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4 対価

 大魔女の弟子がやってきた。

 自身で触れを出しておきながら、領主センフレド・クロア・ゼンは大いに戸惑っていた。

 センフレドは武に縁がなく、おだやかな貴族然とした男である。王弟と言っても上には三人の兄がおり、王座には全くと言っていいほど縁はなく、上位貴族の三女と結婚し、双子の男女をもうけ、そう広くもない領地を治めていた。

 侵略戦争など青天の霹靂である。

 勝手に隣国と同盟を組み始まった戦争で兄たちは完膚無きまでに敗北し、首を落とされ、妻子はロッターニアの監獄へ連れて行かれた。

 王家も貴族も解体され、残ったのは自治領に近い形の植民地である。国が痩せすぎているせいでテコ入れもされず放置されたのは、幸か不幸かいまだ判別は出来ない。

 うろたえている内にセンフレドが領主に押し上げられ、狼狽えているうちに妻が死んだ。元々繊細な女性だった故に、心労に耐えきれなかったのだ。クシア国内だけで「国王」の呼び名が残るが、属領の主に心休まる日があるはずもない。

 そして息子が病になった。

 傍系を除けば唯一の王家の男子であるシンジーは十歳。戦争の始まる一月ほど前から体調を崩しがちになり、寝込むことが多くなった。戦火の中、薬を入手出来ない日が続き、シンジーはとうとう歩けなくなった。今はもう、ベッドから起きあがることも出来ない。

 そこで思い出したのが、五十年前、南の海側にあるケランドとクシアの国境にあった小さな国の事である。漁業が主な収入源である小国は、ある日から境に瞬く間にケランドに並ぶほどの財力を持った。

 原因は、大魔女ルタである。

 ルタが何を対価に求めたのかは伝わっていないが、その国にはある日突然大きな港が出来た。物流が巡り、商人は増え、不漁で飢える民も激減した。病で死ぬ者も無くなったという。

 後にその国はルタの不興を買い、一夜にして消え去った。ルタが国主を八つ裂きにし、港を灰にしたという。

 どこまでが本当かはわからないが、魔女の力がそこにあったことは今でも老人たちが覚えている。

 魔女は国に数多く住んでいるらしいが、権力者につく者は希だ。ルタの前例もあり、不用意に触れることはまかりならぬという暗黙の了解がある。

 しかし、もう残された手だては無い。国には何もなく、薬も妻も、息子の命まで無くなればもう領主センフレドには娘一人以外何も残らない。


「大魔女ルタの弟子、リッカと申します。ご用はお師様におありと伺いましたが、お師さまは先日死を成されましたゆえ、私が後継でございます。ご事情は聞き及んでおりますので、まずは息子殿の容態を拝見したいのですが。対価のお話はそれからで」


 がらんどうの城の、近衛の数もまばらな玉座の間に出て行ったセンフレドは、魔女と対峙した。

 玉座に座るのもおかしな気がして、玉座の前に立つという中途半端な対面である。

 藍色に銀を振りかけたような、不思議な髪色の若い魔女だった。魔女の年齢が見た目と同じかはセンフレドは知らなかったが、まだ成人したばかりのように見えた。

 前王から仕えていた近衛兵が顔をしかめたのが見えた。魔女は頭も下げず、もちろん跪きもしなかった。しかしそれを指摘するほど、センフレドには王の矜持は無い。


「遠路遙々ようこそおいで下さった。大魔女ルタは亡くなられたのか……お悔やみを」

「いえ、魔女の死は人の死とは違いますので、お気持ちだけ頂きます」


 切れ長の目はまっすぐにセンフレドを射抜き、センフレドはたじろぐ。少女に見えても、かの大魔女の弟子とあらば子供扱いは出来ない。


「案内いたします。しかし国も城も、余裕がございませんので、納得されるような対価はお支払い出来ないやも」

「ご心配なく。魔女の対価は、支払えるものに限ります」

「そうですか」


 あからさまに胸をなで下ろしたセンフレドの後ろにリッカも続く。何かいいたげな近衛も元王族への礼儀からか、口を出すことは無かった。

 本当にあんな小娘が魔女で、王子を救えるのか。

 言いたいことくらい、顔を見ればわかる。ここまで案内してくれたテイが顔を真っ赤にして怒っているのが遠目に見えたからだ。


「こちらです」


 渡り廊下を越えると、客間や居住空間で、シンジーの部屋もそこにあった。近衛が来訪を告げると、内側から扉が開かれる。

 中には侍女と乳母らしき女性がシンジーに付き添い、ベッドの横で頭を下げていた。


「こちらが魔女リッカ殿だ。シンジー、リッカ殿に診て頂こう」

「はじめましてシンジー殿。お加減はいかがです?」

 シンジーはベッドの上でクッションに凭れて、かろうじて座っていた。頬はこけ、元は栗色だろう髪は艶もない。けれど、瞳だけは大きく見開かれていた。


「魔女さま?」

「はい、そうですよ」

「ぼく、魔女さまにお会いしたいとずっと思っていたんです」

「お会いできてよかったです。お体に触れても?」

「かまいません」


 侍女が後ろに下がり、リッカはシンジーを頭の天辺から触れて何かを確かめ始めた。


「お食事は食べました?」

「今日はお粥を少しと、ミルクを飲みました」

「美味しかったです?」

「あまり美味しくないです。でも食べないとクミアンが悲しむので、食べます」

「クミアン?」

「ぼくたちの乳母です」


 クミアンがリッカに会釈し、リッカは「なるほど」と脈を診ていた細い腕をベッドに置いた。


「お腹を触りますね」

「リッカさまはクミアンがお話してくれた大魔女さまみたいに、国を滅ぼせる力がおありなのですか?」


 あどけない質問に、室内は凍り付いたが、リッカは表情も変えず「出来ますよ」と頷いた。


「すごい! 魔女さまは、皆出来るわけではないと聞きました!」

「そうです。強い魔女でないと亀裂程度になりますね。頑張れば元通りになる程度です。国を滅ぼすとなるとたくさん対価を頂きませんと」

「やっぱり、リッカさまはお強い魔女なのですね。魔女の対価はとても重要なのですか?」

「重要です。魔女の不思議は対価があってこそ発揮できますから、それを頂けませんと同じほど価値があると魔女自身が思ったものを破壊しなければなりません」

「たとえば、魔女さまがぼくを治してくださって、父上が対価をお渡ししなかったらどうなりますか?」

「シンジー、口を慎みなさい」


 この質問には思わずセンフレドも制止をかけた。躊躇いもなく「国を滅ぼせる」と言い切った魔女に、今更ながら畏れを感じたのだ。


「良いですよ、領主殿。そうですねぇ……対価のお話となると、まず貴方の価値を話さなくてはなりませんが、それはお父様とお話しますから、暫定的なものでよろしいです?」

「はい、魔女さま」

「うーん……まずこの城を砂にします」

「え」

「そうしますと中に居る人間は埋もれて死にますから、対価と同じくらいになります。足りないと感じたら、首都を半分くらい燃やしますかね」


 日常会話の気軽さで、リッカは城にいる人間を皆殺しにすると言い切った。元々悪かった顔色をさらに青ざめさせたシンジーに、リッカは邪気のない笑顔を見せた。


「大丈夫ですよ、対価が支払われなかった時の話ですから。それに治療を断ってくださったら何も発生しません。魔女の物語をご存じなら、魔女の約束の話も知っているのでは?」

「あ……あの、魔女は嘘をつかない、て」

「はい、嘘はつきません。魔女の言葉には魔力があります。言葉は魔女を縛ります。助からない病人に助かるとは言いませんし、出来ないことを出来るともいいません。シンジー殿は助けられますよ」


 ついでに付け足された言葉に、シンジーは畏れを踏み越えて目を輝かせた。


「ほんとに、いや、本当なんだ。ぼく、また走ったり、メイランと遊べますか?」

「はい、出来ますよ」


 診察はおわりです、とリッカは腰掛けていたベッドから立ち上がった。


「あとは、大人とお話いたしますね」

「はい! 父上、魔女さまに対価をお渡しください。足りなければぼくが大きくなったら、頑張ってお支払いしますから!」


 目を輝かせる息子に、センフレドも複雑な思いで「勿論だとも」と頷いた。


「リッカ殿、ではこちらへ」


 部屋を出て、今度はまた渡り廊下の向こう、執務室に案内された。契約はなされていないが、最早国をかけた商談のようだった。

 執務室にはお茶の支度がされていて、リッカはようやく腰を落ち着けた。


「慌ただしくて申し訳ない」

「いいえ、このお茶は美味しいです」

「よかった。それは妻の実家の領地で栽培していてね……」


 亡くなった妻の思い出に、センフレドの顔が曇る。リッカは茶器をテーブルに戻し、膝の上に指をそろえた。


「聡明な息子さんです。お救いするには、少々多めに頂きます」

「それは、できるかぎり」


 息をのんでセンフレドは腹の前で組んだ指を眼前に持ち上げた。とうに薄れたこの国の神への祈りの動作だ。


「実は私、少々やってみたい事があるのです。それは領主殿の国を救うという願いとも合致する部分がありますので、貴方の息子を救うことと国をマシにすること、同列でお話しても? もちろんどちらしか対価は払えないとなれば、片方をとってくだされば」

「それは、どのような」

「お待ちを」


 突如口を挟んできたのは、陰のように控える侍従の後ろにで睨みを聞かせていた近衛兵だった。無表情の侍従の顔が苛立ちを見せ、リッカは関係性を把握する。


「控えないかロンデラ」

「殿下、この怪しげな娘の話をなぜそんなに容易に信じるのですか、シンジー様になにかあればわたくしめは亡き国王陛下に顔向けが出来ませぬ。シンジー様は最後の跡継ぎであらせられるのに」


 なるほど。とリッカは小首を傾げた。ロンデラは故国王のシンパであり、魔女の事もおそらく噂しか知らない。だが心の中で思うのは勝手であるが、リッカには話を遮る邪魔者でしかなかった。


「私はこの国で一番の魔女です。しかし信じるかどうかは強制できませんし、用が無いのなら帰るまでです」

「ロンデラ! 席を外せ」


 強い口調で咎められ、それでも階級主義が染み着いているロンデラは不満を隠しもせず部屋を出ていった。


「リッカ殿、申し訳ない」

「お気になさらず。最近は魔女も以前ほど人前に姿を見せませんし、ああいった方も多いのも頷けます。あなたは魔女を知っているのですね」

「ええ、私が子供の頃にこの城にも住んでいた事があります。陽気な方で、風邪を悪化させた私に不思議な薬を飲ませてくれました。ほんの数年だけでしたが、魔女の決まり事は彼女が教えてくれたのです」

「そうでしたか」


 侍従が淹れなおしてくれたお茶には手を着けず、リッカはあらためて、と切り出した。


「では、まずこの国の地図をご用意ください」

「地図ですか……カルーザ」

「はい」


 初めて口を利いた侍従が書棚へ動く。灰色の頭髪に浅黒い肌はケランド南部の血が入っているのかもしれない。

 机に広げられたのは、大陸四カ国のものだ。おおまかに南にケランド、北にロッターニア大公国。西がアフラン、東にクシア。クシアの国土は広大ではあるが、その八割が切り立った山脈と海側の火山地帯で居住可能地域は少ない。


「領主殿、私はこちらに来る道行き、この土地を通過いたしました。通行可能な平地から一歩山側に踏み込めば、死の山と呼ばれる山脈の入り口で、穀物も育たなければ獣も僅か。住人はとりつくした僅かな岩塩をほじくる流民たち。そうですね?」

 

 リッカが指したのは、マートンに指示を残した国境の交差する場所である。商人たちも旅人も、立ち寄る価値がないので主たる施設も何もない。ただの乾いた塩まみれの大地である。


「そうだと聞いています。開拓出来る土地は、兄たちが大分熱心に探させていましたから」


 センフレドはリッカの見る地図の上にもう一枚の紙を広げ、そこに重ねた。国土調査で使用された書き込みだらけのもので、国の重鎮だけが閲覧出来る土地の評価表である。


「その土地を、下さいな」

「は?」

「具体的にはこのアフラン国境からの平地と旧伯爵領の南端を少し含め、南へ抜ける山脈の全てを下さいな。これがシンジー殿を救う対価です」


 確かに土地の価値はゼロに等しい。広大な、不毛の地である。


「魔女様が其れでよいと言われるなら、お渡しいたします。国の管理も全く届いておらぬ土地です。しかしそのような土地をどうされるのですか?」

「それは別の対価のお話になります。領主殿は、国を救うと仰いましたね」

「ええ、民が少しでも心易く暮らせればと……」

「この土地から、その願いを叶えましょう。対価としては」


 センフレドは、慌てて侍従にペンを取らせた。

 魔女リッカは、そこに街を作る。

 およそ四百人の大工と労働者、施政官に文官武官、街が整ったあかつきには移住希望者の輸送。

 そこまでは、通常の開拓と同じである。リッカにもセンフレドにも利はないと思われた。


「私が欲しいのはここからです」

「と言われますと」

「私はこの街に商人が列をなして来るものを作ります。商人ではない、街を豊かにする者も同時にやってくるでしょう。この街の税は、最低五年免除して下さい。それから、これは一番重要なことです」


 リッカはセンフレドの瞳を真っ直ぐに見据えた。侍従の持つペン軸が、じわりと汗に濡れる。


「この街ではこの街の法律を作ります。盗みや人殺しが可になるなんて事はないのでご心配なく。基本的にはこの国の法律に添いますが、ほんの少しだけ変えます。そしてその法は、街の住人の数がこの首都と同じ数になりましたら、この国の法として定めて下さい。これは草書です。公表するもしないもご自由に」


 リッカが魔女の鞄から取り出した紙を、センフレドは恐る恐る開いた。しかし、読めば読むほど拍子抜けするようなものだった。

 リッカはその様子を見て、初めて声を出して笑った。


「ふふ、領主殿、顔に出すぎです。首でも要求されるのかと思われてました?」

「いやいや、しかしこんな事でよろしいので?」

「こんなこと、と言われる領主殿のほうがこの国では少数派でしょう。そう思われません?」

「は……」


 急に話しかけられた灰色の髪の侍従が戸惑った声をあげた。


「まぁ、そうだろうね。私は兄たちとは全く気が合わなかった。だから今生きているんだけれども。この国はもう殆ど死んでいる。私は子供たちと平穏に暮らせればよかったが、それももう夢の話なのも分かっている。対価としてお受けいたしましょう。魔女様への願いの対価となれば、ロッターニア大公国も手は出せまい」


 ここに、魔女との取引は成立した。

 不毛の土地はその日、魔女の街『ガンダリア(黄金の都)』と名付けられた。

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