EP39 二つの問題
――地球・夜の路地裏
瞬間的に周囲の空気が変わった。
コンクリートの匂い、遠くを走る車の音、そして人工照明の眩しさ――
それら全てが、ヒデンスター・ノヴァとは違う“現実”の匂いを持っていた。
「……変わってねぇな」
薄暗い路地裏にひとり。人気はない。
すぐにスマートに身を起こし、通りに出る前に周囲を慎重に確認する。
目的はただ一つ。
神器化結晶石の“真の用途”を確認すること。
まずは自分の事務所の様子を――と、遠くから視線を走らせる。
以前のように封鎖されてはいないが、それでも私服の警官と思しき人影が数人。
俺の気配を探っているというよりは、張り込みのような警戒態勢だ。
「……なるほど。大事にはなってないが、油断はできないな」
すぐにこの場を離れ、帽子を深くかぶって顔を隠しつつ、大型家電量販店へと足を向けた。
ネットカフェで静かに調べ物――が理想だが、今は身分証提示が必要な店も多い。
下手に記録を残すわけにはいかない。
――家電量販店・パソコンコーナー
フロアを装うように歩きながら、展示されていたパソコンの前に立つ。
ネットに繋がっていることを確認し、素早くヒデンスターオンラインの公式サイトへ。
「……懐かしいな」
ログイン画面、キャラクターの紹介、そして更新情報。
見慣れたUIに少しだけ心が緩むが、すぐに現実に引き戻される。
最新のアップデートは……課金アイテムの追加。
それから数年分の履歴を遡っていく。
だが、いくら遡っても――ゲームの根幹に関わるシステム更新や新要素は、一切無い。
そして、ふと手が止まった。
「……最後のアップデートが、フィルホワイトデーの少し前……?」
それ以降、3年以上も更新が止まっている。
掲示板や個人ブログ、まとめ記事を見ても、運営への批判と嘆きが溢れていた。
「そりゃそうだろ……こんな大型MMOで、3年放置とか前代未聞だ」
目を細めたそのとき――視界の端に、見覚えのあるワードが飛び込んできた。
――記事タイトル:《ヒデンスター・ノヴァで秩序を乱す者達》
思わず息を呑んだ。
サムネイルに添えられたのは、俺と、ゴールドスカーの姿。
顔までははっきり見えないが、装備や輪郭から明らかに俺とわかる。
しかも、それが公に開示されている。
「……マジかよ」
ヒデンスター・ノヴァが“ただのゲーム”ではない証拠。
地球にまで情報が流出しているという事実。
あの世界が着実に“現実の一部”として機能し始めている……。
警戒心が再び高まり、スマホの画面を素早く閉じた。
情報収集は約10分程度――だが、それで十分だった。
結論としては……
《ヒデンスターオンライン》の神器化結晶石の仕様は変更されていない
《ヒデンスター・ノヴァ》だけが、独自に新たなルールを構築し始めている
つまり、あの石は――
ヒデンスター・ノヴァ独自の仕様になっている可能性が高い。
人気のないベンチに腰を掛け、一瞬だけ深呼吸。
指先に力を込めて、ヒデンキューブを起動――
光に包まれ、世界が反転していく。
――ギルドハウスに帰還
椅子に身体を預け、天井を見上げる。
さっきまでいた“現実”が、まるで夢だったかのように遠く感じる。
「……やっぱり、こっちの空気の方が落ち着くな」
静かに神器化結晶石を手に取る。
元々は《ヒデンスターオンライン》を基に作られた、超次元の世界。
だが今や、オンラインの“影”ではなく、“独自の進化”を始めている。
「仕様変更はいい。進化も歓迎する……が!」
――せめて、お知らせくらい出せ
とにかく今のままでは、決戦前にキューブを神器化するのは不可能。
だが、それがわかっただけでも大きな前進だ。
「……まあいい。今日はもう、少し休むか」
椅子を倒し、ゆっくりと身体を横たえる。
静かなギルドハウスの中、薄い天井を見上げながら、俺は一人、目を閉じた。
・・・
・・
・
――修練の塔・DtEO本部 ギルドマスター室
静かな部屋に、紙をめくる音だけが響いていた。
窓の外では霧が塔の周囲をうっすらと包み、夜の気配を濃くしていく。
ラフリットは椅子に深く腰を掛けながら、無言で犯罪者のリストに目を通していた。
その中には――ゴールドスカーや詳細不明の数名の犯罪者の名が含まれている。
「……500人規模、か」
紙の端を折り、静かに溜め息をつく。
犯罪者の多くは、南部レベル5の隔壁エリアを根城にしている。
そしてその中でも、特に危険な“先鋭集団”が約50名。
彼らは装備も熟練度も、並のプレイヤーとは一線を画す存在だ。
「奴らが……本気で来るつもりなら」
そう呟いたその時、机上の通信端末が振動を始めた。
通信元:ラキル
『ラフリット。バレイ派のメンバーはほぼ揃った。何かあれば、すぐ動ける』
その一言に、ラフリットの口元がわずかに緩んだ。
「それは頼もしいです。……ニナシ様が知れば、きっと嫌な顔をされるでしょうが……今は万全を期すしかない。何かあってからでは、遅いですから」
『そうだな。じゃ、切るぜ』
通信はそれきり、あっさりと途切れた。
ラフリットはしばらくの間、無言で天井を見上げた。
この通信すら、ニナシ側に傍受されている可能性がある。
だからこそ、内容は最小限に。
バレイ率いる元DtEO主戦派の仲間たちが、就任式当日には必ず駆けつけてくれる。
――その事実さえ確認できれば、それでよかった。
「クリーンタイムに就任式を行うのは……確かにリスクが高い」
もしゴールドスカーが本当に動けば、逃げ場のない中で大規模な戦闘になる。
ギルドハウスや塔の中には、関係者も一般プレイヤーも集まる。
混乱は避けられない。大規模な被害も……出るだろう。
けれど。
「……ですが、二つの問題を一気に解決できるのなら」
ゴールドスカーの討伐――そして、DtEOの新体制を、真に支持される形で成立させる。
その両方を達成できるのなら、私は――
「手段を選びません」
ラフリットは、ゆっくりと拳を握り締めた。




