6 王命
シンジー王太子の病状は、瞬く間に回復した。萎えた体が元に戻るのは時間がかかるが、命の危険は無くなったと侍医が国王センフレドに伝えたのを信じられない気持ちで聞いていたのは、近衛筆頭のゲランドである。
シンジーの生まれる前から王族に仕え、幸か不幸か実直すぎる性格で王から疎まれた故に長く役職につけなかったため、近衛の連座処刑を免れた。
シンジーはゲランドの次に仕えるべき王であり、センフレドを除けば唯一の男子の王族である。日に日に弱るシンジーに心を痛めては、何も出来ぬ己を不甲斐なく思っていた。
それを、ある日突然やってきた魔女がその日の内に解決した。
魔女の差し出した怪しげな金色の液体を、シンジーは躊躇い無く飲み干して「美味しい!」と喜んだ。そしてその青白かった頬を薔薇色にして、魔女にまた飲みたいとねだっていた。
「……陛下、私は魔女の力を侮っておりました。あのような殿下の元気なお姿を、また見られるとは」
「ゲランド、見るまで信じないという姿勢は近衛には重要なことだが、それだけではいけないよ。そして魔女はリッカ様だけではない。他の魔女様に出会ったときに、失礼のないように」
「は」
魔女の対価だという計画書と見積書に署名し、センフレド王は心の荷が降りたように微笑んだ。ゲランドには教える気はないが、リッカの計画は実に単純で、実に効果的だと考えていた。経済、治安、福祉、教育。どれもこれも、地の底までボロボロだ。
リッカは最後にひとつ、計画書に無い要求をした。センフレドは、これを許可した。
「陛下、なにやらお楽しそうで」
「はは、そうだね。楽しいよ。なにせ国が立ち直るんだ」
ゲランドには云わない。この男は実直で、筋金入りの王族主義者だからだ。
既にシンジーは、王にはなれないのだから。
議会とは名ばかりの、寄せ集めの生き残り末席貴族と日陰に追いやられ、主導権を握ったことのない官僚たち、そしてどうして呼ばれたのかがわからない顔の若い税務官と、勤続三十年目にして新規開拓領の執政官に任命された元セイル伯爵領の元内務官、アルザ・ボエラ。
その見事に寄せ集めの人員に向けて、センフレドは宣言した。
国力再生のため、大魔女の弟子、リッカと対価を取り交わした。それがこの新規領であると。
「噂は伺っておりましたが、まさか我らに話しも通さずそのような事を」
「陛下、この地は以前より不毛であると調べが終わっておりまする。どうかご再考を」
「魔女とはなんです、もしや不穏の輩ではありますまいか」
喧々囂々の中、センフレドは涼しい顔で「静まれ」と言い放つ。
「こうなるから先に取り決めを済ませたのだ。年のいった者は魔女を知っているだろう、もう対価は取り決めた。この話を破棄するには、さらに相応の対価が必要となる。まぁ、私の命と首都丸ごと程度は差し出さねばなるまいな」
リッカの前とは違い、王族らしい冷徹さを隠しもせずにセンフレドは玉座で足を組んだ。
首都丸ごと、と聞いた者は背を丸め、口をつぐんだ。寝物語に聞く大魔女の国潰しは、センフレドより上の世代だと確実に知っている。
「魔女様いわく、その不毛の地をこのクシア首都、ゼンダリンよりも大きくするらしい。アルザ・ボエラよ、これは王命である。大魔女の弟子リッカ様にお仕えし、領土を整えよ。税務官キュイルよ、この事業は全て新しい試みである。なるべく年若いものをまず十人ばかり募って出立せよ。まだ何もない土地だ、戦場で野営する装備を持って行くように。デルサン、支度はまかせる」
「はっ」
返事をしたのは退役将軍のデルサンのみだった。丸ごと消えてしまった他の将軍達に変わる者が無く、齢六十七にして復職をさせられた哀れな、しかしながら未だ筋骨隆々の老人である。
「私はアフランのような愚を犯して、愚昧な最後の王と呼ばれるのはまっぴらだ。皆腹に抱えるものは多かろうが、ここで争ってなんになる。人民のために日用品と食料を安定させよ。薬師のために破壊された工房を再建せよ。我が息子はそのために命を落とし掛けたのだぞ。これからも沢山の民が死んでいくのをただ見ているのなら、そのほう達を民が敬う理由はなにひとつ無いのだ。それを心に刻むとよい」
は、と不安げな顔ぶれが頭を下げ、短い議会は解散した。腹に逸物ある者もあろうが、魔女の対価を出されれば計画を止める手だてが無い。だが、妨害が全く出ないと高をくくるわけには行かない。
「デルサンよ、お主には風変わりな息子が一人おったな」
「は、お恥ずかしながら」
「何を云う、飢えた民にショウ国から食糧を手配した手腕は見事だった。都の流通が安定した後、新規領地開拓に参加して貰いたい。それとなく話しておいてくれ」
「よろしいので? 云ってはなんですが、かなり癖のある子でして、この年まで何十年も言い聞かせておりますが……」
「かまわない。むしろ、そのくらい根性が据わっている方がよい。これまでにない、全く新しい街をつくろうとしているのだから」
「はぁ……新しいですか」
デルサンは厳めしい顔の乗ってる首を傾げたが、きっと理解することは無いだろう。
魔女の街が、この国の中に着々と根を張る音がした。
王命で募られた職人達は、一様に暗い顔で豪華な城の議事室で腕を組んで座っていた。先見隊は既に旅立ち、寝泊まりのできる小屋や当座の水の確保、測量の準備に旅立っている。それはいい。そこまでは、何の問題もないありふれた準備項目である。
だが、街づくりを依頼された場所が目下の問題であった。あの荒れ果てた塩の大地と岩山を一年で整備し、住人を呼ぶというとんでもない命令に、まともな頭を持った職人は物理的に首を飛ばされてはかなわぬと荷物を抱えて逃げ、残ったのは変わり者とどうなろうが構わないし興味もないという無気力者ばかりである。
旗頭は、なんと魔女だという。
禿げ上がった額を光らせて、興奮した顔で扉が開くのを待っているのは最年長の治水官で、年配者にその傾向は特に強い。ようやく足場監督をまかされるようになったばかりのコンチェンは、魔女を知らなかった。二十九歳で妻は無く、親も居ない。親方に「安心して行ってこい」と云われたところで、安心できる要素はどこにもなかった。
「あの、魔女ってそんなすごいんすか?」
耐えきれず発言したコンチェンに、不安にうつむいていた者も顔を上げた。主に中年以下の男達である。半分は元貴族で、もう半分は元貴族かつ次男以下で食い詰めて職人になった苦労人であり、コンチェンの言葉遣いは顔をしかめる者は居ても、咎められることはなかった。
「まぁまぁ、魔女様が来られたらわかるさね。ワシは楽しみでならんよ」
一番身分が上の治水官が少年のように顔を上気させて云うので、それ以降の発言はなく、水面下でざわざわと空気が跳ね始めた。魔女は不思議をなし、不可能を可能にし、嘘つきを殺す。各々が親兄弟に聞いた物語を思い浮かべた。
「お揃いですね」
先触れもノックもなく、唐突に扉が開いた。
一瞬呆気にとられていた面々が慌てて跪き、コンチェン以下平民の職人も貴族が膝をついているのに座ったままでいるほどボケてはいない。
議長席に真っ直ぐに歩いてきたのは菫色のローブを着た十代後半ほどの若い女。これは魔女だとすぐにわかった。ローブは「私は魔女です」という記号だ。しかし議長席の横に立ったのは、質素ながらも上質なドレスワンピースの少女だった。年はおそらく十歳前後で、金茶の波立つ髪を背中におろしている。「殿下」と治水官が最初に声をあげ、続いて殿下、殿下と貴族達が挨拶をする。コンチェンは背筋がこわばるのを感じた。
殿下と呼ばれる存在は、この国で二人だけだ。
「皆さま、楽になさって」
幼く愛らしい声が響き、貴族達が椅子に戻る。コンチェンたちも見よう見まねで頭を下げ、椅子に座った。既に逃げたい気持ちでいっぱいだった。
元王女、メイラン・クライ・ゼンだ。
背後で侍女らしき女性が扉を閉め、逃げ道はなくなる。そして女王の横に立った女が、コンチェンが初めて出会った魔女であった。顔立ちは魔女と聞いてイメージするには穏やかで、藍に銀の混じった色合いの髪は艶やかで美しい。
「はじめまして、私はリッカと申します。王の依頼により、この国の民の暮らしぶりをよくするためにここに立っています。これから話す計画の対価は王が支払います。不可能と思われるものもいくつかあるでしょう。しかし私は魔女です。対価あるかぎり、魔女は不思議を成して不可能を可能に変えます。たとえば、塩の岩山から真水を引くことも、ひとときで巨大な穴を掘ることも可能です。それを前提に街の全体図を計画していただきたい。そしてその街の代表は、このメイラン王女殿下です」
「みなさま、若輩者ですがよろしくお願いします」
一息に叩き込まれた情報量が多すぎて、全員が目を白黒させている。興奮して踊り出しそうなのは治水官だけだ。代表者が王族なのは珍しくもないが、子供でしかも女性という前例は聞いたこともなかった。
「メイラン殿下、街が完成するまでは長い時間が必要ですが、殿下に捧げられるような素晴らしい街を作りたく存じます」
なるほど王女は繋ぎで別の代表が来るのだなとコンチェンは考えたが、その思いは即座に潰される事となる。
「なお、この街は基本的には国法に基づきますが、私が一部法を書き換えることを既に陛下に了承頂いております。街の名前は"ガンダリア"古語で「魔女の街」または「黄金の都」という意味です。すなわち魔女が多く集まります。魔女が増えれば街は発展しますが、魔女との問題も多く出てきましょう。この中でも魔女を知っている方の方が少数のようですし、私の師である大魔女ルタのように出来たばかりの街を吹き飛ばされてはかないませんから」
「おお、おお! ルタ様の!」
わからない、最初からなにもわからない。
途方に暮れているのはコンチェンだけではなく、治水官の周囲以外は胡散臭い顔を全く隠せていなかった。
「では、この山岳地帯から街道まで水路を引いてもよいので?」
「もちろん」
「街の各所に井戸と、家庭に水道を引いても良いと!?」
「可能です」
治水官は既に座って居られずに立ち上がって計画書を握りしめている。コンチェンにも配られているそれは、ただの山と荒野だが、治水官には既に何かが見えているらしい。
「魔女様、わたくしは治水官のドンド・フレと申します。この場にいる年若き者は、魔女様たちを知りませぬ。皆に簡潔に説明させて頂いても?」
「ふふ、お願いいたします」
「ありがとうございます!」
治水官は王女殿下にも最敬礼して一同を見渡した。
「皆の者、魔女様を知らぬ者もこれだけは覚えておくように。よいか、工期など考えなくてもよい。作ろうとしたなら、それはもう出来ている。巨大な岩の上に畑を作ってもよい。砂場に大河を通してもよい。水は川を遡るし塩の畑で魚も釣れる。要するに! 夢の仕事だ! これまで作りたくても作れなかったものがいくらでも作れるのだ!」
行っていることは魔女と変わらなかったが、長く治水官を勤めていた「常識的な」男のあまりのはしゃぎぶりに、設計士たちや鉄を扱う建築士たちもざわめきだした。
「皆さん、張り切るのはいいですが、暮らしにくい街はだめですよ」
「はっ、そうですな! 指針を決めませんと歪になってしまいますな」
「それですが、王女殿下からご下命がございます」
リッカの言葉で、浮き足だった場が一気に静まりかえった。急にふられたメイラン王女は目をぱちくりと瞬かせ、慌てて姿勢を正した。初めて参加する大人達の会議に面食らっていたのだろう。
「ええと、この街は最初の住人の多くを女性とします。これは国難で真っ先に職を失うのが女性だからです。魔女の街ですので、街が出来た後も女性の割合が多くなる予定です。よって街は"杖をついた高齢の女性が夜に一人で歩ける"作りを絶対とします。馬車道の段差まで徹底的に無くして下さい。それから一番最初の建築物は公営住宅です。女性用、男性用、家族用を各千戸、今後も拡充する前提で配置してください。街の各所に警備隊の小さな詰め所を作り、深夜も巡回できるようにすること。同じ場所に同じ数の公共トイレも必要です。これは犯罪防止の観点からです。個人の住宅は建築可能な場所を絞り、先に公共設備を整えること。間違っても先に住宅を建ててしまったからそこに下水道を敷けずにスラム街で疫病が発生するという事態がないように。そのスラム街も形成されぬよう、執政官と法整備中です」
疫病のそれはクシア首都で二十年前に起こった愚かな出来事である。肩を落とす者もいたが、王女は何を作ってはいけないとは云われなかった。建築士は腕の見せ所であり、デザイナーの集団が既にペンを片手に街の全景を絵描き始めている。
「しかし魔女様、魔女様方はあまりひとところに集まらぬと祖母に聞き及んでおりまする。わたくしも子供の頃にお会いした魔女様は数年で街を去られ、わたしがお会いできた魔女様はリッカ様で三人目でございます。どうやって魔女様を呼ばれるので?」
少々興奮が落ち着いたらしい治水官の隣に居た、こちらも白髪の老人が尋ねた。
「そうですね、とどまる魔女は少ないと思いますが、すぐに違う魔女が来るのです。これは理由がすぐにわかりますので、ガンダリアにいくまでのお楽しみです。街を作ったのに人が来ないなんて悲しいので、ちゃんと税収があがる計画も出来上がっているのでご心配なく」
「ほう。魔女様がいわれるのならそうなのでしょう。この老体、子供の時に父と遠乗りに出かける前日のように楽しみでなりませぬ」
話は一気に進み、資材の購入や人員確保の段になり、魔女と女王は退室した。残された者の熱はさめやらぬが、一時お開きとされた。
魔女への不信感を拭えぬ者もあっただろうが、自分以外がお祭り騒ぎをしているのを眼前に斜に構えるのは根性が必要である。叩き上げの土建屋であるコンチェンも、よくわからないのに浮き足立っていた。
なんだかよくわからないけど、なんだかすごい街が出来るらしい。
コンチェンは、早速酒場でちびちびと高くなった酒を飲みながら今日の出来事を話した。貴族はおいそれと王女の動向を話さないが、コンチェンにはその常識は無かった。そして口止めもされていない。
魔女の街の噂は、あっという間に国中に広がった。
魔女は対価を支払えば、不思議を成す。
ただし、対価が気に入らなければ願いは聞き入れない。なんたって、魔女は気まぐれで思うがままに生きることを信条としているからだ。
魔女は嘘をつかない。嘘は魔女の力をけがすからだ。
魔女は生きたいときまで生き、死にたいときに死ぬ。それが出来るのが魔女である証である。
魔女を殺すときは、己の生きる国を全てを滅ぼす覚悟で為せ。




