ヘイムダルの迷宮1
また、眠ってしまったのか。
あるいは気絶。自分の身に起きた異変の正体には見当もつかないが、気を失う前の記憶は残っている。視界には、気を失う直前に仰いだ天井が広がっていた。
「えっ――ラーグさんっ!? 大丈夫ですのっ!?」
ホーコの声が遠くに聞こえた。
実際に、ホーコは離れた所から駆け寄ってきている最中だった。気絶してる状態で見守られていたわけではないらしく、情けない姿を晒す無様は避けられたようで安堵した。
それにしても走りにくそうだ。ホーコは長いドレスの裾を激しく揺らし、揺れ方に見合わない緩慢な速度で駆けている。初めはそれが服装のせいだと思った。だがそうではなく、裾を摘むこともなく左右の腕を正面で合わせた不自然な走り方に問題があった。
彼女の両方の手首は、銀色の物体で縛られていた。
妙な格好のホーコが到達するより先にラーグは起き上がった。手のひらを握ったり閉じたり、肩を回したり腿上げしてみるが、身体の機能に異常は感じられない。
「ラーグさんどうされたんですの? 倒れているように見えましたが」
「それよりお前だろ。なんだソレは」
「いいえ、ラーグさんが倒れていたことのほうが大変ですわ」
「いやそうじゃないだろ……まぁいいけどよ、なんか気を失ってたみてぇだ。お前が部屋を出ていくのを見届けてる最中に意識が遠のいて、ちょうど帰ってきたときに目が覚めた。ここを出てから、どれくらい経った?」
「5分程度でしょうか。上の階に出て、すぐ戻ってきましたので」
「たった5分……違うか。5分間も、と考えるべきだな。クソッ、なんなんだコレは。このヘンテコな場所で記憶喪失になってんのと関係あんのか?」
「私を覚えているなら、今回は記憶のほうは無事なのですね」
「ああ、確かに。お前が現状把握を軽視して、楽観的に一人で探索に向かったのも覚えてる」
「棘のある言い方ですわね……残念ですが、私の判断のおかげで状況は打破できそうですわよ?」
「手錠して戻ってきた奴のセリフとは思えんな」
誇らしげに今にも鼻を鳴らしてきそうなホーコの手元で銀の手錠が光る。
奥の階段から戻ってきたホーコは一人ではなかった。彼女の背後から悠然と歩み寄ってきている女性がいて、上の階で何があったのかを想像するには充分すぎた。
しかし奇妙だ。ホーコを拘束したと思しき女性は膝丈の灰色のドレスに白いエプロンの淑やかそうなメイドの格好をしていた。服装に見合わず、髪は茶色で2つに分けた後ろ髪が白いフリルの髪飾りで縛られていて派手だ。顔立ちは人形のように整っているが、近づいてくる彼女は、理由は不明だが喜びを隠せないのか口端があがり目元が歪んでいる。無表情であれば、立派な淑女に見えるだろうに。両手には黒いグローブを装着しているうえ武器と思しき2本の長い棒を背負っていて、本当にメイドなのかは実に怪しい。
「執事、お嬢様ときて今度はメイドか。ホーコお嬢様を迎えに来た本物のメイドか? なかなか強引なお迎えに思うが」
「ホーコとは上の階で初めて会ったのよ。あなたと同じようにね」
初対面の距離感がバグっているのか、メイドはラーグの眼の前まで来て、断りもなく彼の右手を掴んだ。もう片方の手に銀色に光る物体を確認して、ラーグは右手を引っ込める。意外にもメイドの腕力は強烈で戸惑ったが、手錠をかけられる寸前で強引に回避した。
「コミュニケーションって知ってるか? 人形みたいにかわいい顔してると思ったら、性格まで人間味に欠けてんな。おいホーコ、お前も同じようにされたのか?」
「そうですけど、別には私たちに危害を加えようとしているわけではありませんわ」
「自分の手についてる物が見えてねぇのか?」
「手錠はされていますけど、同意したうえですもの。ま、まぁ、同意したのは付けられた後なのですけど」
ますます状況がわからなくなってきた。早く説明をしろとラーグがメイドのほうに目を向けると、彼女は本物の人形のように微動しなくなっていた。
観察のために顔を近づけると、条件反射で彼女が一歩後ずさる。
「なんだよ、俺を捕まえたいなら離れんなよ」
火照った頬でモジモジするメイド。近づいてきていた時とは一転して弱々しくなった彼女に、ラーグはもう一度詰め寄った。
瞬間、彼女の雰囲気が変わったと感づいた直後には、先ほどとは段違いの早業でラーグの片手に手錠がかかった。もう片方の手に繋げられる前に、ラーグはまたメイドから離れる。
「油断したわね。『人形みたいにかわいい』とか言われてあたしが動揺したと思った? 悪いけど自分のかわいさは自覚してるから。さぁ、諦めて手を差し出しなさい。なんなら、自分でつけてもいいわよ?」
「なに気色悪い勘違いしてんだ? 俺は自分の服が臭ってんのかと思って動揺したんだ。おめでたい頭してんな」
「ま、そういうことにしておいてあげる。とにかく手を差し出しなさい。あなたラーグよね? ホーコから名前を聞いてるわ」
「まず説明しろよ。ホーコにはしたんだろ?」
「心配しなくても、つけてからちゃんと説明するわ」
「つける前に説明しろよ」
「つける前に説明したら、手錠を拒否されるかもしれないでしょ?」
「そりゃそうだろ。めんどくせぇ奴だな。もういい、ホーコから教えてくれ」
事態を傍観していたホーコがメイドに視線を送る。メイドは両手を平にして、やれやれと肩をあげた。どう考えたって自分は悪くないのに、自分のほうに非があると言わんばかりの所作にラーグは少しイラッとした。
「わかったわよ。先に説明するわ。ホーコには話しちゃったしね」
『最初からそうしろよ』と言いかけて、ぐっと喉元で抑えた。機嫌を損ねると面倒な状況が長引きそうだ。
「あたしはサロリア。このヘイムダルの迷宮に、主の命令である物を探しに来たの。あるとしたら、この上にある迷宮の最深部だと思っていたわ」
「最深部って、そりゃおかしいだろ。俺たちのいる部屋が下というか、一番奥にあんだよな?」
「だから、おかしいのよ。こんな部屋があるなんて知らなかったから。ここが本当の最深部だったってわけね。びっくりしたわ。探し物をしてたら急に床の一部が光りだして、触ったら隠し通路だけじゃなくて人まで出てきたんですもの」
「全然わかんねぇな。なんでそんな場所に俺たちがいんだよ」
「それ、あたしのセリフだから。どうやってこの部屋に入ったのよ?」
「ホーコにも聞いただろ? わけのわからんことに二人とも自分に関する記憶を失ってる。いま思ったが、お前が隠し階段を見つけたのと俺たちが起きたのは同時なんじゃないか? 目的があってこの隠し部屋を見つけたんだろ? お前の目的と俺たちが無関係ってのは、ちょっと不自然だよな」
自分の推論は的確でなくとも大筋は合っているはず。目覚めてから何一つとして理解の及ばない状況を打開するには、外部から現れたサロリアだけが頼りだった。
「残念ながら、あなたたちを捜しに来た捜索隊とかじゃないわよ。こんなところに人がいるなんて、少なくともあたしは想像もしてなかったし。あたしは主から命じられてヘイムダルの迷宮に来たの。最深部までいって、残ってる物はどんな物でも必ず持ち帰れってね。それが人でも例外じゃないって、はっきりそう言われたわ」
「サロリアさんのご主人様は、ここに何があるか知ってましたの? 隠された場所というのに」
たまらず横から尋ねたホーコに、サロリアは両手を平にした。
「さぁね。あたしの主は世界を支配する4つの“禁忌”を封じる力がどこかにあると信じてて、今回もその探索だったのよ。色んな所を回ったけど、人が見つかったのは初めてよ」
「『禁忌』……? 聞き覚えがあるような、ないような……妙に記憶に引っかかる言葉ですわね」
ホーコは頭痛を抑えるように漏らしたが、ラーグに同じ感覚はなかった。記憶を失う前の自分に、ラーグは感謝したくなった。
『禁忌』なんて物騒な響きの代物は、知らないほうがマシだろうから。