7 魔女の実
王都予算編纂部は、にわかに年末と戴冠式と結婚式とパレードと大災害が同時に押し寄せたような忙しさだった。押し寄せる嘆願書に要望書、逼迫した締め切りの予算給付決定書が嵐のように机の間を縫っている。細々とした計算をしているのは平民の男性職員と、下級貴族で教育を受けることの出来た女性だ。平民の女性は一人もいない。
押し寄せる書類の上に乗っていた触れ書きを発見したのは、下級貴族のゼンニャ・フルノラだった。
「……わたくし、少々用が出来ました。少しばかり席を外しますわ」
この忙しい時に、と誰かが文句を言う暇もなく、ゼンニャはあっという間に姿を消した。舞い落ちる触れ書きを拾ったのは、小間使いのように部屋の中を忙しく往復していた三十路の平民男性。
「わ、私も、ちょっと」
普段は自分の意見も言うことがなく、頭を下げるのが仕事のような男がどもりながらも毅然とした態度で出て行ったのを見て、職員達はそれに群がった。
新規領発足のため、職員、教員、及び管理官を募集する。試験あり。勤務地は新領。
希望者は中央塔近衛待機室の前に申込書と受付箱を置いてあるので、そこに投函すること。
なお、応募条件に身分、性別、四肢の健康を問わない。
最終的な採用は魔女が行う。
簡素な文章は、そっけなくも夢が詰まっていた。
国の中枢で働くには、まず貴族でなければ上位官職に就くのは不可能である。予算編纂部も、勤続三十五年の伯爵家の次男が長を務めていたが、あえなく斬首となった彼の後釜は、計画書を見てもいまいちわかっていない顔で「いいんじゃない?」としか云わないふくよかな腹の中年男である。事務処理能力も差配能力もないくせに、処理システムを変えようとすると「今まで通りで何が悪いんだ、楽をしようとするな」と豚のような言葉を喋る豚である……とはゼンニャの心の声ではあったが、職員一同それに賛同している。
「絶対、いくんだから」
歩きにくく足の痛いヒールをコツコツ鳴らしながら、ゼンニャは廊下をはしたなくない程度に走った。このままでは一生、無能男の下で足し算引き算の子供でも出来る仕事しかできない。予算の振り分けに意見を言ったり、仕事の仕方を変えるよう進言しても「女がここで働けるだけで光栄なことじゃないか、なぜそういつも出しゃばりたがるのだ」と方向が明後日の苦言を呈されるだけだ。オールドミスと陰で馬鹿にされているのも知っているが、それもこれも勝手に戦争に加担して斬首にされた顔も見たこともない婚約者が愚かだっただけで、ゼンニャに一ミリたりとも非は無いのだ。
「新規領職員の申込書を! くださいまし!」
ゼンニャのあまりの剣幕に、申込書配布を命じられた近衛が思わず剣に手をかけそうになったが、近衛騎士の威厳を持って、恭しく手渡した。
ゼンニャはそれを大事に胸に抱き、職場には戻らなかった。
なぜ職員募集の応募に近衛が関わるのか疑問に思いながらも、問える場所が無い故に誰も問えない。
センフレドは近衛から手渡された応募用紙の束をめくりながら小さく笑みを浮かべた。
「まだ街も出来ていないのに、大人気だな」
「は。魔女様に皆期待されているようで」
「それだけではなかろう。皆この国に膿んでいるのさ。少しでも新しい風にあたりたいのだ」
侍従カルーザは幼い頃にこの国に捨て置かれ、幸運中の幸運で異国人を差別しない孤児院に拾われて教育を受け、その能力の高さに孤児院を支援していた貴族に拾われ、いま、この国の王の隣に立っている。既に王では無くなったが、彼の云いたいことは誰よりも理解していた。すこしだけ、カルーザの胸も期待にざわめいている。
「魔女様は、いま城の外庭に果実の生る木を植えるのだとメイラン様といかれました」
「ほう、メイランと」
「ええ」
親の顔になったセンフレドが立ち上がり、城の外を見下ろす。そこには、シンジーの陰に隠れて続けていた姫が、魔女と手を繋いで歩いていた。
リッカが対価の取り決めをなした時、メイランを表に出すことが含まれていた。王族の姫は政治をせず、ただ誰かの妻になることだけが許された価値だった。それをリッカは「非効率的です」と言い捨てた。
「魔女はもちろん女ですから、女に肩入れをするとお思いでしょうけど、男だけに舵を取らせるから国王が斬首されるような愚かな戦いを起こすのです。過去女が主導の戦が皆無であったとは云いませんけど、男が始めた戦の小さじ分ほどでしょう。街の代表にはメイラン王女の名前を冠します」
「前例がないと騒がれるのが目に浮かぶね」
「これが前例になりますね」
ふふふ、とリッカは年相応の笑顔でメイランへの面会を求め、メイランは弟を救った魔女をあっという間に信奉した。これが悪い魔女ならば、既に国は乗っ取られているところだ。
「メイラン様、新しい街に行ってみたい、住んでみたいと思わせるには何が必要だと思います?」
「うーん……暮らすには、まずお金が必要ね」
「そうですね」
「お金は、働かないと貰えないのでしょう? でしたら、お仕事が必要だわ」
「それも正解です」
「でも、新しい土地なら、自分のお家がないから、眠る場所もないといけないわ」
「英明なり王女殿下。では新しい土地にいけば、家も仕事も用意され、すぐにお腹いっぱいに食べられるとしたら?」
「素晴らしいわ! すぐに行きたいと思うわ!」
シンジーと双子のメイランは、そのやわらかな髪をふわふわと靡かせてリッカの前にまわって飛び跳ねたが、はしたないと思ったのかはっとしてスカートを抑えて大人しくなった。
メイランは生まれたときから健康で性格朗らか、王族としての英才教育はシンジーよりも飲み込みが早かった。側仕えからは「双子ならば男であれば」と惜しまれた。賢明なメイランにはすぐに理由がわかった。女は王様にはなれないし、勉強してもその成果を発揮してはいけない。理由はわかったが、納得は出来なかった。弟のことは大好きだが、なぜ弟しか馬を貰えないのか、何故飛び跳ねるのははしたないことだと自分だけが怒られるのか。
それを魔女リッカは、すべて「納得できませんよね、それは」と同意してくれた。
だから、リッカに「新しい街の女王様になりません?」と云われたときに、飛び跳ねて喜んだのだ。
「メイラン様、為政者には入念な下準備が必要です。ご飯が食べられると聞いてきた民が、街に着いたら早速飢えただなんて、目も当てられません」
「恐ろしいわ、暴動になってしまうわ」
「そうです。人間は衣食住が揃わないと、心も穏やかにはなりません。そこで、まず流通を整えます」
「商人が来て、物を運んでお金も動く」
「できればとっても儲かって、たくさんの食糧を買えればとりあえずは安心です。ですのでまずは儲け話の種を撒きます」
メイランが目を輝かせてリッカの手のひらをのぞきこんだ。そこにはまさしく何かの種があって、もしやお金の生る木が生えるのではないかと考える。そしてそれは、的外れなものでもなかった。
「このあたりでよろしいです?」
「はい、騒ぎで門が塞がってはいけませんので、少々離れたところだと助かります魔女様」
王城警護の西側主任である兵がメイランとリッカを恭しく導いた。
城の西小門は、戦時には兵馬を出立させるために正門よりは質素だが、頑強な造りをしている。そこは現在は家を失った者たちを一時避難させる場所にもなっていて、王宮へ繋がる扉は封鎖しているものの、王城の敷地内ではあるが市民たちが出入りを許されている。
「ではこの辺りで。メイラン様、種をこちらへ」
リッカが手渡した胡桃程の大きさの種を、メイランはそっと土の上に置いた。遠巻きに見ていた人々が、何事かと見物を始めた。
「発芽せよ」
リッカのただ一言で、種がぱかりと割れた。
小さな双葉が中から顔を出し、しゅるしゅると根が土に潜っていき、あっという間に小枝となり、大人の腕ほどの幹となり、いくつもの横枝が伸びていく。
魔女さまだ、という誰かの声をきっかけに、その声は波紋のように広場にひろがった。
魔女だ、魔女様だ、一緒にいるのは誰だ、魔女がなにかしている。
青々とした葉が茂り、黄金色の花が咲く。花は即座に落ち、その後にはまるまるとした黄金の果実が実った。風に乗り、馨しい甘い香りが鼻孔をくすぐり、人々は惚けたようにその光景を見つめていた。
「アパソン」
「……はっ、失礼いたしました」
リッカの命で付き従っていた広報官が正気を取り戻し、手に持っていた札を張り出した木の枝に鎖を掛けて吊り下げ、立て札を下位兵士に杭打たせた。
「みなのもの、聞くがよい! この実は魔女の実といい、魔女以外が食せばこの世の物とは思えぬほどの苦しみを味わう毒である! だがひとたび魔女から供されればその実は萎えた体を力みなぎらせ、実から作られた魔女の薬は死の淵にある病人を救う! 此度は王女殿下の特別なおはからいにより、この実を五十、病と怪我のある者に下肢するものなり! 動けぬものあらば周りの者が申し出よ!」
突然の触れに人々は面くらい、そして毒だと云われた果実に困惑した。顔を見合わせ、なかなか申し出るものはない。
「メイラン様、どうぞ」
「まぁ」
リッカがひときわ丸く艶やかな実をもぎとり、メイランに手渡した。メイラン付きの侍女が顔を青くさせたが、メイランは「なんて良い香りなんでしょう!」と目を輝かせた。しかし突然眉を下げ、困ったようにリッカを見上げた。
「あ、あの、これはどうやって頂くのでしょう?」
「そのままがぶりとかじり付くのです。ほら」
リッカも実をもぎとり、そのまま豪快に歯を立てた。生まれてこの方、そんなはしたない食べ方をしたことがないメイランは、意を決したように小さな口をあけてかじりついた。
「…………とっても、甘いです!」
黄金の魔女の実は、外皮はうすく歯でぷりりと噛み切れ、実はやわらかで甘酸っぱい汁が滴るほどに溢れていた。メイランは夢中になって食べ、王女に毒味をさせた魔女を睨みながらも侍女はおろおろとしていた。
「王女さまが食べなさった……」
「魔女様が渡すと、毒じゃなくなるのか、書いてある」
冷静さを取り戻した民が、ざわざわと顔を見合わせて話し始めた。
「魔女様、王女様、おれの父ちゃんがあそこで寝てて、でも足がずっと腫れてて、熱があって動けないんだ。父ちゃんにあげたいんだ」
おずおずと申し出たのはメイランよりも幼い男の子だった。
「うむ、私たちが運んでやろう。魔女様、お願いします。おい、あの男に」
「はっ」
リッカが手渡した実を兵士が受け取り、壁際で寝ている男の元へと果実を差し出した。男は伏し拝んで果実を受け取り、一口目はおそるおそる、二口目からは夢中で食べた。
「……リッカ様、リッカ様が手渡した果実を誰かが別の人に渡しても良いのですか?」
「私がそれでよいと思えば」
「よくないときは」
「良くないですね」
なるほど、とメイランは納得し、聞こえた広報官はぎょっとして「本日は特例である! 通常は魔女の手以外から果実を食せば毒なるぞ!」と二度繰り返した。
やがて果実を食した父親が立ち上がり、魔女の木の前には我も我もと押し寄せる人を兵士達が押しとどめ、リッカはメイランを後ろにつんと顎を上げ、如何にも魔女らしく気怠げに「わたしは面倒ごとを嫌います。座りなさい。さもなければこの木は枯らします」と広場に声を響かせた。声を張り上げても居ないのに、それは不思議と広場中に響き、人々は徐々に土の上に座り込んだ。広報官は、その技が欲しいと羨ましく思った。
「私が選びます。代理の者は、片手をあげて」
リッカは次々と座り込んだ者を指し、兵士に連れ来させては実を渡し、片手をあげたものには優先的に渡した。実を食した者は歓喜にふるえて体を撫で、口々に礼を述べた。やがて重く吊り下がる実が残り少なくなった頃、一人の老婆がやってきた。騒ぎが大きくなった、西小門は一時的に閉められており清潔な衣服は戦災にあった避難民の者とは異質だった。
「お嬢さん、ひとつ頂いても?」
いかにも健康そうな老婆を兵士は止めようとしたが、リッカは「お通しして」と遮った。
「ありがとうね」
「どういたしまして」
木の前に立った老婆は背が低く、高い場所に残った果実に手が届きそうにもなかった。だが、次の瞬間、リッカ以外の者は己の目を疑った。
魔女の木がお辞儀をするようにその枝を下げ、老婆に実を差し出したのだ。老婆は難なく実をもぎとり、前歯の欠けた口でかじり付いた。もしゃもしゃと咀嚼し、あっという間に一つを平らげて二つ目をもぎとった。
ーー魔女だ。
毒になる実を美味そうに食べ終えた老婆が、吊り下げられた札をみて残念そうに肩を落とした。
「お嬢さん、もっと沢山食べたいんだけど、もう散々あちこちを旅した身でね、移動は億劫なんだよ。対価を変えちゃくれないかい」
「では、この実を管理する代わりに一日十個で如何でしょう」
「十個はダメだね、面倒が降ってくる。五個でどうだい」
「うーん……では一日五個で、分配の権利を追加で二個でどうでしょう」
「しっかりしてるねぇ。わかった、それでいい。この実はいいね、ルタのより甘い。あいつのは時折えぐみがあって、根性悪の味がしたもんさ」
「わかります」
魔女にしかわからぬ会話に、メイランは首を傾げた。沢山もらうのは、ダメなのだろうか。
「お嬢さんの後ろの小さいお嬢さん、魔女の実の効果を知っているかい」
「今見たことしかわかりません。食べたら元気が出て、怪我や病気が軽くなる?」
「魔女以外はそうだね。魔女がこれを食べると、魔女の持つ力が強くなる。お嬢さんにわかりやすく云うと、よーく寝てすっきり目が覚めた後の爽快さが続くし、ほかの魔女の力が体に入ると、自分の力が混ざって新しい力を得ることがある」
「と言うことは、ほかの魔女様も実をたくさん欲しがる?」
「だね」
「欲しがると言うことは、この実を魔女様は滅多に作られないのですか?」
「鋭いねぇ」
老婆は良き生徒を見るように感心した。
「この魔女の実は、強い力を持つものにしか作れない。大魔女と呼ばれる魔女と、そうでない魔女の差だよ。魔女の間に身分差は存在しないけど、大魔女は別なのさ。大魔女はあらゆる魔法に精通し、研鑽した者に付く尊称で、魔女の実はその結晶。わたしは生来面倒くさがりでね、そこまではたどり着けなかった。これを作れるそちらのお嬢さんは、大魔女様さ」
メイランは老婆の言葉に更に目を輝かせてリッカをみた。実を口にしたものたちも、老婆の声に聞き入っていた。
「リッカと申します。気が向きましたら、私たちの新規領へ。この魔女の木を、山いっぱいに生やす予定ですので」
「なんだって! そりゃぁ、たまげた。街が魔女だらけになってしまうね」
「はい、その予定です」
「心が揺れるねぇ。ま、とりあえずは当分ここに来るよ。私はミンニン、よろしくね大魔女様」
老婆と別れ、リッカとメイランは王宮の入り口で分かれた。魔女の実は日をまたぐと再び実を成すのでミンニンはまた明日来るという。兵士を増やしてもらわなければならない。ミンニンを害す事は不可能だろうが、面倒くさいと来なくなるかもしれない。
そういう面倒くさいことだけをルタに押しつけられていたリッカは、面倒慣れしてしまったのかもしれない。リッカは心の中で大魔女ルタに悪態をついた。




