シャンロン7
突如として、その声は聞こえた。建物の外から拡声器により響いた声色は男性のものだ。落ち着いた声と冷たい言葉から、友好的な相手とは到底思えない。
「会いに行く手間が省けたようね。あっちから来てくれたみたい」
「ルヴァンシュか?」
「ルヴァンシュは女性だから。彼女もいるかもしれないけどね」
物音がしてラーグが振り返ると、サロリアが部屋の隅に置いていた天拐を装備していた。視線に気づき、サロリアと目が合う。明らかな不快感と敵意が瞳に滲んでいる。
「ルヴァンシュの犬が来たのよ。レンメイは警戒されてるから、ちょっとでも怪しい行動をしてると思われたら、色々聞き取りにわざわざ出向いてくるの。力で脅しながらね」
「ということは、常に監視されていますの?」
「あまり頼み事をできそうな間柄とは思えませんけれど……」
「――あと十秒待とう。十、九――」
催促するカウントが始まり、サロリアが舌打ちをする。
「相変わらず短気なヤツ。レンメイ、まずはあたしが行くわ」
「いいえ、私も行くわ。紹介したい人もいるもの」
ソファから立ち、猶予もないから特段準備することもなくレンメイも廊下に向かう。戸惑ったままホーコも腰をあげる。
「これ、間に合わないとどうなりますの?」
「下敷きになるでしょうね。この建物の」
「そんな、やりすぎですわ!」
「外にいる連中は私たちの敵なの。理由をつけて脅威を排除したいと考えるのは、そこまで変でもないでしょ?」
先陣を切ったサロリアが玄関の扉を開けると、周囲に響いていた拡声器の音が『一』をカウントしたところで止まった。
まだ昼下がりの明るい時間帯だが、外で待ち構えていたのは対象的に穏やかではない光景だった。
センチネルと紹介された巨大な騎士甲冑の兵士が三体。足元にいる黒髪の男に従うように、彼の後ろで控えている。平然とレンメイの家の敷地に侵入している男は、目的の人物が現れると芝生に拡声器を置いた。
「そちらにいる見慣れない二人が“協力者”か。シャンロンの住民ではないうだが、まさか外に知り合いがいたなんてな。いよいよ計画を実行に移すつもりか」
「恐いな、ただ街に来ただけなのに、知らん間にどんどん巻き込まれてくってのは」
「黙れ。貴様には訊いていない。お前たちのご主人様が代表して答えろ」
見た目通り、随分冷たい男だ。表情も声色も相手に良い印象をもたせようという気は一切ない。穏やかに問題を解決しようと尋ねたわけではないのはレンメイの呼び出し方から察していたが、レンメイ側には四人いる。それでも態度を変えないのは、センチネルがいれば戦力で劣る事態にはならないと確信しているからだろう。
「久しぶりに来たと思ったら、そういうこと? この二人を理由に、私たちを拘束しようって魂胆ね。ラーグも言ったけど、ほんと妄想を膨らませるのが好きね。そんなに現実が退屈なら、リバースでもして生まれなおしたら?」
「貴様にも訊いてない。飼い犬ごときが俺に話しかけるな」
「それ、そのままアンタに返すわ。私はレンメイと対等だけど、アンタは本物の飼い犬でしょ?」
「レンメイ、面倒なことにしたくなければ、答えろ。そこにいる髪の長い男と銀髪の女は誰だ。関係についても話せ」
割って入ったサロリアは相手にされず、敵の男とは対照的に感情剥き出しで今にも手を出しそうな雰囲気だ。それはそれで面白い展開だとラーグは思うが、ホーコは不安そうに一方的に火花を散らすサロリアを眺める。
「あいつはルヴァンシュの部下みてぇだけど、知らないのか?」
「えっ、あぁそうですわね。残念ながら、記憶は特に刺激されてません。相手も私を知らないようですし、初対面だと思いますわ」
「まぁそうか。相手が知ってりゃあ、なんか言ってくるよな」
つまりルヴァンシュとサロリアが知り合いだったなら、ルヴァンシュに会えば何かしらの反応があるはず。訪問してきた敵の男を利用するのも、手っ取り早くルヴァンシュに会う方法として良さそうだ。
「落ち着きなさいサロリア。ヴィードさんも、もう少し冷静に話してくださらない?」
「これ以上の優しさを求められても困るな。貴様らの企みを把握したうえでの対応と思えば、理解しがたいと指摘されかねない格別の態度だと思うが」
「私たちの企みって、何を指しているのかしら?」
「否定したいなら好きにしろ。どんな手段を考えたか知らないが、その二人が重要人物だろ? 2年近く貴様らを監視してきて、家に人を招いたのは今日が初めてだ。疑われなくないなら、説明してみるんだな」
「貴方のいう“協力者”と同じかはわからないけれど、私にとって二人が“協力者”なのは否定できないわね。事実だもの」
「開き直ったか。別に俺はそれでも構わないが、認めなたら、ようやく貴様を裁ける」
「話してる言語が違うの? 私は貴方に抵抗するなんて一言も言ってないでしょ? 貴方がラーグとホーコとの関係性を尋ねたから、私は“協力者”と素直に答えた。それで会話は終わり。ここにきた貴方の目的も達成されたんじゃなくて?」
ヴィードは返事をする代わりに、提げていた剣を引き抜いた。左手で引き抜いた剣は、背後に控えるセンチネルの手に握られる巨大な剣を小型化したかのような形状をしている。彼の所作に応じて、3体のセンチネルの巨躯が僅かに前傾姿勢をとる。
「勘違いさせたなら悪かったな。俺は話を聞きに来たんじゃない。貴様ら二人では、いかなる手段を講じたところでルヴァンシュ様を脅かす脅威たりえないが、人が増えたなら話は変わる。特に、シャンロンの外から来た協力者には、裏をかかれる危険が生じるからな。危険は事前に摘み取る。それが平和の作り方だ。街を治めていた人間に育てられた貴様も心得ているようにな」
「随分高く買われてるみたいよ?」
レンメイも取り合わず、ラーグとホーコに目を向ける。きな臭い会話からして、穏やかに解散する流れにはなりそうにない。
「あんなデカい奴を3体も相手に勝てると? 無理に決まってんだろ。1対1なら、倒せるかもしれないけどな」
「『倒せる』か。1対1であればセンチネルを打倒できるなら充分な脅威だな」
「まぁな。コイツの持ってる武器と天法、だったか? それがありゃあ楽勝だぜ。なぁホーコ?」
ヘイムダルの迷宮の地下で見た天銃から射出された稲光は凄まじかった。あんなものをマトモに浴びたら、たとえ甲冑をまとう巨躯の兵士であれど無傷で済むとは到底思えない。胸部を貫かれ、片膝をつき手放した巨大な剣と共に地面に倒れ伏す姿が目に浮かぶ。
「ラ、ラーグさん!? いったいなにを!? あんな巨人、倒せるわけありませんわ!」
「やってみねぇとわかんねぇだろ。自分を信じろって。あのバビューンって感じの一撃で全部終わるから」
「たとえ倒せても、まだ残り2体もいますのよ? レンメイさんの家にも被害が出るかもしれませんし」
「元から家ごと潰すつもりで来てんだろうよ。お前が『倒せる』とか言うから、あのヴィードとかって野郎もやる気になったみてぇだぜ?」
聞こえるように言うと、無表情だったヴィードの口元に薄っすらと笑みが浮かんだ。
「そうだな。本当に倒せるなら、実力を測る意味でも試すだけの価値はありそうだ」
誰に聞かせるわけでもない独り言のように呟くと、外側にいたセンチネルの一体が前進して、ヴィードの前に立った。地面に向いていた剣先を持ち上げ、臨戦態勢をとる。瞳は見えないが、頭部の向く方角からホーコを見据えているのは明らかだ。
「気をつけなさい、センチネルは相当強いわよ」
「家はどうなっても構わない。また立て直せばいいから」
「よかったな。家主の許可もおりたぞ」
ラーグたちにも後押しされて、いよいよ引けなくなった。味方の面々を見回したホーコの目に映ったのは、一様に期待を込めた眼差し。失言だったと後悔するには遅かった。謝ればヴィードは手を引いてくれるかもしれないが、レンメイを失望させてしまう。彼女を失望させれば、記憶を取り戻すための大きな手がかりであるルヴァンシュに会わせてもらえなくなるかもしれない。
だいたい、どうして倒せるかもしれないと言ってしまったのか。不思議なことに、考えなしになんとなく言ったのではなかった。ホーコ自身、本心から不可能ではないと思ったからこそ、率直に答えた。記憶の大半を失っているから、自分の本心すらも曖昧ではあるけれど。
けれど、直感が正しいとすれば無茶ではない。シャンロンの人々が全く歯が立たないセンチネルを相手に、自分なら勝てるかもしれない。覚えていないが、センチネルに近しい相手を倒した経験があるからこそ、この直感が生まれている。そう考えれば不思議な自身の感情にも合点がいく。どうせ後に引けないなら、やるしかない。
しまっていた天銃の銃把を握り、対峙する四倍近い体躯の巨人の瞳のない頭部に銃口を向ける。人ではないから、深淵を捉えてもセンチネルは微動だにしない。変わらず剣先でホーコを捉えたまま、不気味に佇立する。ホーコは敵の一挙手一投足に注意を払いながら、左手を天銃の宝石部分に添える。手と宝石の接触面から、紫の光が溢れ出す。
瞬間、対峙するセンチネルが動いたかと思うと、想像を遥かに超える速度で接近した巨躯の剣はホーコを範囲に捉えていた。
天法を込める動作を中断して身を引く。振り下ろした巨大な剣が大地が揺らす。その空振りを待っていたかのように、ホーコの視界の脇から素早くセンチネルの懐に潜り込む影があった。
ホーコがサロリアだと思った影は、意外にもラーグだった。何も武器を持たず、ラーグは己の拳を振りかぶる。
拳はセンチネルの腹部に突き出された。鉄を叩く甲高い音もなく、敵に怯む様子もない。
反撃に転じた巨躯の蹴りを全身で受け、ラーグの身体は蹴飛ばされた球のように地面を飛び、ホーコを横切って背後の家の壁に衝突する。ホーコとサロリアが彼の名前を呼び無事を確かめる。蹴飛ばしたセンチネルは追撃に移ろうとしたが、ヴィードが静止した。
「冷たい主だな。貴様も心配してやったらどうだ。無力な奴が身を挺して守ろうとしてくれたのだから」
敵の言葉に、ホーコとサロリアが振り向く。ヴィードの言葉通り、レンメイは冷徹な仮面を被ったまま、ラーグを蹴飛ばしたセンチネルを眺めている。
「追撃しなくていいの?」
今度はレンメイの一言に、ヴィードが視線を動かす。壁に跡を残すほどの勢いで激突して力なく倒れていた男が、他人の助けを借りず自分で手をついて立ち上がった。長い髪と衣服に付着した土を嫌悪感を浮かべつつ手で払う。レンメイ以外の呆然とした視線を浴びたラーグが、静止しているセンチネルを挑発するように手招きした。
「これで終わりか? 大したことねぇな」
「――やれ」
困惑を捨てヴィードが命令をくだすなり、センチネルは先と同じく一瞬の間に肉薄する。体躯が四倍あるのだから、距離を詰める速度も四倍。視界に映る範囲で全速力で接近された相手には、一瞬と感じるほどの速さだ。
振り下ろされる刃に対して、あろうことかラーグは腕をクロスして受け止めようとする。逃げられないから迷走したのではなく、初めから逃げるそぶりも見せず、正面から巨大な剣を受けるようとする。
頭から真っ二つにする角度で振り下ろされた刃は、ラーグの防御姿勢も虚しく勢いを緩めぬまま剣先が土に突き刺さった。
刃の中心をクロスした腕で受け止めたラーグは、受け止めた姿勢のまま剣に押しつぶされる格好で倒れていた。刃と触れた箇所は断ち切られるどころか、斬られた形跡すらもない。
仰向けのまま、ラーグは当惑した様子のヴィードを見上げる。
「やっぱりな。コイツごときじゃあ俺は倒せねぇみたい――」
剣を退けたセンチネルに踏み潰され、ラーグの声が途絶える。巨躯が執拗に繰り返し踏みつける衝撃に大地が揺れ、土に刻まれる跡が徐々に深くなる。
しかし、もう彼の身を案じる者は誰もいない。
規則的な間隔で繰り返される衝撃。ヴィードが再び静止の命令をくださない限り、永久的に同じ動作を続けそうでもあったセンチネルの甲冑を、突如として背後から一筋の稲光が貫いた。正確無比に、人間であれば急所である心臓に相当する位置を背中から胸にかけて貫通した。
衝撃が止まり、伴っていた揺れも収まった。身体を貫かれ静止したセンチネルの手から、剣がこぼれる。巨躯は倒れ伏すことなく、貫かれた胸部の風穴が広がるように全身が塵と変わり、霧散した。
周りの視線が別の人物に移る。
注目を一斉に浴びた先で、引き金の引かれた天銃が微弱となった稲光の残滓をまとっていた。