進化する特訓
一時ディオルゼに心配をかけてしまったものの、単に疲れただけ。
ジートの実力が多少上がっていたこともあって、ルドアの丘へ行くことを禁じられたりはしなかった。
「……ヴェル、また少し大きくなった?」
「おう。一回りくらいな」
最初に気付いたのは、三日目。
ジートが初めてヴェルに会った時、せいぜい中型犬くらいの大きさだった。それが、大型犬くらいにまでなっていたのだ。
成長期だと話していたが、竜という生き物はこうまではっきりわかる成長の仕方をするものなのか。
さらに数日すると、ヴェルはまた大きくなった。今度は子牛くらいだ。最初に見た大きさから比べれば、かなり成長している。
ヴェルはだいたい四、五日毎に大きくなるようで、ジートの身長を超えたのは会ってから十日を過ぎた頃だった。
身体が大きくなれば、それに比例して翼も大きくなるが、それは以前に比べればの話。
身体に対して翼がアンバランスな大きさなのは、今もそれまでも同じだ。
大きくなるということは、おとなに近付くということ。
それはいいのだが、やっと風をつかめるようになってきた時に身体が大きくなって重くなり、今までの調子で風に乗ろうとしてもうまく乗れなくなってしまうのだ。感覚が成長に追いつかないらしい。
そのため、だいぶ風をつかめるようになったから飛行距離を伸ばそうとしても、身体が大きくなったからまた最初からやり直し、という状態になってしまう。
こんな状態が当分続くのだ。ヴェルがしばらく帰れない、と言ったのは、こういう事情も絡んでいる。
そして、今日。
ヴェルの長い身体は、ジートの身長の二倍以上になっていた。最初はジートが見下ろしていたのに、今は鎌首をもたげている状態でヴェルに見下ろされている。完全に形勢逆転だ。
ヴェルから見れば、ジートの方が中型犬サイズのようなものだろう。
「寝てる時にさ、体中がばきばき音をたてるんだ。もう、うるさいったら。それに、ちょっと痛みがあるし、その点がいやなんだよな。おとなになるって本当、楽じゃないぜ」
話を聞くと、身体が成長するために骨や筋肉などが伸びようとしているらしい。それがいささか急激なため、痛みを伴うようだ。
そのせいで夜にゆっくり眠れないため、身体が成長した次の日は、ジートが来るまで寝ていた、といつも言う。大きな身体を持つのも大変そうだ。
竜の身体が成長すれば、人間になった時の姿はどうなるのか、と聞いたことがある。
結果は……大して変わらなかった。微妙に表情が大人びて見えなくもないが、ほんのわずかな違いだ。人間の姿は、実際の年齢よりも精神年齢が反映されるらしい。
なので、心まではおとなになっていないヴェルは、まだ少年のまま。ただ、身長は最初に見た時よりも少し伸びていた。
「今のヴェルを見られたら、大騒ぎだね」
「何も知らない奴がいきなり見たら、そうだな。だから、ジートがいない時は小さくなって隠れてる。ここはあまり人が来ないみたいだけど、いつ来るかわからないし。あんまり騒がれても、ゆっくり特訓できないからな」
「もしかして、人間が竜とあまり会わないのってそれが理由? 小さくなって隠れてるから、人間はそばに竜がいても気付かないまま通り過ぎてるとか」
「理由の一つとして、それはある。小さい姿を見られると魔物もどきに間違えられるし、大きいとビビッて逃げて行く。面倒くさいんだ、俺達みたいな存在に慣れてない奴は。魔法使いであっても、根性のない奴は腰を抜かすってことも聞くしさ。だったら、最初から顔を合わせないようにしようってことになるんだ」
竜側の意見としては、竜と人間が相まみえることが少ないのは人間に原因がある、となるようだ。
「今の俺みたいな時期の竜だと、見る度に大きさが変わったりするだろ。人間から見れば、余計に異様な存在に思えるみたいだな」
「確かに最初は驚いたけど、ぼくは異様とは思ってないよ」
その言葉に、ヴェルがジートを改めて見る。
「生物によって、成長の仕方は色々あるだろ。人間は時間をかけて大きくなるから、他の生物から見ればすごく辛気くさいって思われてるかも。ヴェルはそのままの姿で大きくなるから、まだいいんじゃない? いいって言い方も変だけど。ほら、例えば蝶なんて、イモムシからさなぎになって羽化するんだよ。小さいし、よく見かけるから誰も何とも思わないけどさ。蝶が今のヴェルくらいの大きさで成長したら、そっちの方が間違いなく異様だよね」
「……ジートって面白い奴だな」
「面白い? そうかな。坂を転がるのとどっちが面白い?」
ジートの問いに、ヴェルは苦笑する。
「茶化すなよ。答えるなら、どっちも面白いけど。父さんが俺をここへ置いて行ったのがわかる気がする」
「ここって、アンブルーの島ってこと? そう言えば、どうしてヴェルのお父さんはこの島を選んだの? 人間がいたら、集中して練習できないような気がするんだけど」
「普通、親は人間のいない場所を選んで子どもを置いて行く。ジートが言うように、特訓に集中できるように。でも、父さんは人間が住んでるのがわかってるこの島に置いて行った。俺も不思議だったんだ。ここの人間とならきっとうまくやれる、なんてことも言ってたし。ジートみたいな奴がいるってわかってたのかもな」
「ぼくみたいなって?」
「だから、面倒くさくなくて、面白い奴」
「何だか微妙な表現に聞こえるけど……ほめてる?」
「おう、大絶賛」
ヴェルはにかっと歯を出して笑った。竜の姿でも、その表情だけははっきりわかる。
「はは、ありがと」
はっきり言われると、少し照れくさい。ディオルゼはジートを素直だと言うが、ヴェルも素直な性格だとジートは思う。もしくはストレート。
「さてと。身体が大きくなったから、また一からやり直し状態だな」
せっかく感覚をつかんだところなのに、成長したことで身体が重くなった。慣れない体重を自分のものにし、改めて感覚をつかまなければならない。
「まだ成長し続けるの?」
「んー、たぶん一次成長はこの辺りで終わりじゃないかな。しばらく間をおいて、今度こそおとなと同じ大きさになるんだ」
「へぇ、そうなんだ。ヴェル、その大きさだと、木に登るのはもう限界じゃない?」
木に登り、飛び降りた時に起きる風を利用する。
出会った頃のヴェルなら何の問題もなかったが、こんな大きな竜に登られたら木だって大変だ。その重みで枝が折れかねない。
「ああ、折れたら木に悪いよな。だから、飛び降りる場所を変えようと思って」
「変えるってどこに?」
飛び降りるスタイルについては変えないらしい。だが、この近くに適した場所があっただろうか。もちろん、人間があまりいない場所で。
「あの丘の向こう」
「丘の向こ……ええっ?」
ヴェルの言葉に、ジートは目を見開いた。
彼らがいる場所から緩やかな坂を上ると、ルドアの丘。フーリルがある場所だ。
竜の花を隠そうとするかのように似たような小さい花がまとまって咲き、そんなかたまりが点々とある。
それらの花畑を真っ直ぐ突っ切ると……崖。丘の向こうは断崖絶壁で、下は海だ。
アンブルーの島には他に崖はない。ルドアの丘はこの島で一番高い場所になるため、一番危険な場所とも言えるのだ。
そんな絶壁から、ヴィルは飛び降りると言う。ジートは高さを知らないが、ここから突き落とされたら人間なら無事ではいられないはずだ。
真下の海に岩礁はないが、相当深いと聞く。そこから島へ戻るには、岸壁に沿ってかなり泳がなければならない。
「ヴェル、丘の向こうがどうなってるか、知っててやるつもり?」
「もちろん。何も障害物がないから、すっごくやりやすそうだよな」
「え……やりやすい?」
絶壁を見て、やりやすそう、なんて言葉が出るとは思わなかった。
「だけど、坂を転がるのとは訳が違うよ。海に落ちたら……」
「心配するなって。俺、泳げるから」
「いや、そういう問題じゃなくてさ。海からここへ戻るのが大変だし、あの高さだと今度こそケガするかも知れないだろ」
「だからぁ、竜はそう簡単にケガなんてしないっての。戻るのも、別に大変って程でもなさそうだぞ」
こんな会話を交わしながら、彼らは丘を上って行く。
「海から真上に飛び上がって丘へ戻れるなら大変じゃないだろうけど、ヴェルは飛べないから練習してるんだろ。もう少し他の方法を考えたら?」
「んー、けどさ、前以上に走るのに向いてない身体になってるだろ。やっぱり高い所から飛ぶ方が、風を受けられるからな」
どうして高い所から飛ぶ、なんて提案をしてしまったんだろう。
ジートが再び後悔しても遅い。
花が咲くエリアを通り過ぎ、妖精達の視線を感じながら絶壁の手前まで来る。ここまで島の人達が来ることはほとんどないので、落下防止の手すりなどはない。
「ヴェル、まさか度胸試し、なんてことは思ってないよね?」
「は? この程度の高さで度胸試しになるかよ。あ、ジートは落ちるなよな。さすがに人間はやばいだろうから」
そう言って、何のためらいもなくヴェルは地面を蹴った。
「わーっ、ヴェル!」
ジートが叫びながら手を伸ばすが、もう届かない。届いたとしても、自分の二倍以上ある竜の身体を止められるはずもなかった。
ジートは座り込み、恐る恐る崖の下を覗き込む。彼の両横には、同じように下を覗き込む妖精達。
すでにヴェルの姿はなく、凪いだ水面に大きな波紋が広がるのがかろうじて見えた。ヴェルは無事だろうかと見守っていると、白銀の竜が海から顔を出す。
「よかったぁ……」
ジートはほっとして、長いため息をついた。
飛べなかったようだが、ケガをしたりおぼれなくて一安心する。後はどうやって戻るかだ。
「え……」
どうするつもりだろうとジートが見ていると、海から顔を出したヴェルは絶壁に爪をたて、そのまま垂直に近い崖を上り始めた。格好としては、木登りと同じ要領だ。
どれだけ丈夫な爪なの……。
目を丸くしてジートが見ているうちに、ヴェルは崖の頂上とも言える丘へ戻って来る。
「ジート、ほんの少しだけど浮いたぞ。最初からこの調子なら、いい感じだな。海も気持ちよかったぞ」
嬉しそうに報告するヴェルに、ジートはうなだれながらつぶやいた。
「ヴェル、きみの特訓、絶対心臓に悪すぎるよ……」