ヘイムダルの迷宮4
一行は地上への移動を再開した。
相変わらず視界の端々で発光する通路をサロリアが先導して進む。
「ずっと気になっていたのですが、サロリアさんの背負っているその棒はなんですの?」
灰色の細長い円柱状の棒に短い取手がついた棒を2本、メイド服の腰紐に差す形で背負っている。
訊かれて、サロリアは背負った棒を慣れた手つきで取り出した。取手を握ると、円柱の棒が二の腕に沿う格好になる。
「天拐っていうの。カッコ悪いでしょ?」
ホーコの銃と似た宝石が取手側の先端に付いただけで、あとは変哲のない白い棒。『カッコ悪い』とまでは思わないが、銃に対して棒では素朴なのは間違いない。
「私の銃も天銃と言いますの。同じ『ヘヴンズ』と付くのでしたら、同じ系統の武器ですの?」
「武器の持ってる性質だけわね。銃と棒が肩を並べるのはおかしい気もするけど……そのまえに、個人の記憶に拠らない知識は忘れてないなら、天法は覚えてるのよね?」
「私は覚えてますわ。ラーグさんは?」
隠し部屋でホーコが派手に天法を射出した時、ラーグは目の当たりにした異様な力の正体を思い出していた。
「知ってるよ。お前も銃に天法を込めながら思い出したんだろ? 俺もあのとき、お前のぶっ放した光で思い出したぜ。天法自体は知ってても、そいつを強化する武器なんてもんがあるのは知らなかったけどよ」
「ラーグが知らなくても無理ないわ。天界の武具はレアアイテムで、そもそも世間一般に存在すらあまり知られてないもの。こんなふうに持ち主が揃うなんて、かなり珍しいはずよ。だからさっきホーコと合流したとき、天銃を持ってたから驚いたわ。嫉妬もしたけど」
「そんな貴重な物であるとは存じませんでした。サロリアさんのトンファーも似合ってますわよ?」
「悪意はないんだろうけど、褒め言葉としては受け取れないわね……」
目を逸し、純真な眼差しで向けられた感想に困り眉を作りサロリアが呟く。
天法は誰しもが扱える異能力で、人の手では起こせるはずのない超常現象を決められた単語を発するだけで実現できる力だ。便利に扱うこともできるが、天法が具現する現象は対人と対物相手に特化しているから、基本的には兵器のように攻撃手段として利用される。特に遠距離の攻撃手段は天法が主流で、大規模の戦闘では戦場に鮮やかな光が飛び交うのは当然の光景とされている。
ただでさえ強力な天法の威力をさらに増強できるなら、天界の武具を持つ二人は相当な実力者だ。
ホーコは記憶を失っているから、自覚はないのだろう。今も不思議そうに、凶悪な能力を秘める武器を脳天気に首を傾げて眺めている。
「どうしてそんなに貴重な物を私が持っているのか、考えても考えても全然思い出せません。コレを持ち歩いていたなら、私は戦いを好んでいたのでしょうけど」
「宝の持ち腐れでなければね」
「サロリアさんのトンファーはどう入手を?」
「トンファーっていうのが滑稽な響きで恥ずかしいって……あたしがそう感じるのを面白がって、主からプレゼントされたのよ。強力なのは間違いないし、天拐を使いこなす武術の才能が意外とあって馴染んじゃったんだけど。でも発端は戯れよ。物理武器なのに銃みたいに天法を撃てるのもバカみたいだし」
「撃つって、ただの棒ですわよね? 銃口もないのに、どうやって?」
「いずれ必要ができたら披露してあげるわ。そんな機会、そうそう無いだろうけど」
「ちょっとだけでいいので見たいのですが、同じ天法を増幅する武器となると、とても興味がありますし」
「初対面の人と打ち解けるための一芸の道具じゃないの。主からも無闇に使うのは控えるよう命じられてるのよ。悪いわね」
興味津々のホーコだったが、これ以上粘っても無駄と判断して引き下がった。サロリアは意志が強く、無理に聞き出そうとすれば機嫌を損ねかねない。四英雄とやらに会う目的を果たすには、ここで彼女に愛想を尽かされる事態は避けたいのだろう。
「ま、ダサいとは言ったけど護衛には長けてるわ。使いこなせるようになったから、ていうのも大きいけど」
「ご主人様はサロリアさんを信頼しているからこそ、その武器を選んだのですね」
「さぁね。天法を強化する武器は貴重だから、託してくれたのは期待されてるからだろうけど、こんな棒じゃあテンション上がらないわよ。ホーコの天銃が羨ましいわ。銃の形状をしてるから、たぶん射程距離と命中精度の増幅に特化しているんじゃないかしら。違う?」
「その通りなようです。威力の増幅はされませんから、標的を倒し切るのは難しいでしょうけど」
「一発で無理なら何発でも当てればいいのよ。命中率が高いなら可能でしょ? あたしの天拐は中途半端よ。打撃時にも防御時にも天法を付与できる汎用的な性能だけど、基本は格闘術の拡張だし。地味すぎよね」
「地味だろうが俺にとっちゃ羨ましい限りだぜ。ただでさえ天法が便利だってのに、そいつを更に強化できんだもんな。俺なんて天法自体が使えないんだぜ?」
別段回答を期待したわけではない。
何気なく言ったラーグの感想に、サロリアが首を傾げる。ホーコも片眉をあげる奇妙な表情で彼を見た。
「んだよ、不思議なモン見るような顔して。俺自身が不便ってだけで、気に障るような話じゃねぇだろ?」
「それ本当? 天法が使えないって」
サロリアが受け入れられない様子で尋ねる。
どうしてそこまで疑われるか、ラーグにはわからない。
「さっきホーコの天法を見させてもらったけどよ、発動してんのは見りゃわかるし知識としても覚えてる。けどな、自分じゃできねぇんだよ」
「ラーグさんは私と同じで記憶を失ってますのよね? ご自身が天法を使えないと覚えていますの?」
「どういうわけか知らねぇけどな。自分の名前すら曖昧だってのに、俺がお前らみたいに特別な力を持ってないのだけは鮮明に覚えてんだよ」
「いいえ、ラーグは勘違いしてるわ」
自信に満ちる否定でサロリアが会話に割って入る。
「天法は『特別な力』でもなんでもない。天法は誰もが使えて当然の能力で、例えるなら息を吸って吐く行為と同じくらい、この世界に生きる人間なら当たり前に使えるのよ。あたしは主の命令で色んな所に行ったけど、天法を使えないって言う人は見たことないし、噂でも聞いたことないわ」
「嘘だろ? じゃあ俺の記憶違いってわけか?」
「さぁ……とりあえず、試してみてくれない? 天法の扱い方は頭ではわかってるのよね?」
世間の常識と自分の知識が乖離している。天法の概念自体はホーコとサロリアの認識と違っていないのに、自分が扱えないのはおかしいという。ラーグからしてみてれば二人の主張こそ耳を疑う内容だった。事実として自分は天法を使えない。何故か、それだけは疑う余地がないと思えるほど、はっきりと覚えているのだから。
試してみろと言われて真っ先に浮かんだのは、ホーコが天銃の性能を確かめるために放った天法。
知識として、どうやれば発動できるか知っている。自分には発動できないはずだが、記憶喪失で自分が何者かさえ曖昧な状態だから、残っている知識だって正しいとは限らない。
「――ミョルニル」
納得のいかない二人のために、それと自分自身を納得させたくてラーグは実演してみせた。
想像と寸分違わない結果だった。虚空にかざした手のひらに変化は起きず、ただ静寂がラーグを包む。
「……本当にできませんのね。どういうことなのかしら。サロリア、わかります?」
「さっぱり。本気でやってないなら隠せたりも可能でしょうけど、メリットがないわよね。そもそも手を抜いてるようには見えなかった。なのに間近で天法が発動する時の肌がひりつく感覚もなかった。いくら能力を抑えても、天法の気配を完全に消せるとは思えないわ」
「能力を増強する武器があるなら、能力を抑える道具もあるのでしょうか」
「聞いたことないわ。能力を抑える武器も、天法を封印するような代物もね」
「本当に無防備なのでしたら、いったいラーグさんはどうやってモンスターと戦ってきましたの?」
それはラーグにとっても疑問だった。
この世界は人間の営みに危害を加えるモンスターで溢れている。モンスターから身を守るべく生まれたのが武器や防具で、さらなる安全のために人類は天法を会得したとされている。いつ、だれが天法を広めたのかは記録に残っていないが、使える者からすればさほど重要ではない。呼吸と差のない人間としての当然の機能程度の認識だ。
使えることが常識だから、ラーグが使えないのは確かに問題かもしれない。
天法が駄目ならモンスターには武器防具を持って地味に応戦するしかない。ただ、記憶喪失のせいで自分がどんな武器を好んでいたのかすら不明なうえ、ホーコと違いラーグは武器の所有していなかった。
「わかんねぇな。なんせ記憶を失ってんだ。いざ戦ってみたら思い出すだろ」
「危険すぎますわ。私が守って差し上げますから、モンスターが出たら後ろに隠れてくださいまし」
「冗談じゃねぇ! なんで俺がお前に守られなきゃいけねぇんだ」
「貴方のためです。モンスターが人の命を奪う危険な存在というのは覚えているのでしょう? 無茶は控えるべきですわ」
「やってみねぇとわかんねぇだろ。モンスターが出てきてから考えりゃあいい。しなくてもいい心配すんじゃなぇよ」
「なら、試しても駄目ならプライドを捨ててください。そもそも戦えそうになければすぐに控えるのですわよ?」
「しつけぇな。母ちゃんかお前は」
「記憶喪失だからわかりませんわ」
「いや、流石にそれは否定していいだろ……」
自分は戦えないと断定されて、反射的に否定をしている自分にラーグは少しだけ驚いた。武器も天法も無く人々の生活を脅かす存在を相手にできるなど、ホーコの言う通り無謀な話だ。頭ではそう理解できるのに。
何故なのだろう。頭ではわかっているのに、自分はそれでも戦えるのだと根拠もなく信じられた。
記憶喪失であろうとも身体は動くし、自分自身に関する内容を除けば多くの知識が記憶に残っている。戦いに対する正体不明の自信も、虚像とは違う気がしていた。
「あなた達なんか色々言ってるけど、ちょっといい?」
割り込んだサロリアの声には、僅かな困惑が混ざっていた。見れば、整った顔の眉間に小さなシワができている。
「なんだよ。お前も俺におとなしくあたしの背中に隠れろって言いてぇのか?」
「違う。あなた達はモンスターを警戒してるのかって話よ」
「他に優先することがありますの?」
「優先っていうか……なんでモンスターを警戒する必要があるのよ」
「だって、人の悪意のほうが恐ろしいとの意見もありますが、どこに潜んでいるかもわからない悪人を警戒するより目先の単純な脅威でしょう? そういえばこのダンジョンではモンスターと出会っておりませんわね。優秀な冒険者が駆逐したのかしら。攻略されたとはいえ、攻略後にも新たなモンスターが住み着きそうな場所ですが……サロリア、あなたが?」
「そうじゃない。ひょっとして、本当に知らないの?」
「知らないって、どういう意味ですの? あ、もしかしてこのヘイムダルの迷宮はモンスターの近寄れない聖域なんですの? この場所自体は存じませんが、聖域があるのは覚えていますわ。なら、安全ですわね」
「それも違う。本当に知らないのね」
明らかに困った様子だったが、サロリアは平坦な声で言った。
「モンスターはね、もう世界中のどこを探したって存在しないのよ」