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ユグドラシル公国 前編

 まだ日も昇っていない早朝。

 ヴァーベナから改めて診察を受けたフォスキアは、医務室から走り歩きで自室へと向かっていた。


「(え?え?え?私、え?り、リージアと?え?お、大人の階段、昇っちゃった?え?)」


 トマトのように赤い顔を隠す事なく歩くフォスキアは、ヴァーベナの診察なんて頭に入っていなかった。

 とにかく頭に思い浮かぶのは、寝起きの視界に映り込んで来たリージアの寝顔。

 可愛らしいその顔を見て飛び上がり、昨日(さくじつ)の記憶が無いおかげで大人の階段を昇ってしまったのではないか、と言う疑問ばかりが頭を過ぎる。


「(何が有ったの?酔った後、私、何をしたの?……あ、ダメ、残念ながら何も思い出せない!)」


 思い出したいというのに、リージアとカウンターから転がり落ちた辺りから記憶が無い。

 リージアとのめくるめく素敵な夜が有ったのか、たまたま同じ場所で寝ていただけなのか。

 焦りや酒の影響で、何も思い出せない。

 汗まみれの身体を引きずりながら、フォスキアは自室へと突入する。


「(いや、残念とか言ってる場合じゃないわよ、落ち着きなさい、私)」


 高速ドラミングの如く鳴り響く心臓を押さえるフォスキアは、一旦深呼吸を行う。

 確かにリージアとそう言う関係になりたいとは思わなくもないが、酒に酔ってという状況は望まない。

 ゆっくりと呼吸を整えて行くと、徐々に落ち着きを取り戻していく。


「……よし、よくよく考えたら、私服着てるし、リージアも服着てたし」


 冷静になった事で、フォスキアは自身の服が崩れていない事に気付いた。

 しかも思い出してもみれば、リージアも服を着ていた。

 それだけで、そう言う事をした可能性は限りなくゼロに等しくなる。


「……はぁ、何だろ、安心したような、残念なような……よし、忘れよう、うん、こう言うのは、すぐに、リージアも言ってたし……」


 とりあえず忘れようと両ホホを軽く叩き、少しずつ冷静さを取り戻していく。

 徐々に顔の熱も冷め、今朝の事も忘れ始める。


「(いや忘れられるか、あんなトンでもイベント!)」


 何てことも無く、また先ほどの光景がフラッシュバックし、顔もまた熱くなってしまう。


「ああもう、お酒!やっぱこういう時はお酒!」


 一応この後で大事な戦いが有るので、できる事であれば飲酒は控えたい所。

 だが飲まなければやって居られない。

 落ち着きを取り戻すためにも、フォスキアは自室に常備しておいた酒瓶とグラスを手に取り、そのままベッドに座る。


「一杯だけ、うん、一杯だけよ」


 明らかに一杯では済まない時のセリフを発しながら、フォスキアは中身を注ぎ、すぐにグラスの中を飲み干す。

 喉に乾いた痛みが走ると共に、入り込んで来たアルコールは血中を通って脳へ到達し、軽い興奮状態へと誘い始める。

 ほろ酔い状態となり、先ほどまでの恥ずかしさはちょっとだけ和らぐ。


「……ふぅ、さて、一旦現実見ましょうか」


 何時ものフワフワとした感覚となり、フォスキアは改めて室内を見渡し始める。

 よくよく見てみれば、この部屋には違和感が有る。

 一昨日脱ぎ捨てた服は綺麗に畳まれ、恥ずかしさを紛らわせるために飲んだ酒も無くなっていた。


「めっちゃ綺麗になってるし、何より、ベッドも新品同然ね、それと……」


 更に部屋は埃一つ無い位清掃されており、ベッドもシーツや毛布が真新しく交換されている。

 まるで有能なメイドが片付けた後かのように、整った部屋の内装。

 それはそれで良いのだが、一番気になるのはゴミ箱の中だ。


「なにこれ、血?」


 ゴミ箱の中には、血の付いたチリ紙が複数捨てられていた。

 今この艦内で血を流せるのはフォスキア一人なので、自分の血である事は確実だろう。

 別に女の子日でも無ければ、ここしばらく流血した覚えもない。

 変な恐怖が急に襲い掛かり、鳥肌が少し立った。


「……これは仕方ないわよね、ちょっと怖いし」


 等と言い訳を並べながら、フォスキアは酒をもう一杯飲んだ。

 普通に考えて、身に覚えのない血の付いたティッシュが捨てられていたら怖いだろう。


「はぁ、こんな調子で今日の戦い大丈夫かしら」


 不安を抱いたフォスキアは、また酒を注ぎ直して一杯飲み干す。

 隊長であるリージアと変な空気を形成してしまい、更には精神状態も不安定と自覚している。

 現場で集中を欠くような要素が多く、前線から外されても文句は言えない。


「……ん?電話?」


 悩んでいると、部屋に取りつけられている固定電話が鳴り響いた。

 驚きながらも受話器を取ったフォスキアは、電話の相手と対談する。


「えっと、もしもし?」

『あ、あー、フォスキア?』

「ッ、り、リージア?何?」

『え、えっとね』


 電話の相手であるリージアの声を聴いた途端、フォスキアはまた顔を赤くした。

 リージアの声もどこかよそよそしく、所々震えてしまっている。


『そ、その、あ、あんな感じだったけど、私達、その、何も、無かったから』

「そ、そう、だ、大丈夫、わ、分かってる、から」

『あ、あはは、そ、そうなんだ』

「え、ええ……」

『う、うん……』


 どうやらリージアの方は何が有ったのか覚えているのか、何も無かった事を告げたかったらしい。

 もう声を聴くだけで恥ずかしく思うフォスキアだが、それはリージアも同じなようだ。

 二人そろって沈黙の時間が続いてしまう。


『その、今回の戦い、頑張ろうね』

「え、ええ、もちろん、貴女達の期待は、裏切らないわ」

『あはは、ありがと、そ、それじゃ、六時に、集合、で』

「分かったわ」

『うん、それじゃ、また』

「ええ、また」


 通話の終わりと共に、フォスキアは受話器を置いた。

 嬉しさと恥ずかしさのおかげで、良く解らない高揚感が溢れてしまう。


「はぁ、日に日に意識するようになっちゃうわね」


 そんな事を口ずさみながら、フォスキアはデジタル時計に目をやる。

 時刻は午前四時四十四分。

 午前の時刻がゾロ目だとラッキーとかアンラッキーとか、そんな変な話を思い出したが、今はどうでもいい。

 一時間ちょっとで、この世界を蝕む者達に対する最後の戦いが始まる。

 その後リージアがどうなるのか、自分次第でも有る。


「……でも、何かしら、この胸騒ぎ」


 リージアとの関りとは違う、また変な胸騒ぎを覚えながら、フォスキアはもう一杯グラスを傾けた。


 ――――――


 その頃。


「はぁ、やっと落ち着いて来た(そうだよね、普通に考えて、あんな状況だったら、アハンウフンな事が有ったって、思うよね)」


 自室で服を着替えるリージアは、フォスキアの部屋の電話に繋いだ通信を切った。

 そして適当にラフな服装に着替え、自室のベッドへと腰掛ける。


「……このままひと眠り……したいけど、何だろう、目が冴えてしょうがない」


 予定時間まで一時間近く時間が有るので、三十分程寝ようかと思っても目が冴えてしまっていた。

 そもそもモミザと斬り合ったのも、こうして目が冴えて眠れなかったせい。

 その状態が再発し、気を抜けばフォスキアの事を思い浮かべてしまう。


「フォスキア、確かに様子は変だったし、その事も考えたいけど……あ、だめ、彼女の事考えると、別の物意識しちゃう、様子が変だった時は全然平気だったのに」


 昨日からずっと頭からフォスキアが離れないリージアだったが、様子が変な時は緊張の欠片も無かった。

 その事に首を傾げるが、どうしても思考がピンク色に染まってしまう。


「(お、落ち着け、素数でも数えて落ち着け……あ、無理、ダメ、笑顔可愛い、仕草が麗しい、お酒飲んでる姿が哀愁すごい、後、泥酔してる時のフォスキアなんて、妖艶すぎて)」


 どれだけ落ち着こうとしても、リージアの頭に浮かんでくるのはフォスキアの事ばかり。

 特に思い出してしまうのは、泥酔して言い寄って来たフォスキアの姿だ。

 垂れた耳まで赤くなった顔に加え、酔いで緩んだ目と表情。

 柔らかな声で迫られた事で、思春期の中学生の如く興奮が止まらずにいる。


「……ああもう」


 顔を真っ赤にしたリージアは、新調されたように綺麗な枕を抱きかかえた。

 カバーの柔軟剤の匂いが鼻に入り込み、柔らかな感触が腹部に伝わって来る。

 何度か力を込めては緩め、それを繰り返してその感触を確認する。


「……こんなんじゃない、って、枕に何求めてんだって話だけど」


 フォスキアの抱き心地には程遠いが、それでも僅かに思い出す事ができる。

 彼女の豊満でモッチリとした身体、それを形容できる言葉をリージアは思い着けなかった。

 またあの感触を味わいたいと内心思いながら、リージアはベッドに横になる。


「生きてれば、また、何度でも彼女を……でも」


 以前からの自分の目的と、ヘビのように這いずる今の願望。

 目的を果たせば、願望を金輪際叶える事はできない。

 願望をとってしまえば、目的は絶対に果たす事はできない。


「……こんな世界で、この先、生きてたって、何も良い事は無い、でも」


 転がりながら涙を流すリージアは、枕をしっかりと抱きしめた。

 横に流れる涙を拭い、またフォスキアの事を考えてしまう。

 姉たちを喪ってから生きる希望を失い、人類の未来を絶望した。

 おかげで、死への渇望が芽生えてしまっていた。


「……もう、良いのかな?あんな奴らの事も、この世界の事も、何もかも捨てちゃって」


 自分に芽生えた願望を取るという事は、この世界も故郷も全て捨てる事と同じ。

 今もここに向かっているだろう他の仲間達と共に、別の宇宙へと逃げてしまえば全て終わる。

 もちろん、フォスキアも連れて行く。

 そうすれば、野蛮な事から一切手を引く事ができる。


「(でも、今この世界で起きてる災いは、私達が引き起こした事、今日の戦いだけはどんな理由が有っても逃げ出せない、それを最後にしてしまえば、後は、逃げちゃえば……)」


 今回の事の後を考えるリージアは、徐々に目を閉ざしていく。

 それも悪くないと思いながら、余分な時間を消化する為に眠りに着いた。


 ――――――


 時間は流れ、集合時間の午前六時を過ぎ、六時三十分を刻んだ。

 ブリーフィングルームで甲高い金属音と悲鳴が響き渡り、ようやく今回の戦いの会議が開始された。


「……ええ、先ず、三十分も遅れてすみませんでした、時間余ってるしちょっと寝て大丈夫かなって思ってたら、滅茶滅茶時間過ぎてました、すみませんでした!」


 その前に案の定寝坊で遅刻し、急いで着替えて来たのは良いが、お仕置きで殴られたリージアの謝罪会見から始まる。

 モミザの一撃で脳天に巨大なタンコブを作りながら頭を下げた。


「たく、アラーム位かけとけよな、わざわざ必要無い目覚ましまで作ったんだしよ」

「ああ、あれなら撃ち壊しちゃって」

「バカだ、クソ」

「さて、えんもたけなわですが」

「何処がだ?」

「お次の標的に関する情報を開示しますっと」


 モミザの指摘を無視したリージアは、部屋を暗転。

 全員の目の前にあるスクリーンに、次の目標に関する情報を表示した。

 現存する司令船は後一隻なので、その残りに関する情報だ。


「えーっと、残る司令船は、このバハムートタイプだね」

「バハムートって、またおとぎ話級の物が来たわね」

「ま、バハムートって言っても、それっぽく遺伝子操作した奴なんだけどね、因みに、コードネームは『ウロボロス』……正直もうこのカタログ信用できるか解らないけど」


 再びおとぎ話にでも出て来るような名前が出て頭を抱えるフォスキアに相槌を打ちながら、リージアは説明を続けた。

 前回の件も有るので、手元にある情報がどれだけ役に立つかは分からない。

 また変な変異でも起きていたら対応に困ってしまうが、一先ず手元の情報を並べて行く。


「えっと……まぁ、外観は人型のドラゴンで、全高は役七十メートル、アルゴと異なって、空中での活動が可能らしいね」

「次は全長七キロとかじゃないよな?」

「だと良いんだけど、そう言うヤバそうな事に成ってたら困るよ、主砲で薙ぎ払ったらもう再生させられないし」

「もうライル達も居ないからな」

「これ以上面倒ごと広げたくはないしね」


 次の相手であるウロボロスも、アルゴと同様に遺伝子操作で生まれた生物兵器。

 また変な突然変異でも起きているのではないかと、この場に居る全員が不安を募らせてしまう。

 自然をもう一度再生させるとなれば、また二人の人間を連れて来る必要がある。

 そうなれば面倒が増えるので、できれば次は現地住民の力を借りずに勝ちたい所だ。


「と言う訳で、そろそろ目標の上空だよね」

「ああ、ライルが言うには、同様の騒動が起きているのは隣国の」

「……ユグドラシル公国、ね」

「……」


 次の目標が居るとライルが提供してくれたのは、ラマネス王国の隣国であるユグドラシル公国。

 その名を口に出したフォスキアは、目に影を落とした。

 フォスキアの心情を知る者達は、揃いも揃って息を飲んでしまう。


「と、取り合えず、うん、ふぉ、フォスキア、気が乗らないなら、今回は、降下しないでも、良いからね」

「……べ、別に、気にしてないから、チャチャって終わらせて、さっさと逃げれば、問題無いから(里帰り、になるのかしらね?何百年もさまよってたけど、流石にここだけは避けてたのよね)」


 何しろ今から向かう公国は、フォスキアの母国でも有る。

 かつて彼女が迫害され、逃げ出した国だ。

 相手がエルフと言う長命種という事も有って、軽い気持ちで立ち寄ればまた命を狙われる。

 しかも貴族の半数以上は信心深い者ばかり。

 アンジェラが特殊だっただけで、頭の固い彼らが考えを変えてくれるとは思えない。


「(エルフ、どうやら結構頭が固いって所は私の知る所だったし、ちょっと好きな部分ではあったけど、今は鬱陶しい習性だな……ま、フォスキアはそんな事無いけど……あ、やば、直で見れない、心なしかいつもより可愛さがマシマシなんだけど)」

「(あのクソ貴族共の事よ、下手したらここに居る子達も何をされるか分かった物じゃない、勿論、リージアも……ヤバい、直視できない、何か何時もの七割増し位可愛く見える)」

「……」


 頭の中で思考を巡らせる、リージアとフォスキア。

 その二人の間に立つモミザは、何時もより間合いが遠い事に気付く。

 しかも全体的にシリアスな空気が漂っているというのに、何故か二人だけラブコメみたいな空気を発している。


「……おい」

「ッ!?な、何?」

「何でそんなソワソワしてんだ?気になってしゃぁねぇだろ」


 意を決し、モミザはリージアの方へと質問を投げかけた。

 ソワソワとしながらフォスキアの方へチラチラと視線を送っており、対するフォスキアも同じ事をしている。


「べ、別に、ちょっとね」

「そ、そうそう、別に何も無いわよ」

「絶対何か有っただろ!そう言う空気醸し出してんだよ!お前らの間から!」

「だ、だから何も無いって!」

「そうよ!何も無いったらないって!」

「もう有るって自供してるんだよ!その焦り方!!」


 そんな痴話喧嘩をする三人の傍らで、レーニア達双子は黙って作業を続ける。

 特にブライトは、彼女達の惚気話に飽き飽きしてしまっていた。


「……ねぇ、お姉」

「何だ?」

「アイツ等の惚気、BGMにすんの飽きたんだけど」

「気にするな、何も、気にしなければ作業に集中できるさ」


 三人のラブコメ話を聞いている双子は、艦を操作しつつ地上の様子を伺っていた。

 何時ものように上空から望遠カメラで観測し、目標の捜索と戦況の確認を端末による操作で行っていく。

 この辺りの天気はかなり悪く、分厚い雲に包まれているおかげで観測に手間取っている。

 そして、ようやく雲を抜けて地上の様子が見えた事で、レーニアは目を見開く。


「……ん?おい、アンタ等!」

「何もないって言ってるでしょ!」

「ウソつけ!有る奴の反応だろうが!」

「アニメとかだとそう言う風に言われてる人って大体本当の事言ってるじゃない!」

「そう言うのどうでも良いから画面見な!が!め!ん!!」

「何!?」


 まだ言い合いを続けていた三人は、レーニアの言葉で画面へと視線を移した。

 映し出されている映像は、予定通りの平原。

 しかし呑気にピクニックを行えるような場所ではなく、所々焼け焦げ、クレーターなどの戦場痕が痛々しく残っている。

 そこに驚きはしないが、更に驚きの有る物が部隊の面々の目に入り込んで来たのだ。


「……おい、これって」

「まさか」

「戦闘が、既に終わってる?」


 最も目立つのは、半身を吹き飛ばされて倒れ込む人型のドラゴン。

 先ほどのブリーフィングで見たばかりなので、見間違える筈もない。

 彼女達の目標だったウロボロスが、完全に無力化されていたのだ。



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