熱い伯父と雪原
いつもより少し遅めの出発で向かった先は、昨日とは真逆の雪原だった。
ヴェルの母レドリーがいた草原も果てしなく広がっていたが、ここも真っ白な大地が延々と広がっている。ドリーブ雪原と呼ばれる場所だ。
「ヴェルのお父さんは、本当に顔が広いんだね」
火山に行ったかと思えば、今日は雪と氷の世界。昨日は赤い身体のマラーザ・ドリーダと、白い身体のヴェルが見事な紅白できれいだと思った。この景色も見事に昨日とは両極端だ。
北から南まで、イアンドは実に色々な所に知り合いがいるらしい。
「竜の谷は、この世界のほんの一部だ。それでも、一度には回り切れないし、他を回ってからまた来たら、長い時間が流れているおかげで違った景色が見られるんだよ……とか言ってたな」
「ヴェル、それってお父さんのまね?」
いつもの声よりわざと低音でしゃべるヴェル。ジートは吹き出しそうになった。
「まぁな。違う景色が見られて、そこで出会った友と再会できて楽しいってさ。そうやってあちこち行く竜はいるけど、父さんはそれの度が過ぎてるんだよなぁ」
「社交的なのは悪いことじゃないけど、今だけは悪い方に向いちゃったね」
そんな話をしながら雪原の上空を飛んでいるうちに、吹雪いてきた。ジートは寒さをしのぐために結界を張ったが、どんどん冷えてくる。
それに気付いたヴェルが、昨日のように補強してくれた。おかげで、寒さは感じなくなる。結界なしでこの場に放っておかれたら、すぐに凍死だ。
「ここって、いつもこんな感じ?」
「そうだな。晴れる日もあるけど、吹雪いたりやんだりを繰り返してる」
「吹雪いて見えにくいけど、あそこにあるのって湖?」
雪原とは違う青白いエリアが見える。水だ。完全には凍っていないようなので、かろうじてわかった。それでも、見ているだけで寒くなりそうだ。
「ああ。あのそばに氷樹の森がある。そこに伯父さんがいるんだ」
「氷樹? 樹氷ってものがあるってことは、本で読んだことがあるけど。それとは違うもの?」
「ジートが言ってるのは、木に雪や氷がくっつく奴だろ。ここのは、氷が木みたいに生えてるんだ」
「え……氷が生える?」
「そう。ほら、あんな感じで」
ヴェルが顔をくいっと動かし、ジートはそちらを見た。
凍りかけた湖のそばに、白く背の高いものが林立している。それは確かに木のような形状をしているが、幹の茶色も葉の緑もない。影ができることで濃淡はあるが、全てが青みがかった白だ。
「うわ……氷の木だね」
本当に生えてくるのかは確認のしようがないが、確かに氷の木が立ち並んでいる。あんなものが生えてくるなんて、不思議でしかない。
「伯父さんってことは、お父さんのお兄さんってことだよね。ヴェルのお父さんみたいにあちこち行くんじゃなく、ここに棲んでるってこと?」
「ああ。パートナーがこういう寒い場所が好きなんだってさ。で、一緒にいたいから自分もここにいるってことみたいだ」
なかなか情熱的な伯父さんのようだ。
氷樹の森の奥へ向かわなければならないかと思ったが、そばにある湖のほとりにいる竜を発見。大地も竜の身体も白っぽいのでかなりわかりにくいが、竜の気配を感じ取ったヴェルが気付いた。
さらにジートが目をこらすと、少し青みがかった竜もいる。どうやら伯父さん夫妻がいるようだ。
「おーい、おっじさーん」
ヴェルが呼びかけながら、そちらへ向かう。呼ばれた竜は、吹雪の中にこちらへ飛んで来る竜の姿を見た。
「ん? もしかして、ヴェルッジュ・ゼクトか」
「そうだよー」
返事をしながら、ヴェルは伯父夫妻の前に着陸する。
「おー、久し振りじゃないか。すっかり大きくなって」
目の前に降りて来た甥っ子に、伯父のキュアス・ビアーネはその鼻面を相手にくっつける。レドリーがしていたように、人間でいうところのキスをしているらしい。
「や、やめてよ、伯父さん」
ヴェルが昨日の成長でまた大きくなったとは言っても、やはりおとなの竜の方がもっと大きい。覆いかぶさるように鼻面をくっつけられ、恥ずかしいのかヴェルがいやがる。人間の姿なら、きっとハグしまくりだろう。
そばでは、パートナーの竜が笑っていた。
「もうこんなに大きくなる時期になったんだなぁ。来てくれて嬉しいよ。その姿を見せてもらえて、感激だ」
「ちょっ……姿を見せに来た訳じゃないんだってば」
「キュアス・ビアーネ、彼は困っているようよ」
うざったい程にスキンシップを図ろうとする伯父から逃げたがっているヴェルを見て、パートナーが助け船を出す。
「この子とは本当に久々に会ったんだよ、セルカナ・ドゥーラ。前に会った時は、一口にも満たない氷のかけらのように小さかったんだ」
「……その例え、全然嬉しくないんだけど」
人間なら、キュアスはきっとヴェルの肩を強引に抱いている状態なのだろう。満面の笑みを浮かべた伯父とは対照的に、ヴェルは眉根を寄せて。
「伯父さん。俺、急ぐんだ。父さん、ここへ来てない?」
「イアンド・セフラ? 一緒じゃないのか」
その言葉で、空振り決定。
「ん? なぜ人間の少年を連れているんだ?」
気付くのが遅い。どうやら、キュアスはヴェルしか目に入っていなかったようだ。久々の甥っ子訪問に舞い上がっていたのを見れば、何となくわかっていたこと。
ジートはヴェルの背中で軽く会釈した。
「ここ数日のうちに来てない?」
ヴェルはジートの説明をスルーした。一度話し始めたら、解放してもらえなくなりそうな気がして。
「いいや、ここ数年は会ってないなぁ。セルカナ・ドゥーラがそばにいてくれれば満足だが、たまには弟の顔も見たいものだよ」
さりげなく、のろけられた。
「数年かぁ。つまり、俺が父さんと一緒に来た時以来なんだな」
数年会っていないから、レドリーはここにいるのでは、と示してくれたのだろう。
「伯父さん、フーリルのこと、何か知らない?」
「フーリル? ……そのことを聞きたくて、イアンド・セフラを捜しているのかい?」
「うん。あの花が必要なんだ」
そう話すヴェルを見て、キュアスはジートを見た。
「私が事情を聞くのはやめておこう。イアンド・セフラにまかせた方がよさそうだ」
知っているが、教えるつもりはない。そういうことだろう。
これまでもそうだった。尋ねても、みんな知っていそうで誰も教えてくれない。
イアンド・セフラが関わっているなら、彼に聞け。
言葉の裏に、そういう意図が隠れているようだ。少しくらい情報をくれても、と思うのだが、それもしてもらえないらしい。
「わかった。じゃ」
「もう行くのか。残念だ。またおいで。必ずだよ」
本心は引き留めたいようだが、明らかに急いでいる甥を止めることはしない。
その代わり「絶対来るんだよー。約束だからねー」といった言葉が、姿が見えなくなってもしばらく吹雪の中で響き続けた。
☆☆☆
レドリーから聞いた場所へ、ヴェルは片っ端から向かった。片っ端と言っても、全てが遠い上に、今日は出発時間が遅かったので行ける数は少ない。とにかく時間の許す限り飛んだ。
「ジート、明日は一旦母さんの所へ戻る」
夜になって降り立った島で、少年の姿になったヴェルはジートにそう告げた。
「お母さんが教えてくれた場所、全部回れたってこと?」
「うん。他に心当たりの場所を聞いて……あと、もう少し効率よく捜す方法がないかも聞いてみる。こういういきあたりばったりの方法じゃ、運が悪いとはずればっかりになるからな。実際、そうだし。帰りの時間を引いたら、もう一週間を切ったことになる。少し焦った方がよさそうだ」
「そうだね、手がかりを見付けるだけでもかなり違うはずだ。竜の情報網なんてものがあれば、もっとうまく移動できるよね」
この捜し方は原始的すぎる。足や翼だけでなく、もっと頭を使わなければ。
「ディオルゼ、心配してるかな」
アンブルーの島を出てから、今日で五度目の夜だ。こんなに長く島を離れたのは初めてだし、ディオルゼと離れたのも初めて。
「その魔法使いが俺を竜だと信用してるかはともかく、妖精を通じて伝言してあるから、ジートが襲われたとは思ってないはずだぜ」
妖精の口から「ジートは竜と一緒にフーリルを探しに行くから待っていろ」という内容が、竜の伝言としてディオルゼに伝わっている。妖精自身が騙されているならともかく、妖精がディオルゼを騙すことはないから、その伝言は信用されるはず。
ヴェルなら、それにジートも言付けを飛ばす魔法ならできるが、彼らがそれをするとディオルゼが信用しない可能性がある。
ヴェルがすれば、騙そうとしているのではないか。ジートがすれば、彼が脅されてやっているのではないか、と。
そう考えて、ヴェルは妖精に託したのだ。
「まさか、俺がジートを喰った、なんて考えてないよなぁ」
「もう、それはやめてよ。ディオルゼはそんなこと、考えたりしないからさ」
以前口にした疑問を茶化され、ジートは苦笑する。
「ヴェルはフーリルがどんな花かってこと、どこまで知ってる?」
「大地の力を増幅させる。ただ、扱いを間違うと、すぐに枯れるって聞いた。それくらいだな。ずっと昔、咲いてるのを見たことがあるけど、どこだか覚えてない」
仮に覚えていれば、ヴェルがアンブルーに持ち込むことも可能。
ただ、ヴェルはフーリルの扱い方を知らない。竜だからと言って、適当に植えてもすぐに枯れることもありえる。長年咲き続けていたので人間は「枯れない花」と認識していたが、実はとても繊細な花であるらしい。
「どうしてヴェルのお父さんがフーリルをアンブルーの島に植えたか、わかる?」
「いや。あの島へ連れて来られた時、フーリルを植えたってことも言わなかったしなぁ。ジートに会って、丘へ上った時にフーリルを見て、ここに植えられてるんだって思ったくらいでさ。それは前にも言っただろ。俺が近くへ行けばわかるだろう、くらいに考えていたんじゃないかな」
「そう。だけど、きっと何か事情があったはずだよね。何の関わりもない島に、わざわざ大地の力を注ぎ込むことはしないと思うんだ。単に気まぐれでってことは……ないよね」
ヴェルの練習の場としてアンブルーの島を選んだのも、きっとフーリルの花が関係している。特別な理由があるはずだ。
「あの父さんなら、ありえるかも」
気まぐれなんてことはないだろう、と思って言ったのに、あっさり肯定されてしまった。
「ええっ、あり? どれだけ適当なお父さんなのさ」
竜という種族は、人間が思うよりずっといい加減……いや、自由なのだろうか。
「んー、さすがにそれはないか。いくらあの父さんでも」
息子からずいぶんな言われようの父である。
「見付けてとっ捕まえたら、その辺りの話も聞けるぜ」
「うん、そうだね」
とっ捕まえ、という部分はあえて突っ込まず、ジートは笑って頷いておいた。