EP54 再び先へ
「……ハトヤ、怒った?」
ネフィラがぽつりとつぶやくように聞いてきた。
「ん? ゴールドスカー側にいたことか? いや、全然気にしてないよ」
そう答えると、ネフィラは少し驚いたような表情を見せた。
「でも……敵だったのに……」
「俺は“実際に見たもの”を重視するんだ。過去がどうであれ、些細なことだ。」
それに、と続ける。
「ネフィラがいなければ、俺はここまで進めなかった。一緒に来てもらわないと困るくらいさ」
ネフィラはまだ申し訳なさそうな表情を崩せずにいた。
「何より、はむまるが懐いている。つまり悪い奴じゃぁ無いってことだ」
そう言うと、俺の肩から“はむまる”がぴょこんと飛び出し、どや顔を披露してくれた。
ネフィラはその様子を見て、思わずふっと笑っていた。
そしてその夜――
夕食を終え、安全地帯に簡易テントを設営していたときだった。
「ハトヤ……簡易テント、一つでいい。一緒に入るほうが……節約できる」
「あ、ああ……確かにそうだけど、結構狭いよ?」
簡易テントの内装はその名のとおり簡素だ。
畳にして二畳程度の空間に、壁から降ろせるシングルベッドがひとつ。
寝ないときはベッドを折りたたんで壁に収納し、床に布団を敷いて眠ることも可能だ。
ネフィラは俺の設置したテントにするりと入り込み、すでに手慣れた様子でベッドを収納し、布団を敷きはじめた。
……なるほど。
簡易テントには耐久度がある。使用回数や環境によって摩耗し、いずれ壊れる。
ここ“逆さの宮殿”では、特に摩耗が激しく、思っていたよりも劣化が早い。
たぶん、ネフィラはそのことを感じ取っていたのだろう。
だからこそ、わざわざ“共有”を提案してくれたに違いない。
「ありがとう。確かに二つ使うより、ずっとコスパはいい。一晩試してみようか」
そう言うと、ネフィラはどこか嬉しそうな顔を見せた。
ただ、ふと気になって念を押す。
「……でも床の布団は俺が使うから。ネフィラは、ベッドで寝てくれ」
「……え……?」
「ベッドを下ろしても、こっちに十分なスペースはある。俺が下で寝るよ」
「……わかった……」
どこか、少し残念そうな表情をしていた。
もしかしたら、下で寝たかったのかもしれないな――などと考えながら、その夜は二人で一つのテントに眠りについた。
――深夜。
「……んぐっ……」
身体に、ずしりとした重みを感じて目を覚ました。
「……ネフィラ……?」
どうやらベッドの上から、寝返りか何かで俺の上に落ちてきてしまったようだった。
そっとどかそうと手を伸ばしたそのとき――
「……すてないで……」
小さな、かすれた声が聞こえた。
ネフィラは、俺の服を握りしめたまま、夢の中でそう呟いていた。
俺はそっと、彼女の頭をなでてから手を外し、音を立てぬようにテントを出た。
“逆さの宮殿”の夜は、まるで夢の中のようだ。
天井にあたる場所が、床のように感じられる。
どちらが上下か、分からなくなる。どこを見ても――満天の星空が広がっていた。
……天力。
それは、レスターが持ち、俺も持っている可能性のある“力”。
だが、レスターと会った記憶はない。
もしそうならば――俺は、別の誰かからそれを授かったということになる。
「……まったく、思い出せないな」
修練の塔奪還からの、あの曖昧な半年間。
その間に、何があった? 誰と会い、何を得た?
どれだけ目を凝らしても、その記憶だけは霧の中だ。
「……この記憶が戻る日は、来るんだろうか……」
空を見上げながら、そんなことをぼんやりと考えていた。
そして気がつけば――俺はそのまま、満天の星の下で、静かにまどろんでいた。
・・・
・・
・
それから十五日が経過した。
俺たちは、夢幻の書庫へと続く隔壁の前に立っていた。
ネフィラの成長は予想以上で、ここまでの道のりはかなり順調なペースだった。
この先に広がるのは、南部レベル6エリア――《夢幻の書庫》。
すでに道中でも説明してあるが、このエリアは特異だ。
安全地帯が限られており、状況次第では十日以上、休む間もなく動き続けなければならないこともある。
「どんな場所でも、大丈夫」
ネフィラは短く、だが力強く答えた。
その言葉に俺は頷き、気を引き締める。
「よし、行こうか」
俺たちは隔壁を越え、次なる深部――夢幻の書庫へと、足を踏み入れた。




