3章 4話 避難小屋
登山コースに入るため、教えてもらった道を進む。
しばらくすると、頬に水滴が当たる感触があった。
上空は黒に近い灰色で覆われている。
「いよいよ降ってきたか」
オリヴィアが立ち止まり、周囲をきょろきょろと見回し始めた。
「本格的に降り出す前に、雨宿りできるところを探さなければ」
「ここで無闇に探すよりも、先に登山コースに出た方がいい。この辺よりは歩きやすい道になっているはずだから、雨宿りの場所も見つけやすいだろう」
「しかし、急がなければ」
オリヴィアは完全に慌てふためいている。
「体の強くないリズが、山道をもうずっと歩きっぱなしなんだぞ。そんな疲弊した状態で闇雲に歩き回ってみろ。長時間雨を浴び続ければ十中八九、体調を崩すだろ」
リズが俺たちの間に入り、
「オリヴィアは私のために言ってくれているんです。それに私は大丈夫ですから」
「オリヴィアがリズのことを考えてるのは、分かってるよ。ただ冷静になれって話だ。それに、リズがオリヴィアを思いやるのは良いことだと思うけど、何でも肯定するのも、自分の安全を顧みないのも、怖いことだ」
皮肉なことだが、二人のお互いに対する優しさが、状況を悪くすることがある。
そう思いながらも、強く言い過ぎたという反省の念が顔を出した。
謝ろうとしたとき、オリヴィアがそれより先に、口を開いた。
「お前の言う通りだ。お前に従おう」
雨脚が少しずつ強くなる。
俺は空を睨みつけるように見上げ、
「急ごう」
このままじゃ全員濡れ鼠だ。
辺りが薄暗くなる。
木や地面が湿り、自然の匂いが濃くなっていく。
体や衣服か濡れているせいで、体感ではかなり寒くなった気がする。
雨に煙る視界の中、目を凝らしながら走る。
巨木の下とか洞窟とか、何でもいいから、とにかく雨を凌げる場所を探す。
霞む景色の向こうに、小さな建物があった。
森の中におぼろげに佇むその建物は、幻のようにも見える。
後ろで小さな悲鳴が上がった。
振り返ると、リズが倒れている。
オリヴィアが慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「ちょっと足を滑らせてしまいました」
地面はかなりぬかるんでいる。
転ばないように走るだけでも、相当神経を使うし、体力を削られる。
「あそこに建物がある。リズ、歩けるか?」
「厳しいようでしたら、私が背負わせていただきます」
オリヴィアが背を向けて屈んだ。
「いえ、大丈夫――」
リズは断りかけたが、逡巡の後、
「やっぱり、お願いしてもいい?」
と言い直した。
オリヴィアがリズを背負い、俺たちは再び走り出した。
その小さな建物は、どうやら山小屋のようだった。
木造で結構古そうだが、雨風から身を守るには充分過ぎるだろう。
ドアは施錠どころか、鍵自体がなかった。
中は暗く、最初はほとんど何も見えなかったが、次第に目が慣れ始めた。
十畳ほどで、中央に囲炉裏があるだけの殺風景な空間だ。
寝具は見当たらないが、奥に横になるための、一段高いスペースがある。
おそらくここは、避難小屋だ。
この建物のすぐ横にトイレと思われる場所と、水場があった。
大雨や落雷などの場合に、一時的に利用される緊急避難専用の山小屋ではなく、長時間の滞在を前提とした山小屋だ。
藤堂はこういった雨宿りできる小屋があることを知っていたから、俺たちを強引に下山させなかったのかもな。
「体拭くもの持ってるか? それと火をつけるものどっかにないか?」
「タオルがある。火をつけるものはないな」
「私はどちらも持ってないです」
オリヴィアとリズがそれぞれ答えた。
「そうか。じゃあタオルでリズの髪と体を拭いてやって」
とにかく囲炉裏に火を着よう。
服を乾かさないと、濡れたままでは、風邪を引いてしまう。
小屋の中を探し回ると、木の棚に新聞紙とライターを見つけた。
そんなに古いようには見えない。
この山小屋はある程度の頻度で利用されているようだ。
しかし、それら以外に使えそうなものは見当たらなかった。
囲炉裏の角にある火消し壺から、火バサミで炭を取り出していく。
新聞紙を棒状にねじり、ライターで火をつける。
最初は小さい炭だけ。
火がつくと大きい炭も入れていく。
「随分手慣れているな」
オリヴィアが俺の手元を覗き込みながら言った。
「親父の影響だよ。アウトドアが好きで、休みの日によく連れ回されてたんだよ。キャンプとかこういう山小屋とか」
取り組み始めてから十分ほどで、暖を取れるくらいの火力になった。
じんわりとした温かさが肌に伝わる。
柔らかな明かりが室内を照らす。
照明としての効果もあるところが良い。
リズが囲炉裏に手をかざす。
「暖かいです」
「本当は濡れた服を脱いだ方がいいんだが」
下心などなかったが、オリヴィアに睨まれる。
「この状況を利用して、何を言い出すんだ」
「濡れた服のままだと風邪引くかも知れないだろ。服は囲炉裏で乾かせるんだし」
俺だって、無闇に女の子が男の前であられもない姿になることには反対だ。
オリヴィアがタオルを持って近づいてくる。
頭でも拭いてくれるんだろうか。
オリヴィアは俺の目を覆うように、タオルで頭を縛った。
「え、えっと、なんで?」
「ここにいる間、それを外すんじゃないぞ」
目隠しをされたわけか。
せっかく明るくなったのに、あっという間に真っ暗だ。
衣擦れの音がし、リズの声がする。
「全部脱ぐんですか?」
「さすがに下着はいいでしょう」
同じ空間で、二人が服を脱いでいる。
……考えるのは、やめよう。
細かい心理描写とか、いらないのかな。
読者はそれを求めていない?




