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竜の谷

 視界に収まり切らない程に広い大陸。果てはどこなのだろう。アンブルーの島なんて、ここと比べれば点みたいなものに思える。

 大陸全体には明るい緑が広がり、高い山が連なる。彼方に濃い緑のかたまりが見えるのは、森だろうか。

 海ではない水面(みなも)も見えた。ジートは本でしか知らないが、あれが湖というものだろうか。そこを水源として川が何本か伸びている。

 赤や黄色など、大地や草原の中にある鮮やかな色は花だろう。木にそういった色が見えるのは、花か実か。

 ヴェルが竜の谷に着いたと言い、こんなに広い場所なんだ……とジートが目を丸くしているうちに、草原へ降りる。ツァルト草原と呼ばれるエリアらしい。近くにはさっき見たのとは別の湖があり、湖の対岸には森が見えた。

 もっと落ち着いた状態であれば、この竜の谷に広がる美しい自然にジートは目を奪われていただろう。

 だが、今はヴェルの父に会ってフーリルのことを聞かなければならない、ということが心を占め、ゆっくり観賞する余裕はない。

 それに、今は目の前に現れた竜の巨体を見上げ、驚きで声が出ない状態だった。

 そこにいるのは、ヴェルの母でレドリー・レティアという竜だ。

 ヴェルも大きな身体だが、おとなの竜である彼女は息子の倍近くある。頭は二階建ての家より高い位置にあると思われた。こんなに間近にいると、山がせまってくるみたいだ。

 レドリーはヴェルと同じ、銀の身体に濃い青の瞳をしている。その銀はうっすらと赤みがかり、ヴェルとは別の美しさがあった。

「ヴェルッジュ・ゼクト、早かったわね。あと半月はかかると思っていたのに」

 言いながら、レドリーはヴェルの鼻面に自分の鼻面をこすりつける。人間なら、キスしているようなものだろうか。

 そう言えばヴェルの本当の名前って長かったんだなぁ、とジートはどうでもいいようなことを考える。今の状況に、感覚がどこか麻痺している気がした。

 レドリーだけでなく、近く遠くにも竜がいるのだ。複数の竜の姿を一度に見れば、感覚も普段通りとはいかない。

「あなた、いきなり小さなお客様を招待したのね」

 見えていない訳ではない。レドリーは足下にいる人間の存在を、現れた時からちゃんと把握していた。

「は、初めまして。あの、ジートと言います」

 緊張はしたがかろうじて声が震えなかった自分を、ジートは心の中でほめておく。

「初めまして。ここへ連れて来るくらいだから、余程ヴェルッジュ・ゼクトはあなたのことを気に入ったのね」

 竜の表情はよくわからないが、こちらを見る瞳は優しく、口調も穏やか。人間の来訪者を警戒したり、拒否したりといった様子はない。

 ヴェルは行ってもいいと思う、と軽く言っていたものの、やはりジートは人間が竜の谷へ入っていいのか不安があった。だが、どうやら余計な心配だったようだ。

「ジートは特訓仲間だからな。それより母さん、父さんはどこにいる? 大至急、会って聞きたいことがあるんだ」

「イアンド・セフラはいないわ。どこかしらね。またいつものように、あちこちを飛び回っていると思うけれど」

 悪い予想の方が当たってしまった。やはりヴェルの父は別の場所にいるらしい。

「やっぱり俺を連れてった後、戻ってないのかぁ」

 竜には、自分の気に入った定位置でのんびりするタイプと、あちこち動き回るタイプがいるらしい。そして、話に聞いていた通り、ヴェルの父は間違いなく後者だ。

「母さんはフーリルのある場所、知らない?」

「フーリル? どうして?」

「父さんが植えたフーリルが枯れかかってるんだ。で、新しいのがほしい」

「そう。では、植えていいのか、確認をしないとね」

 レドリーの話はそこまでだ。知っているかどうかさえ、教えてくれない。

「わかった」

 ジートはもう少し話を聞きたかったが、ヴェルは母からこれ以上の情報は引き出せないと悟り、すぐに切り替えた。

 ジートと話していた時、他の竜に聞いても教えてくれないと思う、ということは言っていたので、こうなることは想定済みだ。一応、もしかしたら、という気持ちで聞いただけ。

「俺達、急ぐんだ。母さん、父さんが行きそうな場所を知らない?」

「彼が行きそうな場所? そうねぇ」

 レドリーは思い当たる場所を、ヴェルにいくつか告げた。もちろん、ジートにはさっぱりわからない地名ばかりだが、ヴェルは知っているようだ。

 すぐに行くから早く乗れ、とジートをせかす。ジートものんびりするつもりはない。

「慌ただしくして、ごめんなさい」

「急ぎすぎて落ちないようにね」

 レドリーは穏やかにそう言って、息子と客人を見送った。

「最初に行く場所にいてくれればいいけどなぁ」

 ヴェルのつぶやきに、ジートは大きく(うなず)いた。

「ヴェル、休まなくて大丈夫? 竜の谷に着いたばかりなのに、すぐ出発なんて」

「そうのんきなことも言ってられないからな。母さんが教えてくれた場所、どれもかなりの距離があるんだ」

 竜が出掛けるくらいだから、近場とはいかない。一つひとつが離れているので、さっさと向かわないと時間がいくらあっても足りないくらいなのだ。

 最初に向かった場所は、大きな湖。竜の谷へ着いた時、空から見えていたのはここだろうか。ジートは最初、海かと思ったくらいだが、陸地の中にあるので湖だろうと推測したのだ。

「カルヤ湖って呼ばれてる。竜の谷では三番目くらいに小さいかな」

「え……これで小さいの?」

 海かと思ったくらいなのに、小さいと言われた。一体、竜の谷はどれくらい広いのだろう。もう想像が追い付かない。空にいても、湖の端が見えないのだ。

「小さいって言っても、見た感じはかなり広いよ。この湖のどこにお父さんがいるって言われたの?」

「ここにいるとすれば、人魚に会いに来てると思うんだ」

「会ったことはないけど……人魚って、海にいるんじゃないの?」

 小さい頃に読んだ絵本で、人魚が海でおぼれている人間を助けてどうこう、という物語があったような気がする。逆に人間を襲う人魚もいたし、元気な人魚が色々な場所を旅する話もあったと思うが、それも海の中だった。

「海にいる種族の方が多いかな。全部が海にいるって訳じゃないんだ」

 参考にしたものが絵本という点で、すでに間違っている。ちゃんとした資料ならもっと正確に書かれているだろうが、ジートはまだそこまで手が回らない。

 こうして生きる辞典のような竜に教えてもらえば、絶対に忘れることはないだろう。

「ざっと見た限りじゃ、人魚達は外にいないみたいだ。中へ入るか」

 ヴェルは軽く言ったが、その言葉にジートは固まる。

「えっと……ヴェル? 中へ入るって言った?」

「おう、言ったぞ」

「中って、水の中……だよね? ぼく、水の中では呼吸できないんだけど」

 ジートはヴェルの背中にいる。このままヴェルが湖の中へ入ってしまえば、自動的にジートも水の中だ。

「あ、そうだったな」

「ヴェル~」

 まさかと思って聞いてみたが、ヴェルはその点がすっかり抜けていたようだ。

「ぼく、水の中で長時間動ける魔法なんて習ってないよ」

「そっか。じゃ、最初だけ息を止めてろ」

 そう言うと、ヴェルはジートの返事も待たずに湖の中へと突っ込んで行く。

 アンブルーの島でヴェルが特訓をしていた時、崖から海へ落ちる時はこんな感じだったのだろうか。一気に水面が近付いて来る。

 さすがに恐怖を覚えたジートは、ヴェルにしがみつきながら固く目を閉じた。息なんて、意識しなくても止まっている。

 全身が冷たくなった……ような気がした。しかし、水の中へ飛び込んだ時の衝撃などはまるでなく、濡れた感覚もない。

「ジート、呼吸できるだろ」

 いつもよりややこもった感じに思えるヴェルの声。ジートは恐る恐る目を開けた。

「わ……」

 目の前が青い。目を閉じた直後に水の中へ飛び込んだということは感じたが、確かに今いる場所は水の中だ。

 それなのに、呼吸ができている。身体のどこも濡れていない。

 どうやらジートは大きな泡の中に入れられていて、そのおかげで呼吸ができるし、ぬれることもないのだ。

「すごい……。今、湖の中にいるんだよね? それなのに、ちゃんと息ができてる」

「人魚を捜す間くらいは何とかなるだろ。苦しくなったら、早く言えよ」

「え……う、うん」

 水の中にいる間はずっとこの状態、という訳ではないらしい。時間制限あり、とわかると怖くなる。ヴェルが付いていて滅多なことはないと思いたいが、ヴェルなら「あ、悪い」なんて言いそうな気もした。

 とにかく、自分で何とかできない以上、ちゃんと空気の管理はしなければ。

「水の中って、こんなに暗かったかな」

 飛び込んだ直後は青い世界に見えたが、今は黄昏時のような暗さだ。

「陽が落ちる時間が近いからな。そうでなくても、この辺りはかなり深いんだ」

 ジートには潜っている感覚など全くないが、ヴェルは光が届きにくい深さまで進んでいるらしい。

「人魚って、そんなに深い場所にいるもの?」

「そういう訳でもないけどさ。あ、なあなあ。人魚達、どの辺りにいるか、知ってる?」

 誰に聞いているんだろうとジートがそちらを見ると、形は魚だがヴェルと大差ないサイズの生き物が泳いでいる。呼吸できるはずだが、ジートは息が止まりそうになった。

 普通サイズの魚も泳いでいるが、その魚が巨大すぎて稚魚にしか見えない。

「あっちで……見た……」

 妙に間延びした言い方で、巨大魚は教えてくれた。

「そっか。ありがとなー」

 ヴェルは礼を言うと、教えられた方へ向かう。見えてるかどうかわからないが、ジートは巨大魚に軽く頭を下げておいた。

「あ、いたいた」

 ヴェルが向かう方を見ても、ジートにはよくわからない。だが、しばらくすると薄暗い中で、銀色の光がいくつも動いているのが見えるようになってきた。

「こんなに……」

 銀色の光は、何となく予想はできたが、人魚の尾だった。ジートは人魚を初めて見たが、本当に上半身は人間と同じで下半身が魚の形になっている。

 そこまではいいとして、そこにいる人魚が軽く三十は超えているだろう群れだったことに、ジートはまた息が止まりそうになった。

 ヴェルはさっきの巨大魚に、人魚達、と言っていた。複数なのかとは思ったが、せいぜい十以下だろうと勝手に想像していたのだ。こんな団体とは。

 長い髪は、金や銀。人間と同じで男女いるらしく、女性はほっそりと、男性はがっしりした体格をしている。そして、誰もが美しい顔立ちだ。

「おーい、ミレイラはいるかー」

 ヴェルが呼びかける。そうでなくても竜が現れたことで注目をされていたのだが、その声でさらに視線が集まった。もちろん、ヴェルの背中にいるジートにも。

 ジートの父がここへ来ることがあるのなら、竜は珍しい存在ではないだろう。だが、人間は間違いなく、ここでは珍しい存在。

 それは理解できるが、そこにある美形の顔が全てこちらを向いているので、ジートは緊張してしまう。……もしかして、これからずっとこんな状態なのだろうか。

「ミレイラは私よ。あなたは……あ、もしかしてヴェルッジュ・ゼクトかしら?」

 人魚の群れの中から、女性の人魚がこちらへ来る。

 少しくせのある金の髪をなびかせた彼女は、人間なら二十歳前後の見た目だ。もちろん、他の人魚と同じく美しい容姿。薄暗いはずの水の中で、なぜか輝いて見える。その髪が輝いているのだろうか。

「うん、そう」

「大きくなったわね。イアンド・セフラに連れて来られた時は、あんなに小さかったのに」

 小さかった、と言うのは、ジートが初めてヴェルと会った時くらいだろうか。来た時期によっては、もっと小さかったかも知れない。

「おとなの一歩手前まで来てるからな。それより、父さんはここに来てない?」

「イアンド・セフラ? いいえ、来ていないわ。ここしばらくは来ていないわね」

 竜や人魚など、長命の種族にとっての「ここしばらく」というのは、どれくらいの期間なのだろう。

 ジートは聞いてみたい気がしたが、今は余計な口をはさんでいる場合じゃない。それに、聞いたらまた想像が追い付かないような気もした。

「いないかぁ。そううまくはいかないよな」

「彼を捜しているの? あらあら、大変そうねぇ」

 ミレイラがそう言うのは、イアンドが自由にあちこち飛び回ることを知っているからだろう。

「何か用事があったの?」

「うん、ちょっと急ぎで聞きたい事があってさ」

「そうなの。じゃあ、ゆっくりしていきなさい、と言っても駄目そうね。彼の方も時間がなさそうだし」

 ミレイラの視線がヴェルからジートに移り、ジートはぽかんとする。だが、彼女の言った意味がすぐにわかった。

 ヴェルが出してくれた泡が小さくなっているのだ。泡の膜がさっきより近くにある。中の空気が減りつつある、ということだ。

 ちゃんと自分で管理しなければ、と意識していたはずなのに、巨大魚やら人魚の群れやらを見て驚きすぎ、空気のことなんて頭から完全に抜けていた。

 このままでいれば、やがて泡は消えてしまう。そうなれば、ジートは溺れるかここの深さによっては圧死だ。

「あ、やば……。じゃ、またな」

「ええ、待ってるわ」

 挨拶もそこそこに、ヴェルはその場から一気に水面へ向かって上昇する。せっかくこんなに大勢の人魚と出会ったのに一言も会話できないのは残念だったが、今は色々な意味で時間がない。

「さ、さよなら」

 ヴェルにしがみつきながら、ジートはかろうじて人魚達にそれだけ言った。

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