六等星は見つけられない。
あれから、三年が経過した。
言葉のデビュー作は20万部の大ヒットとなり、映画化の話が来るほどの人気だった。
しかし、それだけだった。
続く二作目、期待されて擦られた五万部は、未だに全国の書店にその残りが売られている。本やから送り返されてくることもあった。
それはそれで、現実として受け入れるしかなかったのだが、担当編集と数十回に及ぶ話し合いの末に刊行された第三作目。これも、売れ行きはさっぱりだった。
そのあとは、何作書いても結果は同じ。どんなものをどう書こうが、呪いのように、一度も重版はかからなかった。それどころか、一作書くごとに売れる冊数は減っていき、はいってくる印税は微々たるものとなった。
地元から遠く離れた東京の地で暮らす言葉は、また一本新作の小説を書き上げたところで、一息つこうと冷蔵庫からチューハイを取り出した。先日また一つ歳をとり、20歳になったときに知り合いの作家たちがくれたものの残りだ。どうやら言葉はアルコールに弱いようで、缶チューハイ一本で顔が真っ赤になってしまうのだが、それと同時にホワイトアウトする頭、脳が解けていくような感覚が、全てを忘れられるような気持ちになれるこれを求めて、一日の終わりに飲むのが習慣になっていた。
今のところは、生活は出来ている、一作目の印税が想像以上に多かったので、あと数年は持ちそうだが、それ以降はどうなるかわからない。他の財源を持たなければ危ないとも思うし、ほとんど諦めかけているが、もう一度ヒットを飛ばせばいいとも思う。
そんな現実的なことを考えてしまう思考回路を断つために、普段は苦手であまり口にしない、アルコール度数の強い缶ビールを、冷蔵庫から取り出した。
「おい山崎、そこの吞兵衛、今すぐ叩き起こせ」
「そんなことしたらセクハラで訴えられそうですね」
翌日の朝、言葉の部屋には、二つの男の影があった。
令和の文豪、芥川文也と、その担当編集の山崎だ。言葉の本の売れ行き乃低迷を知って、言葉の担当編集の河村から、合いかぎを受け取ってやってきたのだ。
その二人の喋り声で、言葉はゆっくりと目を覚ました。
寝ぼけた頭に、明らかに年上の男が二人。言葉はそこはかとない危機感を抱いた。
「ど、どろぼー!!」
「あほか。ちゃんと目ぇ覚ませ」
年収数億の俺がなぜそんな馬鹿な真似をせねばならんのだ。そう思いながら、文也はつけっぱなしになっていた言葉のパソコン、以前自分があげたものではなく。デスクトップの、およそ小説を書くには似つかわしくないパソコンの中にはいっていた、書きかけの小説を勝手に読み始めた。
「……」
顔を洗ってきた言葉、真剣な表情でパソコンを見つめる文也、その二人を交互に見つめる山崎。異様な空気が、このワンルームには流れていた。
「おい、これ、本当にお前が書いたのか?」
三十分ほどで読み切ると、文也はぎろりと言葉をにらんだ。
「そ、そうだけど……」
「なんなんだ?このゴミは」
怒気を交えて文也は言った。
その瞬間、山崎に「一旦外に出ろ」と合図を出す。それに従って、山崎は音を立てないように気を付けながら、席をはずした。
文也のまとう空気に圧倒されながらも、言葉は目をそらさずに、真っ直ぐに文也を見る。自分の小説がゴミだと言われたことに対する憤りが、今の言葉の精神を支えていた。
「はっきり言うぞ」
文也のその前置きに、言葉は身構える。
「今のお前の小説、クソつまんねぇ。売れなくて当たり前だ、こんなの。読者をバカにしているとしか思えない。一作目でついたファンを、わざと手放しているとしか思えない。それくらい酷い。お前の小説が面白かったのは、一冊目だけだな。二作目も三作目も、今読んだこれも、生後一か月の赤子にすら手をひねられる位の、最低の出来だ」
言われている途中から、涙が溢れてきた。ぽろぽろと、とめどなく零れ落ちていく。言葉がそんな状態になっても、文也は喋ることをを辞めなかったけれども。
「そりゃあ、いい作品を作り続けることは大変だろうさ。でもな、それが作品のクオリティを下げる理由にはならねぇよ。俺が惚れこんだお前の才能は、こんなもんじゃなかっただろう?もっと上に行けるんだよ、お前は」
それこそ、俺を超えるくらいまで、高いところまで、な。
言葉に対する嫉妬は胸の奥に秘め、文也はさらに続ける。
「お前は、今まで誰よりも辛い経験をしてきた。誰よりも、生きることに絶望していた。違うか?少なくとも、俺にはそう見えた。あの時のお前が。この世のすべてを憎むようなあの目に、俺は無限の可能性を感じたんだ。だからお前に、あのパソコンを託した。それがこんなところでくすぶっているなんて、がっかりだよ」
文也のセリフに、言葉は背筋を震え上がらせた。それほどまでに文也の迫力が凄まじかったのだ。
「お前なら、もっといい作品が書ける。今のお前なんかとはくらべものにならないくらいに、最高な作品が、な」
言葉は涙を必死に奥へと追いやって、うつむく。
きっと文也が全部正しい。今が自分の限界ではないことは分かっている。それでも、言葉は才能の目に水を灌ぐ方法を、何一つとして知らなかった。ずっと、暗闇で迷っている事しかできない。だって、何も手にしていないのだから。ここがどこなのか、どうすれば先に進めるのか、言葉にはいまだに、知らずにいる。
小説家としてデビューしても、何も変わらなかった。言葉には、未だに何もないままだ。多少のファンはついたものの、それも今となっては離れていってしまった。初めの一作だけの栄光。それだけが、言葉の手にしたものだ。いや、これは言葉ではなく、一人歩きしていった、作品に称えられるべき栄誉だ。それ以降、言葉が売れないのがその証拠だろう。
「お前、何で小説書いてんだ?」
言葉の心をえぐるように、文也が一歩近づいてくる。
「小説が、好きだから」
初めて文也の本を読んだあの日。文也の小説に虜にされ、言葉は一気に文章の世界にのめり込んでいった。
それを一言で表すならば、「好き」の一言が、最もふさわしいだろう。
「それじゃあ、商業作家は無理だ、諦めろ」
「え?」
思わず、間抜けな声を出す。言葉にとって、その回答は完全に想定外のものだったからだ。
「いいか、俺たちがやっているのは、仕事としての執筆だ。好きだから?確かにその気持ちは必要かもしれん。でもな、商業作家にとって、何より大事なのは、どれだけ読者に響くものが書けるかだ。自分がそれを好いていようとなかろうと、何も関係ない。大事なのは売れる小説を書くこと。なんたって、これは仕事なんだからな。売れなきゃ何も始まらないし、下手したら人生が終わる。その中で、好きだからってだけで生き抜いたやつを、俺は見たことがない。全員、最後までその変なプライドを持って、契約を切っていった。好きなものが書けないなら、ここにいる意味はないって言いながらな」
「……」
「まあ、前例がないなら作ればいいだけだがな」
「は?」
いままでの説教じみた話は何だったのだろう。思わず、苛立ちが口に出てしまった。
「お前が、「好き」だけで生き抜いた最初の作家になればいい。俺はそう言っただけだが?」
「この人、わけがわからないい……」
「安心しろ、小説を書いていればお前もいずれ頭がおかしくなる。俺みたいに」
遠い過去を見るように、文也は言った。
「好きだけで生き抜くのは、当たり前だが半端なく大変だ。俺の語彙をもってしても説明しきれないくらいに大変だ。その中で生きていく覚悟は、お前にあるか?」
少し考えて、
「ある」
言葉はそう返事をした。
文也は、にやりと笑う。
「そう返事ができるなら、お前は大丈夫だ。死なない程度には生きれるだろうな」
杠葉言葉。彼女の人生は、今後どう転がっていくのか。文也はそれに一番、興味を持った。小説家とは、辛い経験が唯一そのまま生かせる職業だと文也は思っている。実際、文也もそうだったから。だから、この少女が、自分の経験をどのような小説にしてくれるのか、作家としては、気にせざるを得なかった。
「いや、それじゃ足りない」
覚悟を決めたのか、言葉は真っ直ぐに文也を見た。それと同時に、文也は確かに、言葉から感じ取った。
つい先ほどまで淡く輝いていた光が、どんどんと強くなっていくことを。
「私は、あなたを超えて見せる」




