8 新しい街へ
その頃。
リッカと国王の命により、テイは五人の兵とマートンを連れて、再び最果ての新規領予定地に向かっていた。手にはリッカのリッカの託した種がある。
「マートン、この辺りかな」
「街道予定地から目視できるともっといいですけど、あの林は微妙にケランドの国境に被ってしまいますね」
「木を切るのは駄目だろうか」
「なんにせよ人手が無いですね。ここに植え、後で魔女様に進言いたしましょう」
雑な測量の地図を手に、マートンが地面を指す。林の向こうではケランドからの避難民が列をなして当てもない移動をしていた。
兵の一人がシャベルで土を掘り返し、マートンが恭しく種を落とし、土を盛った上から魔女から持たされた水を垂らした。しばしの後、盛られたばかりの痩せた土から双葉が顔を出した。二つ呼吸をするあいだに双葉は落ち、幹が色を変え、マートンの背を越えて木が生った。
「何度見ても不思議だ」
「だなぁ」
あっという間に木は青青と葉を茂らせ、黄金色の実が生った。かぐわしい香りは心を恍惚とさせ、思わずもいでかじり付きたくなる。
マートンとテイが、王子のために王宮の中庭に木を生やすというリッカに呼ばれたのはつい十日ほど前である。リッカは魔女の鞄から胡桃ほどの大きさの種を取りだし、それを土に落としたと思った次の瞬間には黄金の果実を収穫していた。
テイとマートンはリッカに「立て札を作らないと大変な事になる」と云われて、そのあいだは木の警護をしていた。リッカはその果実から薬を作って王子の病をあっという間に回復させ、国王からテイ達には想像も及ばない対価をとりつけたらしい。
現在の木を生やす「お使い」はリッカの指名で、テイとマートンはありがたく拝命した。
「札の取り付け終わりました、隊長」
「よし、第一任務完了だ。これより我らは魔女の街ガンダリアとなる任地に向かう」
「はっ」
一同はアンダリアへの目印となる立て札を時折立て、岩場では岩を削って仮の案内板としながら進んだ。魔女の実は魔女がもがねば食べられぬ。テイは荒れ地に一定間隔で、何かもよくわからぬ種を落とした。どれもこれも、例え落とされた場所が岩石であろうとも根を生やし、赤や黄色、桃色、中には群青の果実が生った。
"日が昇って沈む間に ひとつだけ食べてよい"
リッカの用意させた札にはそう書かれていた。ひとつしか食べられぬが、道を進めば次の果実が生っている。難民たちも、飢えと渇きを凌ぎながらすすめるでしょう、とマートンは好奇心抑え切れぬ顔で群青色の楕円形をした果実に歯を立てた。果実は味は大味だが、酒用の葡萄を大きくしたような食べ応えだった。
「酒が造れるでしょうね、これ」
「うむ。果樹園に醸造所が作れるな。人も雇えるし、収穫にも人手が必要だ。先にいくつか産業を作ると事も無げに云われたが、俺たちでは到底無理だな」
「魔女の成す不思議には常識は通用しませんからね。思い知りましたよ。どうしてこんな力を持つ魔女が隠遁生活を長くしていたのか疑問でしたが、理解できました。彼女たちは人の世の営みなんて、いともたやすく変えてしまうんだ」
「だからこその対価だろうな。なぁおまえ、お前は魔女の居た村の出だと云っていたな。その魔女はどんな願いと対価を引き替えに暮らしてたんだ?」
テイが話しかけたのは、小隊派遣に伴い加わった新人のテイより一つ年下のロッドという男だ。ロッドは東の山岳地帯の麓にある極貧しい村の出だった。しかしそこには魔女が住んでいて、村はなんとか餓死者も出さずに暮らせていたという。
「うちの村に居たのはナナルアという見た目は二十歳くらいの魔女でしたが、婆さんが子供の頃から見た目が変わってないっていってたんで、まぁ、村の男も敬意をもって接してました。ナナルアは水脈を見つけるのが得意な魔女で、カラッカラの土の上をこう、つま先でちょこちょこっと歩くんです」
ロッドが腕を広げ、つま先立ちで体を揺らしながら歩いてみせた。二十歳の女性ではなく中年の男のつま先スキップ歩行に皆吹き出す。
「笑うなよ。で、水を見つけたら今度は踵で三回地面を蹴る。そうしたら、なんでか水がじわーっと出てくるんですよ。そこをすかさず掘り返して、臨時の貯水池にするんです。池は一日で枯れるときもあるし、一夏保ったこともありました。村の土地は婆さんが子供の時にはとっくに干からびてて、ナナルアが居ないと水も飲めないし畑も作れないし、とにかく全てがナナルア頼りの村だったもんで、子供心にもナナルアが居なくなったら俺らも生きていけない事はわかってたし、親も口を酸っぱくして子供に教えたもんです」
しかしある日、何十年も村からの干ばつの訴えを無視していた役人たちがやってきて、その年滅多にないほど水を蓄えた大きな貯水池を見つけ、こう告げた。
「これほど大きな池があるというのに収穫量をごまかしていたなって、阿呆どもが村長を殴って縛り上げて、魔女様に水を貰ったんだっていくら訴えても聞きやしねぇ。仕方ないからナナルアを呼んで、この魔女様に水を貰ったんだって大人たちが役人に云ったんだ。役人はたぶん、今の俺らくらいの歳で魔女を知らなかったんだと思う。いきなりナナルアの顔を殴って、妄言をかたるものは死罪だって怒り出した」
悲鳴をあげたのは村の大人たちだった。魔女を害した対価は、契約の輪からはずれている。すなわち何が起こるかわからないからだ。
「あの光景は忘れられないですよ。ナナルアを殴ったやつの腕がみるみる萎れてって、骨の形した棒きれが肩から下でぶらぶら揺れてるんです。大人があんな悲鳴をあげるのをおれは初めて聞きましたね。
ナナルアはそいつらに向かって『四度日が昇るのを見る前に水を飲めば死ぬ。この村の水を飲めば即座に命を落とす』って告げたんです。兵隊やってりゃわかると思うんですけど、水なしで生きるにゃ三日でギリギリ、四日目は体力と運。その年は元々日照りがひどくて水があったのは村とそいつらが通ってきた大きな宿場だけだったって大人たちが話してんのを聞きました。今も俺の出身村がお咎めなしで存在してるのも多分、そいつらが全員死んだからだと思います」
魔女を害すことの恐ろしさを知らなかった隊員は「だから魔女を怒らせるなっていうのか」と顔を青くした。
「結局そのナナルア殿と村の交わした対価ってなんだったんだ?」
「それはですね、村に水を与える代わりに魔女の薬草の世話をする、魔女の身の回りの世話をする女をひとりつける、ってのだけだったみたいです。魔女はあまり飯を食わないらしくて、ナナルアが食事をするのを見たことのある奴はその小間使いの女だけでした。それもナナルアが植えた果物や、小瓶に入った金色の飲み物しか口にしないらしくて、失礼ながら魔女は厠に行くのか、ってのが子供の間で賭になってました」
「そりゃ失礼な」
「もちろん母親にゲンコツ貰いましたよ」
「ナナルア殿は、静かに暮らしたかったのか」
「そうみたいです。長くひとところに落ち着いて暮らして、薬草で何か研究をして、よくわからない薬を作っていました。村には医者もいなかったから、ナナルアの薬が命綱で実際何人も命を救われました。対価が釣り合わないと大人たちは肉や野菜を届けましたが、全部は食べられないからって結局子供らが呼ばれて晩飯のご相伴にあずかったりね」
「ナナルア殿は今も村に?」
「いや。何年か前にとうとう水脈も尽きるようだ、ってナナルアが言いましてね。村ごと移住の準備をしてたとこに戦争ですよ。ここに来る前に親に手紙を出して呼んでます。ナナルアも来てくれればいいけどね」
魔女の街を作るために集められた小部隊は、進むにつれて多くの魔女の不思議を体感し、ロッドの話が嘘だと言い出すものは皆無だった。
休憩を終え、驢馬と馬にリッカから指示された種と麻袋を山と積んだ荷車を引かせながら魔女と進んだ道をなぞる。この驢馬も馬も、魔女の寄越した果実を食わせたら、痩せた体に力を漲らせて嘶いた。
「魔女様、どんな街を作るのかな」
「やっぱり魔女だらけになるとか」
「そりゃ凄い。不思議を見慣れちまってありがたみがなくなるぞ」
「阿呆もたくさん出てくるな、治安維持が大変だ」
「でもよ、楽しみじゃないか?」
「違いない」
テイもマートンも皆、不安よりも期待が勝っていた。疲弊した国と民を救う、不毛の街に出来る魔女の街。
まるで、おとぎ話の序章のようだった。
法務長官チェン・ホンユンは困惑の極みにあったが、裁判官でもある己の感情に蓋をするのは職業病でもある。目の前で行われる"授業"の内容は、チェンの生きてきた法が芯にありはするが、おおいに揺らがす可能性の高いものである。
「シンジー殿下は男で、メイラン姫殿下は女ですね」
あたりまえの事を話し出すのは、年の頃十六、七の娘である。しかしながら藍銀の髪をさらりと揺らす彼女は魔女であり、王命により「魔女の作る法を記録し、新領の法とすること。どうしても人の倫理に悖ると考えることがあれば進言せよ」とこの場に書記官と新領執務官であるアルザ・ボエラと同席している。
新領の首都予定である街が完成した暁には、メイラン王女殿下を領主にするという。これは魔女リッカの提案であり、王がそれをすでに飲んでしまっているのでこの場で反対の声をあげるのは不敬であった。
領主は伝統的、慣例でいえば男性であるべきだ、というのがこの国の考え方である。女性は男性を支える存在であり、チェンもその考え方で六十年の年月を生きてきた。
リッカは「メイラン姫に伝えるのに二度手間なので」とシンジー王太子も同席させ、法を書き換えるというたいそれたことをお茶を片手に初めてしまった。
チェンも長く生き、数々の裁判で魔女が絡むこともあった。だが魔女は常に法の外にあり、対価はさらにその外にある。魔女の不思議はおそろしく、その存在は未だ理解しがたく、まさに今も、理解の外である。
「例えばメイラン王女殿下が王になりたいと思ったとします。人々はどう言いますか?」
「駄目っていうわ」
「それは何故?」
「私は女だもの」
「ではなぜ女が王になってはいけないかご存じです?」
「……なぜかしら」
「何故ですか魔女様」
先日まで床から起きあがれもしなかったシンジー王太子が薔薇色の頬で魔女に問う。聞けば魔女は黄金の薬を王子に飲ませ、その日にはもう王子は一人で食事がとれたという。信じられぬが、目の前で健勝なシンジーを見れば嘘だと糾弾するわけもいかぬ。
チェンもアルザも、王太子と王女の会話に割り込むことも出来ず、魔女の問いを考えた。だが、そういうものだという考えは固く根付いている故に、王女に対して「女は男よりも理性的でなく、勉学も足りぬ」と王女に云えるはずもなく、「前例がない」という駆け出しの法務官が使うお決まりの反論しか浮かばない。
「この大陸の歴史はご存じですか両殿下」
「はい魔女様、勉強しています」
「ではとても古い所から話しましょう。まず統制のとれていない集団で同数の男女がいれば、どちらが実権を先に握りますか」
「男性です。力が強いから」
「そうですね。まず力で女性に言うことを聞かせます。女性も渋々従います。そういった集団が増え、全体としての考えが女性が従うべき、となります。もう少し文明が進み、法が出来ます。法は誰が作りましたか?」
「名前はわかりませんが、男性だと思います」
「その通り。男性が法を作り、一人が王様になりました。勿論男性です。その次の王様も次の王様も男性です。シンジー殿下も男性なので、王様になるのはシンジー殿下だと皆思っています。しかし同日に生まれたメイラン王女殿下はシンジー殿下より勉強も出来ず、性格も悪く、王になれる資質はゼロだと思いますか?」
「まさか!」
あまりの不敬にチェンが立ち上がる前に、シンジーが否定した。
「メイランは僕より賢いし、馬に乗るのも踊るのも上手だ」
「それは素晴らしいことです。メイラン姫、もしあなたが王になるのだとすれば、立派に国を治めることができますか?」
「……考えた事無かったけど、きっと出来るわ。シンジーが助けてくれるもの。私は王になったシンジーを助けると思ってたけど、逆でも良いってことですよね?」
「ええ」
チェンは青ざめ、唇を震わせた。この魔女は今、国の根底を覆そうとしている。それは既に動き出している。
「ですので、まず小さな場所からその思いこみを取り除きたいのです。新領の領主はメイラン王女殿下が良いと云ったのはそのためです。大人の男性では駄目です。だってつい最近大人の男性が勝手に戦争をはじめて勝手に死んで、勝手に国を貧しくしたでしょう? それは男性だけで勝手に決めちゃうからだと思うんです。だからシンジー殿下ではこの計画は進まなかったのです」
「そっかぁ。僕、魔女様に選ばれなかったからちょっと残念だったけど、それなら僕じゃ駄目だね。メイラン、応援するよ。だって僕、メイラン大好きだし、絶対に楽しそうだし」
魔女に領主に指名されず拗ねていたらしいシンジーが機嫌を直し、メイランは元々大きな瞳を輝かせた。
「魔女様、わたしは何をすればいいのです?」
「とても簡単なことです。今まで通りお勉強をし、元気にお過ごしいただければ、そのうちに私が環境を整えます。そうしたらメイランさまは、これまで女だからとなれなかったものの全てになれますよ」
「まぁ! でしたら、騎士にも文官にも法務官にも!?」
「なれます」
メイランがリッカに抱きつき、無限の可能性に顔を輝かせているのとは対照的に、チェンもアルザも言葉を失っていた。
「お、おそれながら魔女様、それは国の根幹が揺らぎまする」
「あら、今が揺らいでないと仰るの?」
心底不思議そうに、リッカは首を傾げた。
国が戦争を始めるとき、いや、王と有力貴族たちが侵略を始めようとしたとき、チェン・ホンユンは口を閉じていた。逆らえば、強制的に喋れなくなるからだ。アルザ・ボエラも口を閉じた。家族の首までが飛ぶからだ。
「ほんの一文を書き足すだけなのに、そんなにも恐ろしい事かしら。しかも新領だけのことで、貴方たちの暮らしに何の変化もないでしょう。さ、間違いなく記録して下さいな。それから、妨害したものには厳罰を与えましょう。最初は強く示さないと駄目ですものね。そうね……『故意に妨害、その幇助をした場合、氏名を公開し、禁固一年の刑』で」
「それは、あまりに重すぎます。禁固一年とは、強盗殺人を犯した者が立つと座るしかできぬ牢に入れられ、ほとんどの者が出てくることの出来ぬ刑罰ですぞ」
「重すぎるとは、驚きです。そもそも妨害などする人間性を持つものが矯正されていいじゃないですか。チェン法務長官、これはお話し合いでなく、決定事項です。初めのうちは多くの人が必ず邪魔をしますし、私を憎む者も出ます。今までの価値観を塗り替えようとするものを攻撃するのは、人間の歴史で繰り返されて来ました。だから最初の防波堤は必要なんです。ご心配なさらず、私は魔女ですから」
少女の顔をした大魔女の美しい唇が弧を描く。魔女の心配などしていない。心配なのは、己の立場だった。
「"全ての公的機関、学院、公職は現採用基準である性別の制限を撤廃する"。とても簡単でわかりやすいですよね? 国の法ではなく、新領の法です。街が出来上がる前に素早く周知しなくてはなりませんから、それも徹底してください」
「リッカ様、とても素晴らしいです。これで今までどれだけ才があってもできなかった仕事を女性が出来るのですね」
「そうです。そんな女性は皆新領に来るでしょう」
リッカはぱちんと手のひらを鳴らし、さらにとんでも無い焙烙玉を投げ込んだ。
「そうそう、予定では魔女が百人は来る予定ですから、魔女のための法も作らなくては。魔女は縛るものがなければ私も含めて、人の言い方をすれば無法者ですから。魔女と魔女でない人間に決めごとの触れを出しましょうね。ボエラさん、記録をお願いします」
アルザ・ボエラは冷や汗を滴らせながら、ペンをとった。新領『ガンダリア』の法は、国法と殆ど相違ない。違うのは公職の採用基準と、魔女のためのもの。『魔女との対価の取り交わしは、法の枠に収まらない。契約者同士で解決すること』の二つが大きなもので、細々としたものは新領の法務官が揃ってからの公布となる。
リッカは涼しい顔で立ち上がり、会の解散を告げた。
「さ、ちゃちゃっと街を作りましょう。そろそろ街の外に魔女たちが集まりすぎて混沌とする頃ですから、暇な彼女たちに声をかければ街の一つや二つ、あっという間に完成しますから。出発は明日です。メイラン様はお家が出来てからの移動ですから、ここでもう少しお待ちくださいね」
「楽しみにしてますね!」
軽い足取りの王子と姫、そして大魔女の後ろから、足に重りをつけたような老人二人がよろよろと退出した。
魔女の街ガンダリアに、王が指名した執政官や兵、多くの女性仕官希望者の馬車群が到着したのは、その半月の後である。




