EP36 それぞれの思惑
俺は少しだけ自分自身のことを考えていた。
――俺は、犯罪を犯した者の弁明を聞く気になれない。
理由を聞いたところで、どうせ何も得られない。
何かを背負うわけでもないのに、余計な情報だけが頭の中に残る。
たとえば、沼尾原が金を盗んだのが、実は先に自分の金を盗まれたから、それを取り返しただけだったとしたら?
そんな話を聞いてしまったら……俺はきっと、少なからず同情する。
例え嘘かもしれなくても、手が少しだけ、鈍る。
だから俺は――今、目の前に見えている事実だけを信じるようにしている。
奴は「盗んだ」と言った。それだけで、十分だった。
思えば、かつて修練の塔で狩った犯罪者たちの罪状も、俺は知らなかった。
だけど感情のままにPKしまくった。
だが、それでも――俺は“殺している”わけじゃない。
地球に、元の場所へ“送り返している”だけだ。
これからも同じことを続けていく。きっと何も問題はない。
ふわりと、温かい感触が頬に触れた。
「……はむまるか」
小さな手のひらが、俺の顔を優しく撫でていた。俺もその手を包むように、そっと撫で返す。
「ふ……自己分析というよりは、PKの言い訳でも考えてるのかな、俺は」
なんというか、こういうことを定期的に考えてしまう自分がいる。
だが、悪い気分じゃなかった。
――これもきっと、俺がまだ“ちゃんと人間”である証拠なのだろう。
「……さて、報告でもするか」
そう呟いたそのとき、キューブが微かに振動した。通信の着信。
「ハトヤさん。迅速な対応ありがとうございます!」
通信の向こうで、ラフリットの声が弾んでいた。
「……もう分かったのか?」
「ええ。沼尾原が、店に戻ったみたいです。それで、ジュリアさんからすぐに連絡がありました」
「そうか。これで依頼はクリアだな」
「はい。また詳細が決まり次第、すぐに連絡いたします」
「ああ、わかった」
通信が切れる。静寂が戻った。
砂漠の静けさの中で、ふと疑問が浮かぶ。
(ラフリットは一体……どんな方法で、あのニナシを引きずり出すつもりなんだ?)
空に広がる砂の風とともに、その答えはまだ、見えないままだった。
・・・
・・
・
――数日後。
場所は、地球にあるDtEO(Deportation to Earth Organization)本部。
その最上階、ギルドマスター室。
「ニナシ様、就任式の日程と詳細が決まりました。すでに準備もある程度進めております」
そう言いながら、ラフリットは手に持った資料を丁寧に差し出した。
「お、おお……助かるよ」
緊張と喜びの混じったような表情で、ニナシはそれを受け取る。
ギルドマスターという立場を任されたことで、彼なりに責任と期待を感じているようだった。
「就任式は日本時間で3月1日、22時から開始予定です。最初の三十分間は挨拶や紹介、その後はささやかな宴の場が設けられます」
「3月1日……? その日はダメだ。別の日にしてくれ」
資料に目を通すなり、ニナシは即座に却下した。眉をひそめたその表情は、どこか鋭くもあった。
「それに……なぜ、わざわざ“クリーンタイム”に被せてある?」
ラフリットは一瞬、言葉を選ぶように間を取った。
「……時間については、DtEOの業務終了後に全員が集まりやすい時間を考慮した結果、22時頃が最適かと判断しまして」
「場所は“修練の塔”であり、クリーンタイムでも安全が確保されておりますので、特に問題視はしておりませんでした」
「万が一があるだろう。……日程も時間も、再調整しろ」
「……かしこまりました。一度確認の上、再提案させていただきます」
ラフリットは深く一礼すると、その場を後にした。
廊下へ出た瞬間、彼は小さく息をついた。
(ニナシ……想像以上に慎重な男ですね)
3月1日――あの日付を拒否されること自体は、ラフリットにとって想定内だった。
実際、その日はニナシが深夜にジュリアと接触する約束をしてくれと、ジュリアに依頼していたからである。
本来であれば、そのスケジュールに気を取られるあまり、式の開始時刻――つまり「クリーンタイム」に目が行かないだろうと踏んでいた。
だが、結果はその逆だった。
(クリーンタイムの知識など何も知らないと思っていたが……どうやら、ある程度は把握しているようですね)
冷静な分析と慎重な判断。予想以上に、手強い相手だった。
ラフリットはその足で、すぐにジュリアへ連絡を入れた。
「――あら、ラフリット。うまくいったのかしら?」
通信の向こうから聞こえてきたのは、ジュリアの気だるげで優美な声だった。
「……すいません。日程はともかく、時間についても変更してほしいと、ニナシ様から言われてしまいました」
「ふぅん。なるほど。……ただの馬鹿ってわけじゃないのね。それで? 何をしてほしいのかしら?」
「ええ。就任式を“3月1日22時から”で、予定通り開催するように……ニナシ様の心を誘導していただきたいのです」
「まったく、あいかわらず無茶を言うわね。……高くつくわよ?」
「……承知の上です」
「まぁいいわ。任せてちょうだい。その程度なら電話一本で充分よ。一時間後にまた連絡するわね」
「ありがとうございます」
通信が切れた後、ラフリットは軽く肩を落として深く息を吐いた。
(一時間で……本当に説得できるのだろうか)
それでも彼は、信じるしかなかった。ジュリアという存在が、どれほどの“やり手”かは十分に理解している。
――一時間後。
約束通り、ちょうどぴったりの時間にジュリアから通信が再び入った。
「ジュリアさん! どうでしたか?」
「完璧よ。むしろね、向こうから“3月1日22時にしてくれ”って言い出すと思うわ」
「すごいです……一体どうやって……!」
「ふふ、企業秘密よ」
画面越しのジュリアは、いつものように艶やかに微笑んでいた。
「とにかく、魔法が解ける前に急いでニナシの元へ戻りなさい。今ならすんなり通るわ」
「……そうですね。ジュリアさん、本当にありがとうございました」
通信を切断したラフリットは、その足で急ぎニナシの部屋へと戻った。
「失礼します。ニナシ様、先ほどの時間調整の件ですが――」
言いかけたその瞬間、ニナシの口が先に開いた。
「おお、ラフリット。待っていたぞ。……時間調整は不要だ。むしろ、3月1日22時からで進めてくれ」
「……!」
(すごい……本当にその時間で構わないと、言った)
心の中で驚きを隠せないまま、ラフリットは努めて自然な笑顔で返した。
「……わかりました。早速、準備に取りかかります」
「よろしく頼む」
ニナシは満足げにうなずくと、ラフリットを見送った。
そして彼が部屋を出て数秒後、ニナシは素早くデバイスを操作し、誰かへと通信を繋いだ。
やがて画面に映ったのは、異世界側の熟練の冒険者と思しき壮年の男。
どこか懐かしげな顔で、笑いながら呼びかけてきた。
「おお、ニナシよ! 元気にしておるか?」
「うん、元気にしているよ。ところで、ちょっとお願いがあってさ……」
「ふむ、何でも言ってみなさい」
「3月1日までの間、ラフリットの動向を探ってほしい。もし怪しい点があれば、すぐに知らせてほしいんだ」
「……ほう? 中立で有名なラフリットのことを、疑うのか?」
「そうなんだ。本当に“中立”なのか、念のため確認したいだけだよ」
「……まあ、事情はわからんが、わかった。すぐに準備を進めよう」
ニナシの瞳は静かに細められ、その奥底に、冷たい光が宿っていた。
――少なくとも、彼は「表」と「裏」の両方で、事態を把握しようとしている。




