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星に願いは届かない。

 本日、僕の誕生日ということで僕の人生を大幅にアレンジした小説を書いてみました。全四話、毎週金曜日に更新。

 カタカタと、パソコンを叩く音だけが響いている。

 最後に「。」を打ちこんだ瞬間、言葉(ことば)は冷たいフローリングに倒れ込んだ。

 数ヶ月前のことだ。言葉が真っ直ぐに、この感情に向き合ったのは。あれ以来、一日も欠かすことなく、一人暗い部屋で、パソコンに向かっている。いつしか、あの場所に、たどり着くために……。


 鞄を背負い、早足で学校を出た。

 学校に残っていても、言葉にはすることがないのだ。勉強もほとんどしないし、クラブ活動なんて生まれてこの方やったことがない。ただ、家でゴロゴロしているだけが、言葉が幸せに浸れる唯一の方法なのだ。だから今日も、すっかり柔らかくなってしまったローファーを履いて、自転車のペダルに合わせて足を回す。

 10分ほどで、言葉は自宅にたどり着いた。

 ボロボロになった団地。両親のいない言葉は、一年前の高校入学を期に、孤児園を抜けて、ここで一人暮らしをしている。バイトもしているが、基本的には国がお金を出してくれているので、金銭に困ることは殆どない。

 こういう場所では、過度な贅沢は出来ない。だが一つだけ、今までの自分へのご褒美として買ったものがある。家の中に入ると、真っ先にそれがある布団の上に寝ころんで、それの正体である、ヘッドフォンを装着した。

 言葉は音楽が好きだった。それを聞いている間は、目を背けたいもの全てから逃げられるから。幸運なことに、現代はスマホが生活必需品なので、それで気になった音楽を聴く毎日だ。一番聞くのはボーカロイドの曲。言葉は人間が苦手、もっと言えば嫌いだからだ。

 夜になり、腹が音を鳴らすまで、言葉はずっと、膝を抱えて、布団の上で丸まっていた。


 朝が来ると、思い腰を上げて、遅刻すれすれに家を出る。できるだけ、他人との接触をなくしたいのだ。たまに遅刻することもあるが、それはそれで、言葉にとっては好都合だ。誰も、自分のことに興味がないのは重々承知の上なので、さして注目されない事も知っているし、教師に叱られても、もはや何も感じない体になってしまっている。

 適当に授業を受け、休み時間になればトイレの個室に引きこもる。誰ともかかわらず、ただ、人形のように感情を殺して、ひたすらに時が過ぎるのを待った。

 きっと、この命が尽きるまで、こうやって死んだように生きていくのだろう。なんの問題もない。大人がよくやっているアレだ。そこに、一切自分という存在はなくて、感情は否定され、人生をドブに捧げるのだ。

 自分も、そうなってしまうことに、恐怖はなかった。特別になんてなれなくていい。自分は景色のままでいい。

 そう思っていた。今日までは。


 気が付いたころにはもう遅かった。

 脳がはっきりとそれを認識したころには、髪はおろか、校内で履く用の学校指定のシューズのつま先まで、ぐっしょりと濡れていた。

 上を見ると、青色のポリバケツがひっくり返っている。そこから垂れてきた水が、不意に言葉の右目へとダイレクトアタックを決める。特に何ともないので、どうやら変な薬などは入っていないらしい。

 我に返った言葉が聞いたのは、クラスでよく騒いでいるグループの声だった。どうやら、これが世にいう「イジメ」というものらしい。たまにあることだ。筆箱がなくなっていたり、体操服が卑猥な形に切り抜かれていたり。しかし、言葉の中では、これが一番ひどいイジメだった。なにせ、水は冷たいし、息ができなくなる。それに初めてだったのだ。自分に直接、危害が及ぶのは。

 チャイムが鳴って、二時限目の授業が始まっても、言葉はしばらく動けずにいた。胸が苦しい。体が、ここから出ていくのを拒否している。ぐちゃぐちゃになった感情が、脳を埋め尽くして、手も足も動かない。唯一動いたのは、目だけだった。

 瞬きをするたびに、雫がぽたぽたと零れ落ちる。それをしばらく堪能した後、ようやく体が動いた。鍵を開けることもせず、体当たりでドアを壊す。開いていた窓から身を乗り出して、ここが二階だということ確認すると、少し離れたところにある学校と公道との境目にある鉄柵の外をめがけて、思い切り地面を蹴った。

 足の痛みを噛み締める間もないまま、しかし唇は強く噛んで、鉄と塩の香りを舌で転がしながら、車が来ていることにも気が付かず、道路へと飛び出る。

 思いのままに、町を駆け巡った。誰も知らない、ここにはいたくなくて。どこかへ行きたくて。死にたい、いや、消えたくて。すべてを消したくて。全部、壊してしまいたくて。

 言葉は叫び声を残して、この町の外へと、足を踏み出した。

 これが運命というものなのかもしれない。だとしたら、酷く残酷だ。人一人を幸せに導くのに、どうしてこんなにも、多大な代償を払わなければならないのだろう。どうして、こんな気持ちを背負って生きていかなくてはならないのだろう。

 それでも、言葉は、強く地面を蹴った。


 キュルキュルとお腹がなった。いつもは家で聞いている音だ。その音を、言葉は今まったく知らない町の廃屋で聞いている。ひとりで、泣きながら。

 朝、作ってきたお弁当は教室にある鞄の中だ。財布も同じく。食べるものも何もなく、言葉は途方に暮れていた。ここまで必死に走ってきたので、家まで帰るだけの体力も栄養も、今の言葉には存在しない。

 カラスの鳴き声を聞くだけで、体はどんどん衰弱していく。言葉は、その感覚に恐怖を覚える。

 こつん、こつんと聞こえる足音も、言葉には聞こえていなかった。


「ん?」


 不機嫌そうで低い声。ちゃらちゃらと貴金属がぶつかり合ってメロディを奏でている。


「おい山崎(やまざき)、なんでこんなところに人がいるんだ?」


 声をさらに低くして、ヤクザ風の男が、後ろからついてきたもう一人の男に話しかけた。


「おかしいですね……ここは取材のために特別に借りられた場所なので、僕たち以外は入れないはずなんですが……」


 眼鏡をかけた真面目そうな男は、鞄から紙の束を取り出して、ペラペラとめくりだす。おそらく、この廃屋の使用許可の書類を探しているのだろう。


「おい、こんなところで何やってんだ?」


 ポケットに手を突っ込んで、ヤクザ風の男は言葉へと一歩近寄った。

 しかし、言葉はあまりの空腹で意識がもうろうとしている。そんな状態で、他人の声がはっきりと認識できるはずもない。

 怪訝そうに言葉を見ると、ヤクザ風の男は山崎に顔を向けた。


「山崎、めし買ってこい。飲みもんも忘れんなよ」



 目の前に広がるのは、ハンバーグを主軸とした、温かいコンビニ弁当。

 ヤクザ風の男が顎で食べろと言ったのだが、その前に言葉はそれをがつがつと食べていた。

 言葉が食べきったのを確認して、


「そんなに腹ぁ減ってたのか?」

「最近あんまり食べてないから」


 ようやくはっきりと男を認識して、言葉は答えた。バイトこそしているものの、自炊が苦手な言葉は普段から出来合いの食品ばかりを買うため、お金がすぐにそこをつくのだ。給料日前である今は、特に食費を切り詰めていたのだ。


「高校生……ってところか。ちゃんと食わねぇと育たねぇぞ」

「もう全部、どうでもいい」


 言葉は吐き捨てるように言った。

 男は、言葉に対して若干の違和感を覚えた。そもそも、ド平日にこんなところにいる時点で、言葉が普通ではないということには気づかずに。

 嘗め回すように言葉の全身を見ると、男は何かに気づいたようだった。生乾きの髪。ボロボロの制服。涙の跡がくっきりとのこっている目元。すべてが、それを物語っていた。


「イジメ、か」


 吐き捨てるように、あきれるように、声が空に交じっていく。


「お前、名前は?」


 言葉は男を訝しむようににらんだ。


杠葉(ゆずりは)言葉」


 男は、にかっと笑って、


「いい名前だな」

「おじさんは?」

「俺、まだ32なんだけどな……」

「名前」

芥川 文也(あくたがわ ふみや)だ」


 文也は煙草を口に咥えて、火をつけた。


「さて。ここで何をしていたのか、何があったのか、じっくり聞かせてもらうぜ」


 文也は言葉の横にならんで座った。


「何を話せばいいの?」

「なんでここに居るのか、その理由だな」


 文也は山崎に、手でどこかに行くよう指示をした。言葉への配慮だろう。

 それに山崎は、何を言うでもなく黙ってその場から離れて、言葉の視界から消えていった。

 それを見て、言葉は長い息を吐いた。今まで張りつめてきた気を、一気に抜いたのだ。


「学校で、水をかけられた」

「それは見れば分かる」


 文也は、胸ポケットからメモ帳とボールペンを取り出した。


「それだけ」

「ほう。ではなぜここに来た?」


 文也はカリカリとメモ帳にペンを走らせる。


「なんか、いやだったから」

「どういやだったんだ?」

「私ばっかりが苦しむ、世界が」


 自分でも聞いたことのないような、どす黒い声が漏れて、言葉は自分で驚いた。

 それを聞いて、文也は遠くを見るように、目を細めた。


「これ以上聞くのは、野暮ってもんだよな」


 文也は鞄から、薄く冷たい機会を取り出した。


「……パソコン?」

「俺が仕事で使ってるやつだ。お前にやる」


 それだけ言うと、文也は山崎の出ていった方向に向けて歩き出した。


「よかったんですか?あれはあなたが大切にされてたものでしょう?」


 一部始終をこっそりとみて聞いていた山崎は、文也にそう聞いた。


「いらねぇよ、あんなガラクタ。それに……」

「それに?」

「多分、あいつ、化けるぞ」


 それを聞いて、山崎はふっと微笑む。


「昔の自分にでも、重ねたんですか?」


 文也は、煙草の煙を空に向かって吐いた。


「知らねぇよ、そんなの。どうでもいいだろ」



 文也にもらったノートパソコンの中には、三万円が挟まっていた。

 少し迷ったものの、電車で帰ることにした言葉は、初めて触るそれを、さわさわと触る。周りから白い目で見られていることは気にしない。紅く光るそれに、瞳が吸い込まれて、周りの景色が見えなくなっているのだ。


「これで、なにすればいいんだろ……」


 言葉の知っているパソコンとは、学校で使うデスクトップだけだ。情報の授業でよく使う。しかしあれは、その場から動くことはない。少なくとも、言葉の常識の範囲内では……。

 電源ボタンを押すと、キュィンと音を立てて、起動する。

 Wardやexcelなどの平均的なソフトがいっぱい入っていた。その中で、授業でよく使うWardを起動した。


「え……?」


 その中には、驚くべきことに大量のファイルが保存されていた。会社員であればこれくらい使うこともあるが、このタイトルは……。


「これって……小説?」


 その中の一つに、恐る恐る手を伸ばす。そのファイルの名前は、言葉ですら聞いたことのある、有名な小説のタイトルだった。確か、アニメ、ドラマ、映画など、さまざまな媒体で展開されている小説だ。

 あの男は「芥川文也」と名乗った。今思えば、たしかに聞き覚えのある名前だった。日本一の速筆、日本一の小説家と、著者が常に平積みされているレベルの人気作家だ。本屋に行けば、絶対にその作品を目にする。言葉は、そんな有名人と、出会ってしまったのだ。


「まさか……ね」


 にわかには信じがたい話だった。たまたまあった男が有名人だなんて。それも、日本でトップレベルの。

 それに、芥川文也はメディアへの露出をほとんどしない。おそらく、調べても顔写真なんて出てこないだろう。ならば、確かめる術はない。そう思った言葉だったが、他のファイルを漁っているうちに、小説の設定資料集を見つけたのだった。

 それも、読者が気にしないであろうところまで、びっしりと書かれたものである。登場人物の喋り方、出身地、身長や体重。どんな時に嬉しくなり、どんな時に寂しくなるのか。そんな細部を知る必要があるのは、作者くらいのものだろう。


「……」


 そこで、言葉は疑うことをやめた。どれだけ考えたところで、真相は分からない。ならば、一番高い可能性を信じるしかない。

 電車の外の、雨に濡れた街を見て、言葉はため息を吐いた。



 芥川文也──数々の名作を生み出してきた、令和の文豪と呼ばれる小説家だ。

 二十歳という若さでデビューし、12年間で100冊に迫る量の本を出版してきた、日本一の速筆とも呼ばれる男である。

 日本語を弄ぶかのような彼の書く文章に、多くの人がひきつけられている。

 彼のファンは言った。彼は、まさに言葉の魔術師だ、と。


 Wordの中に入っていた一冊の本を読み終えた。

 悲しくはない。なのに、なぜか。

 瞳から、大粒の雨が零れ落ちた。

 知らない感情に、言葉は押しつぶされそうになる。心が痛い。痛いくらいに叫んでいる。

 これが、自分が求めていたものだ、と。

 かれこれ一時間、言葉はパソコンの前で、こうして涙を流していた。

 それほどまでに、信じられなかったのだ。これが、人間の書く文章であることが。その文章に、自分がここまで感動している事が。もちろん内容は面白かったのだが、言葉が涙を流しているのはそれが原因ではない。そもそも、ギャグも交えた青春ファンタジ―だ。これを読んで、内容に感動して泣くような人間は、果たして居るのだろうか。言葉は、しっかりと泣いているのだけれど。

 繊細な描写。溢れるキャラクターの感情。セリフ回し。人間の愚かさ、尊さ。そして、何よりも。

 それを最大限に引き出す、言葉の紡ぎ方。

 言葉はそれを、真底美しいと思った。それに、魅了されずにはいられなかった。手が震えるほどの感動が、一時間が経過した今でも押し寄せてくるのだ。

 それが収まったのは、さらに一時間が経ってからだった。

 涙を流しすぎて、のどが渇いたのだ。冷蔵庫から麦茶を取り出して、一リットルほどを一気に飲み干す。

 そして、走り出した。溢れる感情を、エネルギーに変えて。

 誰もいない夜空は大きかった。河川敷は静かでいい。そこに響く、自分の足音が、絶妙なリズムを刻んでいく。

 言葉は、羨ましかったのだ。

 自分にはない、唯一無二のものを持っている、文也が。それと同時に、一つ思った。

 それを、手に入れると。

 今は、見上げた星のように遠くても、いつか、その場所に、たどり着きたいと、強く願った。

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