黒幕
ローチバは兎人の頭領を拘束した。他の兎人はネウスにより身体の内部から破裂して死亡していた。
「兎人たちをどうやって同時に爆発させたんだ?消えてる間に何かしたのか?」
「奴らの体内に俺の爪をそぎ落として入れた。俺のアビリティ『獣化』の限界質量、速度を超えて爪を増大させることで爆発を起こす。それが爆爪だ。」
ネウスは自身のアビリティ『獣化』によって身体を変化させることができる。しかしそれによって変化できる総質量には限界がある。
そのため限界を超えた質量に変化しようとすると身体にセーブがかかる。よって限界を超えて獣化することはできないはずだが、ネウスはそれを振り切る方法を身に付けているようだ。
この世界のアビリティと呼ばれる力は我々のものより自由度がなく不便だと考えていたが、縛られているからこそ裏技のような使い道があるのか、と感心した。
「いつでも殺せたってことか・・・。」
メイトは地下へ移動する間にネウスにさっきの技について聞いた。ネウスのアビリティの能力は分からないがアビリティを使いこなしているのは十分に伝わった。
「あんな雑魚共を殺すのに一秒も要らねぇ。だが、ローチバにケジメをつけさせるために、親玉は譲らなくちゃならなかった。それに併せて、地下で色々試してたからな。雑魚共を殺っちまったら親玉に気付かれる。」
メイトはネウスの口から出た地下という単語に反応した。地下にはバードとイーグがいる。魔力を吸われ、生命力を吸われ、死んでいるかも知れない。早く安否を知りたいと思うと同時に、もし死んでいたらと考えると手が震える。知りたくないとも思ってしまう。それでも・・・。
「地下で何があったんだ?」
ここまできて後には引けないと勇気を振り絞る。この部屋には血の匂いが充満し、胃が噎せ返りそうだ。すでに人が死んでいる。及んで良い場面じゃない。
「できることはやった。だが・・・、やはり俺には救えなかった。」
ネウスは決定的な言葉は言ってくれない。しかし、この先の状況が絶望的であることはメイトにもローチバにも伝わった。
「俺はごめんとすら言えない。謝る資格すら・・・無いっっぴょ。」
ずっと黙っていたローチバが落胆の言葉を漏らす。これから向き合う現実にどう対処すれば良いのか分からない。
正しさを証明すると意気込んで兄貴に勝利したのに、また、正しさとは何なのか分からなくなる。
地下への仕掛けはネウスが解いていた。メイトは小さな空洞に指を突っ込み扉を開ける。
錆びた鉄のような血の匂いがメイトの鼻を突き抜ける。薄暗い通路は兎人の内臓がぶちまけられ、猟奇的に感じる。メイトは地獄のあの赤黒い色を連想した。
「そこだ。」
地面が真っ二つに割れて更に暗い空間が出現する。まるで人工物のような落とし穴だと感じる。メイトは【悪鬼強化】で視力を強化して、中をのぞき込む。中央に人影が出現し顔や服装が徐々に判明する。
「イーグッ!!」
イーグは落とし穴の中で仰向けに倒れていた。メイトはすぐに駆け寄り安否を確認する。
「・・・メイトさ・・・ん。」
「良かった。間に合った。」
イーグは生きていた。どうやって罠から生き残ったのか分からないが、無事でいたことに安堵する。
「メイトさん。ぼくはいいから・・・、お姉ちゃんをっ・・・助けて!!」
「分かった。バードはどこにいる?」
イーグは言葉を途切れさせながらバードへの助けを求める。メイトは辺りを見渡すがバードを見つけられない。
するとネウスが落とし穴の端へ降り、指を指す。暗すぎて強化された視力でもそこにあるモノが何なのか分からなかった。ネウスはそれを両腕で易しく持ち上げメイトの方へ運ぶ。
「意識はないが、まだ息はある。だが、それももう終わる。」
「・・・ヒュー・・・ヒュ・・・ヒュー・・・カヒュッ・・・。」
「そんなっ・・・。そんなの・・・。そんなぁ・・・ああっ・・・。」
徐々に近づいてくるそれを、強化された視力は人間であることを教える。静かな空間に響く呼吸音がメイトに信じたくない事実を突きつける。
「嫌だ・・・。そんなの、信じられるか!!」
「ヒュッ・・・ヒュー・・・フシュッ・・・カッ・・・。」
それはまるでミイラのようだった。手足は痩せ細り、骨と皮しか残っていない。下唇を突き出し、口がガバッと開きっ放しの状態で、ぼろぼろの歯と抜けた歯が覗き込む。頬の肉は残っておらず、骨が突き出す。瞼が取れて、眼球が浮き彫りになる。お腹が丸見えの服を着ていたせいで背中とひっついた様子が伝わってしまう。
ネウスが近づいてくるせいでどんどん鮮明に状態が判明してしまう。唯一の救いは性別も分からないほどぼろぼろで、誰だか分からないことだろう。
「お姉ちゃんを・・・助けて。お願いします。」
イーグがそれを姉と呼ぶが、メイトには信じられない。イーグはメイトの手を掴む。
「メイトさんッ・・・メイトさんッ!!」
(やめてくれ。僕は信じたくない。)
その時メイトの閻魔のアビリティが発動した。対象はローチバで、罪点が回収される。
「ごめんっぴょ。俺の性だっぴょ。」
ローチバは地面に額をつけて謝る。そのローチバの罪の意識がメイトに罪点となってメイトに流れ込んだのだ。
「俺たちの仲間もそうだった。ハイポーションを使っても直らないっぴょ。」
「ぼくたちを罠に嵌めた兎人が、なんでここに。お前のせいでぼくたちは、うぐッ。」
あの優しくて引っ込み思案なイーグとは思えない怒声をローチバに浴びせる。もし、このままバードを失えばその元凶のローチバを許すことは絶対にないだろう。メイトも妹を失い、そうなったのだから。
(玲奈ならこんな時どうするかな・・・。)
あの時玲奈はどうして欲しかったんだろうか。
『オレはお兄ちゃんには人を恨んで欲しくねぇ。優しいお兄ちゃんが大好きだからな。』
「・・・・・・。」
バードもイーグが変わってしまったら嫌だろうな。それなら、メイトがするべきことは・・・。
メイトは苦しそうに座り込みながら、ローチバに悲しみをぶつけるイーグを、後ろから優しく抱きしめた。
「まだ、バードは死んでない。」
「メイトさん!?・・・でも、」
「もし、僕がバードを救えたらローチバの話を聞いてやって欲しい。あいつも、お前や僕と同じで、地獄にいるんだよ。」
メイトは立ち上がり、ネウスからバードの身体を受け取る。
異様に軽くなったその身体にメイトができることは一つしか浮かばなかった。
「ごめんな、バード。僕にはこれしか君を救えない。それでも君は生きたいと言ってくれると信じてる。【悪鬼強化】」
メイトは悪鬼強化をバードの身体に使用する。閻魔でないただの人間の少女にこの力を流し込めばどうなるか分からない。だが、メイトには考えがあった。
悪鬼たちは罪点を消費して魔法を使っていた。だから、魔力の代わりになる可能性があると。
この塔の罠は魔力を吸い出し、ポーションを作り出すとローチバに聞いた。だから、メイトは吸い出された魔力の代わりに罪点を送る。それがどんな代償を与えるか分からぬままに。
「バード、お前は負けない。だって、僕と勝負したんだから。」
『行ってくるわ。あんたより稼いでやるんだから。』
メイトは勘違いしていた。バードに足りないのは魔力よりも生命力だった。塔の罠は無くなった魔力の代わりに生命力を吸っていたからだ。だから、罪点を魔力の代わりにしようとバードが回復することはない。
しかし、固有アビリティ『負け癖』はバードの運命を変える。
勘違いして送られた罪点がバードの身体を作り替える。そして、メイトの身体も同時に作り替えられる。一部の上級閻魔しか使うことができない『眷属化』をメイトに与えるために、固有アビリティ『負け癖』がメイトを上級閻魔へ【進化】させたのだ。
「僕に負けられると思うな!!」
そして我々はメイトの【上級閻魔】への進化を見届けた。さらにそれをメイトへ通知する。
『上級閻魔への進化を完了しました。』
さらに個体名バード・カッチェリードの閻魔化を確認した。
メイトは全力で罪点を注ぎ込んだ。そしてバードの変化と、我々からの通知を受け取り、メイトの進化は完了した。メイトは頭の中に響いた声で自分とバードの身に何が起こったのかを理解した。
バードの身体は元の柔らで健康的な肌に戻った。
「やった。・・・やったぁ。成功したんですね、メイトさん!!」
「まだ、分からない。」
メイトたちはバードが目覚めるのを待つ。メイトはその間にバードに何をしたのか、自分に何が起こったのかを話す。
「進化か、久しく聞いてなかった単語だ。だが、それは信用して良いだろう。」
「それじゃあ、バードは助かったっぴょ?」
「進化は超常的な現象だからな。それが起きたということは奇跡が起きたということだ。」
「良かったです。本当にありがとうございます。」
ローチバとイーグは抱き合って喜んでいた。いつもの二人に戻って良かったとメイトは思った。
が・・・誰もが油断していた。この場所にはさらに悪辣な生物が潜んでいるというのに。
その生物は音を出さない。その生物は匂いを出さない。その生物は生きた証を出さない。その内に秘めたる感情を知り得る者は存在しなかった。
【神器】『悪辣魔吸器』
「バードはまだ目覚めないな。ひとまず街に戻ろう。」
メイトたちは部屋を出ようとした。しかし、踏み出した一歩が地面に沈み込み、身体が沈む。ローチバ、イーグ、ネウスも同様に地面に沈み込んでいる。
「何だっぴょ!!」
「何っ・・・。」
「これはっ。」
誰も気付かなかった。イーグの魔力を吸い続けた塔の罠が、この塔に眠る神器、悪辣魔吸器であったなど。それも神器が意思を持つ生物だったなど誰も知らなかった。
身動きを取れなくなった人間達をあざ笑いながら、天井から無数の人間の手が伸びてくる。そして手のひらから針を伸ばす。
ブスッ!!
人間の魔力を吸う。それが、悪辣魔吸器にとって何よりの快楽だ。苦痛に歪む表情が徐々に生気を失い絶望に染まるのを直に見るために、この塔の最上階を一階にした。兎人を洗脳し、若き冒険者を餌食とした。
「まさか独りでに動き出すとは思わなかった。この針、アビリティの発動を阻害している。」
「そんな。せっかくみんなで仲良くできると思ったのに。」
「やっぱり俺は許されなかったっぴょか?」
「まだ、地獄は終わってなかったのですか・・・。」
この場の全員が絶望したとき、悪辣魔吸器はこの世界に来てから一番幸せな時間を謳歌した。
たが悪辣魔吸器もまた、油断をしていた。確かにこの場にいる人間は無力化に成功した。
だが、この場にはいない正義の心を持つ人間もいる。
「お前のの拳でようやく目が覚めた。待たせてごめんな、ローチバ。」
悪辣魔吸器の巣くう罠部屋に颯爽と現れたのは一人の愚かな兎人だった。
「兄貴ぃ!!」
兎人の脚力を生かし、部屋の外からジャンプで悪辣魔吸器に殴りかかる。しかし、その拳は届くことは無かった。
兎人の頭領は無数の針に串刺しにされた。これで、最期の希望が潰えたかに思えた。
瞬間、轟音とともに爆風が部屋を包み肌を撫でた。兎人の頭領は自分の突入を囮に爆弾を放り込んでいた。そして爆風の中心にいたのは・・・。
「やるじゃねぇか。てめぇの命は無駄にしない。」
地面を、否、空気を蹴り、悪辣魔吸器に接近する。悪辣魔吸器は即座に撤退を判断し壁に溶け込み、逃げ出す。
ほんの一瞬、ネウスの蹴りは届かずに壁をえぐり取るにとどまった。
部屋の壁は元に戻り、メイト達は解放された。
「逃げられたか。神器がこんなに邪悪な物だったとはな。・・・ここは外れだったか。」
ネウスは神器について興味があった。だがそれは、期待していた物とは違ったことに気づいた。
「兄貴ぃ。しっかりしてくれっぴょ!!やっと昔の兄貴に戻ってくれたのに・・・こんなの嫌だっぴょ。」
「・・・伝説の冒険者になる男がピョンピョン喚くんじゃねぇよ。俺はここで死ぬべき人間だった。ただ、それだけ。うぐっ!!」
兎人の頭領は激しく吐血する。胸や腹に無数の穴が空いていて、このままでは頑丈な獣人でもすぐに死んでしまうだろう。ローチバは魔袋からハイポーションを取り出す。
「これを使えば兄貴を救えるっぴょ。」
「止めろ。それを使えばお前も俺のように愚かな人間になる。お前は俺と違って誘惑に勝てる男だ。」
「どういうことっぴょ。俺は兄貴が救えるならそれでいいっぴょ。」
「はあ、はあ。この街に来たとき最初に起きたことを覚えてるか。お前以外の兎人が全員窃盗で捕まった時のことだ。腹を空かせた俺達はこの街にある多くの食物の誘惑に勝てなかった。そんな弱い俺達だからこの塔の神器の洗脳にかかっちまったんだろうな。」
メイトやローチバは兎人達が洗脳されていたことを知った。この事件を生み出した黒幕が、冒険者の憧れの存在である神器であったなど当事者で無ければ信じられないだろうが。
「うっ・・・ああ。だが、ローチバ。お前は違った。お前は誰よりも純粋に冒険者を目指していた。伝説の冒険者への憧れがお前を強くした。だから、お前だけが洗脳にかからなかった。」
「俺が強い・・・ぴょ?」
「この世界は非情だ。世界は何度も危機に瀕し、そのたびに弱者は地獄を見る。だから、強者であるお前が守ってやってくれ。お前には正義があるんだろう。だから、そんな忌まわしい瓶なんて捨てちまえ。」
ローチバは悩んだ。ここで兄貴を見殺しにして自分は生きていけるのかと。兄貴には強者だと言われたけど自分では信られなくて。
「ローチバ、君が決めるんだ。僕たちは君の決断を信じる。」
「ありがとうっぴょ、メイト。うおおおおぉぉぉぉ!!」
パリン。ローチバはハイポーションをネウスがえぐった壁に投げつけた。
「よくやった。それでこそ・・・俺の舎弟だ。」
今、一人の男が死んだ。里を愛し、家族を愛し、何より仲間を愛した男は何も成し遂げられず無念に死んだ。ただ、その思いは新たな宿主に託され、生きる糧となる。そんな、この世界ではよくある・・・。否、どの世界でも無数にある、その中のたった一つの死だ。
「兄貴、俺は絶対に俺達みたいな人間が生まれない世の中にするっぴょ。だから、見ててくれ。」
命絶え、すっかり冷たくなった兄貴の手を両手で包み込み宣言する。その宣言はある男が地獄でしたものと同じだった。
「ローチバ、分かれは済んだか?」
「ああ、ありがとうっぴょ。」
「兎人が洗脳されていたことが分かったし、それを伝えればローチバが罪に問われることは無いかも知れない。」
「もしそうなっても、俺は罪を償うっぴょ。」
「ひとまず、早く街に帰ろう。バードのことも心配だし。」
バードは生きている。だが、未だに目を覚まさない。罪点を無理矢理流し込んだ代償かも知れない。ロジョードの街の医者に診せるべきだろう。
「ネウスももう良いか?」
「ああ、もうここに用はない。」