4章 6話 異変
ほぼ一週間ぶりに自宅へと帰る。
リズが大きな目を真ん丸にし、
「あれ? 帰ってくるの、明日じゃありませんでしたっけ?」
「ちょっとな。それより日曜日、藤堂と剣道で勝負することにした」
リズは心配そうな声で、控えめに尋ねる。
「喧嘩したんですか?」
「喧嘩じゃないよ。賭けをするんだ」
そのとき階段を下りてきたオリヴィアに、
「俺に剣の稽古をつけてくれないか。藤堂と決闘するんだ」
突然の要求だったが、オリヴィアは俺の顔をじっと見てから、
「いいだろう。ただし、容赦はしないぞ」
今日は外が暗くなってしまっているので、翌日の早朝から稽古を始めた。
庭に出ると、オリヴィアが木刀を出現させた。
お互い木刀を握る。
「水を差すつもりはないが、まともにやってあの女に勝てるのか?」
オリヴィアの指摘はもっともだ。
「今の俺じゃどうやったって太刀打ちできないし、これから普通に稽古しても、どうしようもないだろう。だけど、ちょっと考えがあるんだ」
「考え?」
「打倒藤堂に向けての秘策だ。今日一日、重点的にその練習をしたいんだ」
それから、木刀を振り続け、いくつもの傷を負い、日曜日がやって来た。
朝十時、約束した時間に藤堂の家に向かう。
家の前に藤堂が立っている。
意外だった。
藤堂は俺を見ると、
「本当に来たのね」
「当たり前だろ。藤堂こそ、待っててくれたのか」
「逃げたなんて思われたら癪だから。それに家の前にずっと居座られたら迷惑だし」
藤堂はそっぽを向いて、そう言った後、
「道場に行きましょう」
俺は静かに首肯した。
道場に足を踏み入れる。
「悪いけど、防具を貸してくれないか」
これまでの稽古では、一度も防具をつけなかった。
真剣勝負をするなら、それに相応しい格好をしないといけない。
「木場くん防具なんて付けたことないでしょ。今日初めて防具を付けて、まともに動けると思うの? だからそのままの格好で戦いなさい。そこで一つ提案があるんだけど」
確かに藤堂の言う通りだ。俺は耳を傾ける。
「剣道のルールもよく知らないでしょうし、私は……そうね、木場くんの体には当てない。だから、あなたに参ったと言わせれば勝ちってことでいい? もちろん、素人だけ防具なしで戦わせるわけにはいかないから、私もこのままで戦うわ。あなたは私の体のどこか一部に、一太刀浴びせられたら勝ちでいいわよ。ハンデとしては、まだ足りないかしら?」
露骨な挑発も、俺に圧倒的な有利な提案も、確固たる自信から来るものだろう。
「後悔するなよ」
藤堂は意に介さず、
「ちょっと待っててもらえる?」
道場から出ていってしまった。
十分ほど経つと、扉が静かに開いた。
「えっ……」
俺は息を呑んだ。
藤堂が戻ってきたのだが、一見、別人と錯覚しそうになった。
大きな丸眼鏡が外され、凛とした瞳が露わになっている。
いつも適当に縛られている髪はヘアピンも使い、綿密にまとめられている。
野暮ったさが消え去り、清楚な雰囲気が漂っている。
しかし、それでも藤堂だと分かったのは、歩くときの背筋の伸びた姿勢の良さと、二本持っている竹刀の片方が、風紀委員で継承されているあの竹刀だったからだ。
「藤堂、眼鏡は?」
「コンタクト。本気でやるときは、眼鏡だと邪魔になるから。おかしい?」
いや、おかしいというか。
むしろ……。
藤堂は俺にもう一方の竹刀を渡し、
「それじゃ、始めましょうか」
俺は固く頷き、お互い向かい合った。
竹刀を構えると、藤堂の殺気を肌にひしひしと感じる。
やれることはやった。
後は、何としても藤堂に勝つだけだ。
気がつくと、藤堂が肉薄していた。
速い――。
脊髄反射的に竹刀で防ぐ。
乾いた音が響いた。
両手に痛みが走り、痺れそうになる。
一撃が重い。
当然、稽古をつけてくれていたときとはまったく違う。
藤堂は容赦なく竹刀を振るう。
俺は後ろへ下がりながら、必死で攻撃を受ける。
藤堂と距離が取れるし、衝撃を逃がすことができるからだ。
何とか反応できている。
この一週間で、藤堂の竹刀を何発も受けてきた。
だからその太刀筋を頭ではなく、体が覚えているのだろう。
しかし、防御に徹しているから何とか防げているが、わずかでも反撃を試みれば、一瞬で終わってしまうだろう。
どんどん壁際に追い込まれ、とうとう背中が壁についてしまった。
冷たく、硬い感触が、焦燥を掻き立てる。
もう一歩も下がれない。
藤堂の眼光が強くなる。
終わらせる気だ。
竹刀を振り上げる藤堂の動作が、スローモーションのように見える。
頭では理解しているが、体はぴくりとも動かない。
万事休すか。
藤堂が竹刀を振り下ろし――俺の竹刀を弾き飛ばした。
道場の床を滑っていく。
「これで勝負はついたわね」
そう言って、藤堂はゆっくりと竹刀を下ろし、小さく呟く。
「こんなことは、もうやめましょう」
そして、何故か申し訳無さそうな表情で、
「誕生日を祝いたいっていうの、私の嫌な思い出を上書きしようとしてくれてるんでしょ? ありがとう。その気持ちは嬉しいわ。だけど、そんなことしてもらっても、私の父への不信感は払拭できないし、恋愛に前向きになることもないわ」
藤堂の顔が苦痛に歪んでいる。
俺ではなく、自分を責めているのか?
藤堂が道場の出入り口に向かって歩いていく。
「まだ終わってねぇ! まだ、参ったって言ってねぇぞ!」
振り返った藤堂は、辟易したように眉をひそめ、
「だから、もういいから。私の言ったこと、理解できてる? 木場くんが勝ったところで、何も変わらないのよ」
「そんなの、実際にやってみないと分からないだろ」
「分かるわ。そもそもね、身も蓋もない言い方になるけど、木場くんに関係ないでしょ」
「らしくねぇな」
藤堂が顔をしかめた。
声に怒気を滲ませ、
「らしく、ない? あなたが私の何を知ってるって言うの?」
「俺の知ってる藤堂は、嫌なこととか面倒なことから逃げずに、真っ向から立ち向かうやつだけどな」
「……なんなのよ。もう放っておいてよ!」
藤堂が語気を強めて、言い放った直後、竹刀が禍々しいオーラを纏った。
何が起きているのか分からず、茫然と立ち尽くしていると、藤堂の様子もおかしいことに気づいた。
明らかに竹刀に異変が起こっているのに、俯いたまま、微動だにしていない。
「恭平くん!」
出入り口からリズとオリヴィアが入ってきた。
主人公はチートであるべき。
そうじゃないともう読まれない。




