「これを読み終えたとき、あなたは感動せずにはいられない」
「これを読み終えたとき、あなたは感動せずにはいられない」と大きく表紙の帯に銘された小説を手に取る。すると、ふと疑問が出てきた。
僕は、感動するという状態になったことがない。別に逆張りとかではないし、心がないわけでもない。普通に、子供のころは怒られれば泣くし、告白してフラれたら悲しい。
しかし、感動とは何なのだろうか?怒られて泣く、フラれて悲しい、といったことも感動なのだろうか?
感動なんていうものは、主観的なものでしかない。思う人がいれば、怒られて泣くという思い出は、感動の一部なのかもしれない。
つまるところ、感動の価値も人それぞれあって、僕にとってそれは、感じ取りにくいものなのだろう。
今僕が手に取っている本は、入院している母に買って行ってあげようと思っている本だ。母は、読書好きで暇さえあれば本を読んでいる。
僕がこの本を手に取った理由は、このバカでかいポップに目を引かれたからだ。表紙は、儚げな女の子のイラストだった。
年齢は違えども、纏っている雰囲気は、病院で日に日に弱っていく母のように見えてならなかった。
特にどう思うわけでもない。強いて感じたことを上げるとすれば、儚げな表紙と相反して、ポップはとても元気のいい太文字で、ズレを感じたぐらいだ。
ここまで、この本に思考を搔き乱されたのだから買うことにした。
病室に入り、本を母に手渡した。
「あんたが、本を持ってきてくれるなんて初めてじゃない?」
母の指摘通り、僕が持ってくるのは初めてだ。僕は、母が本を読んでいる姿を見たくない。ベッドの上で集中して読んでいるものだから、ページを捲る以外の動きなどない。
その光景を目の当たりにすると、母が死んでしまったような気がしてしまうからだ。
「そうだね、たまには親孝行だよ。」
僕は、片親だったので、母親にはとても支えられた。母がいなかったら死んでいた。
「それにしても最近の本は、安っぽい感動の売り方をしているね。」
「そうだね、僕もそう思う。そもそも、感動っていう概念がわからないけど、安売りしてもいいものではないと思う。」
やはり、僕はこの人の息子なのだと、よくわかる。いつ死ぬかもわからない母親に、かけるいい言葉など見つかってないし、できればお別れの言葉を言いたくないし、お別れの言葉を聞きたくもない。
「私が死ぬ前に、私の考える感動を教えてあげよう。私が思うに、感動っていうのは、『かまける』って言葉からきている気がするんだよね。『かまける』の意味っていうのは、人の心を動かすっていう意味なんだよ。だからさ、感動っていうのは、自分じゃない誰かに心を動かされるってことだと思うんだよ。感動の安売りっていうのは、他人からたくさん心を動かされるってことなんだよ。」
「人に心を動かされるっていいことじゃないの?」
つい、気になったので間髪入れずに聞いてしまった。
「人に心を動かされることは、一概には良いこととは言えない。他人に心を動かされて感動を受け取っていたら、自分自身で感動ができなくなってしまう。その類にもらい泣きなどがあるんだよ、きっと。もらい泣きだったら他人が泣いているから自分も泣けてくるような気がする。でも、そうしているうちに何に感動するのかを忘れてしまうといっているの」
なかなか深いことを言っている気がする。僕が感動できない理由なんかも少しわかった気がする。
「母さんが言うと、なかなか重みのある言葉に感じられるね。やっぱり、年の功かな。」
「そうかもね。死にゆく人の言葉を程重いものはない。」
父親が死んだときの記憶は僕にはないので、量ることはできないし、母にとっての父となりうる存在もいない。
「母さんは、ゆっくり本でも読んで余生を謳歌してね。」
そう言って、病院を後にした。
母の言葉を聞いて、考えていて寝つけずにいたら、病院から連絡がきた。
「母が危篤であと一回話せるか否か、今は心肺停止状態」とのことだった。
僕は、考えるよりも早く、動いていた。タクシーに乗って病院に行った。
病室に着くと、虫の息ほどだが意識が回復していた。
母の手が僕の頬に触れて微かに「ありがとう」という言葉が聞こえた。その直後、母の手はベッドへと落ちてしまった。
その後のことは、頭が真っ白になって覚えてないが、一つだけ、はっきりしていることは、母は死んだということだ。
お通夜、葬式を経て僕の誕生日になった。今は、母がいなくなった生活に少しずつ慣れてきた頃だ。
一枚の手紙とともに、花が送られてきた。
送り主は母だ。手紙には優しい字で「ありがとう」と書かれていた。僕は涙を抑えられなかった。涙が頬に垂れて母から送られてきた花に目を向けて気付いた。
母が送ってきた花は、桔梗だった。僕は、母が病室で死んだとき泣けなかった分を清算するように崩れ落ちて泣いてしまった。
桔梗の花言葉は、「永遠の愛」だ。
母からの最期のプレゼントは、「感動」だった。