2章 2話 転校生
御影先生はジャージがよく似合うさっぱりとした性格の女教師で、俺たち生徒からの評判もなかなかだ。
ちなみに未婚で、年齢は結婚適齢期――を少し過ぎた二十九歳。
仕事一筋で、教育に奉仕する人生を邁進しているかと言えば、そうではなく、絶賛婚活中であり、婚活パーティや食事会に連日参加しているそうだ。
先生が教室に入ってきたときの機嫌で、前日の結果が分かってしまう。
ゆらゆらとした足取りで教壇に立つ先生を見て、クラスメートたちは嵐を察知した小動物のように、機敏に席に着いた。
全員が着席すると、先生は出席確認もせず、滔々と語りだした。
「先生だってね、別に運命の赤い糸なんて信じてるわけじゃないのよ。そんな夢見る少女じゃいられないわけ。ちゃんと現実を見てるの。だから、本屋で偶然同じ本に手を伸ばして――なんて期待せずに、食事会だって積極的に参加してるし、何なら全然セッティングするからね。個室取って、時間と人数と会費の段取りして。昨日も同僚の女子メンバーで、他校の男の教師たちと飲み会をしたのよ。私の隣に座った子が自己紹介で、猫なで声で喋るの。男たちのだらしない顔ときたら……。わたし~、男の人と話すの苦手で~って、お前何星人だよ。その文化はもう廃れたと思ってたわ。たんぽぽの綿毛にでも乗ってきたわけ? お菓子の家に住んでて、お給料はチョコレートでもらうの? 違うでしょ。私と一緒に私鉄を乗り継いで来たじゃん。慣れた感じで乗換えしてたじゃん。颯爽と交通系のICカード改札にかざしてたよ。1DKのオートロックのマンションだし、私たち月末に銀行口座に給料しっかり振り込まれるもん。そもそも公務員でしょうよ。固い仕事に就きやがって! 可愛いね~って褒められて、何にも準備してませんよ~とか言って、完全に美容室行ってんの。だって予約入れてる電話聞いたもん。相手の男たち来る前にメイク直してたじゃん。ねぇ、私の気持ち分かる?」
……長い。
食事会漫談かな?
先生の鬼気迫る形相と口調に、教室は沈黙する。
南条が椅子の背に体を預け、小声で話しかけてくる。
「御影ちゃん、またダメだったみたいだな。後で慰めに行こうぜ」
「あぁ、そうだな。つーか、これ何の時間だよ。朝のホームルームじゃなかったっけ? 何で俺たちほとんど毎朝担任の愚痴聞いてんの?」
御影先生は気が済んだのか、落ち着きを取り戻した。
「えー、ではここで未来あるあなたたちに、新しいお友達を紹介します。仲良くして素敵な青春を過ごしてください。私はその間に、三十路になります。想像できる? 自分が三十路になるって。私ね、小学校の卒業文集の将来の夢にね、お嫁さんって書いたの。はい、転入生入って来なさい」
いや、入って来にくいだろ。
最低の振り方だな。
内心呆れつつ、ドアを見る。静寂の教室に、ドアがスライドする音が響き――ブレザーの制服に身を包んだリズとオリヴィアが現れた。
それはさながら地上に降り立った天使のようだった。
美少女二人の登場に、アホな男たちは一様に言葉を失い、その直後、大きな歓声を上げた。
リズはおずおずと、オリヴィアは堂々と教壇に立つ。
先生に自己紹介を促されると、リズは緊張した面持ちで、声を上擦らせながら、
「は、はじめまして。リズ・リューネブルクです。あの、仲良くしてください」
「オリヴィア・オルブライトだ。よろしく」
オリヴィアがはきはきと挨拶した後、御影先生が口を開く。
「二人の席は一番後ろに適当にくっつけて。机と椅子は空き教室から持ってきてもらいなさい。二人と仲良くなりたい男子は、率先して手伝ってあげなさい。木場くんは話があるから、終わったらちょっと来て。はい、以上。皆さん、今日も元気に頑張りましょう」
我先にと空き教室に向かったり、リズたちに声をかけるタイミングを窺ったりしている男共を尻目に、二人のところへ行く。
先生が話し終えると同時に席を立った南条には、後ろから首元に手刀を入れておいた。
リズの安全を確保したまでだ。
それにどうせ、オリヴィアに追い返されるだけだろうし。
「なんでここに?」
リズがまだ固い表情で、
「今日からこの学校に通うことになりました」
どういうこと? と聞く前に、御影先生に「早く来なさい」と催促された。
先生に連れられて廊下に出るやいなや、先生が言う。
「転入生たちの世話は、木場くんに任せるから」
「え、何で俺なんですか?」
「だって、あの二人と同居してるんでしょ?」
先生は事も無げに答えた。
何故そのことを知っているんだ?
いや、学校に籍を置くのに、住所不定じゃ無理があるよな。
御影先生は二人の担任になるわけだし、知っていて当然なのか?
思案に耽り、何も答えない俺に、先生は眉をひそめた。
「どうしたの? あの二人のこと、任せていいのよね?」
「あ、はい」
学校でリズたちを放っておくわけにはいかないし、言われなくても気にかけただろう。
「女嫌いのあなたがすんなり受け入れるなんて意外ね」
「別に嫌いってわけじゃ」
「露骨に避けてるでしょ」
「避けてないですよ。ただ気軽に接するのが得意じゃないっていうか……」
「難儀な子ね。潔癖とでも言うのかしら」
先生は呆れ顔になった。
話はもう終わりかと思ったが、まだ続いた。
「ところで、あの二人とはどういう関係なの?」
「どういう意味ですか?」
わずかな動揺が胸の中に広がる。
平静を装いつつ、聞き返すと、
「妙なのがね、転入の話が急に校長から出たんだけど、あなたの家に居候してるってこと以外、担任の私にも個人情報が回って来ないのよ」
これは何か裏があるな。
はぐらかしておこう。
「親父の遠い知り合いみたいですけど」
「ふーん。家庭の事情は複雑よね」
何とか納得してくれたみたいだ。
胸を撫で下ろしていると、
「親御さんほとんど家にいないんでしょ。あなたなら大丈夫だと思うけど、年頃の女の子二人と同居して、変な気を起こさないようにね」
「それは大丈夫です。有り得ませんから」
「そんな『別に俺、女子に興味ねーし』って感じで硬派気取ってたらね、私みたいに婚期を逃すわよ」
「あの、コメントし辛いんですけど」
「あー、勿体ない。あなたくらいの年齢なら、彼女の一人や二人、作ればいいのに」
「さらっととんでもないこと言いました?」
「結婚とか贅沢言わないから、彼氏欲しいわー」
「勿体ないのは先生ですよ」
不思議そうな顔をする御影先生に、
「もっと普通にしてたら、彼氏どころか婚約者もすぐにできると思いますよ」
先生の表情が固まった。
やべ、怒らせたか。
じゃあ、私は普通じゃないってことか! とか言って、キレられるかも知れない。
先生がぐっと近寄ってきて、
「本当? 私をもらってくれるの?」
「え? は? 俺が、ですか?」
「だって今すぐ結婚できるって」
大きく誤解していらっしゃる!
先生はジャージのポケットから何か取り出した。
見ると、実印と婚姻届だった。
「なんで持ち歩いでるんですかっ?」
「こういうのは勢いが大事だから」
静かな、しかし熱っぽい口調が、恐怖心を煽る。
「いやいや、生徒と先生ですよ」
「愛は倫理を超えるわ。それに、大丈夫。私が養うから。私主夫ダメっていう時代錯誤な抵抗とかないから」
「俺家事得意じゃないし、料理もレパートリー少ないです」
あれ、論点が違う?
「私は花嫁修業もしてるの。得意料理はカニクリームコロッケよ」
只ならぬ圧力に気圧されそうだが、そもそも条件がどうとかじゃなくて、俺にその意志がないことを伝えないと。
でも、はっきりとは言いにくい。
「男は十八にならないと結婚できないでしょ!」
俺たちの間には、民法という絶対的な壁がある。
これなら先生を傷つけない。
「あー、そうね。ごめん、どうかしてたわ」
先生は落ち着きを取り戻し、
「とにかくあの子たちのことは、頼んだから」
「はい。任せてください」
場の空気を執り成すように、俺は調子よく返事した。