3章 5話 嫉妬
雨は格段に勢いを増し、屋根や壁に雨粒が打ち付ける音が大きくなっている。
あともう少しここを見つけるのが遅かったら、マジでやばかったな。
とりあえず、雨が止むまではここで待機しよう。
安心した途端、
「腹減ったな」
朝起きてからまだ何も食べていない。駅で缶コーヒーも飲み損ねてるし。
「私、お弁当持ってきてます」
リズの声だ。
「そうなの?」
「はい。お守りを買った後に、皆で食べようと思って」
提げていたバスケットの中身は弁当だったのか。
食べられるものがあるのは有り難い。
有り難いが、
「目隠しされたままじゃ、さすがに食べられないんだが」
「それなら私が食べさせます」
リズが言うと、オリヴィアがすかさず、
「ダメです。そんな羨ましい――ではなくて、召使のようなことはさせられません。第一いくら目隠ししていても、そんな無防備な格好のリズ様を近づけるのは看過できません」
「でも、それでは恭平くんがお弁当を食べられませんし」
「では、私がやりますから」
どうやらオリヴィアが、俺に弁当を食べさせてくれるらしい。
「不本意だが、私が食べさせてやる」
「悪いな、頼むよ。何から食わせてくれるんだ?」
「卵焼きだ。リズ様の作られたお弁当なのだから、しっかり味わって食べるんだぞ」
口を開けて待っていると、頬に柔らかいものが押し付けられた。
「おい、何やってんだ。頬で卵焼きは食べられないだろ」
「うるさいな。ほら、行くぞ」
仕切り直し、ようやく口の中に卵焼きが入る。
美味い!
若干塩味が濃いが、疲労した体と空腹の胃には、むしろ効果的に働いている。
その後も、ウィンナーやからあげなどを食べる。
どれも美味しい。
食事が終わると、リズの気の緩んだ声がする。
「眠くなってしまいました」
疲れもかなりあるだろうし、お腹がいっぱいになり、安心して緊張が解けたのだろう。
弁当作ったのなら、かなり早起きしたのだろうし。
「奥に高くなってるところがある。そこが寝るスペースだ」
「そうさせてもらいます」
リズが横になってからしばらくして、真っ暗の視界と、一度冷えた体が温まってきたせいで、俺にも睡魔がやって来た。
船を漕いでいると、オリヴィアが声をかけてきた。
「ちょっといいか」
「なんだ?」
わずかな沈黙が通り過ぎてから、
「今日は、助かった」
「なんだよ、急に」
「雨が降り出したとき、お前の指摘がなければ、私たちは、というかリズ様はどうなっていたか分からない」
「オリヴィアは本当にリズのことばっかりだな」
「当たり前だ」
オリヴィアは滔々と語り始めた。
「私の家系は代々、王族の護衛をしている。だから、私は幼少の頃から剣の訓練を受けてきた。当時の私は落ちこぼれでな。周囲からも期待されていなかった。そんなときだ、リズ様と初めてお会いしたのは。将来的に、リズ様にお仕えすることになると言われ、未来の主を前に緊張する私に、気さくに、まるで友達のように接してくださった。有り難いことに、それは今でも変わらない。人間界の、この国で育ったお前には理解しにくいかも知れんが、王族とは絶対的で、決して気安い存在ではない。それにも関わらず、リズ様は私に、あまり無理をしないでくださいと声をかけてくださった。王城から剣術の練習をする私の姿をたまに見かけてくださっていたのだそうだ。それから私はそれまで以上に研鑽を積み、その結果、歴代最年少で魔剣ヨルムンガンドを受け継ぐまでに強くなった。今の私があるのは、リズ様のおかげだと言っても過言ではない」
オリヴィアのこんなに優しい声を初めて聞いた。
「今日の私はどうかしている。多分私は、お前に嫉妬していたんだと思う」
「嫉妬?」
「この間、刺客からリズ様をお守りしただろう。本来それは、私の役割だ」
「不知火のことか? いや、あれはリズが自分で何とかしただけだろ」
実際に、不知火を退けたのはリズだ。
「リズ様の側にいたのが、私ではなく、お前だった。それが事実であり、大事なことだ」
今朝から妙に張り切っていたのは、嫉妬から生まれた焦燥が原因だったというわけか。
「それで気合入ってたのか」
「見事に空回りしたがな。冷静な判断を欠き、リズ様を危険にさらしてしまった。この山小屋がなければ、事態はもっと悪化していただろう」
自嘲的に言った後、沈痛な声色になる。
「私は護衛失格だ。リズ様のお側にいる資格はない」
「だったらお前は、ここで全部投げ捨てるのか? リズを残して、一人魔界に帰るのかよ」
オリヴィアは自棄な調子で、
「すぐに別の護衛役が派遣されるだろう。当然だが、王族の親衛隊は大勢いる。この任務は別に私でなくても、いや、私でない方がいいのだろう」
「俺はそうは思わないよ」
俺は断言した。
そして、
「引っ込み思案のリズがこっちの世界で頑張ろうと決心できたのは、お前のことを心底信頼してるからだと思うけどな。だから、それが良いか悪いかは別にして、多少の危険が伴っても、オリヴィアの意志や判断に反対しないんだろう」
しばらく沈黙が流れ、出し抜けにオリヴィアが、
「目隠しされた男が分かったようなことを言っても、説得力ないぞ」
「誰にされたと思ってんだよ」
俺の言葉がどれくらい響いたのかは分からない。
だけど心なしか、オリヴィアの声に明るさが戻った気がする。
3章はオリヴィア回。
読んでくださった方は、彼女に恋してほしい。




