チクチク、コツコツ
ペセタはぷんすか怒ったまま城下町の銀行へ足を運んだ。無論、虎の子のお年玉を引き出す為に。
「預け入れはありませんね」
「は? いやいや、俺名義で少なくとも5000Gは預けてあるはずだから」
「はずって……ご自分で入金されたんですか?」
「うっ? いや、それは父が……」
銀行の主人は哀れんだ視線をペセタに向けた。存外にこれだから世間知らずのお坊ちゃんは……との蔑みも含まれている気がしてならない。
「一度父君に確認されては如何ですか?」
「あ、ああ! もちろんだ」
にわかに不吉な予感を抱きつつ城に戻るペセタ。
「ってえぇぇぇ! 何で城門閉まってんのぉ!?」
ペセタの絶叫に気付いてか、頭上のバルコニーに人影が現れた。いやに神々しく見えるその人物は父王に他ならない。
「ペセタよ、何をやっておるのじゃ」
「父上、私の預金が行方知らずなのですが知りませぬか?」
「早く魔王討伐へ向かうのじゃ!」
「いやいや、父上、向かいます向かいます。ですがその前に……」
「早く魔王討伐へ向かうのじゃ!」
まさか……このオヤジ、その台詞一本でやり過ごすつもりか!? ならば核心を突くまで!
「父上! まさかとは思いますが、私のお年玉は父上の名義で預けたのではありませぬか!?」
沈黙……。太陽が眩しくて父を直視していられないが、その口元が歪んだ。間違いなくニヤリと歪んだ。
「は、早く魔王討伐へ向かうのじゃ!」
笑いやがった! 今絶対笑いやがった! 堪え切れずに吹き出してやがった! こんのオヤジィィ!
「ちくしょおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ペセタの無念の絶叫は街の外へ出るまでずぅっと続いていた。
◇◆◇◆
「どうりゃああぁぁ!」
気合の咆哮とともに振り下ろされた樫の木の棒が、スライムの尖った部分にクリーンヒットする。力尽きたスライムは消滅し、そこにはキラリと光る物がぽつんと落ちていた。
「……1G」
やっとこさ勝利して、その戦果がこれだ! 言っておくがスライムといえど弱くはない。仮にも魔物である奴らは噛みつかれれば血が出るし、体当たりされればゴムでバチーンと叩かれたような激痛が走る。
それは今の一匹のスライムとの戦闘から得た、経験に裏打ちされた確かな知識だ。
「勇者ってこんな辛いの?」
ペセタは誰もいない草原に向かって知らず知らず一人呟くのだった。
それでもペセタは腐る事なく戦い続け、空が橙色に染まる頃には十匹のスライムと一匹の大ナメクジを退治していた。大ナメクジは気持ちが悪いので一匹倒したあとはひたすらに避け続けた。
懐にしまった小さな袋の中には15G入っている。大ナメクジ一匹5Gは美味しい。だけど気持ち悪くて戦いたくない。
「今日はもう街に戻ろう。疲れた体をしっかり休めねば」
ペセタは城下の宿屋へ向かった。
「いらっしゃいませ、旅のお方。って、おお! 王子ではありませんか! 魔王討伐の旅に出たと伺っておりますが、出発はまだなのですか?」
「いやいや、もう出発してるんだよ。ほら、初めての魔物との戦闘で体中ぼろぼろさ」
「左様でございましたか。一晩15Gになりますが、お泊りになられますか?」
ペセタと宿屋の主人の間に沈黙が走る。
「え、と……ちょっといいか? あの、俺魔王討伐の旅に出たんだけど?」
「はい?」
「俺からお金とるの?」
主人は露骨に顔を歪めた。
「勘弁してくださいよ、王子。こっちも商売でやってんだ。冷やかしなら帰ってくださいや。てか、城に戻ればいいじゃないですか?」
「くっ、戻ったんだよ! だけど城門は閉まってるしあの糞親父が『早く魔王討伐へ向かうのじゃ!』しか言わなくて入れてくれねえんだよ!」
「そんな泣き言私に言われましても……で、泊まるんですか? 帰るんですか?」
「いや、泊まる! 泊まらせてくれ。だけど……」
今日稼いだ全財産が一瞬で消える無情にペセタはほろり涙を流すのだった。
◇◆◇◆
ペセタは来る日も来る日も戦い続けた。武器はずっと樫の木の棒で、これは折れる度に新調し、防具は旅立った日の着の身着のままである。
ペセタは思った。いや、思わないようにしていたが思ってしまった。ショボい餞別でも受け取っておけばよかったと……。
その苦労は枚挙に暇がない。
「今日は食事は我慢しよう。素泊まりで精一杯だ」
とか。
「クソ、血が止まらん。薬草は……ない。ツバで応急処置だ」
とか。
「服が擦り切れてまるでボロ布だな。旅人の服を買えるまであとスライム二十匹か。頑張らないとな」
とか。
「くっ、う、意識が朦朧とする。だが、戦わねば……一歩ずつでも、魔王討伐に近づか、ねば……」
ドサッ。とか。
三日月に『願わくば! 我に七難八苦を与えたまえ!』なんてねだるマゾヒストではないというのに。ペセタの行く道は果てしなく茨の道なのであった。
最後の「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」という台詞は戦国時代のある武将が三日月に願ったとされるものです。
その方の人生は正に七難八苦というに相応しいものでした。
もちろん、マゾだから願ったわけではありません。