデに与えてくれた。

「ユリちゃんは気を使ってくれてどうもありがとう。ビャクブはシロガラシさんのお家に怪盗が立てかけて行った梯子の片方が誰のものか、心当たりはある?」ヤツデは聞いた。ヤツデの言うとおり、結局のところ、怪盗は梯子を撤去せずにそのままの状態にして帰って行ってしまったのである。

「さあ?おれには見当もつかないけど『片方』っていうことはヤツデにはその内の一つが誰のものなのかはわかっているっていうことかい?」ビャクブは聞いた。ヤツデは肯定をした。

「うん。一度はたぶんビャクブとユリちゃんとチコリーも目にしているはずだよ」ヤツデは言った。

「え?あの梯子は私も目にしているの?そうなんだ。あ、まさかとは思うけど、あれはおじいちゃんのお家の梯子かなあ?」チコリーは思いつきを口にした。ユリは黙って話を聞いている。

「ううん。それは違うよ。もし、そうなら、シロガラシさんか、ミツバさんは梯子が立てかけられているっていうことを知った時点で自分たちのものだっておっしゃっているはずだからね。そうですよね?」ヤツデはシロガラシに対して聞いた。現在のシロガラシはヤツデとビャクブとチコリーとユリの4人のいる食卓ではなくてリビングの座卓の前に座って上機嫌でジョッキのビールを飲んでつまみの枝豆を食している。シロガラシはビールが好きなので、時にはアトランタ町のビア・ガーデンに足を運ぶことがあるのである。今は手元にないが、シロガラシはビーフ・ジャーキーをつまみにするのも好きなのである。

「ええ。ヤツデさんのおっしゃるとおりです」シロガラシはすぐに答えた。テレビやラジオはついていないので、先程の会話は聞くともなくシロガラシにもしっかりと聞こえていたのである。

「それじゃあ、あの梯子は誰のものかなあ?」チコリーは少し考え込んだ。ユリはするとチコリーからバトン・タッチを受けてチコリーの代わりに記憶を辿って推理を展開した。

「私はヤツデさんと一緒に行った場所はアトランタ動物園とソテツさんの家とヨモギさんの家よね。アトランタ動物園は消去してもいいから、問題はヨモギさんか、もしくはソテツさんの家っていうことになるけど」ユリは言葉を切ってそのまま考え込んでいる。ビャクブはユリの推理に期待をしている。

「あ」ユリはなにかに気づいた。「チコリーはヨモギさんのお家には一緒に行っていないから、梯子の片方はおそらくソテツさんのものね」ユリは自信を持って言った。ヤツデは応じた。

「ユリちゃんはすごいね。ユリちゃんはよくわかったね。そうなんだよ。ぼくはたぶんソテツさんのお家の庭で見た梯子が怪盗に使われたんじゃないかと思うんだよ。怪盗はソテツさんのお家の庭に金魚を盗った時に一度は侵入をしていてそこに梯子があることは知っていただろうからね」ヤツデは言った。

「なるほど。それは大いに考えられるな。となると、もう片方は誰のものが使われたのかな?でも、おれはそれ以前に気になっていることがあるんだけど、怪盗はそもそも盗むものに一貫性がないとは思わないかい?まずはユリちゃんの洋服で次にソテツさんのスイホウガンで最後にヤツデのハム次郎っていう感じだろう?これはなんだい?犯人像はさっぱり掴めないよ。強いて言うなら、犯人は女の子かい?そう考えると、一応の筋は通るけど、そうなると、犯人はヤツデによるとコニャック村の村民なんだから、つまりはチコリーってことになるよな?」ビャクブはそう言うと何気なくチコリーに対して視線を向けた。

「私はゼリーが大好きなんだ。って、犯人は私の訳ないじゃない!」チコリーは乗りつっこみで苦情を申し立てた。現在のチコリーは食後のデザートとしてグレープのゼリーを食べているのである。

「まあ、そうだよな。チコリーは純真な寒天娘だからな」ビャクブはおどけた様子で言った。

「寒天娘っておもしろい。ビャクブさんは命名が上手ね」ユリはくすっと笑った。

「そうだろう?おれは『寒天娘』っていうアイドル・グループがあってもいいくらいだと思うな」ビャクブは一人で悦に入った様子である。ヤツデもおもしろそうにしてビャクブとユリの雑談を聞いている。

「冗談はさておき」ビャクブは言った。「怪盗アスナロは洋服や金魚やぬいぐるみのハム次郎を盗んでなにをしようっていうんだろう?おれはさっきも言ったけど、怪盗の盗むものはてんでバラバラで一貫性がなさ過ぎるとヤツデも思わないかい?」ビャクブは大まじめな質問をした。

「ううん。ぼくはそうは思わないよ。そこには重大なリンクがあるよ。皆はこれも当ててみる?ぼくはヒントを言うとすれば怪盗側の事情だけを考えていたら、答えは出ないよ」ヤツデはクイズ形式で質問をした。ヤツデは訳知り顔である。実際のところ、ヤツデは怪盗アスナロの意図に検討をつけている。

「ようは怪盗側じゃなければ盗まれた人側の立場に立って考えればいいっていうことかい?ユリちゃんとソテツさんとヤツデの三人はどれも大切にしているものが盗まれているよな?だから、なんなんだろう?一体」ビャクブは聞いた。ヤツデはビャクブに対して聞いているのにも関わらず、ビャクブは逆に聞き返している。一応はチコリーとユリも考えを巡らせている。ヤツデは気楽に応じた。

「さすがはビャクブだね。ビャクブはいい線を行っているよ。ビャクブはもうちょっとそれを押し進めて考えれば答えになると思うよ。人は大切なものがなくなるとどんな気持ちになるかな?」

「ええと、人は大切なものがなくなると、普通は悲しい気持ちになるな」ビャクブは答えた。

「ああ。答えはそれだよ」ヤツデは指摘をした。チコリーとユリは不思議そうにしている。

「え?いや。でも、まさか、怪盗アスナロは本当にそんなことをしているのかい?」ビャクブは言い淀んだ。チコリーは未だに混乱をしている。ヤツデはしっかりとあとを続けた。ヤツデは言った。

「そのまさかだよ。怪盗の動機はたぶん皆から大切なものを奪って苦しめることなんだよ」

「そんなー」チコリーは嘆いた。「それってひどい。トイワホー国の国民はいい人ばっかりなのにも関わらず、私には信じられない」チコリーはぷりぷりして言った。しかし、コニャック村ではもっとひどいこと(殺人)が起きているではないかとビャクブは思ったが、とりあえずは当然のことながら口には出さないでおいた。ユリは口を挟むことなく静観をしている。ヤツデはやがて静かに言った。

「なんにしても、ぼくは怪盗を捕まえるための作戦を一つ考えたから、皆は心配しないくてもいいよ」

「今度はまともな作戦なのかしら?」ユリは危惧するようにして聞いた。

「うん。今度はまともだよ。今度は名付けて『待ち伏せ作戦』だよ。それには準備が必要だから、明日の午前中はしばらく外出することにするよ」ヤツデは誰から見ても自信ありげである。それにしても、最初は『驚かせ作戦』だったし、次は『待ち伏せ作戦』とはやはりヤツデは性格が子供っぽいのである。

「そう。それじゃあ、ヤツデさんはもうスランプを脱出したのかしら?でも、ヤツデさんはどっちにしたって立ち直ってくれてよかった。ヤツデさんはこれでもう大丈夫ね」ユリはやさしげに微笑んだ。

「ユリちゃんは心配をしてくれてありがとう。まあ、それより、心配なのはハム次郎がちゃんとエサを貰えるかどうかっていうことだね」ヤツデは他の人たちの反応を窺った。ところが、そのジョークは今一受けなかった。ユリはむしろ寒い思いをしている。チコリーは苦笑をしている。

「コニャック村ではバード・ウォッチングを趣味にされている方はいらっしゃいませんか?」ヤツデはシロガラシの方を向いて何事もなかったかのようにしてすんなりと話題を変えた。

「バード・ウォッチングは確かソテツさんが趣味にしていたと思いますがのう。ええ。わしはそんなことを聞いたことがあります」シロガラシは呼びかけられて慌てて返事をした。

「そうですか。おそらくは教えている習字も趣味の内だろうから、ソテツさんは多趣味なんですね」ヤツデはシロガラシに対して言った。今度のヤツデは元の方向を向いて発言を続けた。

「でも、それなら、ぼくにとってはおあつらえ向きだよ。ぼくは明日に準備を終えたら、ビャクブはソテツさんにも一緒にきてもらってコニャック湖の隣にあった雑木林にバード・ウォッチングをしに行かない?」ヤツデは勧誘をした。ユリはヤツデの変わり身の早さに感心をしている。ビャクブは応じた。

「ああ。おれはもちろん賛成だよ。明日はソテツさんの都合と合致すればいいな」

「あの、今夜は私もヤツデさんとビャクブさんとユリちゃんと一緒に肝試しに行ってもいい?」チコリーはシロガラシに対して聞いた。チコリーはまだアカネもついてくることを知らないのである。

「ああ。そのことじゃが、わしはやっぱり行ってもいいと思っておったのじゃよ」シロガラシは頓着せずに言った。チコリーはすると小躍りせんばかりにして大喜びをした。

「やったー!」チコリーは言った。「ありがとう」チコリーは祖父に対して謝意を表した。

「チコリーはよかったね」ヤツデはチコリーと同じくうれしそうである。

人の幸せを一緒になって喜べるということはとても大事なことである。また、人の不幸を一緒に嘆くことはもちろん言うまでもなく大事なことである。シロガラシは少し改まった口調で言った。

「ヤツデさんとビャクブさんはチコリーをよろしくお願いします。今はもうカシ山の麓には誰も住んでいない家々がいくつかありますが、鍵はかかっていないでしょうから、わしは村長として出入りを許可します。どうぞ。ヤツデさんとビャクブさんは存分に楽しんで行って来て下さい」

「わかりました。ありがとうございます」ビャクブはそう言うと丁寧に会釈をした。

 という訳なので、チコリーは無邪気に喜んでいたが、ビャクブからはアカネも一緒に今夜の探検に参加するのだということを聞くともっと大喜びをすることになった。

アカネはチコリーにとってコニャック村の中で最も接点の少ない相手だが、チコリーにはアカネの性格がいいことはわかっているので、チコリーはアカネともっと親密になれるかもしれないということについて大いに喜んでいるのである。つまり、チコリーはアカネから好印象を受けているのである。トイワホー国の国民なら、普通は誰に対してもとてもフレンドリーだが、それでも、トイワホー国ではご多分に漏れずに人と人とが仲良くなれる機会はとても貴重なものである。そのため、ヤツデとビャクブはその中に殺人犯がいるかもしれないとしてもコニャック村で知り合いが増えたことは喜んでいるのである。


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