1章 4話 主義
手伝い?
さっきの話だと――。
「ダ、ダメだって。今日出会ったばかりでそんな……、そういうことはもっとお互いのことを知って、親密な関係になってからじゃないと」
それに、遊園地のチケット買うか、散る前の桜探さなきゃいけないし。
リズは慌てた様子で、
「そうじゃないです。今のままでは、キスどころか触れることもできません。ですから、まず男性に慣れることから始めたいんです」
男性恐怖症の克服の手伝いってことか。
「何で俺なの?」
「それはあなたに、夢魔の魅了が効かないからです。平静を保っていられるあなたとなら、コミュニケーションが取れると思うんです」
確かに騒いでいた男たちと違い、俺は忘我しなかった。
「他にも俺みたいなやついるだろう」
「魅了の力が通用しないなんて、聞いたことがありません」
思い返せば、「あなたは大丈夫なんですか?」と驚いていたな。
俺はかなり異常な存在なのだろう。
「なんで俺は平気なんだろう」
「分かりません。分かっているのは、あなた以外に頼めないということです」
夢魔は人間にとって危険なものだと思う。
だけど、この子が男性恐怖症で、俺に夢魔の力への耐性があるなら、大丈夫なのかも知れない。
「手伝いって言われてもな。具体的にはどうするんだ? 苦手意識って、あんたの気持ちの問題だろ? 俺が何かするってもんでもない気がするんだが」
リズは言いづらそうに唇をわずかに動かしてから、
「その……ここに住まわせてもらえないでしょうか」
それって、つまり……同棲? ということは、婚約、結婚式、ハネムーン、初夜――。
「ダメだ、ダメだ!」
「一緒に生活すれば、早く男の人に慣れると思うんです」
「それはそうかも知れないけど、話が飛躍してないか」
それまで黙っていた長身の女――オリヴィアが、すごい剣幕で割って入ってきた。
「私は反対です! 男は狼。その卑しい情欲のままに、リズ様に襲いかかるでしょう」
「ひでぇ言われようだな!」
サキュバスが「男は狼」って。その狼を喰い物にしているやつらが言うことじゃねぇ。
「こんな人相の悪い男の近くにいるのは、リズ様の精神衛生上良くありません」
「こいつは大反対みたいだぞ」
「オリヴィアは私を心配してくれているだけで、悪い子じゃないんです」
フォローの言葉を口にした後、リズは頭を深く下げ、
「不躾なお願いをしているのは承知しています、それでも私は……」
「その通過儀礼って、そんなに大切なのかよ?」
必死に逃げ回るほど男が苦手なのに、それでも克服しなきゃって思うってことは、よっぽど重要なことに違いない。
リズではなく、オリヴィアが言う。
「門外漢には分からないだろうな。それが我々にとって、どれだけ重要な問題なのか」
「だから、聞いてるんだろ」
感情的なオリヴィアに代わり、リズが答える。
「もちろん通過儀礼が重要だということもあるのですが、それ以上に大きな理由があります。それは、私個人だけの問題ではないということです」
「個人の問題じゃない?」
「はい。私は、夢魔の国の王女なんです。私の立場上、通過儀礼を完了しないということは許されません。ですから今回、護衛のオリヴィアと共に、こちらの世界に来たのです」
すかさずオリヴィアが口を挟む。
「言っておくが、リズ様の魔力は決して弱いものではない。王女としての資質も、充分にお持ちでいらっしゃる」
「いくら魔力があっても、男性恐怖症では意味がないから」
リズが自虐的に呟いた。
「立場上許されないって、誰かに行けと言われたってことだよな。親とかってこと?」
「私の両親は今回のことについて否定的です。男性恐怖症である私を責めることなく、無理に通過儀礼をする必要はないと言っています。伝統よりも、私を尊重しているのです」
「優しい両親なんだな」
オリヴィアが懐から一枚の写真を取り出し、
「こちらがリズ様のご両親で、夢魔の国の国王様と女王様だ」
写真には初老の男女が映っている。オリヴィアが言う。
「これは魔界デスティニーランドのワルプルギスナイトパレードを楽しまれている写真だ」
国王と女王は、頭に謎の生物の被り物をして、緩みきった顔でピースしている。
超満喫しているが、夢魔の国は大丈夫なのか?
リズが話を戻した。
「そもそも両親は、人間から精気を奪うという行為――エナジードレインに異を唱えています」
「いや、でもそれって、あんたたちにとっては食事みたいなもので、生きていく上では必要なことじゃないのかよ。人間の俺としては嫌な話だけど」
「こちらの世界で私たちがどういった存在なのかは分からないですけど、私たちにとってエナジードレインは食事ではありません。しなくても、死ぬことはありません」
「ふーん。今両親は否定的って言ったけど、じゃあ、一体誰に言われて来たんだよ」
護衛を付けてるとは言え、愛娘を他所の世界に行かせるか?
「王城内では、必ずしも意見が一致しているわけではないのです。王女である私が、男性恐怖症と通過儀礼を済ませていないことを問題視する声も当然あります。通過儀礼にしても、エナジードレインの是非にしても、それらが伝統的で、夢魔にとって象徴的な行為なので、強い反対が根強く存在するのです。ただでさえ、お父様には向かい風が吹いているのに、私のせいでさらに立場を悪くさせるのは嫌なんです」
リズは鎮痛な面持ちになり、
「一人前になる。これは私の使命なんです」
「事情はだいたい分かったよ。はっきり言って、夢魔は怖い。だけど、大剣の女の方はともかく、あんたは悪いやつには見えない」
「じゃあ、」
「待ってくれ、続きがあるんだ。この家には今、保護者がいないんだ。うちは父子家庭で親父は海外の仕事で帰ってこない。俺にとって女の子は特別で大切なもので、いまどき時代錯誤だと思うけど、保護者不在の家で女の子と同居するっていうのは、抵抗があるんだ」
俺が正直な気持ちを吐露すると、リズは落胆した様子で、
「そうですか。無理を言って、すみませんでした」
「ごめん」
「いえ、気になさらないでください」
リズは顔を俯かせた。
それを見て、俺の胸の奥がちくっと痛む。
路地での怯えた姿や、ソファの上で安心して泣いた顔が脳裏に過ぎる。
この子は男性恐怖症を克服したいと言った。
俺の主義は、決意を持った女の子を見捨てるような真似をしなければならないほど、重要なことなのか?
女の子は特別で、大事にするべきものだ。
だったら、このまま追い出していいのか。
「うちにいていいよ」
気がつくと、俺はそう呟いていた。
「え?」
リズが顔を上げ、小首を傾げた。
「あんたが大丈夫になるまで、ここにいていい」
「でも、いいんですか?」
「居候自体は悪いことじゃない。俺が責任を持って、理性を保てばいいだけの話だ」
「ありがとうございます」
リズは深々と頭を下げた。