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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

精霊の愛し子が濡れ衣を着せられ、婚約破棄された結果

作者: あーもんど

 私には昔から、普通の人には見えないものが見えた。

蝶の羽根を持つ小人、宝石が埋め込まれた美しい獣、意思のある木や花……。

それらの生物は────精霊と呼ばれている。

精霊とは四大元素から成る生物で、自然を操ることが出来る。


 人々は精霊を尊び、敬い、崇めた。



「────アリス、精霊が見えることは誰にも言ってはいけないよ。君が“精霊の愛し子”だと周囲に知られれば、君は汚い大人達に利用されてしまうからね」


「誰にも言っちゃいけないの……?母様や父様にも?」


「ああ、そうだよ。これは僕と君だけの秘密だ。誰にも言わないと約束出来るね?」


「うんっ!でも、約束を破ったらどうなるの?」


「ふふっ。そうだねぇ……その時は───」


 そこで一旦言葉を切ると、彼は怪しい笑みを浮かべた。


「────罰として、僕のお嫁さんになってもらおうかな」


 冗談なのか本気なのか分からないトーンでそう言った、銀髪金眼の美青年。


 彼の名はサナトス。

またの名を─────終焉を招く精霊王と言った。


◇◆◇◆


 チュンチュンと小鳥の囀る声が響き、朝日がひょっこり顔を出す早朝。

私───アリス・ベネット伯爵令嬢はぼんやりとする意識の中、ゆっくりと体を起こした。


 凄く懐かしい夢だったわね……。

もう10年以上前の出来事なのに、今でもこんなに鮮明に覚えているなんて……不思議な感じだわ。


 朝から気分がいい私はチリンチリンと呼び鈴を鳴らしながら、ベッドから降りた。

すると────ノックと共に数人のメイドが部屋の中へ入ってくる。

 メイド達が着替えや化粧の準備を進めていく中、ある一人のメイドが私の元へやってきた。


「お嬢様、お客様がお見えです」


 こんな時間にお客様……?今日は誰かが訪問してくる予定なんて、なかった筈だけど……。


「訪問者の名前は?」


「────ノア・アレクサンダー公爵令息です」


「!!」


 メイドが口にした名前に、私は思わず目を見開いた。

寝起きでぼんやりしていた意識が一瞬にして、覚醒する。


 ────ノア・アレクサンダー公爵令息。

アレクサンダー公爵家唯一の跡取りであり、現国王陛下の甥っ子。

そして────私の婚約者。


 他の誰かならともかく、ノア様の訪問は無視出来ないわね。


「ノア様を客室へ、お通しして。準備が出来次第、すぐに向かうわ」


「畏まりました」


 深々と頭を下げて、退室していくメイドを見送り、私は化粧台の前に座った。

鏡に映る自分をじっと見つめる。


 艶やかな黒髪に、アザレアを連想させる紫色の瞳……。

母親譲りの美しい顔立ちをした少女は鏡の中で暗い表情(かお)をしていた。


 あのノア様がわざわざ我が家に足を運んでまで私に会いに来るだなんて……なんだか、嫌な予感がするわ。


◇◆◇◆


 その後、すぐに身支度を整えた私は無駄に豪華な客室で、ノア・アレクサンダーと顔を合わせていた。

私の前に座る金髪碧眼の美青年は偉そうにふんぞり返っている。


 予想はしていたけど、突然家に押し掛けておいて謝罪もないとは……礼儀知らずにも程があるわ。

現国王陛下の甥だから何をしても許されるとでも思っているのかしらね……。


「早速ですが、我が家を訪問した理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


「いや、その前に私を長時間待たせたことに対する謝罪が先じゃないか?」


「謝罪、ですか……?」


「ああ、そうだ。私はベネット伯爵家を訪れてから、今に至るまで一時間近く待たされているんだぞ?謝罪するのは当然のことだろう?」


 ティーカップ片手に肩を竦める彼はこちらを馬鹿にするように、鼻で笑った。


 いや、何で私が責められないといけないの……?

待たされた云々の前に、突然訪問して来たのはそっちだし……それもこんな朝早く。

非があるのはどちらかと言うと、ノア様の方だと思うけど……。


「それは大変失礼致しました。事前に知らせがなかったものですから、身支度を整えるのに時間が掛かってしまいました。ノア様が伝書鳩一つでも飛ばして下されば、到着前に身支度を整えることが出来たのですが……」


「わ、私が悪いとでも言うのか!?」


「いえ、そういう訳ではありません。ただ事前にお知らせ頂ければ、こちらも迅速に対応出来るとお伝えしたかっただけですわ」


 そう言って、ニッコリ微笑めばノア様は少し怯んだ。

だが、しかし……すぐにいつもの調子に戻る。


「そ、そうか。なら、今度からはそうしよう……まあ、『今度』があるかどうか分からないが……」


 最後の方に意味深なセリフを吐いたノア様は場の空気を変えるため、コホンと咳払いする。

少し遠回りしてしまったが、ようやく本題に入る気になったらしい。


「時間が勿体ないので、本題に入らせてもらう。アリス、君との婚約を────白紙に戻して欲しい」


 私との婚約を白紙に、ですか……。

これはまた随分と……思い切った申し出ですね。


 冷めた目でノア様を見つめていれば、彼は頼んでもないのに婚約解消の理由を力説し始めた。


「アリス!私は真実の愛に目覚めたんだ!」


「はあ……?」


「婚約者の君には本当に申し訳ないと思っている!だが、どうしても自分の気持ちに嘘はつけない!私が愛しているのは君ではなく、クレアなんだ!」


「そうですか……」


「君に辛い決断を迫っている自覚はある!だが、どうか受け入れて欲しい!私はクレアを心の底から愛してるんだ!婚約を解消してくれ!」


「───いいですよ」


「そうだよな。いきなり、婚約解消を突き付けられても困……って、えぇ!?良いのか!?」


 私があっさり婚約解消を承認したのがそんなに可笑しいのか、彼は大きく目を見開いた。

予想外だと言わんばかりの表情に、私は内心溜め息を零す。


 ノア様は私に好かれているとでも思っていたのかしら?

だとしたら、相当鈍い方ね。

私はノア様を慕うどころか、嫌っていたのに……。


 そもそも、この婚約は互いの両親が勝手に結んだもの。

言うならば、これは政略結婚だ。

決して、私の意思で結ばれたものではない。婚約解消できるなら、喜んでさせて貰おう。


「ええ、構いません。この婚約に執着などはありませんから」


「そ、そうか……」


 婚約解消を快諾されたのがプライドにさわったのか、ノア様はなんとも言えない表情を浮かべた。

つくづく、面倒臭い男である。


「ところで────婚約解消の理由はどうなさるおつもりですか?」


 私とノア様の婚約はあくまで政略結婚。

当人達の意思だけで解消出来るものじゃない。

この婚約を白紙に戻すには、両家の当主を納得させられるだけの理由を用意しなければならない。

当然ながら、『真実の愛を見つけたから~』なんて、ふざけた理由で当主は納得しないだろう。


 果たして、彼はどんな説得材料を用意しているのだろうか?


「あぁ、そのことなんだが────アリスに何らかの問題があって、婚約を解消するに至ったということにしてくれないか?」


「……はいっ?」


 ケロッとした顔で、とんでもないことを口走るノア様。

世間知らずな彼は自分の言い分がどれだけ理不尽なものなのか、理解していないらしい。


 適齢期間近の18歳で、婚約解消されるだけでも貴族令嬢としては痛手なのに……その上、婚約解消の理由をこちらに非があるようにしろですって……?

そんなことしたら、私の人生が滅茶苦茶になるどころか、ベネット伯爵家自体が危険に晒されるわ!リスクが大きいとか、そんな次元の話じゃない!!


 それなら、『真実の愛に生きたいから』という理由で公爵家から一方的に婚約を解消された方がまだマシだ。


「申し訳ありませんが、そのお願いは聞けません。ベネット伯爵家へのダメージが大き過ぎます」


 私はフツフツと沸き上がる怒りを抑え、出来るだけ冷静に対応した。

だが、しかし……この男は尚も食い下がる。


「そこをなんとか頼む……!私の名誉を守ってくれ……!!」


 彼は両膝に手を置き、座った状態で勢いよく頭を下げた。

プライドの高い彼にしては誠意を見せた方だ。

だが……自分の名誉を守るために、他人の名誉を傷付けようとする男の誠意など微塵も心に響かない。


「誠に申し訳ありませんが、何度頼まれようとその願いは叶えられません。お引き取り下さい」


 私は扉を指さし、冷たくそう言い放った。


◇◆◇◆


 ────ノア様から婚約解消を持ち掛けられた数日後。

 真っ赤なドレスに身を包んだ私はパーティー行きの馬車に揺られていた。


 今日は王立アカデミーの卒業パーティー当日。

言うならば、学生時代最後の晴れ舞台という訳だ。


 このパーティーには主役である卒業生に加え、生徒のご家族も参加なさる。

しかも、今年の卒業生にはノア様がいらっしゃるため、陛下もパーティーに参加する予定だ。

今年の卒業パーティーは最早、ただのパーティーではない。

親達は主役の学生達を置き去りにして、己の利益のために動くだろう。


「今年の卒業パーティーは良くも悪くも盛り上がりそうですね……」


◆◇◆◇


 パーティー会場に無事到着した私は、エントランスホールで婚約者の到着を今か今かと待ち侘びていた。


 婚約解消の申し出があったとは言え、私達はまだ婚約関係にある。

公的な場でのエスコートは婚約者であるノア様にやってもらうのが定跡(じょうせき)だろう。


 まあ、一流の紳士は現地集合なんてしないけれど……。

令嬢の家まで迎えに行くのが普通だ。

まあ、自己中なノア様が私の家まで迎えに来てくれたことなど一度もないけど……。


 零れそうになる溜め息を何とか噛み殺し、チラッと掛け時計に目をやる。

時計の針は7時半を差していた。


 パーティーの開始時刻は8時ちょうど。

王族や上級貴族はさておき、家格の低い者達はもうそろそろ会場の中に入らないといけない。

伯爵位を賜わるベネット家はそれなりに影響力のある家だが、家格だけで言えば上の下だ。

会場入りをこれ以上、先延ばしにする訳にはいかないだろう。


 私はなかなか姿を現さない婚約者に内心腹を立てながらも、エントランスホールを抜け、パーティー会場へと向かう。

コツコツと鳴る一人分の足音がどこまでも虚しく感じた。


「王立アカデミー卒業生のアリス・ベネットです」


 扉の両脇に控える衛兵に声をかける。

パーティー会場へと繋がるこの扉は厳重に警備されているようで、配置された兵士は全員魔力持ちだった。


「アリス・ベネット伯爵令嬢様ですね。この度はご卒業おめでとうございます。学生最後の夜をどうぞお楽しみ下さい」


 恭しく(こうべ)を垂れる衛兵たちはドアノブに素早く手を伸ばす。

武力だけでなく、礼儀作法まで完璧な彼らは観音開きの扉をゆっくりと開いた。

────刹那、会場内から人の笑い声や話し声が一気に溢れ出す。


「────アリス・ベネット伯爵令嬢のご入場です!」


 衛兵の一人が声を張り上げて、そう叫べば────賑やかだった会場内が一瞬にして静まり返った。

オーケストラの奏でる美しい音色がこの場を支配する中、パーティーの参加者たちは私をジロジロと見始めた。

その遠慮の欠けらも無い視線に、内心溜め息を零す。


 まあ、卒業パーティーにパートナーも連れず現れれば、不思議に思うわよね……。

しかも、私はノア・アレクサンダー公爵令息の婚約者だし……。

これで注目されない方がおかしい。


「ねぇ、何でアリス様はお一人なのかしら?」


「さあ?」


「ノア殿と喧嘩でもしたのか?ほら、あの二人って仲が悪いだろ?」


「そう言えば、最近のノア殿は他のご令嬢に夢中だって聞いたことがあるぜ」


「まあ、何にせよ、パーティーにパートナーも引き連れず現れるなんて非常識だよな」


 しばらく私の様子を見守っていた貴族達はヒソヒソと小声で会話を始める。

そのどれもが聞くに堪えない内容ばかりだったが、彼らの考察はほとんど当たっていた。

 居た堪れない気持ちになりながらも、パーティー会場を立ち去る訳にも行かず、壁の花に徹する。


 ────と、その時。


「────ノア・アレクサンダー公爵令息とクレア・スカーレット男爵令嬢のご入場です!」


 衛兵が叫んだ二つの名前に、思わず言葉を失う。

脳裏に最悪のシナリオが過ぎる中、私は恐る恐る扉の方へ視線を向けた。


 そこには────身を寄せ合って歩く、仲睦まじい男女の姿が……。


 そんなっ……!!嘘でしょう!?まだ婚約は解消されていないのに、他の女性とパーティーに参加するだなんて……!!失礼どころの話じゃないわ!!


「お、おい……あれって、ノア殿とクレア嬢だよな……?」


「あ、ああ……」


「何で婚約者でもない女性とノア殿が一緒に居るんだ……?ノア殿の婚約者はアリス嬢だよな……?」


「じゃあ、ノア様とアリス様の婚約は解消されたってこと……?」


「そう考えるのが妥当だけど、もしそうなら事前に知らせがある筈じゃない?アレクサンダー公爵もベネット伯爵もそういうところはしっかりしてるし……」


 会場内が混乱に陥る中、私は震える拳をギュッと握り締めた。


 この男は……どれだけ私をコケにすれば気が済むの?

一人で会場に入場するだけでも屈辱なのに、その上自分は他の女性と入場……?笑わせないでよ……!!

私が一体どんな気持ちでここに居ると思ってるの!?貴方の身勝手な行動のせいで私のプライドはもうボロボロよ!!本当に最悪だわ!!


 私は騒然とするパーティーの参加者を押しのけ、ノア様とクレア様の前に現れた。


「ノア様!これは一体どういう……」


「───ご来場の皆様、静粛に願います。リアム国王陛下のご入場です」


 衛兵の声に反応し、会場内のざわめきが一瞬にしてピタッと収まる。


 本当は今すぐこの男を怒鳴りつけたいところだが、国王陛下の入場を蔑ろに扱う訳にはいかない……ここは一旦冷静になろう。


 喉まで出かかった言葉を何とか呑み込み、私は淑女の礼を執った。

────その直後、扉の向こうからリアム国王陛下の姿が現れる。

王家の直系を意味する金髪と赤い瞳を持つ男性は30代後半とは思えないほど、若々しい容姿をしていた。


 金髪赤眼の美丈夫は会場内に流れる微妙な空気を敏感に感じ取ったのか、不思議そうに首を傾げている。

が、さほど気にならないのか直ぐに関心をなくした。


「そう畏まらずとも()い。私もここでは甥の卒業を喜ぶただのおじさんだ。あまり気を遣わないでくれ」


 参加者の緊張を解くように陛下がニッコリ微笑めば、会場内の空気がフッと軽くなる。


「私のことは気にせず、パーティーを楽しむといい」


 この一言を皮切りに、会場内にざわめきが戻った。

話題の中心人物である陛下は周りの反応など気にせず、こちらへ近付いてくる。

目的はもちろん────甥っ子のノア様だ。


「ノア、まずは卒業おめでとう」


「ありがとうございます、伯父上」


 婚約者である私や恋人であるクレア様をスルーし、ノア様と会話を交わす陛下は実に楽しそうだ。

私はこの見慣れた光景を冷めた目で見つめ、クレア様は戸惑いを露わにした。


 陛下って、実は甥っ子のノア様をかなり溺愛しているのよね……。

それはもう目に入れても痛くないくらいに……。

ここだけの話、陛下は自分の息子よりノア様のことを可愛がっている。

まあ、そのせいでノア様の自己中が悪化したのだけれど……。


「ん?そういえば、お前の隣に居る女は誰だ?婚約者のアリス嬢ではないよな?」


 しばらく話し込んだ後、ようやく私達に意識が向いたのか、陛下はクレア様の方へ目を向ける。

陛下の視界に入ったクレア様は慌てて淑女の礼を取った。


「お、お初にお目にかかります!スカーレット男爵家の次女、クレアですわ」


「ほう?それでノアとの関係は?」


「え、えっと……そ、れは……」


 クレア様は困ったように言葉をつまらせ、私とノア様を交互に見つめる。

バカ正直に『ノア様の恋人です』とは言えないようだ。

そんな彼女に、ノア様がすかさず助け船を出した。


「伯父上、クレアは────私の恋人です」


「……はっ?」


 クレア様の腰を抱き寄せ、堂々と恋人……いや、浮気宣言をしたノア様。

これには国王陛下もあんぐり。


「こ、恋人……?婚約者のアリス嬢はどうなったんだ?」


「あぁ、そのことなんですが……実はここでお伝えしたいことがありまして……」


「伝えたいことだと?」


「はい!」


 キラッキラの笑顔で頷いたノア様は陛下から視線を逸らし、その瞳に私を映し出す。


 ────何となく、嫌な予感がした。


「アリス・ベネット伯爵令嬢!君との婚約を破棄させてもらう!婚約者が居ながら、他の男と寝た君とは結婚出来ない!」


 ノア様は私のことを指さし、有りもしない事実をでっち上げた。


 ……えっ?は……?私が他の男と寝た?え?どういうこと?


 彼の言っていることが滅茶苦茶すぎて、思考が追い付かない……。

呆然とする私を置いて、ノア様は言葉を続けた。


「アリスは不特定多数の男性と関係を持ち、私の信用を裏切りました!これは許される行為ではありません!」


「ほ、他の男と関係を持った……?それも不特定多数の男と……?あの真面目で礼儀正しいアリス嬢が?」


「信じられないかもしれませんが、これは揺るぎない事実です!」


 自信満々の様子で『事実だ』と言い切るノア様だったが、残念ながらこれは真っ赤な嘘である。

事実なんて、これっぽっちも含まれていない。

だが、今それを知っているのは当事者である私とノア様だけだ。


「そ、それが事実だとして……クレア嬢と何の関係があるんだ?」


「クレアは私が落ち込んでいる時に優しく慰めてくれたんです!アリスに裏切られたことで出来た傷も、クレアのおかげで無事癒えました!なっ?クレア」


「は、はい……その通りです」


 クレア様は躊躇いながらも、ノア様の意見に同調する。

────この瞬間、私を見る周囲の目が変わった。

これは濡れ衣なのに……私は全く悪くないのに……周囲は私を責め立てるように睨み付けてくる。


 何故、私が責められるんだろう?何故、私がこんな目に遭わないといけないんだろう?何故、私が二人の幸せのために不幸ならないといけないんだろう?何故、私がっ……!!!


「アリス嬢、この件に関してはまた後日話を……」


「────うるさいっ!」


 カッ!と頭に血が上った私は陛下の温情を跳ね除ける。

まあ、そもそも濡れ衣なので温情も何も無いが……。


「あ、アリス嬢……?」


「ははっ!ついに本性を表したな!アリス!」


 我が意を得たりとばかりにノア様はほくそ笑む。

その笑みが更に私の怒りを煽った。


「もういい……もういいっ!!こんな茶番うんざりだわ!もう我慢の限界よ!!貴方にはほとほと愛想が尽きたわ!」


 今まで溜まってきた鬱憤が一気に溢れ出す。

感情の昂りに合わせて溢れ出す涙を拭い、私は叫んだ────最も信頼する者の名を。


「今すぐこの地獄を終わらせて────サナトス!!」


 私の呼び声に応じて、床に巨大な魔法陣が浮かび上がる。

銀色に輝く魔法陣から、銀髪金眼の美青年が姿を現した。

ハラリと銀色に光る長い髪が宙に舞う。


 ────終焉を招く精霊王が今、降臨を果たした。


「だ、誰だ!?あの男は……!?」


「せ、背中に羽根が生えてるぞ!?」


「まさか天使様!?」


「結論を急ぐな!悪魔の可能性だってあるんだぞ」


 突然現れた銀髪金眼の美青年を前に、貴族達はざわつく。

未知との遭遇に戸惑う彼らを置いて、精霊王サナトスは嬉々としてこちらを振り返った。


「呼んだかい?僕の可愛いアリ……」


 満面の笑みで私と顔を合わせたサナトスだったが、その笑みは一瞬にして凍りつく。

彼の視線は私の涙に釘付けだった。


「あ、アリス!!何故泣いて……!?まさか、誰かに虐められたのかい!?」


 心配そうに私の顔を覗き込んでくるサナトスはそっと頬に手を添えた。

ポロポロと溢れ出す涙がサナトスの白い手を濡らす。


「アリス、もう大丈夫だよ。僕が傍に居るからね。何も心配はいらない。誰に何をされたのか、言ってごらん?僕が全部壊してあげるから」


 言っていることは物騒だが、その優しい声は妙に落ち着く。

『この人の傍に居れば、もう大丈夫』だと、本能的に感じ取っているのだろう。


「あのね、サナト……」


「────思い出したぞ!」


 私の声を遮り、大声を上げたのはリアム国王陛下だった。

陛下は動揺を隠せない様子で、サナトスを見つめる。


「どこかで聞いたことのある名前だと思ったら……貴方はもしや────終焉を招く精霊王 サナトス様ではありませぬか!?」


 さすがは国王陛下と言うべきか、精霊に関する知識や理解が深い。

私が名前を呼んだとは言え、彼が精霊王サナトスだと直ぐに気づくのは普通不可能だ。


 まあ、どんなに優秀な王でも甥っ子の教育一つ出来ないんじゃ、話にならないけど……。


「せ、精霊王!?」


「何故そんな凄い人物がここに……!?」


「普通の人には精霊が見えないんじゃなかったのか……!?」


「いや、上位精霊や精霊王は別だ。力のある精霊は自分の意思で、人間の前に現れることが出来る……。まあ、そんなこと滅多にないけどな」


 陛下から伝染するように、周囲の人々に動揺が走る。

彼らは精霊王サナトスに畏怖を覚えると共に、彼を呼び出した私に注目を集めていた。


「じゃ、じゃあ!精霊王を召喚したアリス嬢は精霊士ってことか!?」


「いや、それはないだろ。だって、アリス嬢には魔力がこれっぽっちもないんだぜ?魔力がなきゃ、精霊を召喚することなんて出来ないだろ」


「じゃあ、どうやって精霊王を呼び出したって言うのよ!?まさか、精霊王自らここに来たって訳じゃないわよね!?」


「いや、まさか……」


「でも、今はそれしか考えられないぞ……」


「そんな訳ないじゃない!だって、もしそうなら彼女は……!!」


 困惑、動揺、混乱……そして、恐怖。

色々な感情がこの場に溢れ返る中、ある少女が私を指さして叫ぶ。


「───精霊の愛し子ってことじゃない!」


 見事正解を引き当てた少女は興奮した様子で、肩で息をしていた。

彼女が口にした“答え”に、誰もが言葉を失う。

“精霊の愛し子”というワードはそれほど衝撃的なものなのだ。


 ────精霊の愛し子。

精霊達に無条件で愛され、守られる存在。

愛し子が住まう土地には精霊が集まり、多くの祝福と加護が与えられる。

おまけに自然災害の心配がないため、愛し子が居る間は平和に過ごせるらしい。


 まあ、それはあくまで愛し子の不興を買わなければの話だが……。


 私は腹の底からフツフツ沸き上がる怒りを感じながら、溢れ出す涙を無造作に拭う。

パーティーの参加者たちがこちらの顔色を窺うようにチラチラ見てくるが、私の意思はもう決まっていた。

今さら、ご機嫌伺いをして来てももう遅い。


「サナトス────ここに居る者達を全員殺してちょうだい」


 私が放ったこの一言に、この場の空気が凍りついた。

突き付けられた現実に貴族達は恐怖し、リアム国王陛下は焦り始める。

そんな中でただ一人、楽しげに笑う者が居た。


「ふふっ……ふはははっ!普段温厚なアリスが僕に殺しを依頼するだなんて、ここに居る者達は一体何を仕出かしたんだい?まあ、壊すのが本職の僕としてはとても簡単なお願いだけどね」


 クスクスと笑みを零すサナトスは、『でも……』と言葉を続ける。


「一応理由は聞いておこうかな。アリスは何故ここに居る者達を殺したいんだい?」


 私の頬を撫でるサナトスは視線を合わせるように少し屈んだ。

月みたいに綺麗な金色(こんじき)の瞳が私を優しく見つめている。

私は物凄い安心感に包まれながら、ゆっくりと口を開いた。


「あのね、サナト……」


「────婚約者である私が居ながら、アリスが浮気をしたんです!」


 真実が露見するのを恐れてか、今の今までずっと黙り込んでいたノア様が突然声を上げた。

サナトスはそんなノア様を睥睨する。


「僕は君じゃなくて、アリスに質問したんだけど……」


「それは理解しています!ですが、こうでもしないと私の話を聞いてくれないと思いまして……」


「まあ、そもそも君の話なんて聞く気がないからね。聞く価値もないし」


「そ、そう言わずに私の話を聞いてください!精霊王様!」


 食い下がるノア様を前に、サナトスは面倒臭そうに溜め息を零す。

精霊王相手にここまで大胆な行動が取れるのは後にも先にもノア様だけだろう。

 ────この男は引き際を完全に見誤っていた。


「アリスは婚約者である私を顧みず、不特定多数の男性と関係を持っていたのです!そのせいで私の心は深く傷つき、一時期は食事が喉を通らないほどでした!そんな時、私を慰めてくれたのが隣に居るクレアで……」


 怯えるクレア様の腰を抱き寄せ、早くも自分語りを始めたノア様に、サナトスは冷ややかな視線を向ける。

この時点で、ノア様に対するサナトスの評価は最悪なものになっていた。

サナトスは私の頬から手を離し、口元に人差し指を持っていく。


「アリスは本当に酷い女なんです!その点、クレアは素晴らしい人格の持ち主で……んんっ!?」


 ノア様のよく回る口が不自然に止まる。

『ん~!』と唸り声を上げる彼は上唇と下唇が縫い合わせられたように、口が開かなかった。


「し━━━━……。うるさいのはあまり好きじゃないんだ。そこで静かにしててね?じゃないと────アリスの依頼関係なく、この場で殺すから」


「!?」


 人差し指を唇に押し当て、不敵に笑うサナトスは僅かに殺気立つ。

表情こそ笑顔だが、サナトスは今確実に不機嫌だった。

そんな彼の心情を瞬時に感じ取ったのか、ノア様は大人しくなった。


「さて────邪魔者の口を閉ざしたところで、話を戻そうか」


 静かになったノア様を一瞥すると、サナトスはさっきのように少し屈んで私と視線を合わせる。


「改めて問おう─────アリスは何故ここに居る者達を殺したいんだい?」


 幼子(おさなご)に話し掛けるように、優しく問いかけるサナトスはスッと目を細めた。


 私がここに居る者達を殺したい理由……そんなの数えればキリがないほど、たくさんある。

でも、その殺意の引き金となった出来事はただ一つ……。


「そこに居るノア・アレクサンダー公爵令息が不当な理由(・・・・・)で私との婚約を破棄しようとしたからよ!」


 私は無礼を承知で、ノア様を指さす。

すると、彼は違うとでも言うかのように必死に首を横に振っていた。

が、私はそんなのお構い無しに話を続ける。


「まず、第一に私は浮気なんてしてないわ!不特定多数の男性と関係を持っていたなんて、ただの嘘!ノア・アレクサンダーの虚言よ!」


「きょ、虚言だと……?」


「ん、んー!」


 ノア様の言い分を全て嘘だと切り捨てれば、リアム国王陛下は呆然とした表情で甥を見つめる。

ノア様は唸り声を上げ、『違う!』と必死に抗議するが、言葉にならない反論など誰も聞く耳を持たなかった。


「私は先日、彼に婚約解消を申し込まれたわ。『真実の愛を見つけたから、婚約を解消して欲しい』ってね……。まあ、正直私もこの婚約は白紙に戻したいと思っていたから、快諾したわ。でも·····彼はあろうことか、私に非がある形で婚約を解消したいと言い出したのよ!婚約解消の原因は彼自身にあるというのに!」


「な、何だと……!?それは本当か!?」


「ええ、事実です。彼と私の会話内容までは証明出来ませんが、彼がベネット伯爵家を訪れたことはうちの使用人に確認すれば分かると思います」


「な、なんと愚かな……」


 自分の甥がここまで落ちぶれているとは思わなかったのか、陛下は現実から目を背けるように顔を覆う。

ノア様は失望していく伯父の姿を見て、ガックリと項垂れた。

そんな二人の姿を見ても、私の口は止まらない。


「私は当然その頼みを断ったわ。適齢期間近で婚約解消するだけでもダメージが大きいのに、その上解消理由が私のせいだなんて……ベネット伯爵家が没落しかねない案件だもの。でも……いや、『だから』と言うべきかしら?ノア様は今日の卒業パーティーで強硬手段に出たのよ。それがさっきの婚約破棄。濡れ衣付きのね」


「「……」」


 至極丁寧に説明してやれば、陛下とノア様はついに黙り込んでしまった。

クレア様に関しては申し訳なさそうに……そして、居心地悪そうに俯いている。

第三者である貴族達は、手のひらを返したように、ノア様とクレア様に非難の視線を向けていた。


 まあ、今更態度を変えてももう遅いけど……。何度も言うように私がサナトスに依頼したのは『ここに居る者達を一人残らず殺害すること』だ。

傍観者を気取っている周囲の人々も例外ではない。


「なるほどね……婚約を解消するためにアリスに濡れ衣を着せ、追い詰めたと……。アリスの名誉をさんざん傷つけて、楽しかったかい?ノア・アレクサンダー」


 サナトスはふわりと柔らかい笑みを浮かべ、ノア様に優しく問いかける。

その声も、表情も優しい筈なのに……彼の瞳が嫌ってほど、怒りを露わにしていた。


「僕の可愛いアリスが絶望していく様は見ていて、面白かったかい?」


「んーん!んー!」


「アリスが泣き出した時、少しでも罪悪感を感じたかい?」


「ん、んー!」


「アリスの心が壊れていくところを見て、少しでも自分の行いを後悔しなかったかい?」


「ん!んー!」


 必死に首を縦に振ったり、横に振ったりするノア様はもはや涙目だった。

そんな彼を目にしても、私は全く同情しなかった。

彼を『可哀想』だと思うには、あまりにも憎悪が強すぎたのだろう。


「ふふっ。もう分かったから何もしなくていいよ、ノア・アレクサンダー」


 ノア様の必死な姿に満足したのか、サナトスは質問をやめる。

それに対し、ノア様は安堵したように肩の力を抜いた。


 ふふっ……ノア様は相変わらず、馬鹿ね。

これからが本番だと言うのに……。


「ノア・アレクサンダー、君が愚かな人間であることはよく分かったよ。だって、これだけのことが起きながら、君の心には────反省の色が一切見えないんだから」


「!?」


 サナトスが出した結論に、ノア様は大きく目を見開く。

そして────驚くほど分かりやすく、『不味い!』と顔に出していた。


 精霊は人の心を覗き見ることが出来る。

と言っても、人の感情を色で識別しているだけだが……。

でも、人間の嘘や秘密を暴くには十分な能力だった。


 少しは反省していると思ってたのに……自分勝手で自己中な彼には無理だったか。


「ん、んー!」


「はいはい、嘘はもう十分だから少し静かにしててね。うるさいのはあまり好きじゃないんだ……って、これはさっきも言ったね」


 『僕も歳かな?』と苦笑するサナトスは、不意に人差し指を上に向けた。

すると────ノア様、リアム国王陛下、クレア様の体が宙に浮く。

戸惑う彼らを見て、サナトスは愉快げに笑った。


「ふふふっ。安心してよ。君達はまだ(・・)殺さないから。僕、楽しみは後に取っておくタイプなんだ」


 そう言うが早いか、サナトスは会場内に“闇”を放った。

真っ黒なそれはサナトスの足元から、どんどん広がって行き、やがて会場全体を包み込む。

逃げ惑う貴族達が扉へ手を伸ばしたが、その手が扉に届くことはなかった。

 会場が明かり一つない暗闇に包み込まれたが、不思議と目が見える。

そのおかげか、会場内に閉じ込められた者達がぶつかったり、転んだりすることはなかった。


「ど、どうなってるの……!?何で真っ暗なのよ!?」


「お、俺たち殺されるのか……!?」


「そんなっ!絶対に嫌よ!私達は何も悪いことしてないじゃない!」


「何で無関係の私達まで死なないといけないんだ……!?」


 無関係ですって……?さんざん私をバカにした挙句、ノア様の言い分を鵜呑みにした貴方達が……?

情報の真偽を確かめる前に非難の視線を私に向けて来たのに……?


「っ……!!ふざけないでちょうだい!!」


 怒りで震える拳を握り締め、私は周囲に居る人々を順番に睨みつけた。


「何故、私がノア様個人ではなく、『ここに居る者達』と指定したのか本当に分かっていないの?私に命を狙われる心当たりはないわけ?」


「「「……」」」


 私の発言に、周囲の人々は押し黙る。

この沈黙が何より明確な答えだった。


「貴方達はいつも私を馬鹿にしていたわよね?婚約者に愛されない哀れな女とか、公爵家の権力にむらがるハイエナとか……さんざん陰口を叩いていたじゃない!それも私の耳に入るように大きく!」


「そ、それは……!」


「わ、わざとではなく……!」


「ほんの出来心で……!!」


 慌てて弁解を述べる彼らだったが、出てくる言葉は言い訳ばかり……。

肝心の謝罪はどれだけ耳を澄ましても聞こえて来なかった。


「今回の件だって、そう……『庇え』とまでは言わないけど、情報の真偽を確かめもせず、私を非難してきたわよね?何故、中立の立場であろうとしなかったの?」


「そ、それはその……」


「ノア様が言ったことなので正しいと思って……」


「ほ、ほら!ノア様って、公爵家の跡取りで陛下の甥っ子さんだし……!発言力と影響力が凄いっていうか……!」


 二言目には責任転嫁……本当に救いようのない人達ね。

素直に自分の非を認めることは出来ないのかしら……?


「少しでも誠意を見せてくれれば、何人かは見逃してあげようと思ったけど……情けは必要なかったみたいね」


「えっ!?あのっ……!」


「い、今までのこときちんと謝ります!」


「だから、命だけは……!!」


 今更謝られてももう遅いわよ。貴方達は最後のチャンスを棒に振ったのだから。


 私は涙目で懇願してくる貴族達を一瞥し、黄金の瞳と目を合わせた。


「もう気は済んだかい?」


「……正直まだ言いたいことはあるけど、もういいわ。彼らに何を言ったって、返って来るのは嘘だけだもの……」


「そうだね。彼らの言葉は嘘だらけだ。聞くだけ無駄だよ」


 サナトスは両手で私の耳を塞ぎ、口元に弧を描く。


「汚い嘘は聞かなくていいよ。アリスは僕の声だけ聞いていればいい」


 そんな甘い言葉が聞こえたかと思えば、突然聴覚を奪われる。

無音の世界で周囲を見渡せば、闇に呑み込まれていく貴族達の姿が目に入った。

彼らは私と目が合うなり、必死の形相で何か叫んでいる。

でも、耳が聞こえない私には彼らが何を言っているのか分からない。


 サナトスなりの気遣いなんだろうけど、耳が聞こえないのはちょっと不便ね。


「サナト……」


「────大丈夫だよ。彼らの処理が終わったら、元に戻してあげるから。まあ、アリスが僕の声だけ聞いていたいって言うなら、話は別だけどね」


 悪戯っ子みたいに笑う彼は私の耳たぶを親指の腹で撫でる。

どうやら、彼は宣言通り、自分の声だけは聞こえるように調整したらしい。

本当に器用な奴である。


 彼らの悲鳴が聞けないのは残念だけど、視覚だけで楽しむのも悪くないわね。


 ────その後、10分ほどで貴族達の殺害(処分)が終わり、私の聴覚も元に戻っていた。

残りのターゲットは空中へ避難させていたノア様、リアム国王陛下、クレア様の三人だけである。

サナトスの魔法で床へ降ろされた三人は完全に怯えきっており、会場を覆う闇に恐怖している。

自分達もこの闇に食べられるのでは?と不安がっているらしい。


 サナトスがそんな軽い罰で彼らを許す筈ないのに……。


「まずはそうだねぇ……誰から行こうか?諸悪の根源であるノア・アレクサンダーは最後にするとして……国王と女どっちから殺したい?」


 サナトスは陛下とクレア様を交互に指さし、私に決断を委ねてくる。

『クッキーとケーキ、どっちがいい?』くらい軽いノリで。


 陛下はノア様をクズ男に育て上げた元凶で、クレア様はノア様を(そそのか)したアバズレ女……。

どちらの罪も重いが、私個人の意見としては……クレア様の方がまだ罪が軽いかな。

だって、ノア様との婚約を解消する理由をくれたのは彼女だし。手段こそ間違っていたが、ノア様を真実の愛とやらに目覚めさせてくれたのはかなり有り難かった。だから────。


「クレア様を先に殺してちょうだい」


 私はクレア様の目をしっかり見て、決断を下した。

“死”を間近で見たばかりの彼女は怯えた表情で蹲る。

そんな彼女に恋人であるノア様がそっと手を伸ばすが……。


「嫌っ!触らないで!!」


 クレア様はノア様の手を思い切り、叩き落とした。

ノア様は叩き落とされた手を呆然と見つめている。


「私はただ少しでも裕福な暮らしがしたくて、貴方に近付いただけ!殺されるために近付いた訳じゃないわ!貴方がアレクサンダー公爵家の息子じゃければ、近付こうともしなかったわよ!」


「!?」


「大体、何よ!?真実の愛って!バッカみたい!」


「……ん、んー!んー!」


「うるさい!全部貴方のせいよ!貴方がもっと上手く立ち回っていれば、こんなことにならなかったのに!」


 もう殺される直前だからか、クレア様は本音をぶちまけた。

ノア様の中にある真実の愛とやらが音を立てて崩れ去っていく。

絶望に染まっていく彼の表情は実に滑稽だった。


 貴方が信じる真実の愛なんて、所詮この程度よ。現実を知りなさい。


「何でこんな奴の巻き添えで死ななきゃいけないの!?私はただ幸せになりたいだけなのに!何なのよっ!本当もう……!」


 八つ当たりのように暴言を吐き、クレア様はポロポロと涙を流す。

ここで私に『助けて』と懇願しないあたり、彼女の潔さを感じた。


 幸せになりたいからといって、人を傷つけるのは間違っている……でも、クレア様の気持ちは痛いほどよく分かった。

同情はしないけど、最後の温情くらいは与えよう。


「サナトス、出来るだけ楽に逝かせてあげて」


 泣き崩れる彼女を見ながら、そう告げればサナトスは何も言わずにただ頷いた。

無言のままクレア様に向き合い、彼は手のひらを翳す。


「闇と共に安らかに眠るといい」


 その言葉を皮切りに、クレア様の腫れ上がった瞼がゆっくりと下へ落ちていく。

糸の切れたマリオネットのように倒れる体を闇がそっと包み込んだ。

────クレア・スカーレット男爵令嬢の死に顔は酷く穏やかだった。


 サナトスは安からな眠りについたクレア様を闇の中に葬り、残った二人を見下ろした。

『次は自分だ』と察している陛下とショックから抜け出せないノア様……。

『絶望』という二文字が二人の脳内を支配する。


「あ、アリス嬢頼む!許してくれ!私はこの国の王として、生きなければならないのだ!」


 王としてのプライドを捨て、陛下は深々と頭を下げる。

私はそれをただじっと見つめていた。


「もちろん、タダでとは言わん!美しい宝石や高い身分を与えよう!」


「美しい宝石にも高い身分にも大して興味がありません。私が欲しいのは陛下とノア様が死亡したという結果のみですわ」


「で、では!こうしよう!ノアを含めるアレクサンダー公爵家の人間を君にやる!煮るなり、焼くなり好きにするといい!だから、私の命だけはっ……!」


「────随分とくだらない冗談ですね。実の妹や甥を売ってまで生き残りたいだなんて……実に卑しい考えですわ」


「っ……!!」


 我が身可愛さに家族を売ろうとする陛下に、私は思わず溜め息を零す。

彼の中に美しい家族愛は存在しないらしい。


 陛下は国王としての責任と義務があるからと言い繕っているが、それは建て前に過ぎない。

結局のところ、陛下は何とかこの場を切り抜けて生き残りたいだけなのだ。

まあ、そこが人間らしいのだけれど……。


「リアム国王陛下、貴方にはノア様をこんな風に育て上げた責任を取ってもらいます。この国の王だからと見逃すつもりは一切ありません」


「そ、そこをなんとか頼む……!私はこの国に必要な存在なん……」


「────甥っ子一人まともに育て上げられない陛下がこの国に必要な存在?ふははっ!笑わせないでくださいよ」


 私はクスクスと笑を零し、ゆっくりと陛下に近づくと────陛下の肩をトンッと軽く押した。

すると、産まれたての子鹿のようにガクガク震えていた足がバランスを崩し、その場に尻もちをつく。

私は情けない姿を晒す陛下を見下し、嘲笑った。


「この際だから、ハッキリ申し上げます。貴方が居なくても、この国は回りますよ」


「なっ!そんなわけ……!!」


「否定したくなる気持ちは分かりますが、これは事実です。別にデタラメを言っている訳ではありません」


「……根拠は何だ?」


 自分の存在価値によほど自信があるのか、陛下は私を睨みつけてくる。

王としてのプライドを捨てることは出来るが、傷付けられることは許せないみたいだ。


「根拠、ですか……。では、自分の胸に手を当ててよく考えてみて下さい。自分が居ないと国が回らなくなる理由や根拠があるのかどうか」


「……」


「この国は優秀な人材が多数居ます。その上、王太子ももう決まっている。陛下が死んだところで国政に問題はないと思いますが?」


「それは……!」


「むしろ、貴方が国王である必要性が微塵も感じられません。貴方に存在価値なんて、あるんでしょうか?」


「っ……!!」


 言い返す言葉が見つからないのか、陛下はギシッと奥歯を噛み締める。

図星を突かれたのが相当堪えたらしい。

そんな彼に、私は情け容赦なくトドメを刺した。


「さっさと死んで王位を息子に渡した方が国のためですよ。甥っ子を甘やかすしか能がない貴方に王の器などありませんから」


 『才能がない』とハッキリ告げれば、陛下は顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がった。


「黙れ!!伯爵令嬢の分際で王の器を語るな!!」


 見事な逆上を見せた陛下は物凄い形相でこちらへ詰め寄ってくる。

だが、サナトスがそれを許す筈もなく……。


「愚かな人間の分際で僕のアリスに近付かないでくれるかい?本当に汚らわしい」


 忌々しげにそう吐き捨てたサナトスは闇を使って、陛下の手足を拘束する。

紐状に伸びた闇に捕らわれた陛下は怯える様子もなく、喚き散らす。


「愚鈍な女のくせに生意気だぞ!ノアの婚約者だからと優しくしていれば、つけ上がりおって……!何が精霊の愛し子だ!ただの殺人鬼と変わらないではないか!貴様の名は愚者として、この国の歴史に……」


「────うるさいよ」


 陛下の喚き声がよっぽど煩かったのか、痺れを切らしたサナトスが陛下の首を闇で絞めあげる。

早くも酸欠状態になった陛下は、闇を取り除こうと、首元を引っ掻いた。


「ぐっ……!がっ……!」


 苦しそうな声を漏らすが、闇の力が弱まることはない。

無様に足掻き続ける陛下の姿は見ていて、とても楽しかった。


「サナトス、もう首の骨折っていいよ」


「もう満足しちゃったのかい?」


「ええ」


 サナトスは肩を竦め、『残念』と零すと、おもむろに手をギュッと握り締めた。

その動きに闇が反応し、陛下の首を絞める力が更に強くなる。

そして────グキッと痛々しい音を立てて、リアム国王陛下の首が折れた。

と同時に、陛下の手や足がダランと垂れ下がる。


 ────これがリアム国王陛下の最期だった。


 陛下の亡骸を闇に沈めたサナトスは自身の唇に二回触れ、ノア様に掛けた魔法を解く。

口の自由が利くようになったノア様だったが、言葉を発すことはなかった。


「ノア・アレクサンダー、魔法は解いたからもう喋れるよ。君の伯父みたいに喚き声の一つでも上げてみたら、どうだい?」


「……」


「無視とはいいご身分だね。君はそんなに早く死にたいのかい?」


「……」


 サナトスの問い掛けにノア様は頑として答えない。

黙りを決め込む彼の顔には生気がなく、もはや話を聞いているのかさえ分からなかった。


 愛する女に裏切られた上、慕っていた伯父にも見捨てられれば、さすがのノア様も心が壊れるか……。

ノア様は正真正銘のクズだけど、クレア様を思う気持ちや陛下を慕う気持ちに嘘はない筈だから……。

まあ、私からすれば『いい気味』としか思えないけど……。


「まだ完全に気が晴れた訳じゃないけど、話しかけても無駄みたいだし、さっさと終わらせ……」


「────何でこうなったんだ……?」


 今までずっと無言だったノア様が私の声を遮り、大きな独り言を零した。

私とサナトスは顔を合わせると、互いに首を傾げる。


「私はただ愛する者と共になりたかっただけだ。それ以上のことは何も望んでいない。なのに何故こんな目に遭う……?」


 ノア様は本当に何も分かっていないのか、『何故』と繰り返した。


「何故、私の手には何も残っていないのだ?愛する者と結ばれることがそんなに悪いことなのか?私は神の逆鱗に触れるようなことをしたのか?」


 違う……違うわ。そうじゃない。

貴方が間違っていたのは目的じゃなくて……。


「────やり方よ。やり方が間違っていたの」


「!?」


 私が口にした答えに、ノア様は大きく目を見開く。

迷子になった子供のように、ゆらゆら揺れていた海色の瞳が真っ直ぐこちらを見つめていた。


 この男はただのクズなのに……どうして、こんなに目が綺麗なのかしらね。


「『愛する者と結ばれたい』という願いは決して間違ったことじゃないわ。でも、愛する者と結ばれるために何をやってもいい訳じゃない。貴方の選んだやり方が他人を傷つけるものであれば、報復を覚悟しないといけないわ」


「……じゃあ、私は今その報復を受けているのか?」


「結論から言うと、そうなるわね」


 思いのほか飲み込みが早いノア様はクシャッと顔を歪め、『そうか……』と呟く。

ここでようやく、ノア様は自分が犯した罪と私の気持ちに気がついた。


 全てが真っ白で、純粋な子だからこそ招いてしまった悲劇。

彼にほんの少しでも常識があれば、結果は違ったかもしれない……。


「……アリス、最期にこれだけ言わせてくれ」


「何かしら?」


「────アリスの名誉と心を傷つけて、本当に悪かった」


 驚くほど、すんなり出てきた謝罪の言葉。

その言葉は私の胸にストンと落ちてきた。


 謝られたからと言って、彼への殺意が薄れる訳じゃないが……ほんの少しだけ同情してしまった。


「……サナトス、直ぐに終わらせて」


「おや?良いのかい?さんざん痛めつけてから、殺すんじゃなかった?」


「気が変わったのよ。血生臭いのはあまり得意じゃないし、早く終わらせて」


「ふふっ。分かったよ」


 最後の最後で情けを与える私に、サナトスはクスリと笑みを零すと、グッと手を握り締めた。

すると、会場を覆っていた大きな闇が一斉に動き出す。

まるで引き寄せられるみたいに、ノア様の周りに集まり始めた。


「アリスを傷つけた君のことはどう頑張っても好きになれないけど、その白い心は嫌いじゃないよ」


 サナトスのその言葉を最後に、ノア様の体は深い闇に包み込まれる。

彼を閉じ込めた闇は、球体に変化した。

真っ黒なボールの中から、うっすらとノア様の姿が見える。


「─────ノア・アレクサンダー、闇の中で静かに……そして、ゆっくり死んでいくがいい」


 “死”を以て終了する、その罰の名は────“孤独”。

 終焉を招く精霊王はノア・アレクサンダーに“孤独”という名の罰を与えた。


◇◆◇◆


 ────それから、数年後。


 私は小さい頃交した約束通り、終焉を招く精霊王 サナトスと結婚した。

今は『時間』という概念がない精霊界で、夫婦二人ゆったりと暮らしている。


「僕の可愛いアリス、何を考えているんだい?」


「数年前のあの事件のことよ。もう何年も前のことなのに、なかなか忘れられなくて……」


「まあ、確かにあの忌々しい事件は未だに忘れられないね。今思い出しても、本当に腹が立つ……あの国、滅ぼして来てもいい?」


 綺麗な顔を歪め、突拍子もないことを言い出すサナトス。

きっと、彼は私が『いいよ』と言えば、今すぐにでもあの国を闇で呑み込んでしまうだろう。

当時の彼は平静を装っていたが、内心はかなり苛立っていたから……。


 私の旦那様は本当に物騒ね。


「ダメよ。王太子が王位に就いてから、あの国は今、安定しているんだから。滅ぼすのが勿体ないわ」


「はぁ……僕のアリスはとことん甘いね。まあ、そこがまた可愛いんだけど……」


 チュッと私の頬にキスを落とすサナトスは甘い笑みを零す。

結婚してから、更に甘さが増した彼はとにかく私にベッタリだった。


「ねぇ、本当に滅ぼさなくていいのかい?頼んでくれれば、直ぐに滅ぼして来るよ」


 よっぽど、あの国が目障りなのかサナトスは再度私に問う。

殺意でギラついた金色(こんじき)の瞳を見つめ返しながら、私は首を横に振った。


「滅ぼさなくて良いわ。私は別にそこまで望んでいないもの。それに────この子(・・・)のためにも、今はサナトスに側にいて欲しいの」


 そう言って、私は僅かに膨らんだお腹を撫でる。

 そう────私は今、サナトスとの子を妊娠中なのだ。

記念すべき第一子である。


「初めての妊娠だし、この子は精霊と人間のハーフでしょう?だから、凄く不安で……サナトスには片時も離れず、側にいて欲しいの。ダメかしら?」


 コテンと首を傾げ、あざとくお強請りすれば、サナトスはギュッと私を抱き締めた。


「全っ然ダメじゃないよ!むしろ、ウェルカム!」


「うふふっ。それは良かったわ」


「僕がずっと側に居るから安心してね!この子もアリスも僕が絶対守るから!」


「それは頼もしいわ」


 サナトスはお腹の子を潰さないよう気をつけながら、私を強く抱き締める。

彼の頭の中にはもう数年前の事件のことも、あの国のことも無くなっていた。

溺愛が止まらない旦那様を見つめながら、私はふと考える。


 私、今すごく幸せだ。

私を愛してくれる素敵な旦那様が居て、愛しくて堪らない我が子がお腹の中に居て……これほど幸せなことはない。


 満ち足りた毎日と幸溢れる未来を思い浮かべ、私はフッと頬を緩める。


「愛してるわ、サナトス」


 普段『愛してる』なんて絶対言わない私が愛の言葉を口にすれば、サナトスは驚いたように目を見開く。

でも、直ぐに嬉しそうに笑った。


「ふふっ。僕もだよ。心の底からアリスのことを愛してる。絶対君の側から離れない」


 惜しげも無く愛の言葉をくれるサナトスは愛しげに私を見つめる。

そして────どちらからともなく目を瞑り、私達は甘い口付けを交わした。



【END】

お読みいただき、ありがとうございました┏○ペコッ

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― 新着の感想 ―
傍観、ならまだいい、身分社会のことが多いし仕方ないところもあるけど、この手の話で一方的に断罪する奴等の尻馬に乗って己が事実確認したわけでもないのに娯楽のように対象者を軽蔑するように非難したりするギャラ…
登場人物全員クズというところがとっても潔かったです
[良い点] スッキリとは言えないがサクッと読めて、作品が纏まっている。 [一言] ざまぁが潔すぎてドン引きすぎるくらいでした。
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