EP35 ラフリットの依頼
翌日……
──ラフリット達と会議してから、およそ一週間が経過していた。
今日は彼から「相談がある」と連絡が入り、俺はヒデンスター・ノヴァのレベル0草原エリアへと向かっていた。
そこには、古びた小屋が一つ。魔物や他プレイヤーの気配すらない静かな場所で、ラフリットが密談の場としてよく使っているらしい。
視界の先に、その小屋が見えてきた。小屋の前には、椅子に腰かけた二人の人物の姿があった。
俺は小走りで駆け寄る。
「ラフリット! すまない、少し遅れてしまった」
「いえ! 急な呼び立てにもかかわらず、来てくださってありがとうございます
ラフリットの隣に座っていた女性に視線を向けた。見覚えのない顔だった。
「えっと……こちらの方は?」
そう尋ねると、その女性はゆっくりと立ち上がった。
「ジュリアよ。あなたが──ハトヤね?」
「あ、ああ……」
ジュリアは俺を上から下まで、まるで品定めするようにじっと見つめた。
「パッと見は細身だけど、しっかりと筋肉があるわね。顔も悪くないし──合格、ね!」
突然肩を叩かれ、思わず身を引く。
「えっと……どういう意味だ?」
「ジュリアさん、急にそれは……ハトヤさんが混乱してしまいます」
「ふふ、ごめんなさいね」
三人は改めて椅子に腰を下ろした。
「で……ラフリット。お願いってのは、なんだ?」
「ええ、実は──」
ラフリットが話し始めようとすると、ジュリアがそれを制して口を開く。
「ある男をPKしてほしいの」
「PK……それが、ラフリットの頼みか?」
「ええ。間接的にはなりますが、私のお願いでもあります」
俺は少し目を細めて、二人を見た。
「PK自体に抵抗はない。ただし、理由次第では断らせてもらう」
「ええ。そうおっしゃるのも無理ありません」
ラフリットとはまだ深い仲ではないが、彼が理由もなくこんなことを俺に頼んでくるとは思えない。
それに──何か、ジュリアの前では話しにくい事情があるのだろう。
(つまり、ラフリットはジュリアに何かを頼み、その報酬としてこの依頼を……)
「察するに、これはジュリアに何かをお願いして──その報酬として、PKが必要になった……そんなところか?」
「へぇ、話が早いのね」
ジュリアが満足げに笑う。
「で、ラフリットは一体何を頼んだんだ?」
「ええ……お願いしたのは、約三週間後の深夜1時に、“ニナシ”と会う約束をしてほしい、という内容です」
ニナシ……なるほど。ならば、これはニナシをヒデンスター・ノヴァに誘い出す前準備ってわけか。
「……まぁ、わかった。で、誰をPKすればいい?」
「さすが“無差別PKさん”。二つ返事でOKなのね。理由とかは聞かないのかしら?」
ジュリアはくすっと笑う。
「理由を聞いたところで、やることは変わらない。俺はもう地球に戻れない。PKすれば、その相手とは二度と会うこともない。興味もないさ」
「頼もしいわね。じゃあ──詳細を伝えるわ」
ジュリアが静かに語り始めた内容を聞きながら、俺はすでに頭の中で戦いの準備を始めていた。
・・・
・・
・
北部レベル3エリア・黄砂の荒野――
乾いた空気が肌に刺さる。ここは強風が吹き荒れる過酷な砂漠地帯。
舞い上がる砂粒が視界を覆い、時折発生する砂嵐がすべてを飲み込む。
「こんな場所に潜んでいたとはな……。だが、この環境、隠れるには悪くない」
視界の先を見据えながら、俺はブーツを砂にめり込ませるように歩を進めていた。
――ブブブ……。
耳の奥に響く、羽虫のような羽音。瞬間、砂地を突き破るように何かが飛び出した。
「出たな……サンドビートル」
体長は優に三メートルを超える。硬質な殻に包まれたクワガタを思わせるその魔物は、一直線に俺へと襲いかかってくる。
だが――避けるまでもない。
俺はその突撃を正面から受け止め、右手に握った【S5 リファクション・ブレイド】を逆手に構え、そのまま突き刺した。
――ガギンッ!
一閃。魔物は一撃で沈黙し、砂上に崩れ落ちた。
「防具は既に一部レベル6。レベル3の魔物ごときじゃ、傷一つつけられねぇな」
見た目と勢いだけは一人前だが、このエリアの敵はすでに脅威になり得ない。
その後も、時折現れるサンドビートルや砂蜥蜴を片手であしらいながら、砂丘を進んでいく。
「……ここか」
砂嵐を越えた先に、岩肌がむき出しになった自然の洞窟が口を開けていた。
「ジュリアの言っていた拠点……あれだな」
周囲に気配はない。俺は慎重に足を踏み入れ、洞窟の中へと進んだ。
内部には松明が等間隔に設置されており、明らかに人の手が入った形跡が残されている。
(このまま進めば……沼尾原がいるかもしれない)
道なりに進んでいくと、岩でできた足場が終わり、足元が柔らかい砂へと変わる。
その先には、まるで砂浜のような開けた地形が広がっていた。
中心には大きな湖が横たわり、その静寂が周囲と対照的に不気味さを演出していた。
そして――湖のほとり。
そこには木材で組まれた簡素な小屋が一つ、ひっそりと佇んでいた。
「……あそこか。奴は、あそこに潜んでいるのか……」
俺はリファクション・ブレイドの柄を少し握り直し、風に吹かれながら、無言で湖のほとりへと歩みを進めた。
その瞬間だった。
「インフェルノスピアッ!」
声と同時に、灼熱の槍が唸りを上げてこちらへと飛んできた。
反射的に、俺は【リープ】を発動。空間にキューブを放ち、ほんのわずか横へ瞬間移動する。
着弾と同時に砂が爆ぜ、灼熱の炎が風とともに広がった。
「……インフェルノスピア。赤色のキューブか」
前方を見据えると、燃え立つ砂煙の向こうに一人の男の姿があった。
「くそ! くそっ! 俺の平穏を邪魔しやがって!」
逆光の中、怒りと混乱に満ちた叫びを上げながら、男が立っていた。
その手には、赤色に輝くキューブが握られている。
「ラキル以外にも……赤色のキューブがいたのか」
特徴は聞いていた沼尾原と一致しているな。
「お前、店の金を盗んだんだろ?」
「ああ、盗んださ! でも、あいつらが悪いんだ……! あいつらが俺を追い詰めたんだ……!」
言い訳がましい言葉が虚空に消える。
「もうしゃべるな。正直、どうでもいい。さっさとPKさせてもらうぞ」
そう言いながら、俺は右手に握る武器を構える。
だがそれは【リファクション・ブレイド】ではない。対人戦を見越して、今は【S0 迅雷刀】を装備している。
(リファクションで一撃粉砕でもいいが……ちょうどいい。対人戦の練習に付き合ってもらおう)
「俺は全身レベル4の装備だ! お前も他のやつらと同じようにぶっ殺してやる!」
そう叫びながら、沼尾原は左手のキューブを前方に放り投げる。
「フレイムバーストッ!!」
赤いキューブが空中で点滅し、爆裂する火球が放たれた。
――だが、それも無意味。
俺は【ディスラプションカット】を発動。
刀を抜いたような一閃が空間を走り、放たれた火球ごとスキルの“中間”を抹消する。火球は何もなかったかのように霧散した。
「なっ……!?」
沼尾原が明らかに狼狽する。だが、それでも必死に剣を振りかざしながら突っ込んでくる。
「当たれよ! インフェルノスピアッ!!」
再度放たれる炎槍。しかし俺は再び【リープ】で空間を斜めに抜け、スライド回避。
その間も、奴は剣を乱打し、火球を次々に放つが……すべて空を切るか、ディスラプションで無効化される。
「なんで……! なんで当たらねえんだよっ!!」
焦燥と怒りが混ざり合った叫び声。だが、俺の表情は変わらない。
(……これは。何の練習にもならないな)
心の中で、そう呟いた。
――キューブを握る。
【ゼロフラクチャー】、発動。
俺はキューブを砂地に叩きつけた。
空間に見えざる“裂け目”が広がり、沼尾原の動きが“始まり”と“終わり”に断絶される。
遅延された動作の間、刀を構えたまま、俺は彼の側面に回り込む。
そして複数回一閃を放つ。
迅雷刀が空気を裂き、時間差で襲った“終わり”のダメージが一気に解き放たれる。
――その体は一拍の遅れで、切り刻まれ粒子となった。
静寂。
俺は刀を納め、その場に腰を下ろした。砂の感触が服越しに伝わる。




