EP64 ネフィラの決意
「で、いつやるんだ?」
父の問いに、ハトヤが穏やかに返した。
「ネフィラさんとライカさんがよろしければ、いつでも」
「じゃあ三日後にしましょう。学校も休みだし」
ライカが軽く言い放ち、わたしも無言でうなずいた。
「わかりました。では三日後、マルチポータルタウンの対人練習場前に集合しましょう。ネフィラさんにもご署名いただく書類があるのですが……」
そう言いながらハトヤがカバンを開き――眉をひそめる。
「しまった……ネフィラさん、申し訳ありません。あなたへの契約書を事務所に忘れてきてしまいました。ご同行いただけますか?」
「……はい」
「では失礼します。また、三日後に」
軽く会釈して、ハトヤとともにわたしは実家を出た。
しばらく、無言の道が続く。
空はまだ、夕暮れに染まりきっていない。
風が吹くたび、木々のざわめきが胸の奥をかき乱すようだった。
「……お疲れ様。よく、頑張ったね」
ぽつりと、ハトヤの声が降ってきた。
そして彼の手が、わたしの頭を優しく撫でる。
その瞬間、心の糸がぷつりと切れた。
「……ぅ……ひっく……う、うぁぁあっ……!」
抑えていたものが堰を切ったようにあふれ出し、わたしはその場にしゃがみ込んで泣き崩れた。
痛みも、怒りも、悲しみも――全部。
彼は黙って、そばにいてくれた。
その手の温かさだけで、何度も、何度も救われていた。
事務所に戻ったのは、日がすっかり暮れた後だった。
ソファに座り、温かい飲み物をもらって一息つく。
(……三日後、ライカと戦う)
対人戦には慣れている。ヒデンスター・ノヴァでは、何度も修羅場をくぐってきた。
けれど、今回は違う。
あいつらを目の前にして、冷静でいられるか――。
(でも……負ける気はない)
あの家族がどれほど多くの人間を踏みつけてきたのか。
わたしだけじゃない。家業を支えた従業員たちも、苦しめられていた。
あんな人間たちに代表を名乗る資格なんてない。
「……どうしたの?」
ぼそりと漏れたわたしの言葉に、ハトヤが目を向けた。
「ふふ……いや、その意志があるなら何も心配いらないなって思っただけさ」
「え……?」
「ただ、契約書の件だけは少し気をつけないとね」
「法律的に言えば、あの契約書自体に強制力はそれほどないんだ。もし勝負に勝ったあと、向こうが“やっぱり納得いかない”ってごね始めたら……面倒なことになる」
わたしは目を見開いた。
「え、でも……」
「融資を取りやめたり、別の手で会社を買い取ることもできる。でも、可能なら“争いの芽”は最初から摘んでおきたい」
静かに語るその表情は、どこか遠くを見ていた。
(ハトヤは……そこまで考えて……)
「……そこまで頭が回らなければいいが。まあ、念のための準備だよ」
そう言って彼は立ち上がる。
「ネフィラ。俺はこれから三日間、地球で準備に集中するつもりだ。事務所は自由に使っていい。ゆっくり休んで、戦いに備えて」
「……うん」
「じゃあ、三日後にまたヒデンスター・ノヴァで会おう」
軽く手を振り、ハトヤは事務所を後にした。
残されたわたしは、温もりの余韻が残るカップを握りしめながら――
決意を胸に、静かに目を閉じた。




