EP60 ヒデンスターノヴァとは
ヒデン社最上階にある特別会議室。
その広々とした空間に、今はたった一人の男だけが座っていた。
重厚な窓の外には高層ビルが立ち並ぶが、彼はそれを一瞥することもない。
ただ、机に広げられた数枚の資料を見つめ続けている。
そのとき――
「社長、失礼します」
控えめなノックのあと、会議室の扉が静かに開かれた。
中へと入ってきたのは、白髪交じりのスーツを着た中年の男。社内では“専務”と呼ばれている人物だ。
「……社長、レベル10の最果てに到達した者がいるというのは、本当ですか?」
鋭い眼光で問う専務に対し、男――社長はゆっくりと頷いた。
「ああ、本当だ。だが……状況は変わらない。むしろ悪くなったと言ってもいい……」
社長の前に置かれたモニターには、複数のグラフと数値。
その一つに目を向ければ、ヒデンスターオンラインのプレイヤー数が、年単位で緩やかに減少していることが一目で分かる。
「原因はわかっている。フィルホワイトデーの後、三年以上ゲームのアップデートが行われていない。プレイヤー離れはその結果だ」
専務は声を荒げる。
「ならば、今からでも遅くありません! ゲームアップデートを実行しましょう! 幸い、サーバー管理部には開発部出身の優秀な者も多い。彼らの力を借りれば……!」
だが、社長は小さく首を振った。
「専務……それができないんだ」
「な、なぜですか……? 社長が秘匿しているソースコードを我々が見れば、必ずや活路が――!」
その瞬間、社長の顔に深い影が差す。
「……専務。以前、私は言ったな? 『このゲームは私がすべて作り上げた』と」
「ええ、もちろんです。今でも信じていますよ。本当に……ヒデンスターオンラインは素晴らしいゲームです。開発者として、私は誇りに思っています!」
しかし、社長は苦悩の面持ちで頭を抱えた。
「すまない……。それは……真っ赤な嘘だったんだ」
「……え?」
専務の目が大きく見開かれる。
「全てを話そう。まずは……こちらへ来てくれ」
社長は椅子を立ち、部屋の奥にあるセキュリティ扉の方へと歩き出した。
専務もまた、戸惑いながらもその後を追う。
静寂な会議室の扉が、「ピッ」という認証音とともに開かれ、二人の姿はその奥へと消えていった。
その先には、誰も知らない――
《ヒデンスター・ノヴァ》という存在そのものの真実が、静かに待ち受けていた。
・・・
・・
・
・
――はむまる隊ギルドハウス。
ボスを倒した後、俺は何日か昏睡していたらしい。
目覚めたとき、そこは見慣れたギルドハウスのベッドの上だった。
俺とネフィラをここまで運び、介抱してくれたのは、褐色肌にホワイトブロンドのロングヘアー
――130cmにも満たない小柄な少女、キューイだった。
「キューイ……久しぶりだね」
起き上がった俺が、椅子に座っていた彼女に声をかける。
「おー、ようやく目が覚めたか! 何日も寝とったぞ?」
元気そうな声とは裏腹に、俺の胸には妙な違和感が残っていた。
――彼女に関する記憶が、ついさっきまで完全に消えていたのだ。
「キューイ、俺……君の記憶が、抜け落ちてた。だけど、最果てに触れた瞬間に……全部、戻ってきたんだ」
「ああ、じゃろうな。おぬしが《修練の塔》を奪還したとき、わしと出会い、修行を積んだ。その記憶は、虚空に触れておらぬ者には許されんのじゃ」
「虚空に……触れていない者?」
「そうじゃ。虚空に触れず、わしのいた世界を知ってしまうと――強制的に記憶が消えるようになっておる。詳しい原理はわからん」
なるほど。だからこそ、キューイという存在そのものが俺の意識から抜けていたのか。
だが今回、俺は虚界の門――最果てに到達し、直接触れた。
それが、記憶を取り戻す条件だったのだろう。
「どっちにしても、記憶は消すつもりじゃった。わしの存在が表沙汰になってはならんでな……」
遠い目をするキューイ。その表情から、彼女が抱えてきた使命の重さが伝わってくる。
「キューイ……今、ひとつだけ聞きたいことがある。レベル10の壁の先に進むための条件に“身体の統合”が必要ってあったんだ。あれは、いったい何なんだ……?」
「な……なにぃ!? 統合も済んでおらんのにレベル10まで行ったんか!? おぬし……ようやったのう。ラグがある中、ようぞそこまで!」
「いや、褒めてる場合じゃないって……それ、どうやれば達成できるんだよ」
「統合は……まあ、いずれ嫌でもわかる……だがの、それより――」
キューイは指差した。
「なぜ、奴はギルドハウスの柱の影からジト目で覗いておるのじゃ?」
「えっ……ネフィラ! 目が覚めたんだな!」
そういうとなぜかネフィラは奥に引っ込んでしまった……
「……ハトヤ。勝手ながらお知らせ掲示板を拝見した。“ヒデン社”とかいうところからメッセージがたくさん来ていたぞ。早く確認した方がええじゃろう」
「ヒデン社……? ありがとう、すぐ確認する」
確認してみると、内容はどれも似ていた。
《最果てに到達したと聞いています。必ず二人でヒデン社へお越しください》
「……なんで、最果てに行ったことを知ってるんだ? 誰にも話してないのに……」
しかも、“二人で”という指定。
ネフィラまで対象になっているということか。
だが、ヒデン社は――地球側の組織。
ネフィラは、容易には帰還できない……。
迷っていると、キューイがぽつりと口を開いた。
「ヒデン社というのは……シュミレーターの運営者か?」
「シュミレーター……?」
「む。おぬしはここへ来る前、この世界を模した仮想世界を体験しておらんのか?」
「……それなら確かに、似たようなゲームをやっていた。だけど模した……? ヒデン社はヒデンスター・ノヴァがうちのゲームをパクったと言っていたぞ?」
「ふっ、そんなわけあるか。何のためのシミュレーターだと思っている? ここでの生存率を上げるために、作られとるに決まっておろうが!」
キューイの言葉は冗談のようでいて――それ以上に、核心を突いていた。
まさか……逆だったのか。
ヒデンスター・ノヴァという世界を模して……ヒデンスターオンラインはヒデン社が作ったのか。
しかし……そうなると、フィルホワイトデーより以前にヒデンスター・ノヴァの事を知っていたのか……?
「なんとなく、おぬしらの星の事情も見えてきた。だが、部外者のわしがこれ以上口を出すのは野暮というもんじゃ。まずは、ヒデン社に行くべきじゃろう」
「……ああ、そうだな」
「それと……無事に目覚めたことじゃし、わしは行かねばならんところがある。数日分の遅れを取り戻さねばならんでな」
「そんな……キューイには、まだ聞きたいことがたくさん――!」
「安心せい。すべて終わったら、また戻ってくるわ。それまでに……統合のことも、自分の道も決めておけ」
キューイはウィンクを一つ残すと、ひらりと手を振った。
「借りは……返してもらうつもりじゃからな!」
次の瞬間、その姿は風のように消えた――
俺とネフィラだけが残されたギルドハウスに、しばらく静かな時間が流れた。




