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6.(3)

 音羽は目を丸くして彼女を見つめる。


「――なんでここに? まだ授業中だよね?」


 そう言った音羽の言葉に涼は「早退したから」と短く答えた。音羽は眉を寄せる。


「早退って、なんで」

「決まってるでしょ。崎山さんのこと探そうと思って」

「え……」

「ファミレスを手当たり次第に探そうと思ってたんだけど、近くにいて良かった」


 そう言った彼女の声は固く、表情は怒ったままだ。音羽は彼女から視線を逸らして腕を引く。


「腕、放してよ。痛い」

「嫌」

「行くところがあるから」

「ダメ。一緒に帰るの」


 低くそう言った彼女は、問答無用で音羽を引っ張って歩き出した。


「ちょっと下村さん! 痛いってば!」


 しかし、いくら音羽が声をあげても涼の手の力が緩むことはなかった。

 引っ張られるままに寮へと戻った音羽は、自室でテーブルを挟んで涼と向かい合うようにして座っていた。腕をさする音羽を、涼は申し訳なさそうに見つめる。


「……ごめんなさい。ちょっと、力が入り過ぎちゃって」

「痛かった」

「だから、ごめんって……。でも、あれくらい掴んでおかないと崎山さん、逃げると思ったから」

「そうかもね」


 音羽は頷くと「怒ってるの?」と涼を見つめた。


「え?」

「わたしが電話で言ったこと」


 すると彼女は「別に、そういうわけじゃないけど」と小さな声で言う。


「けど?」


 しかしそれ以上、彼女は何も言わなかった。音羽は小さく息を吐いてから「ごめんね」と謝る。


「ひどいこと言ったなって、電話を切ってから思った」

「……でも、本当のことだから。わたしはあなたのことをまだよく知らない」


 涼は顎を引き、何かを確かめるように音羽を見つめながら「だから」と続ける。


「もっとよく知りたいと思ってる」

「……なにを?」

「崎山さんのこと」


 彼女はそう言うと少しだけ心配そうに眉を寄せた。


「さっき、誰と電話してたの?」


 音羽は軽く笑う。


「なんで? 別に誰でもいいじゃん」

「そうだね。相手は別に誰でもいい。でも電話してるときの崎山さん、泣きそうな顔をしてたから」


 答えない音羽に、涼は腰を浮かして手を伸ばした。そして音羽の頬に触れる。


「今だって、こんな顔してる」


 音羽は顎を引き、顔を背けながら「いつもこんな顔だけど?」と答える。涼は手を下ろすと優しく微笑んだ。


「もし、何か困ってるなら力になるから」


 真っ直ぐな言葉。

 きっとその言葉に偽りはないのだろう。だが、音羽は答えない。

 困っていることがあるわけではない。ただ知りたいだけだ。理亜の言葉の真意を。耳の奥には、まだ彼女の声が響いている。


 ――もう、いいんだよ。


 何がもういいのだろう。

 全然、よくないのに。


 視線を俯かせて考えていると、涼が静かな声で「香澄美琴」と言った。音羽はハッと彼女に視線を向ける。

 涼はポケットからスマホを取り出すとテーブルに置いた。そこには理亜の画像が表示されている。

 そう思った。

 しかし、すぐに違うとわかる。淡い水色のドレスを身に纏って微笑む彼女は理亜ではない。

 理亜はこんな顔で笑ったりしない。

 こんな、作ったような笑みを浮かべたりはしない。


 そこに写っているのは、香澄美琴に違いなかった。


 一瞬にして口の中が乾く。音羽はスッと短く息を吸い込むと「どうして……」と掠れた声を絞り出す。


「調べたんだ」


 涼は、静かな声のまま言った。そしてスマホの画像をスライドさせる。次から次へと表示される画像。それはどれもピアノのコンクールで撮影されたもののようだ。

 どの画像にも控えめに微笑む、理亜によく似た少女が写っている。しかし、そのどれもが理亜ではない。


「調べたって、なんで――」

「あなたが気にしてたから。あれから、香奈と一緒に調べてた」


 音羽は郵便局の前で見た二人の姿を思い出す。


「へえ……」


 答えながらも、音羽の視線はスマホの画像から動かすことができない。涼は続ける。


「香澄美琴。小学五年生の頃にフランスへ留学。ピアノの勉強をしてたけど、中学二年のときに事故に遭い、右手が使えなくなって帰国。それからはコンクールに出ることもなくなった。この写真は事故に遭う少し前のコンクールで撮られたもの」


 彼女はそこで言葉を切ると、スマホの画像を指差した。そこには大人のような表情で微笑む美琴の姿。


「似てるよね? 宮守さんに」


 音羽はゆっくりと視線を涼に向ける。彼女は真剣な表情で音羽を見ていた。そして「ううん、似てるどころじゃない」と続けた。


「こんなの、まるで本人みたい」


 そう言ってじっと音羽を見つめる。その反応を確かめるように。それでも音羽が無言を貫いていると、彼女はやがて諦めたようにため息を吐いた。


「やっぱり、知ってたんだ?」


 そう言って彼女は僅かに首を傾げた。


「この子、宮守さんとどういう関係なの?」


 音羽は涼を見つめた。彼女もまた音羽を見つめている。ただじっと、待っている。音羽の答えを。音羽の言葉を待っている。これ以上黙っていても、きっと彼女は自分ですべて調べてしまう。そんな気がする。ウソをついても彼女にはわかってしまう気がする。それほど、まっすぐで綺麗な瞳だった。


 もう、本当のことを言ってしまおうか。


 そんな考えが頭をよぎる。そうしたら、理亜はなんと思うだろう。怒るだろうか。

 また、音羽の前から姿を消してしまうだろうか。

 やっと会えたのに、また会えなくなってしまうかもしれない。


 ――それは、嫌だな。


 音羽は考える。そのとき、ガラッと窓が開く音が響いた。

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