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1.(1)

 音羽が初めて宮守(みやもり)理亜(りあ)に出会ったのは入寮の日だった。

 全寮制であるこの学校を選んだのは自分なのだから仕方ないが、人見知りである音羽にとって知らない誰かと一緒に生活をすることは不安でしかなかった。


 友人もいない。

 要領も悪い。

 成績だって良いわけじゃないし、何か取り柄があるわけでもない。


 そんな自分が、とても楽しい高校生活を送れるとは思えない。

 まだ起こってもいない最悪の事態が次々と頭に浮かんできては、音羽の心を支配していく。

 知らない人しかいない寮の中、与えられた部屋に向かう音羽の気持ちは沈むばかり。心が押しつぶされそうだった。

 しかし、そんな鬱々とした気持ちを抱えながら自室の前に来たとき、音羽の心に渦巻いていた不安は一気に消し飛んだ。

 開けっ放しにされたドアの向こうに広がる狭い二人部屋。その中央には、段ボールを前にして座る少女の姿があった。


 窓から射し込んだ太陽の光を浴びる彼女の肌は透き通るように白くて、ミルクティーのように染められたセミロングの髪は彼女が動くたびにサラサラと揺れる。

 長い手足を折りたたむようにして座り込んだ彼女は、段ボールを覗き込みながら少し困ったような表情で首を傾げている。


 その姿は、まるでそこだけライトが当たっているかのように輝いて見えた。


 それは映画のワンシーンのような光景で現実味がない。

 音羽の心には、気づけば不安や恐怖とはまったく別の感情が溢れ出していた。


 キラキラしていて切なくてドキドキする、生まれて初めての感情が。


 彼女から視線を逸らすことができず、かといって動くこともできない。まるで射貫かれたようにその場に立ち尽くしていると、やがて彼女は顔を上げて苦笑を浮かべた。


「ねえ。いつまでそこに突っ立ってんの?」


 少し低い、心地良い声だった。音羽は「え! あ、えっと、すみません」と慌てて一歩、部屋に足を踏み入れる。


「あんたが崎山音羽?」

「あ、はい」

「じゃ、ルームメイトだね。わたしは宮守理亜。よろしく」


 そう言って彼女はくしゃりと笑った。大人っぽい容姿のわりに子供のような笑顔。音羽は顔が赤くなるのを感じながら「えっと、よろしく、お願いします」と深く頭を下げた。


「他人行儀だなぁ。今日から一緒に生活するのに」


 顔を上げると、理亜は苦笑しながら首を傾げていた。しかし、すぐに「ま、いっか」とドアの横に視線を向けた。つられてそちらに視線を向けると、そこには彼女の荷物だろう段ボールが二つ。


「音羽の荷物って、もう来てる?」

「え……。いえ、まだですけど」


 いきなり呼び捨てにされて戸惑いながらも音羽は答える。すると理亜は「そっか、そっか」と頷きながら立ち上がった。

 音羽よりも頭一つ分ほど背の高い彼女は「じゃあさ、ちょっと手伝ってよ」と段ボールの一つを音羽に手渡した。


「荷物多いわけじゃないのに、なぜかわたし一人じゃ全然終わんなくてさ。あ、もちろん音羽の荷物が来たときはわたしも手伝うから。とりあえず、それの中身全部出しちゃって」


 彼女は音羽の返事も聞かずに部屋の中央に戻っていく。そしてまるで昔からの友達であったかのように屈託のない笑みを浮かべながら話しかけてきた。


 音羽に対して遠慮も戸惑いも、そして恐れも何もないような笑顔と言葉で。


 そんな彼女の雰囲気につられるように、いつしか音羽も彼女に対してだけは飾らない自分でいられるようになっていた。

 理亜といると素直に笑える。

 素直に弱音を言えたし、素直に怒りをぶつけることだって出来た。

 どんなに音羽が感情をさらけ出しても、その全てを彼女は受け入れてくれたから。

 クラスは違ったけれど、寮に戻れば理亜がいる。

 理亜が笑いかけてくれさえすれば他には何もいらなかった。


 幸せだった。


 それなのに。

 彼女は、消えてしまった。


 それは一年の三学期も半ばに入った頃のこと。いつものように起床して、いつものように準備をして、いつものように登校した。

 ただ、いつもと違ったのは理亜が寝坊したことだった。

 疲れていたのか、それとも体調が悪かったのか。今となってはわからない。布団から顔だけを出して、まだ眠そうな顔で薄く目を開けた彼女は、ヘラッと音羽に笑いかけた。


「音羽、先に行っててよ。わたしはもう遅刻確定だし、のんびり行くからさ」


 そして、彼女は学校に来なかった。

 寮にもいない。スマホも繋がらない。音羽が何度も送り続けたメッセージはすべて、未読のまま。

 必死になって理亜を探し続ける音羽を周囲は容赦なく責めた。


 あの日、一緒に登校しなかったから理亜は消えてしまったのだ、と。

 同室だったのに、どうして彼女のことをちゃんと見ていなかったのか、と。


 そんなこと、自分が一番わかっている。


 あの日、ムリヤリにでも彼女を起こして一緒に登校すればよかった。

 あるいは一緒に遅刻していけばよかった。

 そうすれば理亜は今もずっと笑顔で隣にいてくれたはずなのに。


 何度も何度も、心の中で考える。

 クラスメイトから、教師から、そして理亜の家族から、見ず知らずの他人から……。

 周囲から責められるような視線を受けるたびに、心の中では取り返しのつかない記憶が蘇って音羽の心を壊していく。


 それでも、きっと理亜は戻ってくる。


 そんな根拠のない希望を支えにして、音羽は一人で必死に理亜を探し続けた。時には学校をサボってまで探して、探して、探し続けて。やがて音羽が持ち続けていた希望は、担任から告げられた言葉によって粉々に砕かれた。


「あのね、崎山さん。落ち着いて聞いて欲しいんだけど――」


 悲しげな表情。気遣ったような声色。音羽の顔を見ようともしない教師の目。


 ――宮守理亜の遺体が見つかった。


 その知らせが届いたのは、彼女がいなくなって一週間が経った頃だった。

 隣町の山中。冬期は立ち入り禁止となっている展望台の下で、冷たくなった理亜が見つかったのだという。

 なぜそんな場所に彼女がいたのか。

 そのときの音羽には考えることすらできず、ただ呆然と彼女の葬儀に参列していた。


 式場に溢れる悲しみの雰囲気。

 誰かがすすり泣く声。

 そして音羽を責める視線。


 その全てを無視して、音羽はじっと彼女の遺影を見つめていた。

 文化祭で撮影された、楽しそうに笑う理亜の顔を。

 その笑顔だけを見ていたかった。

 彼女がいなくても心の中ではいつでも彼女の笑顔が見られるように、あの笑顔を閉じ込めておきたかった。


 もう、決してなくしたりしないように。

 壊れかけた心に鍵をかけて、ずっと自分の中にだけ閉じ込めておきたかった。



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