3.(1)
翌朝、音羽は朝食もそこそこに出掛ける準備をしていた。この半年間、まったく服を買いに行っていなかったことが悔やまれる。
「もっと可愛い服買っとけばよかった」
鏡の前で呟く。今、音羽が持っているのは去年流行った服ばかりだ。
――せっかく理亜と会えるのに。
一人ため息を吐きながら、しかし会えるという事実に心が浮かれてしまう。鏡の中でにやけている自分に気づき、音羽はパンッと両手で頬を叩いた。
気を引き締めないといけない。今日は遊びにいくわけではないのだ。
「浮かれないようにしないと……」
自分に言い聞かせて部屋を出る。
まだ待ち合わせの時間にはかなり早い。けれど、じっと部屋にいてはソワソワして落ち着かない。別に早く到着する分には問題ないのだから、行ってしまえばいい。
そんなことを思いながら玄関へ向かっていると「あ……」と背中に声が聞こえた。反射的に振り返った先には、涼が強ばった表情で立っていた。すぐ近くには食堂がある。おそらくそこから戻ってきたところなのだろう。
音羽は彼女に笑みを向けた。
「おはよう、下村さん」
「……おはよう」
気まずそうな表情で彼女は視線を俯かせる。心なしか元気がないように見える。音羽は首を傾げた。
「もしかして今、朝ご飯食べてたの? もう朝食の時間終わってると思うけど」
すると涼は視線を上げ、ほんの少しだけ表情を緩めた。そして「寝坊しちゃって、コレ買ってた……」と右手を少し挙げる。そこにはパンの袋が握られていた。それは食堂に置かれている自動販売機のものだ。音羽も、この半年の間でよく利用するようになった。厨房が開いていない時間帯には重宝している。
しかし、涼があの自販機を使っているとは意外である。彼女はクラス委員であり、模範生だ。食事の時間に遅れることはないと思っていたのに。
思いながら涼のことを見つめていると、彼女は居心地悪そうに視線を泳がせた。
「な、なに?」
「うん。下村さんも寝坊とかするんだなぁと思って」
「それはだって、昨日……」
涼は口の中で何か言いながら俯いてしまった。
「昨日……?」
そこで音羽は思い出した。彼女に謝らなければと思っていたことを。
「ごめんね。下村さん」
音羽の言葉に涼は不思議そうに顔を上げた。
「え、なにが?」
「昨日、なんかわたし勘違いさせるような態度とっちゃったかなと思って」
「勘違い?」
涼が眉を寄せる。音羽は頷いた。
「驚いただけで嫌なわけじゃなかったから」
しかし、彼女には伝わらなかったようだ。不思議そうな表情で首を傾げている。音羽は微笑んだ。
「今度、一緒に遊びに行こうよ」
瞬間、涼の表情がパッと明るくなった。
「え、いいの? ほんとに?」
そう言った彼女の声はいつもより高い。音羽は笑いながら「うん」と頷く。
「今日はダメだけどね。そのうち、暇なときにでも」
「うん! 絶対行く。わたし、いつでも暇だから」
「いつでもって」
音羽は苦笑する。しかし、どうやら涼の誤解も解けたようだ。彼女は嬉しそうな笑みを浮かべながら「崎山さん、なんか変わったよね」と言った。
「そう?」
「うん。先週くらいから、かな。なんだか雰囲気が明るくなったっていうか」
「そうかな。よくわかんないけど」
音羽は自分の頬に手を当てて首を傾げる。
「――なれてたら、いいな」
「え?」
涼の言葉が聞き取れず、音羽は聞き返す。しかし彼女は首を横に振ると優しく微笑んで「今から外出?」と聞いた。
「うん。ちょっと、昔の友達に会いに」
「昔の……。中学時代の?」
「まあね」
「そっか。行ってらっしゃい。気をつけてね」
「うん。行ってきます」
音羽は片手を振って涼と別れる。ウソをついてしまったことに少し胸が痛む。振り返ると、彼女は優しい笑みを浮かべたまま手を振っていた。