人間になりたいんだ
「うっ……」
ペセタは顔にパタパタと当たる水滴に目を覚した。ぼんやりとした視界に映ったのは、大木に茂る緑葉の隙間から陽光が降り注ぐ光景。
湛えた朝露が葉を伝い顔に落ちてきたのだとわかった。
「俺は、生きているのか?」
ダークベアーの攻撃を受けた腹部に触れてペセタは驚いた。傷が癒やされていたのだ。川に落ちた時に負った全身の打撲まで治っている。
「いったいなぜ? むっ!?」
傍らに感じた何者かの気配にペセタは跳ね起きた。突然のペセタの動きにその存在も驚きすくみ上がる。
そこに居たのは癒やしの魔法を得意とする魔物、パイヤスライムだった。
「パイヤスライム……まさか」
ペセタはパイヤスライムに語りかけた。人間の言葉が通じるはずもないのだが、一応。
「お前が俺の傷を癒やしてくれたのか?」
スライム特有の呆けた顔でパイヤスライムはこくりと頷いた。人語が通じている? ペセタは質問を重ねた。
「なぜ、俺を助けたんだ? 俺はお前たち魔物の敵で、魔王を倒そうとする勇者だぞ?」
今度の問いには何の反応も示さない。ぽけーっとした顔をペセタに向けプルプルとゼリー状の体を揺らしている。
いや、そもそも喋れないのだからイエスかノーで答えられない質問は愚問だ。ペセタは自分の言動を嘲笑した。
「理由なんてないよ。傷付いてたら人でも魔物でも癒やすのが僕のポリシーだから」
「って。うぉい! 喋れんのかい!」
「うん。僕、パイヤン。人間になるのが夢なんだ」
魔物が人語を喋る奇妙にペセタは思わず後退ったが、一切の邪気を感じないパイヤスライムことパイヤンに警戒を解いた。
「魔物が人間になりたいなんておかしな事を言うな。だけど、パイヤンのおかげで助かったよ。ありがとう」
「えへへ、嬉しいな。僕パイヤンって名前で呼ばれるのも夢だったんだ! きみの名前も教えてよ」
「俺はペセタ。ゼニゲーバ王国の王子で勇者の末裔だ」
パイヤンはプルプルと体を揺らしながら、更に不思議そうに体をプルプルさせた。
「王子様なんだ。でも王子様が何であんな所で倒れていたの?」
「人間の悪いやつに騙されたり見捨てられたりしたんだ。更にいうなら父親からは『金は出さないけど魔王は倒してこい』と無理難題を押し付けられた」
「うわぁ……」
パイヤンはプルプルと同情の眼差しを向けている。魔物に同情される勇者という謎の構図の出来上がり。
「あっ!」
パイヤンは突然何かを見つけたように藪の中へピョンピョンと跳ねていった。ペセタも慌ててその後を追いかけると、少し進んだところでパイヤンは立ち止まっている。
「突然どうしたんだ?」
とパイヤンに問いかけるのと同時に、パイヤンのすぐ側で十歳くらいの人間の女の子が地面に座り込んでいるのが目に入る。足から血を流しているようで、痛いのだろう。声を殺して泣いている。
「痛かったね。もう大丈夫だよ」
そう言うとパイヤンの青いゼリー状の体が発光し、少女の足を優しい光が包み込む。ぱっと怪我を癒す魔法、回復魔法をパイヤンが使用したのだ。
みるみる傷口が塞がっていき、痛みもなくなった女の子は目を丸くして驚いている。直ぐに人懐こそうな可愛らしい笑顔を浮かべ「ありがとう、スライムさん」とパイヤンの頭を撫でた。
「きみ、名前は?」
「シルフィ」
「俺はペセタ。シルフィは何で一人でこんな所に?」
ペセタはシルフィの横にしゃがみ込み問うた。シルフィは「えーと……うーん」と言葉を濁すばかりで何も答えてはくれない。
しかしペセタはある事に気がついた。シルフィの体はあちこちに大小様々な傷があったのだ。古傷と思われるものもある。
それは小さな子が負うにしては明らかに不自然な傷だった。
「シルフィ……その怪我は」
「いたぞ! こっちだ!」
突然の怒号と共に、手に棍棒や竹の槍を持った村人たちが目を怒らせ現れた。