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5 魔女の子

 三十人ほどの小規模なキャラバンは、足取り重くアフランからロッターニア大公国へ向かう荒れた道を歩んでいた。

 皆荷物は身につけているものだけで、痩せて疲れ切った馬がノロノロと荷車を引いている。

 クシア国と同じく、残ったのは国の名前だけ。王は処刑され、主要貴族もロッターニアの監獄の中だ。そして追い打ちを掛けるように残留を許された係累貴族たちが権力争いにかまけ、国の荒れ様はクシアの比ではなかった。ケランドから流れる商品を足止めして貴族たちで吸い上げ、末端に届く頃にはパン一つが成人男性労働者たちの平均一日分の賃金と同等にまで跳ね上がり、アフランの首都には骨と皮だけとなった遺体がワンブロックごとに転がっていた。

 此度の戦争の主導はアフランであり、ロッターニア大公国はアフランに多額の賠償金を請求するとともに、関わりのある伯爵以上の身分の家の当主とは別に各一人、処刑すると通達した。誰を生け贄に差し出すかで争いが起こり、賄賂は激化し、治世の安定は地の底まで即座に落ち、そして次の王はアフラン貴族で決めよ、と命令が下った。

 建国三百年にも及ぶロッターニア大公国の意図は明白である。にもかかわらず、アフランは愚かにも疲弊した国の中でさらに内戦を起こすに至り、多くの民は国を棄て、さまよう事になった。

 ロッターニア大公国は諍いが起こる事必至の国境を強く封鎖し、アフランの民は無為に屍を重ねた。


「くっだらねぇなぁ……」


 キャラバンの後方を、すり切れて袖も千切れ飛んだ砂色のローブを纏った男がダラダラと歩いていた。男の名前はラズロといった。

 子供と老人に合わせた歩みは老いたロバより遅く、目的地もなく食料を減らす旅で、皆重石を引くように足はあがらない。

 やせ細った一行の中で、男は不自然に体格が良かった。小麦色の荒れた髪に砂色の瞳は珍しくもない色合いだが、肌艶は埃を拭き取れば輝くようで、腕も足も太く逞しく、唇はよく水分を含んで潤っている。

 男の特異さに大人たちは気がついていたが、誰も彼に話しかけることはなかった。そもそも彼の名前は誰も知らず、いつこのキャラバンに合流したのかもわからない。年の頃は三十か、三十五か。若者でも老人のような顔つきになったアフラン人ではない事は確かだった。


「かあさん、いいにおいする」


 幼子の声に、皆わずかに顔を上げた。空腹ゆえの錯覚だと思っていた大人たちが、鼻をひくつかせて顔を見合わせた。


「果物のにおいだ」


 まさか、こんな荒れた地のどこに。

 皆浮き足だってにおいを嗅ぎ、クシアとの国境である細い木がひしめく森の向こうへ歩み出す。作物の育たない土地では誰も住まず、国境の守備兵もいない。目的のない旅は食料の確保に人々を追い立て、心なしか馬も歩く速度があがっている。

 荷車を外して馬を引き、森へ分け入る。塩分を含む土地では草は茂らず、馬丁は細い木に絡む蔓草を時折引きちぎりながら進んだ。例え人が食べられる果実でなくても、馬が食べられる草があればもう少しだけ、このキャラバンは生きられる。


「あった」


 あった、あったぞ。

 岩石の転がる下り坂を抜け、クシアの平地広がるそこに、その木はあった。まるで、幻のように。

 ラズロは目を疑った。まさか、なぜ、ここに。


「くだものだ!」


 わっ、と歓声を上げて子供が走る。大人の男二人分の背の高さの幹に、良く延びた横枝。そこに生い茂る緑の葉。

 そして、鈴なりの、大人の拳ほどの黄金の丸い果実が揺れていた。

 我先にもぎ取ろうとする大人に、ラズロは「待て! やめろ!」とキャラバンに入って初めての言葉を発した。

 しかし空腹のあまりに目が眩んだ若い男は我先に果物をもぎ取り、その場でかぶりついた。

 

「だめだ! それを食ってはいけない!」


 若い父親が自分の子供に果実を渡そうとし、二つ目をもぎ取った。ラズロの叫びに気がついたが、胡乱な目を向けるだけだ。


「すげぇ甘いぞ! 美味い!」


 ラズロを無視して木に群がる男たちに、母親たちは異変を察知して子供たちを制止した。


「だめ!食べてはだめよ! ダンギ、これを見て!」


 いままさに果物にかぶりついた男の名前を呼んで腕を掴んだ女が、必至に指を指す。木の幹の半ばに、目立つようにそれは吊り下げられてた。


 この果実は、魔女だけが食べてよい。

 魔女でないものは、魔女が手渡したものだけ食べてよい。

 魔女はふたつまで食べてよい。

 三つ目を食べた魔女と、三つより多く食べたい魔女は、ここより東の魔女の街を訪れること。

 魔女でないものが食べた場合、千を数える間苦しむ。


 大陸共通語とショウ国の文字で、それは書かれてあった。文字が読めない者のために、果物を食べて苦しむ人の絵まで描いてある。

 先に食べた男が、喉をかきむしりながら木の根本に倒れ込んだ。


「俺は止めたからな。こんな親切に書いてあんのに、どうしてわざわざ苦しもうとするんだ。そういう性癖か?」


 間一髪で子供の口に入るのを止めた母親が、倒れ伏してもがく夫を避けるように子供を抱いて退いた。


「ダンギ、ダンギ、どうすれば」

「だいじょーぶ、死なないから」

「えっ」


 ラズロの軽い口調に、夫の愚かさと子供を危険から救えた安堵に心乱された母親が困惑た声をあげた。


「ほら、千を数える間、って書いてあるだろ。死なないよ、苦しむだけ」


 ほっと息を吐く母親は、またもや驚きに襲われた。ローブのフードを払い落としたラズロが、黄金色の果実を躊躇い無くもぎ取ったのだ。


「はー、まさか生きてる間にお目にかかれるとは。ありがたや大魔女さま。いただきます」


 あんぐりと大口をあけ、果汁滴る実をもしゃもしゃと咀嚼するラズロに、キャラバンのもの皆目を疑った。ラズロの足下には、顔を真っ青にして苦しみ、息も絶え絶えの男がもがき続けているのだ。


「んっ……うっまい!! なんだこれ、最高じゃねぇの。全部、良質の、魔力……んぐ」


 手に付着した果汁まで舐めとり、即座に二つ目をもぎとるラズロを、誰も止められなかった。


「二つまでかぁ、二つ……設定が絶妙だなおい。仕方ねぇなぁ」


 独り言の中身はわからなかったが、苦しむことなく果実を食べ続けるラズロを皆呆然と眺めていた。強烈な甘酸っぱい香りとラズロの食べっぷりに、果物を手から奪われた幼子が羨ましそうに見つめていた。その足下に転がる果実が真っ黒に変色し、地面に溶け込むのを見た母親が小さく悲鳴をあげる。


「あぁ、なるほど。そういうことか。ほら坊主、食べていいぞ」


 ラズロがもぎ取った果物を手渡そうとしたのを、母親は子供を抱えて後ずさる。


「ちがうって、ほら、これ読んでこれ」


 木に吊り下げられた札を、ラズロは指でコツコツと弾いた。

 遠巻きに見ていた老婆が、おそるおそる読み上げる。


 魔女でないものは、魔女が手渡したものだけ食べてよい。


「……あなた、もしかして"魔女の子"かい?」

「おお! 流石婆ちゃんだ、知っている人はもうあんまりいなくてな。まぁ俺が魔女だって言えば変な顔されるからあえて云わないけどな。魔女の子はひとつを除いて魔女と同等さ。さ、せっかく食って良いって大魔女さまが仰ってんだ、頂こうぜ」


 老婆は差し出された黄金色の果実を手に取った。あらがい難い香りに、枯れていた唾液がわきあがるようだった。思い切って前歯のない口でかじり付くと、これまでの生で味わったことのない甘露が体中に染み渡り、夢中で食べ始めた。


「さ、他に食べたい人ー」


 老婆が無心で貪るさまを見たキャラバンの皆が、おそるおそる手を差し出してきた。ラズロは次々と実をもぎ、手渡す。母子もおそるおそる果実を受け取り、未だ土の上で苦しむ夫たちを尻目に、天上の味を堪能した。

 疲労は消え、ぼやけていた思考は冴え、心の靄までも消えるような思いだった。


「俺はこの札にあるように、東に行くよ。きっとこのまま当てもなくロッターニアに行くよりはマシだろ。大魔女さまがいらっしゃるなら、何より安心だ。あんたらどうする?」


 空腹と疲労から抜け出したキャラバンが、顔を見合わせて意志を確認する。ロッターニア大公国に行ったところで、国境で飢え死にを待つだけ。ならば、行き先は決まったのと同然だった。


「そうか。ではちょっと覚えていてくれ。この果実は俺のものではないし、俺が勝手に配ったから対価は要らない。けど、この先俺を頼るときは対価が必要だ。こんなナリだが魔女の子だからよ。ちなみに特技は骨接ぎだから怪我の治療はまかせろ。後払い可だ」


 ニカッ、と白い歯を見せたラズロに、一行は戸惑いながらも頷いた。うめきながらもようやく立ち上がった土だらけの男たちにラズロは一応「もう一つ食べる?」と尋ねたが、皆小さく首を振ったのだった。

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