1章 5話 笑える冗談
「ただ、親父に連絡入れさせてくれ。居候の許可もらいたいからさ」
俺はすぐに、親父に電話をかけた。
親父はこの春から、海外で仕事を始めた。
何の仕事をしているのかは知らない。
何となく研究者とか、ジャーナリストやカメラマンではないかと思っている。
一人で生活することに不安はあったが、親父には親父のやりたいことがあって、それを邪魔するのは嫌だったのだ。
「おう、どうした」
長いコールの後、親父の声がした。
「ちょっと話があってさ。今電話大丈夫?」
「なんだ? 生活費が足りないか? それとも、やっぱり一人暮らしは難しいのか?」
「いや、そうじゃなくて。人を泊めたいんだけど」
「友達か?」
「えっと、友達っていうわけじゃないんだけど」
「ん? 違うのか。どれくらい家にいるんだ?」
「いつまでっていうのは、ちゃんと決まってないっていうか」
親父は黙ってしまう。当然だ。今の俺の説明で、理解を得るのは難しいだろう。
「信用できる相手なのか?」
しばらくして親父が聞いてきた。
「できる、と思う。少なくとも、俺にはそう見える」
親父は歯切れ悪く答える俺を多少訝しんでいたが、最後には、
「お前が決めたんなら反対しない。好きにしなさい」
「ありがとう」
居候の許可を得て胸を撫で下ろしたが、どこかで絶対に反対されないとも思っていた。
小さい頃から、親父は俺のことを尊重してくれていたからだ。
「居候させるのは、いくつくらいの人だ? 男なのか? それとも、女なのか?」
「同い年くらいの女の子だけど」
「お前が女の子を家に泊めたいなんて、信じられないな」
「一人はライオンより凶暴だから、妙なことは起きないよ」
「女の子二人も泊めるのか」
失言だった。
しかし、居候の情報を伝えるのは必要なことだから、仕方ない。
「他に行くところがなくて、困ってるんだよ」
「お前のことだから大丈夫だとは思うが、くれぐれも節度を守れよ」
「分かってるよ。じゃあ、そういうことだから、何かあったらすぐ電話するよ」
「節度を守るのは大切だが、若いうちは冒険も大事だぞ」
「もう切るぞ」
親父の声に揶揄の気配を感じ、強引に電話を切った。
二人のところへ戻る。
「許可もらったよ。当面はここにいるといい」
「ありがとうございます」
すぐにお礼を言ったリズの後ろで、オリヴィアが眉をひそめ、
「誰が凶暴だって?」
聞こえてたのかよ。
「改めて――俺は木場 恭平だ。よろしく」
自己紹介すると、リズが少し恥ずかしそうに、
「はい。えっと、……恭平くん。私のことはリズとお呼びください」
「分かったよ。リズ」
そう答えると、オリヴィアが不機嫌そうな声を出す。
「リズ様と呼べ。呼び捨てなどあり得ん」
「居候させてもらう方に失礼でしょ。それに、私の身分は恭平くんには関係ないよ」
リズが諭すと、オリヴィアは渋々といった感じだが、反論はしなかった。
「オリヴィア・オルブライトだ。オリヴィアでいい」
簡単な自己紹介を済ませると、俺は考えていたことを切り出した。
「これからのことだけど、生活費を少し足してもらうように、親父に相談するつもりだけど、あんまり贅沢はできないぞ」
オリヴィアが言う。
「経済的な心配をする必要はない。我々の分の食料や衣類、生活必需品などは、王城から援助を受けることができるだろう」
「そうしてくれると助かるよ」
「それよりも、このうさぎ小屋――間違った、この家でリズ様と生活をともにするに当たり、言っておかなければならないことがある」
「今とんでもなく失礼な言い間違いをされた気がするんだが」
「そんな細かいことはどうでもいい。私が言いたいのは、リズ様に無礼を働くことは許さないということだ」
オリヴィアは大剣をちらつかせながら、
「例えば、着替えや入浴を覗き見るような真似をしたら、どうなるか分かるな? リズ様の裸は国の宝だ。妙な気だけは起こすなよ」
「見ねぇよ」
「リズ様の裸に魅力がないというのか!」
「そうは言ってねぇよ」
「もし見たら、貴様の体が上半身と下半身に分かれるぞ」
「どうすりゃいいんだよ」
「とにかく、少しでも不埒な真似をしたら、承知しないからな」
「はいはい」
結婚前の女の子の肌を見るなんて有り得ない。
その後、家の中を一通り案内し、最後に二階の空き部屋に連れて行った。
「二人はここを使ってくれ。客人用の布団が押し入れに入ってるから」
そう言えば、夢魔の生活リズムってどうなんだろう。
「勝手なイメージなんだが、夜行性だったりするのか?」
オリヴィアが腕を組み、
「個人差はあるが、確かに夜に強い傾向がある。夢魔としての力が強ければ強いほど、その性質も顕著だ。言うまでもなく、王族であるリズ様はその最たる存在だ」
と、誇らしげに答えた。
そうなのか、と思いながらリズを見ると、眠そうに目を擦っていた。
まだ夜の九時にもなっていない。
「…………」
オリヴィアが剣を構え、ばつが悪そうな声を出す。
「何が言いたい?」
「いや、別に」
あくびをしていたリズが俺の視線に気づき、恥ずかしそうに口元を手で押さえ、
「すみません。今日はちょっと疲れてしまって……」
「ゆっくり休みなよ」
俺も自室に戻ろうとすると、リズに声をかけられた。
「あの、恭平くんの言ったこと分かるんです」
「何のこと?」
聞き返すと、リズは近寄ってきて、躊躇いがちに俺の耳元に口を寄せる。
一本一本が上質な絹のような銀髪が、目の前でふわりと揺れた。
「私も純愛みたいなものを信じてるんです。サキュバスなのに、おかしいですよね」
そして、リズはまるで天使のような微笑みを湛え、
「きっと現れますよ。本当に好きな人」
それは窮地に口をついて出た、誰にも言えなかったことへのエール。
他人に知られれば、笑える冗談として、バカにされると思っていた。
リズの声は、俺の心の柔らかい部分をそっと撫でるようだった。
しばらくの間、リズから目が離せなくなる。
「リズ様と馴れ馴れしくするな!」
オリヴィアがすごい剣幕で吠えた。
大声に驚いたリズが、矮躯を震わせた拍子に、バランスを崩す。
咄嗟に支えると、リズの体が強張り、顔が真っ赤に染まった。
支えた右手が、柔らかい大きなものに沈んだ。それがリズの胸だと分かった瞬間――爆発が起きた。
黒焦げになった俺は意味が分からず、茫然と立ち尽くす。
リズが慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい」
「えっと、これはいったい……?」
謝り続けるリズの代わりに、オリヴィアが言いにくそうに、
「リズ様は羞恥心が極限まで高まると、防衛本能から魔力を放出されるのだ」
おいおい、何だよその歩く爆弾設定は。
「いや、でもここまで運んだときは何ともなかったぞ」
「それはリズ様が意識を失われていたからだろう」
なるほど、そういうことか。
リズは依然として謝罪の言葉を繰り返し、オリヴィアは忌々しげに俺を睨みつけてくる。
もしかすると俺は、とんでもない戦地に足を踏み入れてしまったのかも知れない。
今更そんなことを考えて、戦慄するのだった。